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21 古の女神の祠

「エレーヌ様、まずはここを下りましょう。いつまでもここにいてもどうにもなりません」

「わかりました。……妃殿下は、道をご存じで?」


 私は首を横に振る。


「私、王宮から出たことは数えるほどなので……でも、ほら、道があります。あちらから降りれるようです」


 すぐ下に細い道があるのが見えていた。動きやすい恰好ならばたいした高さではないからこの場から降りることもできるけれど、ガウン姿の私たちには無理だ。おとなしく階段を探して降りることにする。

 エレーヌ様は少しだけ安心したような表情をみせ、それから、きりっと顔をひきしめた。


「では妃殿下、私が先に立ちましょう」


 御身に万一のことがございましたら、私の生命では補いがつきません、と、真顔で言う。

 大げさな、と口にすることができないくらいには、私は今の己の立場と意味をわきまえていた。


「わかりました。では、頼みます。……それと、エレーヌ様」

「はい」

「私のことは、ティーエと呼んでくださいませ」

「ティーエ様、ですか?」

「できれば敬称もなしで、と言いたいところですが、それは仕方がないとしましょう。街中ではその名で呼んでください」


 私の名にはいくつかの愛称があるけれど、その中からあえて選んだのは『ティーエ』という呼び名だ。

(もう、こだわる必要はないのですから)

 かつて私をそう呼んだ方がいたことも、誰かに呼ばれるたびに今でも少しだけ緊張することも、もう気にする必要はないのだ。


「ですが……」

「王都が治安の良い街であることは知っております。でも、だからといって危険がないわけではありません」


 そもそも、身分を明かしても大丈夫ならば、街に降りる必要はない。中に入る普通の門を探し、身分を明かして戻ればそれでいい。

(それができればよかったのですけれど……)

 問題はその門の門衛たちが信用できる人間であるか、ということだ。

 私たちが狙われたのは正宮の庭だ。出入りすることのできる人間は限られているし、地下でも狙われている。

(つまり、誰が敵かわからないってこと)

 特に明確に心あたりがないというか、普通に考えるならばありすぎる私には。

 富裕な貴族にみられることは構わない。この格好で一般庶民だと言い張る方が無理があるし、豪商の娘というには私の様子はあまりにも世慣れなく労働というものと無縁だった。。問題は、私が王太子妃だとわかってしまうことだ。

(お供もなくふらふら歩いている王太子妃なんて、絶好の的です)


「……だから、妃殿下と呼ばれるのは困るのです。決して不敬とは申しませんから、気を付けてくださいませ」

「かしこまりました」

「私はエレーヌ様をエレーヌ様とお呼びしますね。……もし、街で私たちの関係を聞かれるようなことがあったら、遠縁の親族だと言うことにしましょう」

「はい」


 それからエレーヌ様は、小さく笑って続けた。


「……恐れおおいことながら、妃殿下と私は二重の意味で親族なのですね」

「エレーヌ様、ティーエです」

「……ティーエ様?」

「はい」


 確かに私とエレーヌ様は、父方からも母方からも血がつながっている。


「……では、参りましょうか」


 エレーヌ様は私が差し出した手をあるい目で見て、それから、笑いながらそっと手を重ね、私たちは街の明かりのほうへと足を踏みだした。



**********



「……大丈夫ですか、エレーヌ様」

「はい。私は大丈夫ですわ。ひで……ティーエ様はご無事ですか?」

「大丈夫です」


 丘の途中から見下ろしていた街は光できらきらしていたけれど、街へと降りる道にはあかり一つなかった。

 そして、一直線に降りることができずに、先ほどから何度も遠回りさせられている。

(たぶんこれって、王宮が攻められた時の工夫なんだろうな)

 ここはたぶん正規ルートの道ではないのだけれど、それでも一直線にはどこにもたどり着けない。

まだ暮れきらぬ夕闇の中、私たちは舗装もされていない細い道を下った。何度か転びかけたり、足をすべらせてしりもちをついたりしながらも歩みを止めることはなかった。完全に夜になってしまったらさらに身動きがとれなくなる。こんなところで立ち止まっていてもどうにもならないことを理解していたからだ。

(……靴が悪いわ。これ)

