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幕間 王太子と右往左往する人々

「だから、言っただろ。絶対にいつか、遭難者が出るって! 全面封鎖しておけばよかったんだよ!」

「そんなこと言ったって、今更だろ」

「そもそも、警備の騎士たちは何をしていたんだ? 王宮内に曲者の侵入を許すなど!」


 怒声が飛び交う会議室の中、ナディルの周囲だけはとても静かだった。ナディルの発する怒気に恐れをなしているのか、話しかける者もいない。

 この状態のナディルに話しかけることできるのは、どちらも別な意味で怖いもの知らずなフィル=リンかクロード=エウスくらいのもので、だからこそ、皆はチラチラとナディルの方を伺いながらも誰も何も言えずにいた。


「失礼します」


 その話しかけられる二人であるところのフィル=リンとクロード・エウスが連れ立って戻ってきたとき、ナディルは特にいつもと変わりのない様子に見えた。


「殿下、ご報告を申し上げてもよろしいですか?」

 先に口を開いたのはクロードだ。

「……ああ」

「妃殿下の女官がおっしゃっていた通り、祖母が本日あの場所で妃殿下にお目にかかったのは本当に偶然だったようです」

「……なぜ、ルティアは正宮に行くのにあのルートを?」


 後宮のアルティリエの使っている一角から、ナディルの執務室に続くルートは何通りかある。その中で、今回、アルティリエと公爵妃が出会ったあのルートは最短距離ではなかった。

 それに答えたのは何やら解せぬという表情をしているフィル=リンだった。


「まず、姫さんがあんたに差し入れするって決めたのはたまたまだ。ただ、あのルートを通ったというのは偶然じゃない」

「偶然じゃない?」

「あのルートは姫さんのお気に入りのルートなんだ。途中の廊下でかかっている絵が好きだとかでよく通るらしい」

「では、公爵妃がルート上にいたのは偶然か?」

「公爵妃がそのルート上にいたのは故意だ。どうも侍女が仕組んだらしい。通りすがった者の話では、つれていた侍女が腹が痛いと言い出し、あそこで待っていてくれるように望まれたらしい」

「……そんな侍女、クビだろ」


 呆れた表情でウィルがつぶやきを漏らす。


「知っての通り、祖母は侍女や女官に甘いので……」

 申し訳ありません、とクロードが頭を下げる。

「で? その侍女は?」

「……トイレで死んでいたよ。腹痛のために飲んだ薬が毒薬だった」

 フィルは首を横に振る。


「……つまり?」

「たぶん、姫さんはとばっちり。本命は公爵妃のほう」

 でもって、公爵妃を殺そうとしているやつらは王宮内にも人員を送り込めるくらいの権力や身分があるわけだ。そのへんは、そっちのが詳しいだろ、とフィルはクロードの方に視線を向けた。


「……どうも祖母は前々から脅迫を受けていた様子なのです」

「様子?」

「……脅迫というのは脅迫されている当人がそれを自覚しないと、脅迫として成立しないのですよ、殿下」 

「意味がわからぬが」

「祖母は何度か脅迫状を受け取ったようなのですが、自分が狙われているという自覚がなかったようです」

「はぁ?」

「なんだ、それ」


 周囲から突っ込みが入る。 


「祖母は最初の頃の脅迫状を間違ってきた手紙だと思っていたようなのです」

「宛名が自分なのだろう?」

「はい。ですが、あちらの恨みの根拠が祖母には己のことだと思えなかったのでしょう」

「公爵妃が恨まれている理由は?」


 ナディルがトントンと指先で机を叩く。

 これは考え事をしている時のナディルのくせだった。


「……二年前の五日熱、わかりますか?」

「ああ」

「その時に身内を亡くしたそうです」





 二年前、『五日熱』と呼ばれる熱病が隣のレサンジュ王国で発生した。

 五日熱は、最初は咳や頭痛の症状が出、次に高熱が出る。高熱が続き、物を食べることが出来なくなる。やがて、水すら口にすることができなくなり、熱が出て五日間のうちに約半数の患者が死に至る。

