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7.毒殺

 その日、私はほとんど半日を寝台の中で過ごしてしまった。

 元々、朝は結構早いほうですっきり目が覚めるタイプだし、休日だっていつまでも寝ていたりはしない。

 今朝だって、疲れたからほんのちょっとだけ寝るというつもりだった。まあ、あんなことがあったので精神的にかなり疲労していたんだろう、

 目が覚めた時には陽光は、午後の……オレンジとも黄色ともつかぬ色みを帯びていた。三時を過ぎているからほとんど夕方に近い。

 ここでは、どれだけ昼寝をしようとも誰も私を起こしたりはしない。うわ、天国!とか最初は思ったんだけど、それがいつでも許されると思うと案外怠惰にはなれないものだった。

 私の寝すぎを誰も咎めることもなく、いつもよりノロノロとした早さで皆が私の着替えを手伝う。

 リリアの不在を目線で問うた。

 三人は迷い、それでも静かに回答を待つ私を前に、互いに譲り合った結果、ジュリアが口を開いた。

「姫様の毒殺未遂について調査をしているのですわ」

 アサリ流血事件が『王太子妃毒殺未遂事件』に発展していたのを知り、あまりのバカバカしさに噴き出しそうになった。

 でも、次に慌てた。

 だって、毒殺未遂事件となれば、あの料理を作った人間が疑われると思ったのだ。

 あれが毒殺未遂事件なんかじゃないことを、私が一番良く知っていた。

(毒殺未遂だなんて大げさな……)

 それをどうにか伝えようとして、でも、まだどこか様子のおかしいジュリアに首を傾げてみせる。

 侍女には区別があって、昔は、正式な女官でないと貴人とは直接口をきくのは許されなかったという。今でもその名残があって、行儀見習いの子たちと私はあまり直接話すことがない。

 私の侍女の中で女官なのはリリアだけで、だからいつもリリアが私に話しかけるのだ。

 礼儀として目下のものから話しかけるのは禁止なれど、こういった日常生活のあれこれという部分でそれを守っていたら、何もできないので、そのあたりは暗黙の了解といったところになっている。

 私の身支度を手伝うジュリアは、うつむいて涙をこらえているようだった。目元もほんのり赤く、まるで泣きはらしたようにも見える。

(ジュリア?)

「申し訳ございません。……もう昼過ぎですから、髪は簡単に結うだけにしておきますね」

 私は知らなかった。……本当の事件が、私が寝た後に起こっていた事を。




「残念な事をお知らせしなければなりません」


 身支度を整えた私は、いつもの椅子に座る。

 どこかせわしなくやってきたリリアは、私の前で一礼し、改まった様子で口を開いた。

 どこか緊張した響きのあるリリアの言葉に、私は首を傾げた。まだ意識が醒めきってなかったせいもある。

 でも、次のリリアの一言で、頭から氷水をかぶった時みたいに一気に覚醒した。

「妃殿下、エルルーシアが亡くなりました」

 嘘だと否定してほしくて向けられた私の視線に、リリアは力なく首を横に振る。

「原因は、今朝の朝食です」

 私の食事は、侍女達が毒見をしながら給仕をしている。

 これは、生家であろうとも……いや、生家であるからこそかもしれない……信用できないという王家の警戒心のあらわれだ。

 何の料理に毒が盛られたかを知るために、彼女たちはそれぞれ食べる料理を別にしているのだそうだ。問題となったのは、あさりのスープとしめじと青菜の炒め物だ。この二つの毒見をしたエルルーシアが一時間くらいしてから腹痛を訴えたのだという。

「医師を呼んだ時はもう遅く、二時間ほど腹痛を訴え、昼過ぎに息を引き取りました」

 リリアの言葉がどこか遠く響く。

 椅子に座っているはずなのに、自分がどうしているのかよくわからなかった。

 五感のすべてが一気に奪われた気さえした。

「まだ何の毒を使ったかまではわかっておりませんが、おそらく遅効性の毒だと医師は言っておりました」

(それくらい、医者じゃない私にだってわかる)

