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27 ギッティス大司教シオン猊下


 ギッティス大司教シオン猊下……聖職者になる前の御名は、シオン・ルクセール。ナディル殿下の末の弟君だ。

 もちろん、私も何度もお会いしたことがある。

(……考えてみれば、ナディをのぞけば一番交流のある方かもしれません)

 ナディル殿下の弟君であるというだけでなく、私の腹心の女官であるリリアの乳兄弟でもある。そのため、いろいろな話を聞いたことがあり、お会いする前からかなり親近感があった。

 出会いとその後の事件の経緯もあって、シオン猊下は私のこと義姉と呼んで慕ってくれている。


「ギッティス大司教猊下だったら、お嬢の連絡とりたい人と連絡がとれるんじゃないか?」

「元王子にして現在は王都大司教猊下です。連絡がとれない人はまずないと思いますよ」

「え、ええ。シオン様ならば間違いありません」


 二人の言葉に、私はこくこくとうなづいた。

 まったくの想定外の方だったけれど、シオン様だったら他の誰かに知られることなくナディル殿下と連絡をとることができる。

 王都大司教の地位を最大限に利用し、週の半分くらいは王宮にいらしている方だから、いつ王宮にいても誰も不思議に思わない。

 それだけではない。ナディル殿下と人払いをして話をすることもできる。

(シオンさまは、ナディルさまの為にならないことは絶対にしない)

 天秤の片方がシオン猊下が最も大切にしているリリアだったとしても、その片方にナディル殿下がかかるならばシオン猊下の秤はナディル殿下に傾くだろう。……それが、どれほど苦渋の決断だったとしても。

 だから、私は安心できる。

(……シオンさまならば信じられる)

 本来であれば、シオン猊下に会うことも間に人を介さねば無理だろう。そんな相手と直接会えるチャンスがあるというのだから、確かに運がいい。


「……ただ、孤児院に来るわけじゃない。隣の聖堂に視察に来るんだ。王都大司教様だから、年に二回くらいは来るんだ。それが、たまたま今の時期ってわけだ」

 建国祭のための屋台は、どこも皆おなじ作りをしているようだった。

 ラグは手慣れた様子で屋根の日よけを伸ばして紐で留める。

「孤児院の子供は聖堂に近寄らないように言われるけど、でも、何とかもぐりこむか、後は行き帰りの馬車から入り口までの移動の時に声をかけるのがいいと思う」

 孤児院用に指定されている屋台はいつも同じ場所────聖堂からの参道と大通りがぶつかるその角のところなのだそうだ。

「……いえ、他の人にわかってはいけないんです。だから、目立つような声のかけ方はできません」

 私はもってきた雑巾で台を拭き上げながら、簡易な作りの台の強度を確かめる。

(これなら、相当な重量でも大丈夫そうですね)


 シオン猊下に見つけてもらうのが理想的だけど、偶然を待つだけでは目的を達することはできない。

 (あと五日……ううん、四日で戻らなければ)

 建国祭のその朝、私は王宮にいなければならない。

(まさかぎりぎりに戻るわけにはいきませんし!)

 かつてのように蛇口をひねればすぐにシャワーを浴びられるような環境はない。

 お風呂に入って髪と身体を洗い、眠ることができる状態にするだけでいつも一時間はかかるのだ。準備から含めれば二時間以上かかるとみていい。

(夜空明けきらぬ早春の中……建国王と運命の乙女は出会う)

 建国神話のその一節は、そのまま儀式を描写したものだという。儀式は早朝から始まるから、最低でも前の晩には戻っていなければならないのだ。


「護衛の目をかいくぐるのは僕らでも難しいですよ」

「他のヤツならともかく、大司教サマの護衛はなぁ……」


 ラグは眉を顰めた。


「腕利きなんですか?」

「高位聖職者についてる護衛は守護官とか守護騎士って言うんだけど、大司教サマの守護官はあのセファリス・レムスだ」


 ラグがとてもじゃねーけど出し抜ける気がしない、と首を横に振る。


「有名人なのですか?」

「……お嬢、セファリス・レムスを知らないの?」

「……恥ずかしながら、聞いたことのないお名前です」


 有名人なのかもしれないけれど、私は知らない。


「あー、元近衛騎士団の筆頭騎士なんだ」

「筆頭騎士?」

「えーと……一番強い騎士ってことです。近衛で一番強い騎士っていうことは、まあ、ダーディニアで一番強い騎士ってことなんですよ」

「じゃあ、シオン猊下はダーディニアで一番強い騎士に守られているんですね?」

「元、だから。セファリス・レムスは大司教サマの兄君に負けて、近衛を退団したんだ」

「……あにぎみ」


 即座に頭に浮かぶのはもちろんナディル殿下だ。

 どきっとした。ここでナディル殿下の話を聞くことになるとは思わなかったからだ。


「えーと、確か、今、中央の団長やってるんじゃないかな」

「……ああ、アル……いえ、第二王子殿下のほうですか」


 ナディル殿下じゃない、ということがわかって、安心したのと同時に少しだけがっかりしたけれど、私は何でもない顔をしてみせた。

 私にとって、シオン猊下の兄といえば、まずナディル殿下が思い浮かぶのは申し方のないことだと思う。


「そう。アルフレート・ヴィルヘルム第二王子殿下。たぶん、今、ダーディニアで一番強い騎士なんじゃないかな」

「総合力って意味では、たぶん王太子殿下が一番だろうけど」

「確かに」


 思わぬ不意打ちに、ドクリと高鳴った鼓動が全身に響いた。 


「……そ、総合力って?」

「純粋な剣の腕だけなら第二王子殿下の方が強いかもだけど、何たって王太子殿下は頭がいいからな」

「そ、そうなんですか?」

「おう。何たって、王太子殿下は『ヴェラ』なんだからな」


 なぜかラグがドヤ顔で胸をはる。

(なんであなたがそんな表情してるんですか~~~!)

