幕間 下町の子供たち
いつか、本当の親が迎えに来てくれる。
孤児院で暮らしている子供なら、一度は妄想する与太話だ。
特に片親しか知らなければ、その与太話は荒唐無稽なものになったりもする。
「あたしの本当のお父さんは貴族なんだからね」
だから素敵なドレスをいっぱい持って、花束を抱えて、いつかあたしを迎えに来てくれるんだからというのは、リナリーの口癖だった。
もちろん、それが嘘なのだと孤児院の皆は知っている。
(いや、嘘っていうほどのもんでもないな……リナリーのあれは願望で、希望で、ただのおとぎ話だ)
そうやって精一杯夢を見て、やっと現実の中で生きていくことができる。それをただの嘘で片づけてしまえるほど、俺たちは恵まれた生活を送っていない。
俺は王都の貧しい職人の子に生まれ、四歳で実母を、七歳で父親と義理の母親を亡くした。
以来、俺の家は孤児院になった。
父親の親族も母親の親族もいたけれど、どちらも貧しさは変わらない。子どもをもう一人育てるほどの余裕は誰の家にもなかったのだ。
「ねえ、ラグ」
俺の一歩半後ろを歩くルファがどこか含みのある声音で俺を呼ぶ。
「なんだ? ルファ」
ルファと俺は偶然同じ日に孤児院に来た仲間だった。
王都生まれの俺と違って、ルファは北の方の生まれだ。流行り病で母親を亡くし、貧乏文官の父親の王都赴任に伴って王都に来た。父一人子一人の生活の中、そのたった一人の父親が馬車の事故で死んで、この孤児院に来た。
当初は北の親戚が引き取るまでの間の滞在だったはずなのに、今ではこの孤児院の古参の一人になっている。
「大通りの屋台のことだけど」
「……それはもう無理だってわかってるだろ」
この国において最大の行事はといえば、何といっても春の建国祭だ。しかも今年は建国祭と即位式が共に執り行われるという一大イベントだ。王都はその前後三日ずつを含めて一週間あまりもの間お祭り騒ぎとなる。
このレガリア地区は王宮のお膝元であり、一週間前の現在もうすでに祭が始まっているところもある。
大通りには多くの屋台が並び始めている。
その一角に、例年ならば孤児院でもささやかな屋台を建てる。例年、孤児院の屋台で商うのは、孤児院の花壇で子供たちが育てたロゼフィラの花を束ねた小さな花束だった。
建国祭は、そもそもが花の祭だ。この日のためにと専門の花屋が集める多くの美しい花が溢れている。
それでも、毎年、孤児院で育てた小さなロゼフィラの花束は完売する。
それは、建国王と妖精の姫の出会いの花が白いロゼフィラだからだ。
春の初め、花に満ち溢れたダーディニアで最も重要な役割を果たす花ロゼフィラは、それゆえに春告げ花と言われている。
このロゼフィラの花束の屋台で得られる幾何かの利益は、孤児院にとって大切な現金収入だった。
「花束じゃなくても、何かできると思うんだ」
「何だよ」
「……食べ物がいい。できれば、簡単に大量に作れるもの。本当に簡単なものでいいんだ。お祭りなんだ。ちょっとこう変わったものだったら絶対に売れる」
「あのなぁ、いくら祭ったって、家で作れるようなものじゃあ、誰も買わねえよ」
「うん。……だから、そこがこう工夫のしどころでさ……」
「ってーか、材料をどうすんだよ。何作るのかしらねえけど仕入れの金なんざ、そんなに集められねえぞ。……せいぜい、いつもの花束のリボン代分くらいしかねえ」
「あとは、孤児院にあるものだよね」
「俺らの飯の材料だぞ、たいしたもんできねえよ」
「……まあ、そうだよね」
「それより、さっさと祠の掃除をして戻ろうぜ。……飯の支度手伝わねえと」
「そうだね」
孤児院からさほど遠くないところにある古い祠の掃除を、俺たちは交代でしている。
毎日欠かさずにそれをすることで、孤児院に喜捨がもらえる。孤児院では、地区内にそういう仕事をいくつか持っていて、それで日々の糧を補ってるのだ。
「……ねえ、ラグ、あれ」
「あん?」
ルファの目線の方を見ると、見るからに身分の高い貴族と思しき女が走っていた。真っ青な顔色は尋常ではないように思える。
「……ありゃあ、ただごとじゃねえな」
「っていうか、あの貴族のおばあさん、なんでこんなところにいるのかな」
このあたりは職人が多く居住している地区だ。間違っても貴族が来るような地区ではない。下級の役人なんかもいないわけじゃないけれど、ほとんどが無爵の役人だ。
「……おい、ばあさん」
「ら、ラグ……? そんな失礼な言葉づかいで……」
「……お願いを……」
「あん?」
「お願いいたします。馬車を、どうか、馬車を回してくださいませ」
「え? あ? えっと、辻馬車でいい?」
「馬車なら何でもかまいません」
「ルファ」
「うん」
俺の目くばせでルファが全速力で前を走る。
この時間なら、ここを抜けた角のところでいつもローダじいさんが聖堂帰りの客待ちをしている馬車があるはずだ。
「ばあさんっ、こっちだ」
俺は、ドレス姿のばあさんの手を握って走る。
そして、ドアを開けて待ってるルファのところにまで走って、馬車に乗るのに手を貸してやった。
「……ありがとう、ぼうやたち」
これを、と。そっと握らされたのは、綺麗な女の横顔のついたブローチだった。
「御礼です。……本当にありがとう」
