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32 さよなら

 建国祭本番を二日後に控え、街の中はどこかソワソワとしたくすぐったい空気に包まれていた。

 期待にも似た何か……それは、密やかに場を満たしていく。

 時々、どこか遠くで気の早い者の王太子殿下ばんざーい、国王陛下ばんざーいの声が聞こえていた。

(……皆が殿下の即位を待ち望んでいるみたいです)

 そう思うと不思議と頬が緩んだ。

(……こうして街の中を見ているだけでちょっと楽しい)

 でも、殿下と一緒だったらきっともっと楽しめたのに、と思う。

(まあ、ナディルさまとご一緒だったら、今ここにはいないんですけどね!)

 ナディル殿下が道に迷うことなど万に一つもありえない気がする。


「……お嬢、ちょっといい……?」

「何ですか?」


 ちょうどお昼の時間のせいかお客様の姿はまばらで、このあたりの屋台は私たちの屋台も含めて、閑古鳥が鳴いていた。


「何か、あっちの屋台で大安売りを始めたんだよ。それで、こっちにお客が全然流れて来なくなってて……」

 ジャーロが大通りの向こう側を目線で示す。

「別に気にする必要ないですよ。あちらはあちら、うちはうちです」

「でも……」

「……材料の関係もあるので、ちょっとペースを落とすくらいでいいと思いますけど、不安ですか?」

「不安って言うか……何か口惜しいかなって」

「口惜しい?」

「うん。……あのさ、もしかしたらもう聞いてるかもしれないけど……俺も含めて、孤児院にいる人間は、皆、捨てられた子供なんだ」


 私は知ってるよ、の意味でちょっとうなづく。


「僕らにはお嬢と違って帰る場所がない。孤児院しかないんだ。……それでね、捨てられたってことはさ、選んでもらえなかったってことなんだ」

「選んでもえらえなかった?」

「そう。それが何かは知らないけれど、自分より大切な何かの為に自分は捨てられたんだよ。一番になれなかったってことなんだ」

「一番……」


 ここで順位なんてどうでもいいと口にするのは簡単だけど、言ったらダメな気がした。


「うちのほうが絶対美味しいのに、選んでもらえないことが口惜しい。あっちはただの真似で、全然違うのに」

「……うん」

「見た目だけで、中身は全然違うのに」

「……そうですね」

「なんで選ばれないのかって腹立たしさを通り越して、悲しくなる」


(それもうお菓子じゃなくて、自分のことですよね……)


「……あのね、ジャーロ」

「うん」

「お菓子と自分を重ねるのはやめましょう。ジャーロは真面目にそう思ってるのかもしれないけれど、ちょっと笑ってしまいそうになるから」

「ひどいな、お嬢。僕は真剣なのに……」

「あのね、捨てられたことはもうどうにもならないんです、ジャーロ」

 私は告げた。──── ジャーロが目を見開いているのがよく見える。

 それから、一呼吸して続けた。

「だってそれはもう過去のことで、終わってしまったことだから」

「……まだ、終ってない」

「いいえ。終わったことなんです。……あなたの心の中でどんなに苦しくても、どんなに認め難くとも、それはもう昔のことなんです」

 私もね、親に捨てられた子供なんです、と小さな声で告げた。


「え?」

「捨てられた過去は、変えようがないんです。……だから、私はそのことを忘れることにしました」

 というよりは、実際に忘れてしまったんですけど。

「忘れる……」

「ええ。……忘れて、今は新しい環境で新しい生活をしています。そして、自分で新しい家族を作りました」

 私のただ一人の家族は殿下で、殿下の家族は私だ。

 私はそれでいい。


「……僕は……」

「いつまでも選ばれるのを待つだけじゃなくて、あなたは、自分が選ぶ方になることを考えるべきだと思います」

 そうじゃないといつまでたっても縛られ続けますから。

「そういうの、もったいないと思うので」

「…………」

 ジャーロにだってとっくにわかっているのだろう。

 認められなかっただけで。

「……見ててください」

「え?」

「あの人たちにこちらのクッキーを買ってもらいましょう」

「え? 何する気?」

「ただの呼び込みですよ」

 私はにっこりと笑った。

 自信なんてない。でも、本当に私が看板娘だと言うのなら、それくらいしなければならない。



**********



(食べ物を売るときに一番効果があるのは現物だ)

