【幕間】師団長と執政官 上
「は?」
その時、俺は己の耳がどうかしたのだと思った。
「……もう一度言っていただけませんか? 兄上」
それほどに、三つ年上の兄 ──── ナディルの口から出た言葉はありえないものだったからだ。
「アルティリエを迎えに行くから、代わりにここに座っていてくれ」
執務室の椅子から立ち上がった兄上は、どこから調達したのか神殿騎士が身に着ける外套を羽織る。
(……いやいやいや。この人、何言ってるんだ? え? これ、本当に兄上か? 兄上の皮をかぶったシオンじゃないのか?)
白地を金で縁取ったそれはこの上なく兄上に似合っていたが、俺はそれに見惚れている暇は欠片も与えられていなかった。何しろ、目の前の兄はすぐにでも出て行こうとしているので。
「か、代わりと言っても、俺……いや、私は兄上の仕事の肩代わりなどできっこないんですが!!!!」
賭けてもいい。兄上の仕事を代行できる人間など、この世に存在していないだろう。
「そんなことは百も承知だ。おまえはここに座ってさえいればいい。……代わりに仕事をする必要はない。むしろ、手を出すな。……万が一のことがあったときはフィルとレイを使って対処しろ。二人で事が済まない場合は、ラーダを交えて何とかしろ」
「わ、わかりました」
座っているだけでいいなら執務机の前じゃなくてもいいんじゃないか、とか、万が一のこととはどういう場合なのか? とか言い出さなかったのは、兄上の姿がもう見えなくなっていたからだ。
せっかちというわけではない兄上にしては珍しい慌ただしさだった。
(それだけ、義姉上のことが心配なんだろう)
まだ幼さの残る義姉……王太子妃であるアルティリエ・ルティアーヌ姫の姿を脳裏に浮かべる。
光をはじく黄金の髪、透き通る雪のような肌……儚く可憐な容姿の少女なのだが、ひとたび言葉を交わせば、その芯の強さがよくわかった。
まだ成人はしていないものの、その実年齢以上に思慮深く聡明で、誰もが心惹かれずにはいられないような輝きに満ちている。
兄上が心を傾けているのも当然だと納得できたし、で、あるからこそ、あんなにも心配をしているのだろう。
(いささか過保護すぎるかもしれないが……)
とりあえず、何かできることはあるだろうかと考えて、目の前の書類函を見やり、目をそらしてからもう一度覚悟を決めて、積み重なったそれを見る。もちろん、数が減るわけもない。
「……整理くらいするか……」
俺は深々とため息をついた。
書類整理の基本くらいは一応叩き込まれている。
「……こういうの全然向いてないけど」
必要最低限の書類は自分で作るし、俺のサインが必要なものにはちゃんと目を通すが、ほとんどの書類は副官のステイがちゃんと揃えてくれる。そもそもが兄上の仕事量からすれば、俺が捌いている量など誤差範囲でしかないだろう。
「……で、義姉上の迎えって、どこに行ったんだ?」
もちろん、グラーシェス公爵妃の襲撃事件のことは俺も知っている。
襲撃事件に巻き込まれて義姉────アルティリエ姫の行方が知れないことも。一時は共に行方不明になった公爵妃だけが今は自邸に戻ってきていることも。
そして、事の真相は未だあきらかになってはいない。
直接襲撃した犯人のほとんどがすでに死んでいて、彼らの侵入経路等がわかっていない為、詳細が明らかになるまでは処分保留というのが兄上の裁定だ。この手の事件の処分はいろいろと複雑ですぐには決まらないことが多い。
(とはいえ、すべては兄上のご意向次第ということになるんだけどな)
我が国は、その成立の事情から王権が強い。
絶対的な権威とまでは言わないものの、王の意向がすべてに優先するようなところがある。
兄上におもねる為なのかわからないが、公爵妃の襲撃事件が明らかになってまだ半日も経っていないというのに、誰が何を血迷ったのか知らないが、俺を近衛師団長にしてはどうかという上申が既にあったという。
(軍の枠組みがわかってねえ奴の言うことだけどな)
国軍は全六軍ある。
近衛・中央・東方・西方・南方・北方の各師団で、国軍六軍の頂点に立つのは国王、あるいは国王代理となる王太子だ。
命令系統上、国王あるいはその代理たる王太子の下において六軍師団長のすべてが同格である。とはいえ席次は必要となるので、それは師団長就任年数順ということになっている。
