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36 かわいそうな私とかわいそうな殿下

 ふと、殿下が耳をすませるような様子を見せる。

 私はその胸元にすがるように身を寄せて、小声で耳元で問うた。


「……何か、面白いことがありまして?」


 殿下は小さく笑った。


「……はしたない覗き屋がいるのだよ」


 小さな小さな声で殿下は教えてくれた。

 そして、寝台を覆う帳の向こう側を透かし見るように視線をやる。私の寝台のものと違って光を通すその帳の向こう……やや離れた隣室との境界である扉のあたり、小さな影がこちらをうかがっているのがわかる。


「……覗き、ですの? 夜這いではなくて?」

「もう、夜這いという時間ではないよ」


 寝台の上、互いの体温を感じるほど近くにいるというのに、いかがわしい雰囲気にはまったくならなかった。

 でも、すごく近しくて、温かくて、満ち足りていた。

(ずっとこうしていられればいいのに……)

 殿下が触れているのは私の髪だけなのに、なぜか全身がくすぐったかった。抗議する気持ちをこめて、殿下を見上げる。


「……私に任せてくれるか?」

「はい」


 こくりとうなづいた。

 殿下はもう一度寝直すかのように寝台に寝そべり、おいで、とでも言うようにひきあげた毛布を開く。

(……何するんだろう?)

 まるで当たり前のようにその腕の中におさまってから気が付いた。

(これ、結構恥ずかしい……)

 私の寝間着はシンプルな白のネグリジェだ。殿下も同じく真っ白の丈の長いシャツみたいな寝間着で……何が言いたいのかと言えば、ようは布地が薄いのだ。

 だから、抱きしめられると互いの体温がはっきりと伝わってしまう。それが少し恥ずかしかった。

 なのに、殿下はまるで抱き枕を抱くかのように私を抱きしめるのだ。


「少し、身体が冷えたか?」

「……大丈夫です」


(……意識してるのは私だけなのかな……)

 いつもより早い鼓動……それを気づかれたくないと思う。

 私の葛藤など気づかぬように、殿下は私を抱えなおす。

 近づいてくる気配に、少しだけ緊張した。


「……殿下、お目覚めでいらっしゃいますか?」


 声の感じから言ってまだ十代だと思う。

 ナディル殿下は、動かないようにとでも言うように、私を抱きしめる腕に力をこめる。


「……殿下?」


 小さく身体が揺れているのは、笑いをこらえているからだ。

 返事がないのを、まだ眠っていると考えたのだろう。

 殿下が覗き屋、と言った影は無遠慮に帳を開いた。

 その瞬間、寝間着の端を掴んでいた手に力がこもる。

 まるで二人だけの静かな世界が壊れてしまったような……あるいは、二人きりの世界が無造作に暴かれてしまったような気がした


「……王太子殿下……」


 近づく無遠慮な気配。


「……あの、私……」


 その時、片腕だけで私を抱き上げ、殿下が素早く起き上がった。


「私、殿下のことをおしたい……ひぃぃ……」


 お慕い申し上げているのです、か、お慕い申し上げております、と続けようとしたであろう侍女の声が、見苦しくひっくりかえる。

(……あれ? どうしたんだろう?)

 殿下の胸元に縋るようにしてそっと振り向く。

(うわぁ……)

 どこに置いてあったのか、殿下は見知らぬ侍女の鼻先に抜き身の剣を突き付けていた。


「……誰だ」

「わ、わ、私は……」

「誰かっ」


 彼女が何かを答える前に、殿下の鋭い声が護衛を呼ぶ。


「殿下っ」

「王太子殿下っ」


 彼女が入ってきたのとは逆の扉から、近衛の騎士が二人、飛び込んでくる。


「侵入者だ。連行しろ」

「はい」


 冷静な殿下の命に、飛び込んできた二人は落ち着いて従う。

(……これ、ハメましたね)