 つまり、試食が一番だと思う。

(異論は認める。……でも、『おいしい』が一番だから、こうやってお勧めし続ける以外に道はないんですよね)


「……いらっしゃいませ、おひとつどうぞ」


 安売りの屋台の方へ足を向けようとしている人たちの中に入って、試食を奨める。

 口にしてにっこり笑顔になる子供とおじいちゃん。ちょっとこわもてのお兄さんは、もっとよこせと何度か手を出し、それだけじゃ足りないと屋台に来て、たくさん買ってくれた。

 食べてもらえればおいしさはわかってもらえる。

 でも、食べてくれない人だってもちろんいる。

 いらない、と安売りの屋台のほうに行ってしまう人もいる。


「おひとつどうぞ」

 そういう人たちをあまり気にせずに、にこやかな笑顔でおすすめし続ける。

「五十ディーはちょっと高いんじゃない? あっちは三十八ディーで売ってるよ」

「質が違いますから。……食べ比べていただければわかると思います」

 食べ比べて、それでもあちらを選ぶのならそれは仕方がない。その人の好みがあちらだったというだけだから。

「よろしければ、どうぞ。こちらの糖蜜豆もおすすめですよ。……今が旬のフェグの実をあまーい砂糖の衣で包みました。パリパリサクサク食べていただけます」


 籠が空になって、試食におすすめるものがなくなって、やっと振り向いた。

 屋台では、押しよせるお客様をジャーロともう一人で必死に対応している。

 戻って屋台を手伝おうとしたときだった。

 腕を掴まれて引っ張られた。

(……え?……)

 見知らぬ男が私を見ていた。ギラギラしたその眼差しはどこか虚ろな熱を感じさせる。


「離してください」

 少し高揚していた気分が一気に冷めた。

 腕を解こうとしたら無理やり抱き込まれ、悲鳴をあげないようにと口元を押さえられる。

(……嫌っ)

 思いっきりその足のつま先を踏みにじった。

 口元にあてられた手が緩んだのでかみついた。


「いってえ!」

「変態っ! 痴漢! 誘拐犯―っ!!!!!」

 声の限りに絶叫する。

「お嬢っ」

「黙れ。静かにしろっ」

「いやーーーーっ」

 ここで黙っていたら誘拐されてしまう。逃げようとしても、圧倒的な体格差と力の差が、私を自由にしてくれない。

 そして、これだけの騒ぎになっているのに、私を助けようとしてくれる人はいなかった。

(……私を、孤児院の子供だと思っているから……)

 どうしようか迷っている人はいる。でも、目を逸らす人や、見なかったことにして通り過ぎていく人も同じくらいいる。

 そして、積極的に助ける気はないけれど無視もできないというやじ馬が私たちの周囲をとりまいていた。


「お嬢! お嬢! 離せ!」

 周囲の人に押しとどめられているジャーロの声が聴こえる。

「捨て子は捨て子らしく聖堂の隅っこでおとなしくしてればいいんだよ。俺たちの商売の邪魔をするな!」

「邪魔なんかしてません。当たり前の競争だわ」


 商売だっていうのなら、普通に競えばいい。

 自由競争こそが、商売の基本原理だ。

「……おまえさえ、いなければ」

 憎々し気に男が私を睨みつける。

 まるで私の腕を握りつぶそうかとでもいうようにぐっと力をいれた。

「いた……」

(跡になるかも……)


「看板娘だか何だか知らねえが、その可愛い顔が見られなくなれば、看板だなんて言っていられなくなるよなぁ」

 暴力に慣れた男は、嗤う。

(……ナディルさま! ナディルさま! ナディルさま!!)

 助けて! と祈る代わりに、心の中で、まるで呪文のようにその名を唱えていた。

(……ナディルさま! ナディルさま! ナディルさま!!)