この恐ろしい熱病は、熱の五日を乗り切ることができれば、死に至ることが無い。もし罹患してしまった場合は、何とかこの五日を乗り切ることが対処法であると言われていた。

 五日熱に効くような薬草や処方などはわかっておらず、罹患しないように注意することが一番の特効薬だと言われるほどだった。

 当時はわかっていなかったことだが、この病は人を介して感染する。この病にかかっている人間の間近で生活を共にしているとほぼ十割の確率で感染すると言われていた。

この熱病がレサンジュで発生したことを知ったナディルは、即座にレサンジュとの国境封鎖と西部国境に隣接する地域のすべての移動禁止を布告した。

 レサンジュに隣接していたのはグラーシェス公爵領ネーヴェと王室直轄領ネイシュの二つの都市で、その両方ともが隔離を徹底できたわけではなかった。


 王室直轄領であるネイシュにおいて、王太子の布告は当然のことながら徹底された。

 関所の外にテント村が作られ、レサンジュからの旅人はそこに収容された。門は固く閉ざされ、急ぎの公用飛脚であっても書類以外は通る事は許されなかった。

 そしてナディルは、王都にある大学に医学者や薬学者の派遣を要請し、医療部隊を作ってネイシュに送り込んだ。

 案の定、テント村ではすぐに五日熱が発生した。

 医療部隊は、レサンジュを出発した日付順にテントを決めて隔離し、発病した者は更に隔離された。


 徹底できなかったのはネーヴェだ。

 ネーヴェもまたネイシュと同じようにテント村を作り、熱病にかかった人々に対応していた。

 この町の人々の運が悪かったのは、この熱病に対してさほど危機感をもっていなかったグラーシェス公爵がナディルから派遣された医療部隊の輸送に便宜をはからずに到着が遅れていたことと、ネーヴェにグラーシェス公爵家の避寒の別荘があり、そこに公爵家の家族が来ていたことだ。

 公爵一家は、寒空の下、テント村の病人達を哀れんだ。特に病人に子供がいると聞いた公爵妃は心を痛め、自らの別荘を一時的に病院として提供すると申し出たのだ。

 伝染病であることはすでに布告され、空気によって感染する恐れがあるからこその隔離措置である。だが、治療にあたっていた町の医師のその反対は聞き入れられなかった。

 百二十人にのぼる罹患者とその予備軍である七十名ほどの旅行者とを別荘に移動させ、直後に現地に到着した医療部隊の人間は、その措置に唖然としたという。

 不幸中の幸いというべきは、移動禁止措置があった為に、ネーヴェに入った旅行者がネーヴェから出る術がなかったことだ。

 ネーヴェにはすぐに西方師団から二個大隊が派遣され、都市自体を封鎖することになった。ナディルは、公爵家の一族の移動も許さなかった。

 一週間もたたぬうちにネーヴェの町には五日熱が蔓延した。

 ネーヴェで足止めされた旅行者達や、一時的に病院となった別荘にいた公爵家の使用人達やその家族から町中に広まったのだ。

 ネーヴェにおける最終的な死者の数は、五百二十六人。

 まだ5歳だった公爵の孫娘の一人もその中に数えられることとなった。

 だが、二千五百人以上の罹患者を出した事を考えれば死者の数は割合としてだいぶ少ない。

 医療部隊の活躍のおかげだった。

 このことはわが国の大学における医療研究に新たな道を開いたが、それはまた別の話になる。

 そして、医療部隊による隔離政策が徹底されたネイシュにおいては、国境のテント村に留められた約七百名のうち、罹患者の総数は三百名程度。死者は、四十三名だった。

 隣国で人口を三割も減じるほどの猛威を揮った病は、ここダーディニアでは初期の隔離政策がある程度機能したために封じ込めが成立した。


「……それで?」

「祖母が五日熱の患者を別荘に入れねば自分の身内は亡くならなかったのだと……」

「それ、もう犯人の身元、明らかじゃないか?」


 話に加わってきた他の側近たちの視線がクロードに集中する。

「首謀者といっていいのか……脅迫状の人物はわかっている。それについては後で話す。とりあえず話を戻すぞ」

「おう」

 フィルがうなづく。

「我が領地では、あの時に多くの犠牲者を出しました。ですが、隣国に比べればはるかにマシでした」

内情を知っている者たちは深くうなづく。

「ですが、隣接していた王室直轄領に比べると犠牲者の数は多かった。そのことで、不満をいだく者があったのは承知していました。……けれど原因となったと言われる別荘受け入れの件を言い出したのは実は祖母ではありません。祖母のせいだとなってしまったのは、父が不在だったために祖母が決断しなければなかったからでしょう」

