【幕間】師団長と執政官 下
「俺とステイで検討しただけだから俺たちははっきりとした証拠を持ってるわけじゃないぞ。……ただ目標って言うか目的は明快だ。俺的には何をどうがんばっても無理だと思うけど、『兄上を蹴落とすこと』だ。そうじゃないと望みが達せられないからな……極端なことを言えば、最終的な目標はクーデターだな」
「クーデターってのは随分と穏やかじゃねえな」
フィル=リンは一年前のエサルカルのそれを思い出したのかもしれない。呆れ顔で軽く首を横に振った。
「今回の公爵妃の襲撃事件の狙いの一つはグラーシェス侯爵家の力を削ぐこと。侯爵家の内部をひっかきまわすことの他に近衛の責任問題を槍玉にあげることがあると思う」
「近衛の責任問題?」
フィル=リンがきょとんとした顔をして首を傾げた。フィルは文官だから、たぶん武官……軍人の暗黙の了解的なルールなどに疎い。
「公爵妃の襲撃は、現近衛師団長であるレーデルド公爵の解任が狙いだろうっていうのが俺たちの結論なんだ」
たぶん、考えたこともない回答だったのだろう。まったく理解できないという表情になっている。
「なんでレーデルド公爵?」
「レーデルド公爵は失態を重ねているんだ。……本当は、去年の義姉上の転落事故をはじめとする一連の責任をとって辞任するって本人も言っていたんだけど、エサルカルのクーデターがあって出兵した。で、戦後に辞任を言い出したんだけど、勝ち戦だったせいで功績と相殺されて辞任が帳消しになった」
「本来、辞任すべきところだった?」
「近衛の一番重要な仕事ってのは、王族の護衛なわけだ。なのに護衛対象を見失って生命の危機にさらし、さらには記憶喪失にまでさせてしまったんだぞ。……これは、俺たちの間では絶対の辞任案件だ。兄上が重ねて慰留したから留任したけど、さすがに今回は無理だ。今回も、義姉上が巻き込まれたことを公爵が知ったら、即辞任だ。下手したら、自害するぞ」
義姉上が巻き込まれたことは最重要極秘事項として伏せられているが、それがわかれば今度こそ即座にレーデルド公爵は辞任する。
「自害って大げさな……」
「大げさじゃない。そういうもんなんだ。……そういう覚悟で護衛の任をあずかってるんだよ」
「いや、でも、後任のアテはないんだ。……あそこの副官はまだ師団長になるにはいろいろ足りない。公爵妃の襲撃事件は俸給返上とかの罰則にしてレーデルド公爵留任で話を進めてる」
「それはそっちの言い分だよ。近衛として二度も面目失ってるんだ。公爵は絶対にうなづかない。無理に留任させれば、ひどい結果になるぞ。……そっちの考える人事パズルはどうでもいいんだ。今、辞表を出さないのは建国祭があるからだけにすぎない。ここで辞任なんかしたら、どうにもならなくなるだろう」
「けど、後任が……」
「クロードがいる」
つい数日前、建国祭の為に領地の方から出てきたからと挨拶に来た男の顔を思いうかべた。
二つ年下の妹 アリエノールのの夫となったグラーシェス公爵家のクロード=エウス。
元々は近衛師団長を兼ねていた兄の副官だ。当然、将来の団長候補であったし、今でも予備役として近衛師団に籍だけはあるはずだった。
「いや、でもあいつ、正式に親父さんとばして公爵家の後継ぎになるんだけど」
「問題ないだろ? 確か、今のエルゼヴェルト公爵は公爵位を継いだまま、何年も東方師団の師団長を兼任していたはずだ」
「それは方面軍だからこその特別措置だ」
「だったらその特別措置をクロードにも適用すればいいだけだ。クロードは何もずっとってわけじゃない。……賭けてもいいけど、クロードは断らない。レーデルド公爵の面目をこれ以上傷つけたくないとあいつだって思ってるはずだからな」
「面目って、そこまでのことなのか?」
「そこまでのことなんだよ。特に、あの人は責任感が強い。たぶん、義姉上の件も今でも気にしているはずだ」
それから、レーデルド公爵のことを少しだけ考えた。
兄上の後を受けて近衛の師団長になったあの人は近衛を掌握するのにかなりの苦労をしたと思う。
(俺だったら絶対に無理だ)
絶対のカリスマの持ち主みたいな兄上の後。しかも、出陣したすべての戦に勝利しているという華々しい戦歴を残している。師団の人間は古参であればあるほど、兄上を慕っただろう。