 そこは私がするとこでしょう! そう言いたいのに言えないジレンマが悔しい。


「……まあ、いいです。大司教猊下がいらっしゃるのは、明日か明後日って言いましたよね?」

「おう」

「できれば明後日がいいんですけど、まあ、そこは仕方がありません。……ラグ」

「なんだ?」


 私の声音にひそむものに気づいたのか、ラグが真顔で少しだけ姿勢を正した。


「厨房で商品を作るつもりでしたが、事情が変わりました。ここで売り子をしたいと思います」

「へ?」

「お嬢が?」

「ええ」


 私は拳をぐっと握り締めて宣言した。


「売って、売って、売りまくります」

「なんでそうなるんだ?」

「私が帰るためには、シオン猊下とお話できないといけません。それもこっそりと」

「そう言ったたね」

「ええ、そうです。そのためには猊下からお声がけいただくのが一番理想的なのです。もちろん、普通ならば難しいでしょう……でも猊下は甘いものがお好きなんですよ」

「らしいね。よく聞く」


 なるほど、猊下のお菓子好きは聖堂関係者の間では知られている話らしい。


「ならば、私たちが今日から売り出すお菓子が売れて売れて売れまくったら、シオン猊下がいらしたとき、私たちが作ったお菓子をお茶菓子に出すことになりませんか? しかも、これまでに食べたことがないお菓子です」

「それは出すと思う」

 ルファがあっさりうなづいた。

「もう出すもんは決まってるけど、まあ、たぶん出すだろうな」

 ラグも同意した。


「特にうちの聖堂の司教サマはすっごい俗物だからな。上には媚びうるし、すりよる。新しい菓子なんか見逃さないだろう」

「大司教サマは賄賂は受け取らないことで有名だけど、菓子だけは受け取るからな」

それはシオン猊下の中で、菓子は賄賂として認識されていないからだ。

「つまり、私の作戦は充分勝算があります」

「……そうだな」

 ラグの表情がやや翳った。


「どうしました?」

「いや、お嬢は帰る場所があるんだな、と思ってな」

「はい」

 私はしっかりとうなづく。

「私は夫の元に帰ります」

「……迷ってたんじゃねえの?」

「帰ることを迷っていたわけじゃありません。どうやってかえっていいかわからなくて途方にくれていただけです」


 私が帰る場所は一つだけしかなく、そして、私の家族も一人だけ。


「私に、夫を一人にするという選択肢はありません」


 こう言うと傲慢に聞こえるのかもしれないけれど、ナディル殿下は私ゆえに国王となるのだ。その私が、ナディル様を一人にしていいはずがない。

(いつか……分かたれる時が来るのかもしれないけれど……)

 そう。死が私たちを分かつ時が来るのかもしれない。

 でも、それは今じゃない。


「惜しいな。……お嬢は、随分とマシな貴族なのに」

「ありがとう。そう言ってもらえるのは光栄だけど、私は、すごくおお金がかかるのよ」

「は?」

「小さい頃から大切に大切に温室の中で育っているから……少しくらいは外に出られるけど、たぶん、長くは無理なの」


 見て、とブラウスの袖をめくってみせる。


「何だ、それ」

 白い手首には赤い跡がある。

「ブラウスがごわごわしているから、肌が荒れたの」

「は?」

「布が硬くて、肌が荒れたの」

「はぁ? だって、フィーはそのブラウス普通に着てるぞ?」

「うん。……たぶん、フィーが普通なの。私が弱いだけ」


 私もこんな風になるなんて思わなかった。

 化学繊維なんてない国だ。染料だって何も使っていない生成りのままの布でつくった衣服だったから、最初は何がチクチクするのかわからなかったのだ。

 毛織物ではなかったし、材質に何かおかしなものが混じっていたわけでもない。

 でも、今朝着替えてわかった。

 手首やスカートの裾が触れるところ、それから首筋……全部、直接触れている場所だ。

(化繊じゃないけど、化繊かぶれみたいなものかも)


「孤児院で借りている寝台のマットも、私には硬すぎて朝背中が痛いの」

 どころか、全身バッキバキだ。

「お嬢、あんた、どんだけ甘やかされてんの?」

「……わからないけど、ものすごく」

 大切にしてもらっているのはわかっているけど、誰かと比べたことがないからよくわからない。

「……だからね。私がここにいられるのは、最大でもあと三日だと思って欲しい」

 シオン猊下次第ではあるけれど。

「建国祭の前日まで?」

「ええ」

「わかった」

「わかりました」

 ラグとルファがうなづく。


「だから、たくさん作って、売って、売って、売りまくるから」


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