「あれは、公爵妃が移動をさせなければ助かったのだと思う人間は多いでしょう。善意からの行動ではありますが、間違いだったのですから」

「間違い? 別に間違いではないだろう?確かに結果だけを見れば死者の数が相対的に多かったせいでそうなるのかもしれないが、ネーヴェはネイシュよりも寒い。テントではその寒さがしのげなかった可能性もある。……それに、領内の自治にかかわる範囲のことだ。強制はできぬ。現にネイシェでは肺炎で死んだ者が数多く出ている。下手をしたら五日熱よりもただの肺炎で死んだ人間の方が多いかもしれない」

 何が正解なのかは他者にはわからないことだ、とナディルは穏やかに言ってつづけた

「だいたい、話を聞いている限り。それは逆恨みではないのか?」

「私は逆怨みだと思っています」

 クロードが力強くうなづく。

「……でも、だからこそ、祖母には恨まれる理由がまったくわからず、話が通じていなかったのです」

「……おまえんちばあさま、浮世離れしているからな」

「祖母は箱入りなんだ。祖父がそれをよしとしているものだからこの年齢までそのままで来てしまった……ほめられたことではないのはわかっているが、祖父がそれでいいとしている以上、周囲がどうこう言えることではない」

「それで? なんで脅迫がわかったんだ?」

「祖母が生命を狙われ始めたからだ。……我々が気づいていないところでもあったのかもしれないが、一つは侍女の仕業で……それで、護衛に取り押さえられた侍女が言った。自分の妹はあの熱病で死んだのだと。妹を返せ、と」

「一件ではない?」

「はい。こちらで取り押さえたのはすでに三件です」

「それ、おかしくないか?」


 フィルが首を傾げる。


「何がだ?」

「全部が全部熱病被害者の会なのか?」

「そんな会はないが、あの熱病で身内を亡くしたものばかりだった」

「だいたい、そっちでもフィオニー嬢が亡くなっただろうが」

 公爵家ではクロードの姪にあたる亡くなった長兄の娘を、五日熱で失っている。

「……煽っている人間がいるな」

 何のために? と首を傾げる。

「グラーシェスに狙われる理由はあるか?」

「ない、とは申し上げられませんが、祖母を狙う理由がわかりません。祖母を亡くしたらもちろん我らは哀しみを覚えますが、年齢も年齢ですから何もなくとも覚悟はしております」

「おまえんとこのばあさまが亡くなって得する人間なんているか?」

「……さあ。こういう言い方をすると人でなしみたいなんだが、祖母にそこまでの価値があるとは思えない。祖母にそこまでの価値をつけるのは祖父だけだろう」

「では祖母君が亡くなったら、老公が気落ちをなさるとしよう。で、その時に得をするのは?」

「跡を継ぐだろう私とアリエノールか?」

 クロードが首を傾げる。

「そりゃあ、ないだろう。何もせずともいずれ確実に回ってくる椅子だ」

「まあな」

「……とりあえず、目的は置いておいていい」


 ひんやりとする声がした。

 誰もがそちらに視線をやらざるを得ない圧力。

 穏やかな声音だからこそ逆に恐怖を感じるのが、側近たちの常である。


「それよりも、クロード、今、王宮に入り込んだ賊を刈らせている。背後関係を洗え。フィルは公爵妃とルティアの足取りを追え」

 ナディルは矢継ぎ早に指示を出す。


「……あー、姫さん、たぶんあれだと思うな」


 少しだけ口にするのを躊躇う様子でフィル=リンは言った。

「たぶん、だけど……」

「心当たりが?」

「……地下に入ったのは間違いないんだろう?」

「ああ。……賊のうち何名かが姿なき守り人に殺されているのが見つかっている。……が、殺されている場所がいろいろあって、一定しないせいで、ルティアの足取りが追えない」

「……たぶんだけどな」

「さっさと言え」


 ナディルは眉を顰める。


「……たぶん、姫さん、方向音痴なんだよ」

「方向音痴?」

「おう」

「……そうか」



 ナディルが何を考えたか、その横顔からは、その場に居た誰もうかがいしることができなかった。




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