23 孤児院の厨房
掃除をはじめておよそ二時間足らず。よく働く二人のおかげで、厨房はあっという間にピカピカになった。
「……綺麗になりました」
新品同然とはいかないものの綺麗に磨いたオーブンを満足な気分で見上げる。
「こっちも、見ろよ、ほら!」
床も壁もピッカピカだ。
もちろん、古さはある。壁にはシミもあるし、床だってベコベコなところがある。でも、綺麗にきれいに磨きぬいたおかげで厨房はおどろくほどその印象をがらりと変えていた。
(厨房は清潔が一番です!)
「……ここがこんなにきれいだったなんて」
「これが当たり前の状態ですよ。厨房というのは口に入るモノを扱うところなんですから、常にピカピカでないと!」
ぐっと拳を握り締めて力説する。
クリンネスは大事なのだ。
「……で、何のお話でした?」
私はぐったりと床に座っている二人にたずねる。この二人は何か私に話があったはずだ。
「……やっとかよ」
「覚えていてくれたんだね……」
「はい」
私は綺麗に掃除をした棚に、砂糖壺や塩の缶を戻していく。
(……砂糖、塩、これはたぶん小麦粉……あっちにある大きな袋も小麦粉だった。それから、この麻袋に入っているのは蕎麦だ。それから、この壺ははちみつみたい……)
当然のことだけど、それほどいろいろなものがあるわけではない。
(孤児院だからさほど裕福ではないわけで……つまり、一般庶民のおうちの台所はこれくらいの水準なんですね)
少し落ち着いてみると、ものすごく興味がわいてきた。
ピカピカに磨いた鍋は古いけれどちゃんとした銅製だ。
たぶん、ここが聖堂の付属施設だからこその贅沢品だと思う。たぶん、この子たちは贅沢品だと思っていないだろうけど。
(ちょっと不釣り合いなものが時々ありますよね)
たとえば、砂糖だ。砂糖は高価なものだけど、国内で生産が可能になったためにダーディニアでは一般家庭にも普及している。
でも、ここには砂糖が二種類もある。
茶色い普通の砂糖があるのはまあいいとしよう。一般家庭でも手をだせる安価な砂糖で、ちょっと雑味があるけれど、これはこれでおいしい。
でも、白晶砂糖は違う。このさらさらの白い砂糖は、昔は薬として扱われていたくらい高価な品だ。最高級の品ではないけれど、この孤児院にあるには高価すぎるものだろう。
(……それもきっとここが聖堂付の孤児院だからってことなんだろうな)
二十歩歩けば神様にあたるなどと言われるくらい、王都アル・グレアには多くの聖堂や祭殿、大小さまざまな祠などがある。それは、国教であるルティア正教のものに限らない。
他のさまざまな宗教や民間信仰や土着の神の祠などもあって、ダーディニアの宗教に対する寛容さの現われとなっている。
王都にあるそういう施設の数はおよそ三百を越えると言われているが、それは、それほど多くの宗教施設が運営していけるほどの寄進、喜捨が恒常的に行われているということだと思う。つまり、王都の人々にはそれだけ生活に余裕があるのだ。
(本当に貧しかったら、寄付とか寄進なんかできないもの)
食べるのに精いっぱいだったら、寄付や寄進などしていられないだろう。
以前、シオン猊下にお伺いしたことがあるのだけれど、ルティア正教における寄進、喜捨の品で最も多いのは金だという。それは金が母女神の恩寵と呼ばれ、母女神の光が地上に落ちて産まれたものとされているからだ。
そして、金に次いで多いのが砂糖だ。これは母女神であれど女性であるからして甘いものが好きに違いないという嘘か本当かわからないような理由がそのはじまりだったらしいが、本当のところはよくわからない。ただ、今ではもう砂糖は聖堂における定番の喜捨品だ。
貧しいものは茶色の安価な砂糖を、裕福なものは白銀の高価な砂糖を寄進する。
そのせいで聖堂には常に砂糖が売るほどあるのだという。
シオン猊下はかなり甘いものが大好きなのだけれど、聖職者になった理由の一つが甘いものを好きなだけ食べられる為なのだと、どこまで本気かわからない話をしてくれたことがある。聖職者にそういう例は珍しくないのだとも言っていた。
聖堂では寄進された砂糖を使ってジャムを作ったり女神に捧げる砂糖菓子を作ったりしていてなかなか好評を博しているけれど、それでも砂糖が余っているらしい。