(それでも、兄上直々に「すまない」と告げられた。苦労をかけることはわかっている。でも、だからおまえを選んだのだと告げられれば、奮起しないわけにいかなかっただろう)
「…………クロードを後任にするのが一番世間的に納得が得られるって言うだけで、別にクロードじゃなきゃいけない理由があるわけじゃない。そっちでもっといい後任人事があるならそれでもいい。ただ、事情があるかもしれないが、絶対に貴族のボンボンの箔付けはいれないでくれ。……あと、注意するのは今回のこの件でグラーシェス公爵が脅迫をうけるかもしれない」
「え? グラーシェス公爵『が』脅迫されるのか?」
「ああ」
フィルがすごく変な顔をしていた。
気持ちはわかる。公爵は脅迫をされる方じゃない。圧倒的に脅迫をする方だ。
それも本人はそのつもりはまったくないのに脅迫だと勘違いされるやつだ。
(雰囲気が圧倒的に恐ろしいんだよな……)
近寄りがたいほどの威厳の持ち主なのだ。
「どうやって脅迫するんだ?」
「あー、ステイ曰く。『今回は助けてやったが、次回はそうはいかない。次は本気でやるぞ』みたいなことを言うんじゃないかって」
それにだいたいそんなことをした場合、あの爺さんは草の根分けてでも犯人を見つけ出し、決闘でも何でもして絶対に犯人を許さないだろう。そんなことは、爺さんを知るすべての人間が理解している。たぶん、わかっていないのは犯人だけだ。
「それ、逆効果だろ」
脅迫に屈するような生易しさというか甘さは、グラーシェス公爵にはないのだ。
ましてや、あの公爵は隠れた愛妻家である。妻が被害に遭ってあわや、という目にあったというのにそれをそのままにしておくはずがない。
「まあ、犯人にはかわいそうなことになるよな」
そう。思わず、犯人を憐れんでしまうほど。
「もしや、殿下、犯人の目星がついてるのか?」
「……目星っていうか……まあ、たぶん? って言っても、全部が全部そいつらなわけじゃないんだけど。……だからさっき言っただろう。義姉上が原因じゃないかって」
「姫さんが何をしたんだよ」
フィル=リンの表情が翳る。
(珍しいな……こういうの)
フィルはあまり誰かに肩入れをすることがない。
人づきあいがうまく、驚くほど交友関係が広いが、その付き合い方は広く浅くといったところであまり深くは付き合わないようにしている。いつ誰を切り捨てることになるかわからないから深入りしないのだと、といつか話してくれたことがある。
いつだって、兄上以外のすべてを切り捨てる覚悟をしているのだな、と俺はその時に理解した。
だから、今のは見たことのない顔だ。
「義姉上が悪いわけじゃない。ただ、たぶん、義姉上ゆえに彼はこんなことをしでかしたんだと思う」
「姫さんゆえに?」
「たぶん、義姉上は彼のことを認識もしていないと思う」
会ったことも数えるくらいだろう。
「問題は、確かに彼は黒幕の一人だと俺は確信しているけれど、更にその彼をそそのかした誰かがいるかもしれないってことだ」
『伏魔殿』なんて呼ばれていた後宮は今はもうないというのに、結局のところ不穏な事件はなくならない。
「いったい、誰なんだよ、それ」
もったいぶらないで教えろ、とフィルは言う。
「……いや、ちょっと素面で口にするには憚られるんだよな」
「……なんで?」
「一応、身内だから」
フィルが目を丸くした。
そう。ちょっと憚ってしまうのは、そもそもが身内がはじめたことであるためだった。
「最終的には、兄上にとってかわりたい……いや、さらにその裏にいる人間にしてみれば取って代わらせたい、なのかな……それって結局はクーデターってことだろう?」
「……そうだな」
(俺はこうしてちょっと考えただけで、もういろいろ腹いっぱいなんだけどな)
なのに、この黒幕─────彼は、兄上を蹴落としたいのだ。
だがその場合、俺も巻き込まれることは決定だ。
時々自分でも忘れるのだが、俺の王位継承権は兄上に次ぐ二位である。さらには、兄上が即位すると兄上と義姉上の間に子供ができるまでの間、おれの継承権は暫定的に一位になるからだ。
「いったい、誰なんだ? そのナディルにとってかわりたいって考えている奴は」
「っていうか、普通に考えてみてくれ」
「普通に?」
「そう。普通に王位について考える。……兄上を排除したら、次は俺。でも、俺は王位なんかまったく望んでない。それはフィルだって知っているだろう?」