 去年、エルゼヴェルトから帰還する時のようなブーツだったなら、きっとこんなふうに滑ったりすることはなかっただろう。

 私たちが履いているような靴はとても美しいものだったけれど、実用性には欠ける。踵がぺったんこであってもこういう舗装されていない道ではとても歩きにくいのだ。それに、コルセットやパニエでふんわりとしたガウンもそれを助長していた。


「……し、下についたら、一休みしましょう。……ティーエ様」

 肩で息をしながら、エレーヌ様が言う。

「……はい」


 エレーヌ様ほどではないけれど、私もだいぶ息があがってきていた。

(ゆるい下り坂なのに……)

 足はもう棒のようだし、足の裏が痛い。もしかしたら、明日は熱が出るかもしれない。ほんと、体力のなさを痛感する。

(王宮に戻ったら、体力づくりをしよう……)

 毎日の日課の中に、体力づくりの散歩か何かを組み入れるのだ。

 そして、ナディル殿下に抱き上げられても、それに甘んじるのは絶対に辞める!!

 きっと移動の時に甘えてばかりいたのも、この体力のなさの一因だと思う。


「……ここは」


 どのくらい歩いただろう。きっとそれほど長い時間ではなかったと思うけれど、既に地下で半日は逃げ惑っていた私たちにはずいぶんと歩いたように思えた。

たどり着いたのはさほど大きくない祠の裏だった。


「祠、ですね」


 ダーディニアの国教は、ルティア正教である。

 けれど、他の宗教を禁じてはいない。

 だから、王都にはこういう土着の神のための祠などが残っていることを、知識としては知っていた。

 私は小さな祠をしげしげと眺める。


「……ティーエ様、申し訳ございませんが、ここで一休みをさせていただいてもよろしゅうございますか?」

 私、足が少し……と、眉を顰めたエレーヌ様の靴のつま先が赤黒く汚れている。

「……エレーヌ様」

 私は大きく目を見開く。

「申し訳ございません。あまり歩きなれないもので……」

「いいえ。……気づかなくて、すみません」

「いえ、ひで……ティーエ様もおみ足が……」

「え?」


 言われて自分の足を見れば、後ろのところの履き口が汚れている。踵がこすれて水ぶくれができていたのは気づいていたのだけれど、それがいつの間にか潰れてしまったらしい。

 そして、たぶん見えていないだけできっとつま先も酷いことになっている。

(この間の夜会の潰れたマメがやっと治りかけて来たところだったのに……)


「……気づきませんでした」

 私たちはお互いに顔を見あわせ、そして苦笑を漏らした。

 それから、視線を祠に向ける。

「……ここで休ませていただきましょうか」

「そうですね」


 石造りの小さな祠の格子戸を開く。

 中には小さな祭壇があり、太い蝋燭が一本捧げられている。

(……あ……この狭さ、なんか落ち着くかも)

 あちらの言い方で言うならば六畳くらいの部屋になるだろうか、こちらの部屋の広さからすれば物置にしかならなそうな床面積でしかない。

 祭壇の後ろの壁に素朴な細い線だけで掘りこまれているのは星の冠を被った古代の女神シュリエガだ。

 このシュリエガは、ルティア正教の母女神の別の貌だと言われている。迷いを照らす導きの神でとても人気がある。この祠もとてもきれいに清掃がされているから、近くに信者の人たちがいるのだろう。

 私とエレーヌ様は目を閉じ、膝をついて祭壇に祈りを捧げ、この場を借り受けることを願った。

 古代の神に対する祈りに作法はない。あるいはそれは今に伝わっていないだけかもしれないけれど、決まった聖句や祈りの捧げ方のルールがないのだ。だからその祈りの長さは個々で違う。

 そして、先に目を見開いたのは私だった。横ではまだエレーヌ様が祈りを捧げているから、それが終わるのを静かに待った。

 歩きすぎなのだろう。身体が少し怠い。

(……ちょっと身体が暑いかな……)

 寒いはずなのに、暑さを感じていた。頭がぼーっとしている。


「…………ま。……さま。ティーエ様……」

 

 エレーヌ様に呼ばれていると思ったのに……それがわかっているのに、私はうまく返事ができなかった。

 向き直ろうとのろのろと身体を動かしたけれど思い通りに動かない。

(……あれ……?)