俺の席次は軍のみであれば西方師団長、近衛師団長に次ぐ三番目で、軍人として出席の場合はその席次に従う。
今の時点で俺は軍人としてのほぼ最高位にあり、これ以上の出世は見込めない。
であるにも関わらず、貴族階級の人間は、どういうわけか近衛が一番上だと考える人間が多い。いずれ近衛将軍ですな、などと世辞を言ったつもりになっている人間が多くいる。
そのたびに副官のステイが心の中の『いつか地獄に叩きこむ奴一覧表』に丁寧に記載しているらしいが、俺は深く聞かないでいる。機会があったら兄上に話を振って一覧表を役立たせてやろうかとも思っているが、今のところは絶賛放置中だ。
(まあ、近衛の師団長にあえてなりたいとは思わないけどな)
中央師団長の俺が近衛師団長に任ぜられることはよほどのことがなければありえない。というのは、各師団共に、自師団内からその長を選ぶことが暗黙の了解になっているからだ。
絶対にないと言わないのは、近衛師団長というのは時々名誉職の色合いを帯びるので、王族の箔付けに利用されることがあるためだ。
(俺の場合、どうでもいいんだけどな……)
俺は軍人として兄上の役に立てればそれでよく、進退はすべて兄上にお任せしている。うちの副官はそれが歯がゆいらしくていつも口うるさいことを言うが、本当にどうでもいい。兄上の命令を直接聞くことができ、役に立つことができればそれでいいのだ。
(しっかし、今回の騒動の根はどこにあるんだろうな)
俺を近衛に、なんて言うのはどっかのバカの寝言にせよ、襲撃事件があまりにも不可解すぎて謎だった。
(地位は高いけれど無力な老婦人を狙うとか意味がわからんな)
たいしてやることのない俺は、ちょうど一番上にあった襲撃事件の報告書に目を通しながら自分の考えをまとめてみることにした。
(これ、射手は軍人じゃねえな……)
まず、気づいたのはそれだった。
弓は持ち去られているが、矢は残されている。残された矢は遠距離用のものだ。あの距離でこの矢を選ぶのは職業軍人としてはありえない。
(あえてはずした、という可能性もなくはないけれど、最初からはずすつもりならこの配置にはしねえよな)
残された矢の形状、本数……射手が潜んでいたと思しき場所……複数の射手が交差するよう矢を放っている。一本も掠めていないのは腕が悪いのだろう。
(それとも、最初から生死はどうでも良かったのか?)
しかし、ただの脅迫だというには放たれた矢の総数は多すぎ、更には襲撃したであろう犯人の推定人数も多すぎる。
そして、現場に残された足跡から推測される射手の人数は同じなのに、東側と西側とでは放った数が著しく違う。
(……もしくは、義姉上を巻き込んだことで西側の射手が躊躇った可能性があるな)
義姉 ──── アルティリエ姫は同年代の子供に比べて小柄だ。遠目だとものすごい幼児だと誤解する可能性もある。顔はよくわからずとも、子供を巻き込むことを恐れた者がいたかもしれない。
(だとすれば、少なくとも射手のうちの最低一人は、公爵妃に個人的な怨恨がある可能性が高い)
公爵妃だけに恨みがあるから他を巻き込まなかった人間がいる。そして、子供が巻き込まれているのを承知しながらも彼女たちを地下にまで追った人間もいる。
報告書からはさまざまなことが読み取れる。俺の推論が間違っている場合もあるだろうが、いろいろな観点から見ていくことは大切なことだ。
「でもなぁ、結局、襲撃事件は単なる手段で目的じゃねえしな……いや、それともこっちも目的の一つではあったのかな?」
疑問が口をついて出る。
「あー、良ければその目的とか、教えてもらえませんかねぇ」
耳慣れた声がした。
「……フィル=リン」
いつの間にか室内には兄の乳兄弟……いや、兄の右腕と言っていいだろうフィル=リンの姿があった。
れっきとしたアルトハイデルエグザニディウム伯爵家の公子でありながら、どこにでも出没するせいで下働き達の間でもよく顔を知られている。おそらく貴族だと思われてないのだろう。
うちの部下が俺に対する態度もだいぶ気安いが、フィルに対するほどではない。
「お久しぶりです。アルフレート殿下」
「そんなに久しぶりだったか?」
「一か月ぶりくらいじゃないですか?」
「え? そんなに会ってなかったか?」
「ええ。前回会ったのは、アルフレート殿下が演習に行く時でしたから……」
