33 地下の光の中で
薄闇の中にぼんやりと光が浮かぶ。
まばゆいというほどではないけれど、足元を照らしだすその光は王宮の地下でも見たものだ。
(何度見ても不思議……)
聖堂で一息つく暇もなく、ナディル殿下は私を連れて地下へと潜った。
タイムリミットギリギリというわけではないけれど、私はきっと王宮から出ていないことになっているはずだから、できるだけ外にいることは避けたいのだろう。
(……この光は何をエネルギーにしているのかしら?)
ずっと不思議に思っていたのだけれど、これまでその疑問が解決されることはなかった。
この世界に電気は存在しないのに、この光は蛍光灯やLED……電気によってもたらされる光によく似ている────いや、似ているというよりはそのものと言っていいかもしれない。
本当は殿下に聞こうと思っていたのだけれど、あちらの世界の単語を使わずしてどう問えばいいのかわからなくて、ずっと聞けないままだった。
ごく近くにあるその横顔にちらりと視線を向ける。
聖堂に仕える聖騎士達だけが纏うことを許されている白地に金モールで飾られた外套姿────やや嶮しい表情の横顔はいつもと違う雰囲気を漂わせていて、そんな場合じゃないのに少しときめいてしまった。
(こんな時に……)
なけなしの乙女心の成せる業とはいえ、こんな状況の時に何をやっているのだと思わず自問自答してしまう。でも、かっこいいと思ってしまうのは仕方がないと思う。
(絶体絶命とまでは言わないけど、ピンチの時に助けに来てくれるヒーローにときめくのは当然の心理だよね)
吊り橋効果というやつである。
元より好意はたっぷりとあるのだから、吊り橋効果分のときめきが増加したところで全体量としては大差ない。
深く息を吸って、吐く。深呼吸を一回。
脳裏にちらつくのは先ほどの男の激昂した真っ赤な顔や、振り上げられた拳。それから浴びせられた罵声────少しだけ身体が竦んだ。
(……これくらいのことで竦んでいては駄目だから!)
もう一度深く呼吸をして、脳裏から嫌な映像を追い払う。
それから、よし、と手を握り締めて、意を決して口を開いた。
「……ナディル様」
「どうした? どこか痛むのか?」
足元を気にしながらも、殿下は私の言葉にすぐに反応してくれる。
「……いいえ。大丈夫です。……あの、もう大丈夫なので自分で歩きます」
さっきまでは腰が抜けたような感じで立ち上がるのもおぼつかなかったのだけれど、もうだいぶ落ち着いたと思う。たぶん大丈夫だろう。
「……いや、ここで無理をするものではない」
「いえ、本当にもう大丈夫です」
もう抱き上げられての移動は止めるのだと決意したばかりなのだ。
「……ルティア。靴も足に合っていない。血もにじんでいるではないか。……ここで無理をする必要はない。建国祭ではまた踊らねばならないのだぞ」
ナディル殿下は、真摯な表情で私を言い諭す。
「……でも……」
(自分で歩くって決めたばかりなのに!)
「ルティア」
穏やかだけれど、確固たる意志のこめられた声音。
これはたぶん、私がどう言い募ってもうなづいてはくれないだろう。
(これは、不可抗力なんです。私の意思が弱すぎるとかじゃないですから!)
「……わかりました」
誰に言い訳しているわけでもないのだけれど、私は小さなため息をついてうなづいた。
その私の様子があまりにも悄然としていたのだろう。殿下が困ったように視線をうろつかせた。
「……私の為だと思って腕の中にいてくれ」
私に顔を見せない為になのか、殿下は逆の方を向いて少し早口で言う。
(……もしや、照れてるのかな?)
「……殿下のために、ですか?」
「ああ。……その足で歩かせるのは私の心が痛む。別に君を子ども扱いしているわけではない。……ただ、心配なだけだ」
「そこまで心配していただくようなケガではないんですよ?」
だって言われるまで痛みも感じていなかった。
(たぶん、またふさがりかけていた薄皮がはがれちゃったっていうか、かさぶたがはがれちゃったんだと思う)
「それでもだ。……たぶん、君は君が思うよりずっとか弱い」
「……そうなのでしょうか?」
「ああ。……エルゼヴェルト生まれの者は線が細いだけではなく、基本、それほど丈夫にできていない。……公爵は別だがな」
それは薄々自分でも自覚していた。ここしばらくの私の倒れっぷりからすれば自覚しない方がおかしい。そして、最後に付け加えられた例外に、思わず小さく噴き出した。
「ああ。まあ、傾向として男性はそれほど弱くはない。……おそらく血筋なのだろうな。女性はか弱い者が多い」
たぶん、殿下は私の母を思い出したのだろう。少しだけ何かを懐かしむような響きが混じる。
「わかりました……でも、今だけですよ。足が治ったら、ちゃんと自分で歩きますから」
丈夫でないことと足のケガは全然関係がないと思うけれど、殿下が心配だというのならば仕方がない。でも、ちゃんと釘はさしておく。だって、この先ずっと抱きあげられて移動するわけにはいかないのだから!
「ああ」
殿下はちゃんとうなづいてくれた。
陽の光も月の光も射さない闇の中、足元にぼんやりと浮かび上がる光を頼りに殿下は足を進める。
よくよく見ると、石材できっちりと整備された路面の一部が光を発しているらしい。
(蛍光塗料とか蓄光塗料というには明るすぎるけど、蛍光灯というには暗すぎる……んー、LEDの常夜灯っぽい感じ)
やや薄暗いものの、自分で歩いていないせいで私には周囲を観察する余裕がある。
(……どういう空間なんだろう?)