 高く振り上げられた拳……殴られる、と思った。

 だから、とっさに顔をそむけて目をつむった。

 ごきっという鈍い音が間近でして、私を捕まえていた手が緩む。


(……え?……)


 おそるおそる目を開いた。

(……眩しい……)

 真昼の太陽の光がもろに目に入って、手で日よけをつくりながら目を細める。


「うわあああああああああああっ」

 男が悲鳴のような雄叫びをあげて地面に転がっていた。手がおかしな形をしている。

「いってえええええっ。手が……手が……」


 何が起こったのか、と思って顔をあげた。

(……あ……)

 目を大きく見開いた。そして、マジマジと見つめる。

 男は尚も足元で七転八倒している。

 なのに、私は男を警戒するよりも、ただただ呆然と目の前の人を見ていた。

 ぱちくりと何度もまばたきを繰り返して、目を凝らす────見間違いではなかった。

(……なんで……?)


「ナ……」


 ナディルさま、と紡ごうとした私の唇に、殿下はそっと自分の人差し指をあてた。

 だまっていなさい、と唇だけで告げる。

 私はこく、とおとなしく首を縦に振った。

(どうして、こんなところにナディルさまが……)

 そして、ナディル殿下は当たり前のように私をそっと抱き上げた。

 私があわてて腕から降りようとしたら、ダメだ、と一言言って、抱き上げた腕にさらに力を込めた。


「でも……」

 もう成人するのだからいつまでも子供のように抱き上げられて移動するのはナシだと決めたのに。

「お嬢っ」

 私に近づくのを止められていたジャーロが真っ青な顔色で駆け付ける。

「ジャーロ……」

「あ、あの、助けてくれてありがとうございます」

「そなたに礼を言われる筋合いはない」

 殿下は不機嫌な表情で言った。

「え?」

「ジャーロ、あのね、お迎えなの」

「え?」

「……本当に?」

「うん。……重くないですか?」

 ジャーロにうなづいて、それから殿下に向き直って問うた。

「ああ。まったく。……前にも言ったな。君は羽のように軽い」

 そんなわけないじゃないですか! ああ、でも確かに今の私はきっと平均より軽いわけで……。

「……これでも、成長期なんですよ」

 背だって少しずつ伸びているし、だんだんと身体がやわらかなまろみを持ってきている……肉がついてきている自覚があるのだ。

「問題ない」

 たいして面白くもなさそうに殿下は言った。


「てめえ、よくも……」

 己の手を、無事な方の手でかばうように掴んで、私を殴ろうとした男は私たちの前に立った。

「どけ。目障りだ」

「……貴様、訴えてやる」

「訴える?」

 男の言葉に殿下は嘲るようにわらった。

「誰に訴えるのだ? 何の罪もない子供に暴力を揮おうとした輩が、なんと言って訴えるのだ?」


 殿下は心底不思議そうに言った。

 別に揶揄するつもりはなかったのだろうが、殿下にしてみれば心の底から疑問に思えたのだろう。

 私は殿下の腕に抱き上げられ、そっとなだめるように何度も背をなでられて、やっと安心することができた。

(……やだ、涙が……)

 ……自覚はあまりなかったけれど、やっぱり怖かった。

 ポロリと涙が一粒こぼれる。

 泣き顔を見られたくなくて、ぎゅうううっと殿下の首に抱き着いた。

 殿下は何も言わずに抱きしめる腕に力をこめてくれた。

(……もう、大丈夫だ……)

 どんなにピンチでも、どんなに怖くても、この腕の中にいさえすれば大丈夫なのだ。

 身体がカタカタと小刻みに震えていた。

 今頃、恐ろしさがこみあげてきたらしい。


「教えてやろう。……ダーディニアには、子供に暴力を揮おうとした人間を守るような法はない」


 そして私以外には聞こえないくらいの小さな声で『ルティアを傷つけるなど万死に値する』とつぶやいた。そんな風に思ってくださる気持ちが嬉しかった。


「何をやっているんです?」


 穏やかな声が響いた。

(……あ……)