「演習? 先月頭のやつか? 西方師団との合同の?」
「そうです」
「……それなら確かにもうすぐ一か月たつな」
俺の中でフィルと兄上は常にセットだ。兄上とは毎週のように顔を合わせていたせいだろう。フィルともそんなに顔を合わせていなかったという感じがしない。
「……なあフィル、兄上はどこまで義姉上を迎えに行ったんだ?」
フィルが、あー、と気の抜けた声をあげ、そして、ざっくばらんな口調になって俺に告げた。
「……姫さん迎えに、地下から下町に」
改まった席ではもちろん畏まった様子で恭しく話すのだが、こんなふうに誰もいなければかなりくだけた口調になる。
馴れ馴れしいという人間もいるが、こういうあけっぴろげな態度だと構えることなく話ができる。フィルほど交友関係が広い人間を俺は見たことがない。
わけあって俺には乳兄弟や乳姉妹がいない。
その分、兄上が随分と気にかけてくれたことは、今の俺を形成する大きな要因となった。
子供の頃の三歳の年の差というのは結構大きい。それだけじゃない。幼い頃の俺は今から想像もできないほどひ弱で身体が弱かった。たぶん、俺をつれてだと何をするのにも面倒くさかっただろうに、兄上をはじめとし、兄上の側近たちは決して俺をないがしろにしたり持て余したりするようなことなく面倒を見てくれた。
勿論、兄上は当時から忙しい人だったから、直接構ってくれたのはフィル=リンが一番多かったように思う。そのせいで、別に乳兄弟でも何でもないけれど、俺はフィル=リンに対しては特別な親しみみたいなものがあるのだ。
「下町? なんで下町に?」
「襲撃されたとき、公爵妃と姫さんは地下に逃げ込んだんだとか。で、地下で迷子になった挙句、下町に出てしまった、と」
「よく無事だったな」
登録を済ませている義姉上が地下において絶対に傷つけられることがないのはわかっている。だが、公爵妃が無事でいられる理由を俺は知らない。
「それはですね……むかーし、むかし、公爵妃は建国祭で『姫』の役だったことがあるそうです。で、どうやらその時に登録されていたらしい」
ダーディニアにおいて、建国祭は最大の国家行事だ。
『姫』というのは、建国祭の儀式で王宮の奥深くの始まりの庭で王に王権の剣を与える妖精王の姫君役の娘のことで、『乙女』とか『女王』とも言う。
未婚の高位貴族の娘がやることが暗黙の了解になっているのだが、エルゼヴェルトの直系に姫がいればその姫が、いなければ他の三公か王家に連なる血筋から選ばれる。
この儀式は、そのまま建国王と初代王妃の出会いを再現している。
この時使われるのは、エルゼヴェルトの姫君にしか封を解くことができないと言われている王家代々の宝剣ルファナザーク。封を解いた剣を始まりの庭にある台座に奉じることでダーディニアの国王は誕生すると言われている。
「乙女になったことがあると必ず登録されるのか?」
「いや、必ずしもそうじゃないらしいんだが、なぜか公爵妃は登録されていた。……あー、詳しくはうちの殿下に聞いてもらいたい。俺もそう詳しいわけじゃないので」
ちなみにこの登録は、実は俺たちの都合ではどうにもならないものだったりする。
現在、地下に踏み入ることを正式に許されているのは、部の学者くらいのものなのだが、彼らは遺書を書いて地下に潜っているのだ。地下の調査は少しづつ進んでいるとはいえ、未登録者はいつどこで番人の怒りに触れるかわからず、生命の保証はされていない。年に数回は事故がおきるのだが、それでも学者たちは地下に踏み入ることをやめない。あふれる好奇心と知識欲とやらでどうしようもないらしい。
「……それ、本人は知っていたのか?」
「さあ……」
知らないで地下へと潜ったのなら随分と勇気があることだと思う。まったく知らないからこそできたのかもしれないが。
「『乙女』だった者はすべて登録されるのか?」
「いや。……建国祭の『乙女』ってのは、遺産継承者……鍵の姫を探し出すために作り出されたものだ。たぶん、公爵妃が登録されていたこと自体が特別なんだと思う。現に、アリー……アリエノール殿下は『乙女』をやったけれど、まったく登録されていない」
フィルが妹の幼少時の呼び名を口にして言いなおした。
「……それは、俺たちが亡き先王陛下からしかエルゼヴェルトの血をひいていないからじゃないか?」
俺は今は亡き先王陛下の面影を一瞬だけ思い出した。
