22 子供たちと私
王宮で生活していると、人の気配には少し敏感になる。
一人になりたいと思っても本当に一人になれることなどまずありえない。見えている範囲には誰もいなくても、どこかに護衛がいるんだろうなといつも思っている。
だから、目を開く前から人の気配には気づいていた。気づいていたけれど……それでも、目を見開いて目の前に人がいたら驚かないはずがない。
「……っ!!!! きゃあああああああああああああっ」
本当に驚いたとき、声はすぐには出ないものらしい。喉が一拍おいて、気息を整えてから声を絞り出す。
(……声ってこんなに出るんだ)
今まで、こんな大声をあげたことがなかった。
悲鳴をあげているわりには、頭の中はわりと冷静だったけれど、悲鳴は急には止まらない。自分が何となく思っているよりもずっと高い声で、ちょっとだけ頭に響いた。
私の悲鳴に、のぞきこんでいた人たちが慌てて飛びのく。
「……ちょ、ちょっと……」
「だから、止めようって言ったんだよ。貴族のお嬢さんが寝ているところに踏み込むなんて、護衛とかいたら殺されても文句言えないよ」
「別に襲うつもりとかねえって!!」
悲鳴をあげていた私は、起き上がってベッドの上で後ずさる。そんなものでは何の頼りにもならないのに枕に縋っていた。
息が途切れ、そして、改めて目を大きく見開く。
視界に入ったのは、二人────一人は紅茶色の髪に青い瞳。もう一人は鋼色の髪に緑の瞳。私より二、三歳くらい年上と思われる少年の二人組だった。
二人が私を見る。
私も二人を見た。
「何事ですかっ!」
そこに駆け込んできたのは、ゆめうつつの中で私を看病してくれていた修道女だ。
「ラグ! ルファ!! あなたたち!」
「ごめーん、レラ」
「淑女の部屋に無断で押し入るとは何事ですか!」
「だから、ごめんってば。俺たちが助けた子の様子が知りたかっただけなんだよ」
ラグと呼ばれた紅茶色の髪の少年がパンと両手を合わせて、申し訳なさそうに謝罪する。
「眠っていると言ったでしょう。まったく!!」
「襲う気とかないってば」
「そういう問題ではありません。淑女の寝室に無断で入るなど、言語道断の所業です」
「で、でも、レラ・アデーレ。確かにこちらのご令嬢は淑女かもしれませんが、ここは孤児院ですから」
レラというのは、修道の誓いを立てた人に対する敬称だ。正教はそれほど戒律に厳しくないけれど修道の誓いを立てたとなると話は別で、彼らにはいろいろな勤行が課せられている。
「だから許されると思ったらおおまちがいですよ、ルファ。いいですか、ここがこの方のお屋敷であれば、あなた達の首はとっくに胴から離れていますよ」
「こっわ」
「……あー……」
(……たぶん、そうです。っていうか、今のこのことをナディル様にお話ししたら、きっと恐ろしいことになるような気がします)
彼らにはもちろんのこと、私も。
うん。戻ってもこのことは話さないでおく。
「そういうものなのです。ほら、二人とも、出なさい」
「えーーーーっ。まだなんにも話してねえのに!」
「あなたたちは学校です」
「えーっ、もう祭だろ!」
「今年は特に準備の必要もないのです。お休みの必要はありません」
「いえ、レラ・アデーレ。ちょっと考えていることがあるのです。僕らはその準備をしたいと思います」
「ルファ、ラグ……仕方のないことなのですよ。これも母女神の思し召しでしょう」
「レラ、ご迷惑はおかけしませんから……」
「お願いします」
少年たちが一緒に頭をさげる。
「……仕方がありませんね」
修道女……レラ・アデーレは大きなため息をついた。
「わかりました。あなた達に任せます。……ただし、何をするか決めたら、必ず報告すること。いいですね」
「はーい」
「もちろん」
やった!と口々に喜びを表しながら、出ていく二人を見送る。
「さて……」
そして、私のほうを向き直った。
「……あの……」
「……申し訳ございません、お嬢様」
深々と頭を下げる。
『お嬢様』と呼びかけるのは、私の身分がわからないからだろう。『お嬢様』という呼びかけは汎用性が高く、貴族の令嬢への呼びかけとしてはほぼ万能だ。
ただし、王族に呼びかけるにはやや不適切だ。敬意が足りないと思われる。
(でも、ここで身分を明かすわけにはいかないわけで……)
「あ、いえ。驚いただけなので……気にしないでくださいませ。それで……その……ここは、どこなのでしょう?」
「ここは、王宮の西側。レガリア地区にある聖堂に付随した孤児院です」
「こじいん」
「はい。それで、お嬢様。お嬢様は、なぜこのようなところに? 失礼ながら、ここはお嬢様が足を踏み入れるような場所ではございません」
「……その……私、逃げて来たのです」
「逃げて来た? 何からですか?」
「それは……」
ここで生命を狙われているようだと言ってもよいのだろうか?