目が慣れてきて、この空間の広大さがわかるようになると途端に疑問が押し寄せてくる。
「どうした?」
殿下は私程度の重みは何とも思っていないのか、息をきらすこともなくかなりの早足で迷いなく進む。
「……ここは、王都の地下なんですよね?」
「そうだ。正確に言うならば、旧王都と呼ばれるユトリア、レガリア、サフォリア、エルリア、リオリア、ルディリア、マラリアの七つの地域の地下にあたる。……地下通路は、前にもユトリアへ出たときに使っただろう?」
「はい。そうなんですけれど、こんなにも天井は高くなかったように思います」
「……王宮の地下だったからな。……王宮の敷地の地下は、統一帝國時代の城塞だった。正宮と西宮の一部にかかる部分が城塞で最も大きな建物の遺跡で、そこを中心にかつて都市が広がっていた」
「王宮の地下部分である城塞遺跡の外がそのまま地下都市の遺跡なのですね?」
「そうだ。城塞都市は、ここは地下都市の大通りの一つになる」
「アル・グレアは、地に沈んだ都市の上に建築されたと聞いていますが……」
「そうだ。アル・グレアは、建国王がアルセイ=ネイに設計させ、五代目のファラス王の時に完成したと言われている」
「……言われている?」
「私は『都市』に完成はないと思っている。常に未完成のまま発展し続け、完成したと……都市のその発展が頂点に達した時点で衰退へと向かってゆく。このアル・グレアは未だ年経るごとに膨張し続けている……ゆえにまだ完成にはほど遠いのだ」
(殿下らしい言い回しというか、理屈っぽいと言うべきか……)
ナディル殿下は、場をわきまえてはいるけれど実は学者らしい好奇心が旺盛な方だ。以前ご自分でおっしゃっていたが、知らないものや知らないことをすべて知りたいのが学者の習性というものだという。そして、一度気になるとトコトン追及せずにはいられない。
私がとてもナディル殿下らしいと思う部分の大半は、そういった学者気質に因るものではないかと思う。
(言葉の使い方とか……あと、すごく正確さを求めるところとか……)
すべてにというわけではないけれど、一部にとても細かい。
誤解を恐れずに言うならば……殿下はわりと面倒くさい人なのだ。
(でも、好きなんだよなぁ……そういうところも)
私は、『完璧な王太子殿下』の顔ではなく、『好奇心を抑えきれない学者』の顔をしている殿下が好きだ。素の表情が見えるような気がするし、どこか幼げにも見える。何となく私に気を許してくれているような気がして嬉しい。
(本当に素かどうかはわからないんだけど……)
私はナディル殿下のことをまだ知らなすぎると思う。
一年前、エルゼヴェルトの冬の湖で記憶を失ったせいで、そもそもの土台となる己の記憶すら完全ではないし、判断基準とするべき知識も指標も欠けている。
(知っているのは、食べるものの好き嫌いくらいで……)
餌付け作戦絶賛続行中だからね!
頭の片隅においしいものを食べた時のわかりくい上機嫌な表情とか、それから、静かな時間を邪魔されて不機嫌な時の表情が浮かぶ。そして、目の前の殿下の横顔を見つめる。
(今、ここにある気持ちは変わらないし、嘘じゃない)
そっと胸元を押さえる。
この奥にある気持ち────この気持ちだけは、記憶を失っても決してなくなったりしなかった。
(もう、ただ『好き』というだけではなくなってしまったけど)
今の私には、独占欲があり、そして、強い願いがある。
(ううん。願ってるだけじゃだめなんだ)
だって私は殿下の横に立ちたいのだ。
誰かに譲る気なんてまったくない。
それは、腕の中に守られるだけでは嫌だということだ。
(私はもう願っているだけの子供ではいられない)
この国は私の国なのだと今は亡き恩師ルハイエ教授は言った。
思い出すのは、私が紅茶にミルクと蜂蜜をいれることを好んだのが原因で乳製品の開発や養蜂が盛んになったという殿下の言葉だ。王都ではさまざまな種類のミルクが手に入るし、その副産物としてチーズなどの乳製品も豊富に生産され、王都に運ばれてきている。そして、かつては薬屋で扱われていたという蜂蜜は、今では食品店でも普通に購入できるくらい一般的なものになり、皆の食卓を賑わせている。
(そういう風に、皆がおいしいものをたくさん食べられればいい)
私に、ダーディニアという国の政治や経済の難しいことはわからない。
でも、食を豊かにするということに関してならわずかながらではあるけれどできることがあるんじゃないだろうか。
今はまだほとんど名前だけの王太子妃である私にできることはそれほど多くはない。
(……でも、王妃になったらたぶんもっと多くのことができるようになる)
私はきゅっと手を握り締める。
左の手首には孔雀緑の鮮やかな色合いのシュシュがあった。
先ほど慌ただしく別れたジャーロ。言葉を交わさないまま別れることになったラグやルファ、フィーやリアリーにウェイ……子供たちの顔が脳裏に浮かび、そしてお世話になったレラ・アデーレを想う。
(私の国に生きる人たち……この国の王妃となる私が守り導くべき人たち……)
これまで漠然としていてただ言葉でしかわかっていなかった存在だったけれど、初めて具体的な形をもって考えられるようになった。
いつも私の傍近くで世話をしてくれている女官や侍女たちも勿論私の国の民である。でも、貴族がほとんどである彼らは私と同じく民を守り導くべき立場だと認識しているから、具体例としてはピンと来ていなかったのだ。
(みんなに出会ったことで、少しだけわかったような気がする)
ダーディニアの王妃になるということ。
この国を愛するということ。
私なりに理解の糸口をみつけることができたと思う。たぶん今ならば、かつてルハイエ教授から与えられた課題に答えを出せる気がする。
(まだ、とても拙いものだけど……)
私はそのスタート地点に立ったばかりだった。