「ああ」
俺にしてみれば、第二王子。第二王位継承権者という事すら面倒くさいものだ。
それでも継承権を放棄しないのも、王子のままでいるのも、全部兄上の手助けがしたいが為だ。
「で、俺の次は?」
「……まさか、ナディア殿下?」
「違うっての。……もう一人いるだろう」
「……エオル殿下か?」
フィル=リンは、まさかという顔をする。でも、そのまさか、なのだ。
本来は俺の次はシオンになる。だが、既に正教の聖職者として修道の誓いをたてたシオンは継承権を放棄し、王子ですらなくなっている。
ダーディニアの王位は俺の知る範囲では年齢順の男児優先で継ぐことになっているので、第三王位継承権はエオル、第四王位継承権はナディアのものだ。
(たぶん、例外があるけどな)
そのあたりは、国王、王太子、四公爵のみが知っているのだろう。王子であっても俺には知らされていないし、他の王族も同様のはずだ。
もしかしたら、兄上の即位後に、俺には知る機会があるのかもしれない。
(まあ、知ったからって何が変わるわけでもないけど)
「そうだ。……双子とはいえ、ナディアは何も知らないだろう。知っていたら、義姉上とあんなにも無邪気に付き合っていられないだろう。あの子は心根がまっすぐだ」
「本当の本当にあのもやし殿下が?」
「そう。……あんまり、もやしもやし言うな。不敬罪だって言われるぞ」
俺はため息をつきながらうなづく。
「……いや、そうなんだけどさ。何でまたナディルに取って代わろうなんて思ったんだ? あの影の薄い殿下は」
俺たち兄弟の中で、おそらく一番、亡き父上に性格が似ているだろう異母弟の顔を思い出す。正直、ちょっとすぐには思い出せない。公式の場ではだいたいいつもセットでいる双子の片割れ────ナディアが、物おじしない性格なせいか、エオルの印象は極めて薄いのだ。
「……だから、義姉上が原因だと言っただろう?」
「姫さん?」
「……どうやら、惚れたらしいんだ」
「は? ほれた?」
フィルは言葉の意味が理解できないようだった。気持ちはわかる。
「たぶん、だけどな。どうも、エオルは義姉上に横恋慕したみたいなんだ。……それとも、懸想したと言い換えたほうがわかりやすいか?」
そこまで言って、やっと理解してくれたらしい。
「……いつ? どうやって?」
「そんなの俺に聞かないでくれ。俺のことじゃないんだから。……とにかく、エオルは義姉上に惚れた。これが大前提な。……で、だからこそ、義姉上の夫という立場を欲した。うちの副官いわく、たぶん、誰かが唆したんだろうって。義姉上の夫になるには国王にならなければいけない、とね」
「……普通、あきらめるだろ?」
誰がどう考えても、兄上とエオルとでは比べものにならない。
「諦められなかった……というか、あきらめることを知らないかもしれない……あの子は生まれながらの王子だから」
「いや、でもさ……相手はナディルだぞ? ナディルと張り合おうって思えること自体がすごいと思うぞ」
本気でフィルは感心している。
「真剣に考えてないんだろう……エオルが唯一、兄上に勝っているのは若さだけだが、この場合、若さが利点になるとは限らない」
「その通り」
「あの子の周囲は、あの子の癇癪に巻き込まれたくないから適当なことを言う連中が多い。アルティリエ姫は、年齢的には王太子殿下とよりもエオル殿下とのほうがお似合いでございます、とか何とかな」
「あー、想像つくな。それでその気になっちまった、と。……エオル殿下って、今、いくつだったっけ?」
フィルはエオルの年齢すら覚えていないらしい。
「十八歳。帯剣の儀は終えている」
「……ってことは、大逆罪だな」
あっさりと言った。
本気で兄上を陥れようとしているのであれば、それは国家への反逆であり大逆罪となる。
王族は一般的な法律では裁かれない。だが、事が大逆となれば話は別だ。未成年であれば罪一等を減じられることもあるが、成人していればそれはない。
「たぶん、エオルはわかっていない。……理解していないんだ」
「何を?」
「自分の望みがどんな事態を招いたか……。エオルは、もしかしたら口にしただけかもしれない。義姉上を妃にしたいと……。諦めきれないのだと。だが、その言葉は乳兄弟のファーサルド子爵を動かしたんだ」
「ファーサルド子爵? 誰だ、それ」