物心ついてから、俺は父に面と向かって父上と呼びかけたことがほとんどない。陛下と呼ぶのが常だった。
たぶんそれは、兄上がそう呼んでいたせいだろう。おそらくアリエノールやシオンも同様だったと思う。純粋に陛下を父と呼んでいたのは、異母の弟妹だけだ。
正直、俺は家族というものがよくわからない。そのせいもあって、この年齢になっても未だに独身だ。
「そうなんだろうな。ナディルもそう言ってた」
「ちょっと待て、フィル。……兄上は自由に歩き回ってないか?」
「……あー、それは全然問題ない……たぶん。ナディルには指輪があるからな」
「……指輪?」
「王太子の証の印章の指輪だ。……あれ、遺跡の通行証みたいなもんらしい」
かつて建国王の妃となった妖精王の姫君からの結納の品の一つと言われているものだ。よくわからない材質でできていて、それほど大きなものではないのに驚くほど精緻な細工がなされている。
決して複製をつくることができないこの世で唯一の品だと言われている。
「らしいって……もし違ったらどうするんだ」
「それは大丈夫だった。俺も試したことあるから」
「は? 試した?」
「おう。……あの指輪使って地下歩いたことあるんだ。いつも、番人がすごくいるあたりを突っ切っても何でもなかった」
「……何の実験してるんだよ」
「実験っていうか……あー、ちょい、陰ながら姫さんの護衛したことがあって、そん時に持たされたんだよ」
「陰ながら護衛って……」
状況はまったくわからなかったけれど、俺にもこれだけは理解できた。
フィルは王太子の印章の指輪を貸し与えられて、自身も自由に地下を歩き回ったことがあるのだ。
(──── たぶん、それも一度や二度じゃない)
義姉上の護衛をさせるために、というのならぶっつけ本番だったはずがない。
あの兄上が、義姉上に関することで一か八かの賭けみたいなことをするはずがない。
「そのへんのことは置いといて、そんなことより、俺はさっきの手段と目的とやらが知りたいんだけど」
フィル=リンが強引に話を戻した。わりと軽い口調で言っているけれど、そのわりには目が真剣だった。
だから、俺もちょっとだけ居住まいをただす。
「あー、別に何ていうわけじゃないんだ。……俺も一応、五日熱の……ネーヴェの被害者が犯人だったっていう話は聞いているから。……でも、唐突すぎるように思えないか?」
「どのあたりが?」
「何ていうか……ある日突然犯人が現れた感じがする……別にネーヴェのそいつらが偽物だと言っているわけじゃない。被害にあったこともきっと本当だろう。でも、普通はこんなことになったりしない。彼らの恨みや悲しみやそういうものは時間の流れの中でゆるやかに消えていくはずだったんだ。……現に、二年間は何もなかったんだから」
俺はそこで言葉を切ってフィルを見た。
「じゃあ、どうしてここにきてこんなことに?」
「彼らを煽る誰かがいたんだと思う。……それも、ネーヴェの一件はすごく最初の頃からそれがあったのかもしれない」
口に出してみたら、それが正しい気がしてきた。
顔も知らない誰かが、ごく初期の段階から情報をねじまげ、悲しみと恨みを燻ぶらせたネーヴェの人々に火をつけたのだ。
「最初の頃からって?」
「……『情報屋』なんて揶揄されることのあるうちの副官でさえ、あの一件は公爵妃の善意が被害を拡大させたんだと思ってたんだ。たぶん、誰かがそういう風に誘導したってことだろう?」
「それが、故意だと?」
「…………たぶん」
確証はない、と肩を竦めて見せた。
「今回の件、きっかけは何だと思ってる?」
「陛下の死。あるいは、陛下の死によって兄上の即位が正式に確定したこと」
俺はあっさりと答えた。
公爵妃に一番最初の手紙が届いたのは、およそ一年前。陛下の葬儀の直後だったとここの記録にあったことで確信した。
フィルはそうだろうな、というように小さくうなづく。
「たぶんばっかりであれなんだけど、……最終的には兄上の権威を失墜させたいんじゃないかと思う。成功の余地があまりないけど」
俺の言葉をフィルは否定しない。おそらく、彼もそう推測したのだ。
「なんでそう思った?」
「ステイ……うちの副官といろいろと話したんだよ。うちはそっちほど情報が豊富じゃない。でも、軍関連の情報はあるから、そこらへんを加味した結果の推測」
