19 脱出
「……さっき、エレーヌ様は、ご自身が狙われているのだとおっしゃいましたね」
「はい」
「どうして、ご自身だと?」
王太子妃である私は、常に狙われている立場だ。でも、自分が原因だと思った理由は何なのだろう?
「……夫の元に、脅迫状が来ていたのです」
「脅迫状、ですか?」
「もちろん夫は私には見せてくれませんでしたし、家の者にも緘口令をしきました。でも、何かあるというのはうすうすわかりますでしょう? 私はよく鈍いと言われますし、空気を読めないとも言われますけれど、わかることもあります」
「わかること」
「はい。……連れ添って五十年になろうという夫が何かを隠している事。その何かが私に関わる事……そこまではすぐにわかりましたし、己のことです。出かけるたびに何かおかしなことがあること、どうも狙われているらしいことも、だんだんとわかってきました」
エレーヌ様は何でもないことのようにおっしゃるけれど、それって結構、大変なことのような気がする。
「決定的だったのは、脅迫状の写しを見つけたことです」
「写し、ですか?」
「はい。正確には写しを書き損じたものが書斎のごみ箱に残っておりました」
(……迂闊だと公爵を責めるべきか、みつけたエレーヌ様をほめるべきかわからないところだ)
「それで。夫が私のことで脅迫されていることがわかったのです」
「……脅迫というと、目的があるものですけれど、何をどう脅迫されているのです?」
「私に恨みのある者が、私を殺すと書いてありました」
「……恨み」
「はい。……それについては言い訳をする気はありません。私が負うべきことだと思っております」
きっぱりとエレーヌ様は言う。
「けれど、それに妃殿下を巻き込んでしまったことを大変申し訳なく思っております」
「それは、もう大丈夫です」
(とりあえず、地下に入った時点で危険はないと思うし……)
問題は、ここがどこかわからないことだ。
そして、歩き続けてどこにつくかもわからない。
(完璧、迷子ですね)
「王宮でこんな騒ぎになってしまって、夫にも申し訳なく思っています」
「それは気にしなくていいと思いますよ」
「え?」
「夫婦ですから、一蓮托生だと思います。こういうの」
「いちれんたくしょう、ですか?」
エレーヌ様がきょとん、とした表情で私を見る。
「はい。……殿下もなんですけど、どうしてあんな風に秘密主義なんでしょうね。私のことなのにすぐ隠すんですよ」
「……まあ」
エレーヌ様が、私の愚痴に顔をほころばせる。
「どこの旦那様も似たようなものだとわかって少し安心しましたけど」
「ええ。ええ、そうなんですね。夫だけではないのですね」
「そうです」
私はきっぱりと言い切ってうなづく。
それから、私とエレーヌ様はお互いに、お互いの夫がどれだけ秘密主義なのかを競うように話した。
私たちの間には実に五十年という年齢差はあるのだけれど、そんなことはまったく感じなかった。
石造りの廊下を延々歩き続け、そしてたどり着いた扉の前で、私とエレーヌ様は顔を見合わせた。
ごくり、とつばを飲み込む。
その板が扉であることを私たちは知っていたし、その扉を私が開けられることもわかっていた。
「いきますね」
「はい」
お互いちょっとだけ緊張した顔でうなづきあう。
そして、私はその扉に触れる。
ゆっくりとスライドして開いた扉から、新鮮な風が吹き込んだ。
一歩、二歩と足を踏み出す。
そして────。
「わぁ……」
「まあ……」
眼の前に広がる光景に私たちは息を吞んだ。
「なんて……」
なんて綺麗な……。
エレーヌ様は言葉を失ってただただ見惚れている。
「すごいですね」
一面、光であふれていた。
でも、目が慣れると光の中にたくさんの人がいることがわかる。
「……ここは、いったい」
エレーヌ様には初めて見る光景だったのだろう。少し不安そうな表情をみせる。
「たぶん、王都の下町ですね。私が行ったことがあるのはユトリア地区だけですが、とてもよく似ています」
たぶん、ユトリアのどこかかそれに近いところだと思う。街並みがそんな感じだから。
「下町……」
そこは、私たちにとって未知の世界だった。