 役立たず、と罵りの言葉を口にしそうになる己を抑える。リリアが悪いわけじゃない。

 心を落ち着けるために、深呼吸を何度もした。

 冷静にならなければいけない。

 怒りは、目を曇らせる。

 自分に何度も言い聞かせる……なのに、握り締めた手が、震える。

(……わかってる)

 この怒りは正しくない。

 自分でも気が付いていた。

 エルルーシアの命を奪った犯人に対する怒りは、確かに存在する。でも、それだけじゃない。

 私は……エルルーシアが苦しんでいた時、寝ていた自分が許せなかった。

 起きていたからといって何ができたというわけではなかっただろう。

それでも……何も知らずに寝こけていた自分に腹が立った。

(どうして……)

 胸に、渦まく怒りと悲しみ……それから、どうしようもない憤り。

何でこんなことが起こったのかと何度も何度も自問自答する。

 心の中は、煮えくり返るような怒りと涙腺を刺激する哀しみがぐちゃぐちゃに入り混じっている。

 ……でも、救いようがないことにそれだけではなかった。

(あのアサリ事件がなければ、私も食べていたかもしれない)

 アサリのスープが違う事は、私がわかっている。だって、私はこうして生きているし、ピンピンしていから。

 吐かされたとはいえ、もしあのスープに毒が入っていたのなら、命は落とさないまでも何らかの影響は受けただろう。だとすれば、毒が入っていたのは、しめじと青菜の炒め物だ。

 たぶん、あの騒ぎがなければ口をつけていたと思う。

 基本的に、一通りどの皿にも手をつけることにしているから。

 ……そのことに、心のどこかで安心している自分がいた。

 食べなくて良かった、と。

 そんな自分に気がついて、そのあまりものエゴイストぶりに泣きたくなった。

 エルルーシアはそのせいで死んでしまったのに、助かったことを喜ぶ自分がいた。

 自分の無事を喜ぶのは当然のことかもしれない。でも、そんな自分が恥ずかしく、そして、情けなかった。

(ごめんなさい……)

 エルルーシアにはこんな風に死ぬ理由はなかった。殺される理由なんてなかったはずだ。

(ごめんなさい、エルルーシア)  

 私の侍女だったことが、彼女を死に追いやったのだと思った。

 私は目を大きく見開き……そして、涙がこぼれた。

「姫さま……」

 リリアをはじめとする侍女達が、驚愕の表情で私を見る。

 アルティリエはたぶん、人前で泣いた事などなかったから。

 でも、涙を止められなかった。


 たった四日分しか知らないエルルーシアのことを思い出す。

 私に笑いかけた顔、驚いた顔、困ったような顔……いろんな顔。たった四日分だけど、ちゃんと覚えてる。

 なのに、もう彼女はいないのだ。

「エルルーシアは果報な子です。姫をお守りできたのですから……」

 侍女達は、泣かなかった。

 でも、皆、目が赤いから、きっともうたくさん泣いたんだろうと思った。

 目元をこする。

(泣いたらダメ……)

 王太子妃である私は一人の侍女の死に涙してはいけない……そう告げる心の声。わかってる。

 わかってる。わかっているけど、涙は止められない。

 だから、私は振り向いた。泣いている顔を誰にも見せないように。

 ベランダの外に立っていた騎士の一人がこちらを見ていたけれど、慌てて背を向けた。

 私は唇を噛み……下を向く。

 これは、泣いているわけじゃない。

 胸の前で手を組み……頭を垂れる。

 これは、祈っているだけ。だから、床に落ちる滴は見逃して欲しい。

 私は、この時初めて、本当の意味で自分が随分と遠くに……異世界に来てしまったことを感じた。

 この世界では、こんなにもあっさりと命は奪われてしまうのだ。


「……帰る」


 口をついて出た。

「姫さま、お声が……」

 リリアや侍女が目を見開く。

「エルルーシアを連れて、帰る」

 明確に紡がれた私の言葉に、リリアは私を見た。

 顔をあげた私は、リリアの瞳をまっすぐと見返した。

 たぶん、この時、私は決めたのだと思う。はっきりとそう思ったわけではなかったけれど、それでも、この国で生きていく事を。

「かしこまりました」


 リリアは膝をついて深々と頭を下げた。


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