俺は、王太子でありながらほとんど国王代理として政務をみてきた兄上の地位は盤石なのだと思っていた。
実務能力も、平民の人気もあり、主だった大貴族からの支持も厚い。
弟の俺からみても非の打ちどころがないような人なのだ。どんなに頑張ったとしても、追いつける気がしないし、とってかわることは不可能だろう。というか、その後のことを考えたら代わりたい人間などいないだろうと思っていた。
「で、今回の一件は公爵妃の生命を狙ったものではないと?」
「いや、そういうわけでもない。とりあえず、順を追って話すな」
俺は一息ついて口を開く。
「まず、グラーシェス公爵妃の一件は、グラーシェス公爵家をかき回したい……できればお家騒動のごたごたが起きてほしいって狙いがある」
「無理だろう?」
「だから、そういう意図でやってるけど、必ずしも意図したとおりの結果を生むとは限らないから」
「っていうか、北公は強固なナディル支持者だ。たとえば、公爵妃に何かあって……あるいは、それ以外の理由で隠居したとしても、息子はガチな信者みたいな奴だし、その子供であるクロードにいたっては元副官でさらには嫁がアリエノール姫だぞ。誰が後を継いでもあの家はナディル支持から覆らないだろう?」
「でも、勢力を削ぐことはできる。……現にこのゴタゴタに手をとられて、建国祭関連の諸々の準備が遅れている。例年、北家が担当している幾つかの任を、すでに一族中の別の家に回したともきいている」
ダーディニア貴族は、奉仕する存在だ。王に、国に奉仕し、それが国家を支える力となる。
建国祭のような国家行事において、ほとんどの貴族家が代々受け継いできた任を持つ。王家より奉仕を求められるのはダーディニア貴族にとって最高の栄誉であり、信頼の証である。よって、求められた奉仕の任が果たせないということは何よりも恥ずべき事であり、貴族としての欠格事由になりかねない。
「グラーシェスが面目を潰したとしても、ナディルの支持基盤が弱くなるほどのことではないだろう?」
そもそも、兄上には表立った反対勢力がない。
これは、表向きほとんどすべての貴族家が兄上の即位を支持にしているということになる。
「まあ、即座にそういうことはないと思う。でも重なったら? ……南のアルハンからは側妃をいれるだのいれないだのって話になってるんだろう? 俺は全然詳しくないんだけど、これも扱いが繊細な問題だ。一つ対応を間違えれば、現在は良好な関係を築いているアルハンとの関係も疎遠になりかねない」
「……代替わりしたフェルディスとは、まだ互いに探りあってるみたいなとこだしな」
「後は……エルゼヴェルトはいろいろアレだけど、兄上支持は覆らない。別に今の東公がどれだけ不支持を打ち出したとしても、推定相続人である義姉上は兄上のただ一人の妃なのだから」
「東公は不支持を表明したりなんかしないさ。……バカじゃないからな」
東公とはあからさまに対立しているものの、つきつめればそれは政治だの何だのではなく、お互いの感情的な部分のものでしかない。
「ただ一つだけ、エルゼヴェルトが……東公が兄上を支持しない場合がある」
「……そんなのあるか?」
フィル=リンが真顔で首を傾げた。
「義姉上だ。……義姉上が兄上の妻でなくなった場合……もっと言えば、他の男の妻になった場合、エルゼヴェルトは簡単にひっくり返る」
「ありえねーから。ナディルは絶対にそれを許さない」
「でも、義姉上の意思だったら、どうにもならないだろう? まあ、お二人は仲睦まじいから本人の意思でそうはならないだろうけど」
「そうだ。……で、無理やり姫さんの意思を曲げるようなことをナディルは絶対に許さない。っていうか、姫さんに手を出したら何するかわかんねーぞ」
フィル=リンは真剣だった。真剣に怯えていた。
「うん。それは今の状態からもわかってる。でも、たぶんだけど、そもそもがこれ、義姉上からはじまってると思うんだよな」
「はぁ?」
フィルはさらに変な顔をした。
「まあ、順番に話していくよ。えーとどこまで話したっけ」
「四公との関係引っ掻き回すとこ」
「ああ、わかった。……ちなみに、今から話すことは別に証拠があるとかじゃないから、フィルの胸の内におさめておけよ」
「わかってる」
俺は小さく咳払いして、自分なりの推論っていうやつを話しはじめた。