この時、俺たちはばあさんが何であんなにも焦っていたのかを聞けば良かったのだ。
でも、俺たちはばあさんには何も聞かなかった。
ただ、困っている貴族のばあさんに少し親切にしてやって、それでお礼に綺麗なブローチをもらって、それで何となく良いことをした気分になって満足していた。
まだ夕方だったけれど、今日は何となく密度の濃い一日だったな、なーんて思ってもみたりした。
「……あのおばあさん、なんであんな一刻一秒争う! みたいな感じで馬車を探してたんだろうね?」
「さあ。わっかんねーけど。でも、別に俺らには関係ねーよ。詮索はやめようぜ。お貴族さまとは住む世界が違うんだ。下手に余計なこと知っちまって、面倒に巻き込まれたくねえよ」
「ああ、うん。そうなんだけど……」
「それより、これ、いくらくらいになんかな?」
「んー、そういうブローチってよく見るから、そんなに高くにはならないんじゃない?」
「確かによく見るよな。何か意味あんの?」
「さあ……でも、綺麗だからさ、質屋のヨブばあさんのとこだけじゃなくて、競売所のグラウさんとこにも持って行ってみようよ。質屋よりも競売のほうが高値がつきそうだったら、そっちで売ってもらってもいいし」
「そうだな」
俺は無造作にそのブローチをポケットに突っ込んだ。
「最近さ、祠へのお供え物が多い気がする」
「建国祭が近いからじゃねえ?」
祠へのお供え物は、俺たちが祠の女神さまからのお下がりをいただくという形でもらっていいことになっている。
女神だからか、一番多いのは果物類で次が菓子や砂糖。それから、穀物や酒、野菜等が続く。
別に建国祭にこの祠の女神は関係ないけれど、いつもより念入りに掃除をしている。当日は、地域の会所から花が届く予定で入り口に花飾りをする予定だった。
「さ、さっさとそうじ……」
しようぜ、と言いかけた俺は、祠の格子戸をあけて足を踏み入れようとしたまま立ち尽くした。
「ラグ、どうしたの?」
背後から、ルファが覗き込む。
「……え?」
蝋燭の光に照らし出された黄金色の輝き……一瞬、それが何なのかよくわからず、そして人なのだと理解した瞬間、さーっと血の気がひいた。
この季節、一晩外で寝ていたら生命に関わる。祠の中は一応屋内かもしれないが、密閉性は最高に低い。慌てて近寄って抱き起した。
(……うわ……)
どこもかしこも特別製みたいな子だった。もう少し年齢がいっていれば、この祠の女神が顕現したと思ったかもしれない。
「すごい、綺麗な子だね」
「……そうだな。少し熱があるみたいだ」
「……孤児院に運ぼうよ、ラグ。レラ・アデーレに見せよう」
アデーレ修道女は、俺達の母代わりになって面倒見てくれている老女だ。
「……そうするべきかな?」
「うん。何をどうしてこんなところにいるのかわからないけど、このままここにいたら、この子死んじゃうかもしれない」
どう見ても頑丈そうには見えない。
「……さっきのばあさん、もしかしてこの子をここに捨てに来たのか?」
「まさか……それに、だとしたら、あの人が一人だったことがおかしいし、お供の馬車がないこともおかしいよ」
「でも、無関係だと思うか?」
「まさか」
さっきのばあさんと同じく、この倒れている子もたぶんかなりすごい貴族なんだと思う。着ているものも靴もすごい。たぶん、どちらも俺たちが一生かかったって買えないような値段がするに違いない。
そんなすごい貴族が二人、お互いまったく関係なくこのレガリア地区に現われるなんてことはまずありえない。
ばあさんは、もしかしたらこの子を運ぶために人を呼びに行ったのかもしれない。
(この服、うちのガキ共が見たら着たがるだろうな……)
子どもたちが夢見るお姫様ドレスそのものの衣装の少女は、俺が抱え上げても一向に目を覚まさない。
「大金持ちの貴族の子供だよね? この子」
「たぶんな。……じゃなきゃ、こんなに役に立たなそうな靴履いてねえだろ」
どんな事情があるかは知らないが、こんなところにいていい子供ではないだろうと言うことだけは俺やルファにもわかった。
「捨てられたんじゃなかったら、何だろう?」
ルファが首を傾げる。
「……ここに、隠したとか?」
もしかしたら、子どもに優しいという女神シュリエガの加護を願ったのかもしれない。
「どっちにせよ、あんまり目立つのは得策ではないよね」
何か事情があることは確かで、だとしたら、こっそりと連れて行くべきだろう。
「よし、ルファ。上着かせ」
「あ、うん」
そう言いながら、俺も自分の外套を脱ぐ。少し大きめのルファの上着に子どもの身体を包み。俺の上着を頭にかぶせた。このきらっきらの金髪は絶対に目立つからだ。
よほど疲れているのか、あるいは熱のせいなのか、子供はまったく目覚める様子をみせない。俺が抱え上げて立ち上がったときにほんの少し眉を顰めただけで、すぐに小さな寝息をたてはじめた。
見つけたのが俺たちじゃなければ、このまま拉致されたか、売り飛ばされてしまったかもしれない。
「綺麗なお人形みたいだね」
「ほんとにな」
これが、俺たちとティーエのいささか一方的な最初の出会いだった。
そしてこの綺麗な子供が、人形なんていうおとなしやかなものではないことを、この時の俺たちはまだ知らなかった。




