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18 襲撃

「え?」


 ヒュンッと再び音がする。今度はさっきよりもずっと近くに。


「妃殿下っ!」


 ミレディの悲鳴にも似た声が響く。


「誰かっ! 曲者ですっ! 妃殿下がっ!!!」


 ヒュンッという三度目の音。それは耳元をかすめる。

 瞬間、背筋がゾクリとした。

 あとほんのわずかずれただけで、それは喉に突き刺さったかもしれないし、あるいは顔に、目に突き刺さったかもしれない。


「エレーヌ様っ、こちらへ」


 降り注ぐ矢羽の色は黒。

(……北の色だ)


「でも……これは……」

「考えるのは、後です。走って!!!」


 私は、レースの手袋に覆われた細い手を握って走り出す。

(何なの? これ!! 命を狙われるような危険はもうなくなったはずなのに!!)

 前の時だってこんなにも直截的ではなかったのに! と思わず泣きごとをこぼしたくなる。

 毒殺はされそうになったけど、こんな物理的で直截的な命の狙われ方はしなかった。

 建物の方から射かけられているから庭の奥へと逃れたけど、もしかしたらこれは失敗だったかもしれない。。

(……だって、これって追い込まれている可能性もあるよね?)

 背後から追ってくる人の気配……とっさに、道ともいえぬ細道に入り、灌木の陰に蹲った。


「……妃殿下?」


 しーっと唇の前に人差し指をあてる。

 直後、私たちを追っていたらしい人間の足が灌木越しの向こう側を通り過ぎて行った。


「……建物の方に戻るのは難しいから、遠回りをして政庁側に抜けましょう」


 声を潜めて告げる。

(それで、後宮に連絡してお迎えに来てもらえばいい)

 きっと即座にナディル殿下に連絡がいくだろうけど。

しばらくはまた籠の鳥になる予感がしてるけど。


「……今のは、いったい……」


 当然だけどエレーヌ様はこんなことには慣れていないのだろう。全身で呼吸をしている。もちろん、私もだ。


「私にもよくわかりません」


ただ、狙われていることは確かだった。

(……狙われてるのって……)

 私なのか、それとも……。

 ちらりと白い横顔に視線をやる。

(……向こうは私たちが無傷である必要はなくて、むしろ、死んでしまってもいいと考えているのかもしれない)


「……申し訳ございません」

「え?」

「……たぶん、私です」

「何がですか?」

「狙われているのは私なのです」

「なぜ、狙われているのです?」

「それは……」


 さらに話を聞こうとしたら、背後からまた矢が風を切る音が聞こえてきた。


「とりあえず、話は後です!」


 私は再びエレーヌ様の手を取って走り出した。




 

 王宮には地下があることはよく知られている。でも、その全貌を知る人はいない。

と、いうのは、あまりにも広すぎるからだ。


「……ここは……」


 石造りの薄暗い通路……薄暗くはあるけれど、まったく見えないわけではなく、目が慣れれば光源が無くとも進むことも可能だ。


「うすうすお分かりだとおもいますけれど、王宮の地下です」


 正体不明の暗殺者達……多分、複数……に狙われた私が、エレーヌ様を連れて逃げ込んだのが地下だった。

 降り注ぐ弓矢……追手の人数はどんどん増えているようだったのに、自分たちの護衛は姿形も見えなかった。

 地下ならば矢がそこらじゅうから飛んでくることはない。

(それに……)

地下には、姿なき衛兵がいる。

(私にはどこよりも安全だと、陛下はおっしゃっていた……)

王族、四公、そして四公の血を引く一部の者以外を排除すると言う姿なき衛兵が何か、その正体について多少は推測していることがあるのだけれど、あまりにも荒唐無稽なのでちょっと口には出せない。

(でも、果たしてエレーヌ様にも安全なんだろうか……)