(いや、でも、それで追い出されたら困る)
エレーヌ様がいない以上、グラーシェス公爵家の屋敷に私が行くというのはちょっと保留だ。で、ある以上、当面の拠点が必要だった。
私が目を伏せて考えこんでいたのを見たレラ・アデーレは、私がどうしても教えられない理由を自分で考えて補完してくれたらしい。
「わかりました。今は理由を問いますまい。ですが、このようなところでは、いつまでもお嬢様をお預かりすることはできません」
「……私、建国祭の日にはどうあっても家に戻らねばならないのです」
花の乙女である私がいなければ、建国祭ははじまらない。
他の年であるならば代役がいるのだけれど、今年に限っては代役はない。私の代わりはいないのだ。
「そうですか」
「どうやって戻ったらいいか……少し、考えたいと思うのです」
「……わかりました。どうぞ、お戻りになるまで、どうぞこの室をご利用ください」
「ありがとう、レラ」
「アデーレですわ」
「ありがとう、レラ・アデーレ」
「いえ。……どうぞ、後悔なさいませんよう。ゆっくりお考え下さい」
「はい」
レラ・アデーレはたぶんいろいろ勘違いしている。
でも、その勘違いを正すことはできない。今の私には話せないことが多すぎるのだ。
(ごめんなさい)
美しい動作で一礼して出ていくレラは、おそらく貴族の出身だ。身のこなしがとても美しいし、言葉に上流階級特有のアクセントがある。
(たぶん、事情があるのでしょう……)
貴族の娘が修道の誓いをたてて修道女にまでなるのだ。それほど軽い事情ではないだろう。
もしかしたら、レラ・アデーレがとても親切なのは、わが身とひきくらべたのかもしれない。
(でも、たぶん、あなたの事情と私の事情はまったく違うと思います……)
それが少しだけ申しわけなかった。
**********
「よっ」
「……あの、こんにちは」
「別に怪しいもんじゃねえからな。声あげるなよ」
レラのご厚意で着替えとして簡素なワンピースを借りて、ちょうど着替え終わったころに、さっき出て行ったはずの二人組が窓から顔をだした。
「……………こんにちは」
もちろん、私は警戒を隠せない。ここで警戒しないでいられるほど肝は太くない。
「あの、ほんとに怪しい者じゃないよ。僕らはここの孤児院でお世話にっているんだ」
「あのさ、俺らがあんたを助けたんだ」
「……それは、ありがとうございます」
「あんたさ、しばらくここにいるんだろ」
「……迎えが来るまでお世話になります」
ぺこり、と頭を下げる。
「……迎え、ね」
さっき、ラグと呼ばれていた方の少年が唇を歪めて嗤った。
「はい。私の家族は一人きりですから……きっと心配していると思います」
(ナディル様、どうしているかしら……)
離れている夫を思う。離れていること自体はいつものことだけれど、今回はおかれている状況が違う。
「一人きり? じゃあ、家族ってお父さん? お母さん?」
「母は私が生まれた時に亡くなりました。父は再婚していてほとんど縁がないので……」
「じゃあ、一人って?」
矢継ぎ早に聞いてくるルファと呼ばれた少年の勢いに気圧されながらも、私は答える。
「……夫です」
「へ?」
「おっとぉー?」
「ええ」
(隠すことじゃないよね? 別に)
「事情があって結婚がとても早かったのです」
詳しくは申し上げられません。というと、二人は顔を見合わせて「人妻? え? 人妻なの?」とか「夫って……夫って……」とぶつぶつとつぶやいている。
何がそんなに彼らの心の琴線に触れたのかわからないけれど、ちょっとおかしい。
「それで? 私に何か御用ですか?」
放っておいたらいつまでもやっていそうだったので、私の方から問いかけた。