 私、どうかしちゃったんだろうか?

 立ち上がろうとしたら、目の前が真っ暗になって、私の意識は閉ざされた。



**********


 暗闇だった。

 一面の暗闇。

 それは夜よりもなおも昏く。ただ一色の闇に塗りつぶされていた。

 私が正真正銘外見通りの少女であれば恐怖を感じるかもしれないけれど、生憎、私の中身は外見通りではなかったので、それに恐怖を感じることはなかった。

(……ここ、どこだろう……)

 早く帰らなきゃいけないと思うのに、ここがどこで自分がどこに帰らなければいけないのかがわからない。

(……私はアルティリエ。アルティリエ・ルティア―ヌ=ディア=ディス=ダーディエ)

 己の名前を口の中で呟いて、己を確認する。

 ダーディニアの王太子妃にしてエルゼヴェルト公爵家の推定相続人……そして、唯一のエルゼヴェルト。

 そして、つられるようにして思い出した。

(……ナディルさま)

 この国の王となる人で、私の夫。────そして、私が帰るべき場所。

(戻らなければ……)

 早くナディル様の元に戻らなければいけない。

 急かす気持ちに背を押されて、私はゆっくりと目を開いた。



 最初に目に入ったのは、何の装飾もない剥き出しの木組みの天井。

 小さく身じろぎして、恐ろしく硬い寝床に寝かせられていることに気づいた。

(ここ、どこ?)

 少なくとも、意識を失う前に居た祠ではない。

 身体のあちらこちらが痛い。

 知らない場所だと思った。


「……目が覚めましたか?」


(……誰?)

知らない場所ではあったけれど、その特徴的な衣服から目の前の相手の身分はわかった。


「……ここは、どこなのでしょう?」

「ご安心なさい。ここは、レガリア聖堂に付随する孤児院です。もう心配いりませんからね」


 年のころは六十を過ぎたくらいか。白いウィンブルに髪を押し込んでベールをたらし、グレイと白の修道服に身を包んだ女性は、私を安心させるかのように笑みを見せる。


「孤児院、ですか?」

「はい」

「なぜ、孤児院に?」


 意識を失う前の最後の記憶は、古代の女神シュリエガの祠だったはずだ。どうやってここまでワープしてきたのだろう?


「あなたは、このレガリア地区のはずれの祠で倒れていたのですよ」

「……私だけでしたか?」


 エレーヌ様はどうしたのかな? 私が倒れたことで無謀なことをしているのではないだろうか?


「はい。あなたは一人だったと子供たちは言っておりましたわ」

「子供たち、ですか?」

「祠の掃除に行ってあなたを見つけたのは、孤児院の子供たちなのです」

「……そうですか」


(助けを呼びに行って入れ違いになったのかな)

 私は熱っぽい頭で、そんなことを考える。

 あれからどのくらいの時間がたったかわからないけれど、エレーヌ様はだいぶ迷ったに違いない。

(私を置いて助けを呼びに行くか、祠で助けを待つか……)

 ある意味、究極の選択だっただろう。

(……エレーヌ様だけだったなら、きっとずっと待ち続けたに違いない)

 でも、私がいた。体調を崩し、熱にうなされている私が。

(無事に公爵家にたどり着けていればいいけど……)


「……子供たちに御礼を言うことはできますか?」

 もぞもぞと起き上がろうとして、修道女に押しとどめられた。

「まだ起きてはいけません。……御礼なら、後でかまいませんから」

「……わかりました」


 口の中がからからに乾いているせいでケホケホと咳き込むと修道女は水を飲ませてくれる。


「……おいしい」

「この孤児院には何もありませんが、井戸があるので水だけは豊富なのです」


 さあ、もう一度寝てください、と促されて目を閉じた。

(……寝間着のお礼を言わなきゃ……)

 飾り気のまったくない綿の寝間着は、少し肌触りがごわごわしていたけれど、ガウンで眠るよりは数倍マシだ。

 でも、身体がよほど睡眠を欲していたのだろう、口が礼の言葉を紡ぐよりも先に意識は眠りの中へとひきずりこまれた。

(……御礼、忘れないこと……)


 頭の片隅にそれだけはしっかりと刻んでおいた。


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