 矢が飛んでこないだけでもありがたいのだけれど、地下につれこんだせいでエレーヌ様に何かあったら困る。


「……私、以前にも一度だけ、来たことがございます」

「一度だけ?」

「はい。……もう五十年も前になりますけれど、私、建国祭の『姫』を務めたことがございまして……その時に、この地下を父と歩きました」


 エレーヌ様が懐かし気な口調でおっしゃった。


「……確か今年は妃殿下が『姫』でしたね」

「はい」


(……それなら、エレーヌ様はたぶん登録されてる)

 エレーヌ様は、『王族』だから、たぶん大丈夫だという予測はあった。でも、『姫』であったのならば、ほぼ確実だ。

(『姫』は何らかの形で認証されるから……)


「最後の『姫』である妃殿下が、本来ならば王族とすら認められない王太子殿下に剣を授ける……まるで、建国神話の再現ですね」


 ほぉ、と小さな吐息をつく。


「……え?」


 さらりと言われたので、一瞬、流しそうになった。


「エレーヌ様?」

「はい」


 エレーヌ様はおっとりとした様子で私を見る。


「あの、私が最後の『姫』というのは……」

「妃殿下は、最後のエルゼヴェルトでございましょう?」


(え?それって誰でも知ってること?)


「ああ……本来でしたら、国王と四公しか知らぬ秘事でございましたね。私が存じているのは、父に聞いたからです」


 おっとりとエレーヌ様は言った。


「エレーヌ様のお父様……」


(エレーヌ様はエルゼヴェルトのお生まれだ)

 私は頭の中で家系図を紐解く。


「妃殿下からすると、父方で言うならば曽祖父にあたりますね。母方でいうともう一代、代を重ねますでしょうか……。建国祭の儀式の折。共にここを歩いていて……父がとても気落ちしていたので、私、また何かしてしまったのかと思って謝ったのです。そうしたら、私のせいではない、とすまなそうに言ったことを昨日のことのように思い出しました」


(……えーと、エレーヌ様は後妻に入られた方との間に生まれているから、母系ではエルゼヴェルトの血が薄い)

 それでも、後妻の方もエルゼヴェルトの血をひいていたから、もしかしたら……という期待があったのだろう。


「もしかしたら、私が『鍵の姫』として認められるかもしれないと言う可能性があったのだけれど、それがなかったことがわかって残念だったのだと教えてもらいました。あの当時は、今より大変でした」

「何がですか?」

「私が『姫』を務めた時というのは、エリザベートお姉さまが駆け落ちなさった後だったのです」

「!!!!!」


 思わず変な声をあげそうになった。そうか、この方はそういう時代のお生まれなのか。


「しかも、エルゼヴェルト公爵家を継いだお兄様は、お子と奥様を相次いで亡くされて……だからなのでしょうね、父は私に幾つかの秘事を託しました。正しく継承されなかった時に備えて、正しいことを覚えておくようにと」

「正しいこと……」

「誰にも言ってはならぬと言われました。いずれ結婚したとしても、夫にも話してはならぬ、と。……お兄様がお子を得ることができなくて、エルゼヴェルトの直系が絶えた時に、私が次エルゼヴェルト公爵となる者に教えるようにと……幸いにもお兄様は後妻を迎えてあなたのお父様が生まれたので、それは必要なくなりましたけれど……でも、妃殿下にならば申し上げても問題はございませんものね」


 どこかはにかんだ表情でエレーヌ様は笑った。何にはにかんでおられるのかわからないけれど、その表情はとても可愛らしく、つい、今がどこにいるか忘れそうになる。

ついでに、生命を狙われている敵から逃げているという緊迫感溢れる状況なのだけれど、それもだいぶ忘れがちだ。


「……それなら、エレーヌ様は大丈夫なのですね」

「何がですか?」

「……王宮の地下には、姿なき衛兵がいると聞いたものですから」

「ああ……ええ、そうです。私は登録されている、と父が……その時は、もうそれが必要になることもないだろうと言っていたのですけれど」


 ふふ、とおかしげに笑う。


「そんな状況ではありませんのに、何か冒険みたいでワクワクしてしまいます」

 ごめんなさいね、と謝る老婦人はとても可愛らしい。


(こんな風に年をとりたいものです)


 たぶん私には無理ですけど。 


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