「アルハン公爵家の一門だ。……二十数年前に社交界を騒がせる事件を起こした家だ。……俺は全然知らなかったけどな」
当時幼かった俺の記憶にあるはずがなく、そもそも俺はそっち方面に疎い。でも、うちの優秀な副官がきっちりと調べてきてくれた。
「事件って?」
そういうことに詳しそうなフィルも聞き覚えがないらしい。
「一門で定められた婚約者を捨てて、他に婚約者がいたローデリア侯爵家の令嬢と半ば駆け落ち同然に一緒になった。最終的には当時の子爵家の当主が亡くなった為に他に後継ぎがいなくて、名目上は許された」
「名目上は、ね」
「そう。家が存続したというだけだ。……ローデリア侯爵家の令嬢の婚約者への慰謝料として先祖伝来の荘園を手放したせいで家政が立ち行かなくなり、侯爵家の令嬢だった子爵夫人はかつての縁────従妹でもあるアルジェナ妃を頼った。その時、アルジェナ妃が妊娠していたことが、彼女の幸運だった。ちょうど彼女も出産を控えていたんだ。それで彼女はアルジェナ妃の子供……ナディアとエオルの乳母になった。で、その時生まれた子供がファーサルド子爵」
「……そこまで聞いても全然思い出せねえ。っていうか、そもそも、エオル殿下も曖昧なんだよな、俺」
フィルがうーんと首を捻る。下町の飲み屋の親父の顔を忘れないのに、己が仕えている主の異母弟の顔を覚えていないというあたりで、フィルの中のエオルの重要度が透け見える気がする。
「まあ、あんまり印象的な方ではないからな」
双子の片割れであるナディアが社交的な為、どうしてもエオルの影は薄い。
「顔とかあんまり思い出せないけど、癇癪持ちのわがまま王子だってことは知ってるぞ。あと三ダメ殿下ってこともな」
「さんだめでんか?」
「学問ダメ、武術ダメ、性格ダメ。身内にはあたりがきつくわがままで、対外的には人見知りで急におとなしくなるくせにすぐに逆切れおこすモヤシ殿下だって東宮の女官が言ってた」
ひどい言われようである。はたから見ればしとやかな美女揃いに見える王宮女官たちだが、女官という職業柄強い性格の者が多く、わりと容赦がない。
「……フィル」
それ以上言わないでくれとの希望を込めて名を呼んだ。フィルはその俺の希望を正しく読み取ってくれたらしく、ため息をついて口をつぐんだ。
「……で、そのファーサルド子爵ってのが、エオル殿下の望みをかなえるために動いてひきおこしたのか? 襲撃事件を?」
気を取り直したように話を変える。
「ああ。事件当日、彼が見知らぬ男たち
を王宮内部に引き入れたことには証言者がいる」
「へえ。証言者」
「あの日、その王宮と後宮の境となる門の門衛をしていた近衛の一人が、彼の顔を知っていたんだ」
「へえ……裁判になったとして、証言してくれんの?」
相手はれっきとした貴族家の当主だ。証言者が平民だったらいろいろとひどい目にあうかもしれない
「義姉上の異母兄君だ。ラエル・クロゼス=ヴィ=フィノス卿。いつでも証言台に立つと言ってくれたそうだ」
「……姫さんの……」
彼が東方師団から近衛に籍を移し、冷や飯を喰らわされていることは知っていたが、東公の子息の身でありながら、門衛までさせられていたらしい。
「襲撃事件をはじめとして、今おこっていることはいろいろ矛盾しているんだよな。すごくちぐはぐなんだ」
一貫性がないのだ。だから、何を考えているのか犯人の狙いがわかりにくい。
「ちぐはぐっていうか、とりとめないっていうか……」
「うん。でも、そもそもが、子供のわがままみたいな望みからはじまっているからだ。思いついたことをいたずらにぜんぶ実行して……だから、やっていることに整合性がないし、行き当たりばったりみたいなとこがある。しかも、複数の犯人がそれぞれ違う目的を持ちながら互いの思惑でいろいろ動いているからな。……まあ、今俺が話したことなんて、兄上ならもっと詳しく知ってると思う」
「いや、詳しくたってあいつは十分の一も話してくれないから!」
「そりゃあ、兄上だからね」
兄上は滅多なことは口にしない。自分の言葉が持つ影響力をわかっているからだ。
「……そういうあんたは、だんだんナディルに似てきたんじゃないか?」
フィル=リンは少しだけ面白くなさそうに言った。
そんな彼に、俺はにっこりと笑って告げた。
「俺にとってはそれは最上級の誉め言葉だよ、フィル」