 シオン猊下だった。


「これは、何事です」

 何重にも取り囲んでいた人垣が割れて、金糸銀糸が眩く輝く綺羅綺羅しい聖衣姿の大司教猊下が姿を現した。

「大司教猊下」

「大司教様」

「シオン猊下」

 口々にその名を呼んで、周囲の人々がざっと膝をついた、

「だ、大司教猊下、この男がっいきなり私に殴りかかりまして」

 私を殴ろうとした男はシオン猊下の慈悲に縋ろうとナディル様を訴える。


「おまえが何者かは知りませんが、その男は私の護衛です」

 シオン猊下は表情を変えずに言った。

 私が殿下を見ると、殿下はその通りだというように小さくうなづいた。

 たぶん、猊下の護衛ということにしてむりやり外に出てきたのだろう。

 周囲の人々が、あれがセファリス・レムスだよ、なんて口々に言っている。

(違います。ナディルさまは、ナディルさまなんです!)

 もちろん、心の中で反論しても誰にも聞こえない。


「えっ」

 猊下に訴えようとした男は、猊下の護衛と聞いた途端に言葉を失った。

「……君」

 シオン猊下はジャーロに視線を向けた。

「え、俺?」

「ああ。……名前は、何と?」

「……ジャーロ」

「よし。……では、ジャーロ、彼女は私が連れていく。……おまえたち、この男をとらえなさい」


 それから、シオン猊下は背後の正式な護衛達男に捕らえることを命じた。


「連れて行くって……そんな急に! まだ、ちゃんと御礼も言えてないのに」

 皆だって挨拶くらいしたがるのに、とジャーロは困惑した顔をみせる。


「君たちはやるべきことをやりなさい。彼女は戻るべきところに戻る」

「……ジャーロ、御礼なんていいの。ごめんなさい。私には時間がないの。こちらこそ、いろいろありがとう。……ラグとルファにもよろしく」

「ああ」

「それから、フィーやリナリーにも」

「ああ」

「フェイやレラ・アデーレや他のみんなにも」

「わかった。任せておけ。……お嬢、本当に家の人なのか?」

「ええ」

 私は殿下にぎゅっとだきついたままうなづいた。


「……さようなら、ジャーロ」


 またね、とは言わなかった。再び会うことを約束できるほど私たちはお互いを知らなかった。

 そして、もし……もしも、何かの奇跡の末に再び会えたのなら、その時はそれ以上の距離でもって接することになるのがわかっていた

「……さようなら、お嬢」

 最後に皆に会えなかったことと、最後まで屋台で売り切れなかったことが心残りだった。



**********


 殿下は私を抱き上げたまま、聖堂に足を向けた。

 私を抱き上げていることなどものともせぬ速足だった。

 聖堂というのはどこも作りはよく似ていて、初めて入ったここの聖堂も初めてであるのにも関わらずどこか既視感のある作りをしていた。

 聖堂の祭壇の前に立った殿下は、やっと私を床におろしてくれた。


「……ルティア」

 私を立たせ、目の前に膝をついた殿下は私の両手をとって見上げる。

「はい」

 私はまっすぐと殿下を見て、殿下もまた私をまっすぐと見つめた。


「……どこも怪我はないか?」

「……はい」

 うなづいて、それから、付け加えた。

「……ナディル様が来てくれたからです。ありがとうございます」

「間に合って、良かった……」

 ほおっと息を吐きだした。


「……ナディルさま」

「何だ」

「……ナディルさま」


 本当にナディル殿下がここにいるのだと改めて理解した。

 目の奥が熱くて、どんな表情をしていいかわからなくなる。

 言葉ではうまく言い表せそうにもなくて、私はナディル殿下の首に再び抱き着いた。


「……ルティア?」

 困惑したような声音……でも、私の腕をふりほどくことなく、殿下はそっと私の背を撫でた。


「ナディルさま……」

 まるで壊れたレコードみたいに、その名を繰り返し呼ぶ。

「ああ」


「ナディルさま……」


 怖かったこと、助けに来てくれて嬉しかったこと、それから、他にもいろいろ話したいことがあったけれど、結局ちゃんと紡げたのは殿下の名前だけ。

(ああ……でも、これだけは言っておきたい)

 私は身体を少し離して、そして、殿下の瞳をまっすぐと見て告げた。


「……ただいまかえりました、ナディルさま」

「おかえり、ルティア」


 向けられたかすかな笑みに、私もまた笑みを返した。




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