 本来なら、王太子殿下の寝室に誰にも見とがめられること入ることなどできない。扉の前に護衛がいなかったのなら、なぜいないのかを疑問に思わなければいけない。


「ち、違います。私は、ただ……」

「ただ、何だ?」


 そなたは私の寝室に踏み入ることを許可されてないだろう、と殿下は思い切り高圧的に告げる。


「……王太子殿下、私は殿下をお慕いしていて……」


 殿下に縋りつこうとした侍女は、その時はじめて、殿下が大切そうに抱えた私に気づいた。


「……え……?」


 ピキリ、と音がしそうな勢いで固まる。

 まるで氷の彫像だった。


「……え? ……妃殿下?」


 近衛のうちの一人……緩やかなウェーブのかかった黒髪を細い皮ひもで結んだほうの人が、ぎょっとしたような顔をして私を見る、


「見るな」


 殿下は私の姿を隠すかのように私を毛布にくるみこむ。

 こんな寝間着姿を誰かに見られることは、貴族女性として大変恥ずかしいことだ。ましてや私は既婚女性なのだ。

 それを思いやってくれる殿下の心遣いが嬉しい。


「し、失礼しましたーーーっ」


 もう一人の茶髪の……黒髪の人よりは二、三歳年上だろう人が慌てて背を向ける。


「……なぜ……ここに……」


 私とよく似た色合いの金の髪の侍女は愕然とした表情で私を見、それからキッとにらみつけた。

 殿下はその視線から私をかばうかのように抱き寄せ、近衛騎士に向かって淡々と指示をだした。まったくもっていつも通りの冷静さである。


「……ライデン、サルファ、侵入者だ。捕らえて連行せよ」

「え?」


 侍女が間の抜けた顔をした。


「はい」

「はっ」


 諾った二人は、侍女の両側からその腕に己の腕を搦めて強制的に立たせる。


「で、殿下、私は怪しいものでは……」

「私の許可なく私の寝室に入る人間のどこが怪しくないのだ?」

「ちがっ……私はただ殿下に私の気持ちを知っていただきたくて……」


 この子は、この間の舞踏会での出来事を知らないのだろう。知っていたら、王太子殿下の寝室に無断で踏み入るなんてしないし、告白したかっただけだなんて言えないはずだ。

 ローデリア侯爵令嬢が似たような言い分で完璧に拒否されているのに。

(……それとも、よっぽど自分に自信があったのかしら)

 殿下が絶対に自分を拒まない、という自信が。

(まあ、結果はこれなわけだけど……)


「いや、離して……殿下! 王太子殿下!」


 必死な呼びかけだったけれど、殿下は顔色一つかえずに連れていけと顎をしゃくった。

 近衛の二人は深くうなづき、彼女を連れて部屋をでてゆく。

 彼らが出て行ってしまうと、室内は途端に静かになった。相も変わらず殿下が静寂を好むために、いつだって殿下の周囲は驚くほど静けさに包まれているのだ。

 二人きりになると急に気恥ずかしくなって、私はそっと殿下の腕の中から離れた。

 絶対の安心を与えてくれるそのぬくもりから離れがたかったけれど、いつまでもべったりでいるわけにはいかない。

 それから、私たちは顔を見合わせた。同じ経験をしたことで、生まれる近しさがまたほんの少し積み重なり、ふっと殿下が笑みをもらした。


「…………夜這いでしたね」


 私も小さく笑った。


「さあ、どうだろうか? ……あの侍女が、暗殺用の毒の指輪をもっていても私は不思議には思わない」

 ここのところ、立て続けに狙われているから、と何でもないことのように言う。


「……殿下が狙われているのですか?」

「ああ。……玉座を狙っている者がいてね。私が邪魔らしい」

「いったい、誰が? 玉座を狙うということは、王族の方ですか?」


 ナディル様に次ぐ第二王位継承権を持っているのはアル殿下だけど、アル殿下は玉座など望んでいない。これはポーズでも何でもなく、ただの事実であることを誰もが知っている。


「うん。どうもそうらしい」

「……第三王位継承権はエオル殿下でしたっけ?」

「そうだ」

「……ナディの双子の兄弟ですよね? どんな方でしたっけ?」


 何度か会ったことはあるはずなのに、記憶にない。

(……あれ? あれれ……?)

 顔が思い出せない。

(……ナディと同じ赤毛だったと思うんだけど……)

 こちらに戻ってきてから……私が今の『私』になってから、ちゃんと会っているはずなのに。


「……ルティア?」

「……あ、いえ……お顔がちょっと思い出せなくて……」

「思い出せない?」

「ええ」


 記憶を引き出そうとしても顔のところがもやもやとしていて、どうもよくわからない。

(……つい、このあいだの最初の夜会でナディのパートナーだったはずなのに)

 思い出すのは、夜会服のタイとポケットチーフがナディと同じドレスの生地だったことくらいだ。


「……本当に?」

「……はい。情けないことですけれど……」


 思わず、目をそらす。


「……何となくは私もわかるんです。ただ、お顔があんまり印象に残っていなくて……」


 だめだ。何をどう言っても言い訳でしかなくなってしまう。

 ナディル殿下はぱちぱちと目をしばたたかせて、それからクスクスと笑った。


「……殿下?」

「随分と彼は印象が薄いみたいだね」

「……申し訳ございません」


 だって、全然関わりがないし、会話を交わした記憶もない。


「いや、怒っているわけではないよ……」


 クスクスと尚も殿下は笑う。

(……あれ? 何かご機嫌みたい?)


「……ナディルさま?」

「何だい?」

「……もしかして、ご機嫌だったりします?」

「……ああ、そうだね……機嫌はいいね」


 なぜ?