(だからこそ、さほど生活の余裕があるとは思えない孤児院にもこれほどの量がある……)
この大きな砂糖壺は、聖堂に付属の孤児院だからこそ許されているいささか不釣り合いとも言える贅沢といえるだろう。
砂糖は需要が高い商品だ。売ってお金に換えればいろいろなものが購入できるのだけれど、実は聖堂では喜捨品の直接売買が禁じられている。
母女神に捧げられたものを売り買いすることは許されないのだ。
(じゃあ、聖堂で売ってる他のいろいろな品々は何なんだ、っていうことになるよね)
例えば、土産物として聖堂の片隅の台の上に並べられている定番のジャムや焼き菓子など……これは、実は形の上では販売されているわけではないのだ。
この例で言うと、寄進された砂糖はすべて一度母女神に捧げられ、それを加工したものもまた母女神の為に作られたものであるとされる。そして。それを母女神から下げ渡されたものを私たちが賜ったということになっている。賜ったことに対する対価は必ず捧げるものであるけれど、それは売買ではないというのが建前なのだ。
(屁理屈みたいなものですけどね)
それで宗教的な戒律に触れることなく上手に運営してゆけるのならばそれでいいと思うのだ。
「あんたに頼みがあるんだ」
ラグと名乗った少年が真剣な顔で私に言う。
「僕らに少しでも恩を感じてくれてるなら、願いを聞いて欲しい」
ラグよりも幾分丁寧な口調で……そして、同じくらい真剣な様子でルファも言った。
「できるだけ御礼はしたいと思っていますけれど、できることとできないことがありますから……」
安請け合いはできない。
「……そんな難しいことじゃない。まずは、これを食って欲しい」
ラグがどこから出したのかわからない皿を私に差し出した。
「……これは?」
「とりあえず食べてくれないか」
(……あー、毒見なしで何かを口にするのはちょっと躊躇いますよね)
何しろ、殿下にさんざん注意されている。
でも、ここで断るのはちょっと角がたつ。
(……でも……)
殿下の言いつけを破るのはちょっと心苦しい。
そして、私はマジマジと差し出された皿を見た。
白い皿に並べられているのは、たぶんクッキーだ。
たぶん、特別な技巧をこらしたわけでもない。材料もごくごく普通
(……普通のクッキーに見えます)
少なくとも、殿下の心配するような毒物が含まれている可能性は低い。
「うちで一番料理がうまいやつが作ったクッキーなんだ」
「……わかりました」
女は度胸だ! と思って、そのクッキーを口に入れた。
ちょっと粉っぽくてかため。トッピングは特になし。ほのかなバター香りがするのがアクセントになっている。
(ちょっと甘いホットミルクなんかに添えるといいかもしれません)
「どうだ?」
「味はどうですか?」
二人は身を乗り出すようにしてこちらをうかがってくる。
「……別に普通かな」
少し焦げ気味のものが混ざっているけれど、味は特別でも何でもない。ごくごく普通のクッキーにすぎない。
(可もなく不可もなくっていったところかな……)
「じゃあ、これは?」
ルファが差し出した皿にのっているのは焼き菓子だ。
(見た目は何となくフィナンシェっぽいけど……)
指先でつまんでマジマジとみつめる。
真四角の焼き菓子を観察してから、口の中へといれる。
バターが強く香るのは、さっきのクッキーと一緒だ。
(たぶん、材料がほとんど違わないんですよね)
卵と小麦粉、それからバター。
「……これも普通ですね」
フィナンシェのようなお菓子を目指したかったんだろうけど、なりきれていないというか、まだまだフィナンシェには程遠い。
「じゃあ、次はこれだ!」
今度はラグが再び皿をもってきて差し出す。
「……ちょっとこれは焦げすぎていませんか?」
私が口にしたのはサクサクのスティックパイもどきだ。見た目がちょっとだけ焦げてしまっているけれど、生地自体は成功している。
「……試食はいいんですけど、いったい、何をさせたいんです?」
(この子たちは、何がしたいんだろう?)
厨房のテーブルの上に並べられた三枚の皿と二人を見比べる。二人はお互いに顔を見合わせ、それから私を見た。
「あー……えーと、最初から話すと長くなるんだけど」
「……どうぞ」
とりあえず、時間はあるのだ。
二人は顔を見合わせ、それから、ちょっとだけ長い話をしてくれた。