「……え、ああ、すまねえ。ちょっと衝撃だったんで……」
「ごめんね。ちょっと驚いただけなんだ」
「いえ、かまいませんが、御用があるのでしたらどうぞ」
「あ、ああ……」
「えーと……君、貴族のお嬢様だよね?」
「はい」
私はうなづく。
より正確に言うならば、大貴族のお嬢様で王族で王太子の妃だ。
とはいえ、今ここで、身分や家柄などが役に立たないことくらい私にだってわかっている。もちろん、それを明らかにすることはないけれど。
「あのね、知恵を借りたいんだ」
「は?」
「あのさ、ちょっとこっちに来れねえか」
「こっち?」
「そう。こっち」
ラグが私のほうに手をのばす。
「……私に、窓を乗り越えろと?」
「え、ドアから来てもいいけど、こっちのが近いぜ?」
いや、そういう問題じゃないです。
「危なくないよ。僕も支えるから」
ルファが真剣な顔で言った。
「……わかりました。内緒にしておいてくださいね」
「何を?」
「私がこういうはしたないことをしたということを、です」
壁際の椅子を窓によせて、椅子によじのぼる。椅子から窓枠へ。そして、差し出された二人の手を支えに、窓枠から飛び降りた。
「慣れてんじゃん」
「慣れてません!」
少なくとも、今の私にはありえない不作法だ。
(……バレなきゃいいです)
そして、少しだけ……私を探しているだろう皆や心配してくれているだろうナディル殿下には申し訳ないけれど、本当に少しだけ楽しくなっていた。
**********
「……なんですか、この惨状は」
そこは厨房だった────いろいろとひどい有様だったけれど。
だって、床はゴミや食材なのか廃棄物なのかわからないもので埋もれている。
オーブンは薄汚れていて、鍋が出しっぱなしだ。
「あー、ちょっと……」
「……掃除です」
「え?」
「厨房は、食事を作るところですよ! 食べ物を扱うんです。それがどういう意味かわかりますか?」
「え、あ?」
私の中で面倒くさいスイッチが入ってしまう。
だって、この汚さはとてもじゃないけれど許せない。
こんなところで人の口に入れるものをつくるなんて決して許されない。
「一人はまずごみを全部まとめて片づけてください。もう一人はそこのモップで床を磨いてください……いえ、床を磨く前にまずモップを綺麗に洗ってきてください。汚いモップで床を磨いても汚くなるだけです」
「え? あ?」
「はい、さっさと動く!」
私はパンと手を叩く。
「このエプロン借りますね」
私はそこにあったエプロンを借りて、ワンピースの上に重ねる。
このワンピースは借り物だから、万が一にも汚すわけにはいかない。
たぶん大人用の服を解いた布地を使ってつくったもので、私には少し大きい。持ち主の子はきっと大切に着ていたはずだ。
エプロンのポケットにはいっていた三角巾を使って髪をまとめる。
「よし」
ぐっとたわしをにぎりしめる。
「私はオーブンと作業台を磨きますね。……あ、そこのごみも片づけてください」
「あ、はい」
オーブンは古かったけれど、まだ現役だ。
王宮の私の厨房にあるものとほとんど変わらない……私が使い慣れている型の原型となったタイプで、一度にスコーンとクッキーが一緒に焼けるだけでなく、空いている火口でジャムを煮詰めることもできる。
「いいですか、食べ物扱う場所はまず清潔が大事ですからね!」
「「はい」」
二人は良い返事でうなづく。
(あれ? ところで用事はなんだったんだろう?)
きっとまだ言い出さないところを見ると緊急性が薄いのだろう。
(まずは何するにせよ、掃除です)
私はたわしを握る手に力をこめ、古めかしいオーブンを磨き始めた。