「作戦成功だったからですか?」

「作戦? 何の?」

「……だって、さっきの侍女、わかってて罠にかけましたよね?」

「ああ……ああ、そうだよ。……君は本当によく気が付くね」

 

くすくすとご機嫌に笑う。


「……ルティア」

「はい」

「……君には可哀そうだけど、君には私以外を選ぶ自由がない」


 殿下は、そっと私の頬に触れる。

 ひんやりとした手だった。

 私が子供体温で少し高めだからそんな風に思うのかもしれないけれど。


「はい」


 私はこくりとうなづく。そして付け加えた。


「……別に可哀そうではないです」


 そりゃあ、初めて会ったときはこんな夫はいらないって思ったけれど。

 でも、今は違う。

 私の言葉に、上機嫌だったはずの殿下の表情が変なものになる。

(……???……)


「一部の者から言わせれば、私は血筋が悪い。本来なら王子などとは認められないそうだ」

「……誰がそんなことを?」

「はっきりとは言わないが、ほとんどの貴族がそう思っているのではないか?」

「それこそ、『言わせておけばいい』です」


 私はさっきの殿下の言葉を借りる。


「……誰が何をどう言おうとも、私の夫はナディル様ですから」


 ナディル殿下の表情がさらにおかしなものになった。


「亡くなられた前の陛下は、この国は私のものなのだと言いました。私が殿下に王冠をもたらすのだと。私がいるから殿下が王になるのだと……それに相違ありませんか?」

「……ああ……」


 かすれた声で殿下がうなづいた。


「もし、私に選ぶ権利があるのならば……私はナディル様を選びます」


 だから、可哀そうじゃありません。と、その瞳をまっすぐ見て告げた。


「……君に選ぶ権利なんてない」

「ええ。だから、私は幸運でした」


 私はにっこりと笑う ──── ナディル様を安心させるように。


「私が選んでも、他の誰かが選んでも、ナディル様だけですから」

 私の頬に手をあてたまま凍り付いてしまったナディル様に手を伸ばした。


 指先が触れた瞬間、怯えるように小さく震えた。


「……ルティア」


 喘ぐように、私の名を喉の奥から絞り出す。


「はい」

「……覚えておいてくださいませ。私は可哀そうなんかじゃありません。最高に幸運なんですよ。殿下が夫なのですから」

「私が……夫であることが…君の、幸運なのか?」

「はい」


 私は自信をもってうなづく。

 自分でもこんな風に自信満々にうなづけることがびっくりだけど、本当にそう思っている。


「むしろ、殿下のほうが可哀そうなのでは?」

「なぜだ?」

「殿下こそ、私以外選べません。たぶん、私、条件最悪ですよ。殿下にとって」


 しかも、私以外を選ぶと最悪死ぬ……というか、殺されるかもしれない。自分だけじゃなくて、自分の愛した相手や、その子供も。

 そして、子供を産む前に私が死ぬと確実に死ぬことになる。

 さっさと子供をつくろうにも、相手の私がまだ幼くてそれもままならない。

(……わりと無茶ぶりされてると思うよ)


「……どこがだ?」


 殿下が不思議そうに尋ねる。

 とっても頭がいいはずの殿下だけど、こういうことはあんまりよくわかっていないところがある。


「年齢差のあること。ピカイチなのは血筋だけで健康面に不安があること。おそらく実務にはあまり携われないこと……何よりも、殿下の自由を奪ったのは私ですよ……」


 私ゆえに殿下は王太子となった。

 そして、あと何日もしないうち王に……ダーディニアの全国民を背負う王となるのだ。

 私のせいで人生設計が狂った最大の被害者だと思う。


「そんなことはない」


 殿下はゆるりと首を横に振った。


「……誰かのせい、というわけではないのだ」


 きっとなるべくしてなったのだ、と静かにつぶやく。


「そう思って下さるのでしたら良いのですが……」

 

何とも言い難い変な顔をしていたナディル殿下は、私の顔をのぞきこみ、まるで言い聞かせるように言った。


「……私も可哀そうなどではないよ、ルティア……君を妻にしたことが私の幸運だ」


 嬉しくなった私は、私をのぞき込んでいる殿下の額にそっとキスをする。

 自分から唇にキスをする勇気はないけれど、でも、あふれる気持ちを伝えたくて、他に思いつかなかったから。

 キョトンと目を丸くした殿下をかわいいと思ってみていたら、くいっと顎を持ち上げられて唇を奪われた。


「……!!!……」


 それは、奪われるという言葉のままの荒々しいもので、息苦しさに離れようとすることを殿下は許してくれなかった。

 私の抵抗など、たぶん、何の抵抗にもなってなかったのだと思う。だから、あきらめて目を閉じた。そのまま意識が途切れたのは想定外だった。



 酸欠で目を回した私とどうしていいかわからないでオロオロしている殿下を発見したのはフィル=リンで、フィルは目を覚ました私の前で腹を抱えて笑いながら床に転がって、殿下に足蹴にされていた。


「……あんた、最高だよ、姫さん! あんなナディル、初めてみた」

 

憮然とした殿下の顔に私も笑った。

 この時、私は、ちゃんと可哀そうじゃない私を自分で選び、殿下もちゃんとかわいそうじゃない自分を選んだのだ。


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