16 王宮散歩
(……どうして、こうなった……)
どんなに考えても私の頭ではわからない。
(……だって、これは散歩とは言わない気がする)
散歩の定義にもいろいろある。
けれど、自分の足で歩かなければ散歩ではないはずだ。少なくとも、私の定義では。
「あの……ナディル様」
「何だ」
「私、もう足も治ってます」
だから、自分で歩きます、とその腕からおりようとしたら、しっかりと抱きなおされた。
「このままでいい」
(よくないです! 絶対によくない!!)
嬉しいのに嬉しくないと言うか、もうどうしていいかわからないんだけど、見栄っ張りの私は平然とした顔をしてしまう。
(……こうして抱きかかえられるのは久しぶりかも)
腕に抱えられていても、全然違和感も恐怖も感じない。むしろ、守られている安心感がある。
「……どこに行くんですか?」
「着いてからのお楽しみだ」
殿下が楽しそうな顔をしている。
何かこんなにも楽しそうな表情を見るのは初めてかもしれない。
(なんか、私まで楽しい)
「……殿下」
「何だ?」
「ありがとうございます」
「何に礼を言っている?」
「お散歩に連れてきてくださったことです」
今の私たちのこの状態を散歩といってしまっていいのかは謎だけど
(……歩いてないし)
「……礼を言われるほどのことはない」
殿下は少しだけ照れくさそうな表情をみせた。
(あ、今の表情、すごく好きかも……)
きっと、ナディル殿下のこんな顔はすっごくレアだと思う。
後宮から正宮に抜けたことは何となくわかった。
どちらも同じ年代にアルセイ=ネイに作られた建物だったけれど、プライベートに利用する部分と公的に使う部分の目的の違いが、雰囲気の違いに現われているのだろう。
長い回廊の途中を曲がり、大きな扉の前に立った。
「ここが私の執務室だ」
「それほど広くないんですね」
「広すぎると集中できない」
「そうですよね」
それはすごくよくわかる。
寝台の中が落ち着くのは、天蓋と帳のおかげでそこが小さな部屋のように区切られた空間になるからだし、自分の図書室のソファがあるところが落ち着くのも、本棚で囲んであって小さな部屋みたいに区切られているからだ。
「……誰もいないのですね」
秘書くらいはいるのかと思っていたけれど、無人だった。
「ああ。皆、調査に出払っている」
「調査、ですか?」
「そうだ。秘書の仕事は多岐にわたる。いろいろ裏付け調査をしたり調べることがたくさんある」
それから、執務室の隣の資料室に足を踏み入れた。
「ルティア」
「はい」
「……この棚を押してみなさい」
言われた通りに、壁際の三つ目の本棚を力いっぱい押す。でも、私が全身全霊でもってがんばっても、本棚はうんともすんとも言わない。
「……まだ無理か」
殿下は苦笑して、それで一緒に本棚を押す。
すると、すっと本棚が横にスライドした。
「え?」
「地下通路だ」
「……絡繰りなんですね」
「ああ。……これも、ネイの作ったものだと言われている」
(アルセイ=ネイ……古の天才建築家……レオナルド・ダヴィンチのような)
黒いぽっかりと空いたその空間に、殿下の腕に抱き上げられたまま足を踏み入れた。
「ここから階段になっているから、くれぐれも気を付けるように」
「はい」
一応、返事はしたけれど、実を言えばもうどうやってここにたどり着いたかも覚えていない。
(抱えられていると、道ってわからないし覚えないよね)
送ってもらわないと自分の宮にもたどり着けないだろう。
(……まあ、抱えられていないで自分で歩いていたとしても、たぶんもうわからなかったと思うけど)
「……これは、地下、ですか?」
「そうだ。王宮の地面の下には広大な地下宮殿が広がっている。……王宮だけではない。アル・グレアはその地下部分に広大な迷宮を持つ都市だ」
「迷宮、ですか?」
「ああ。複雑怪奇に迷路化している。伝承によれば、時々その迷路が組み変わるらしい」
「……どうやってですか?」
「あくまでも伝承に過ぎない。まだ、確認できていないからな」
残念そうに言う。
(本当に学問がお好きなんだ)
学者になりたかったのだと何度も言っていたし、他の人たちも言っていた。
(そういえば、あの図書館はどこにあるんだろう……)
「……どうした?」
「いえ。……前に亡くなられた陛下と一緒に歩いた地下通路を思い出したんです」
「王太子宮付の聖堂から地下通路を通って、どこかわからない図書館へ、だったな?」
「はい」
私はキョロキョロと周囲を見回す。見覚えのある何かがないかと思ったけれど、正直、通路なんてどこも同じで特徴なんてあるはずもない。
「私はたぶん一番地下に詳しい人間だという自負があるが、残念ながらその図書館に心当たりがない。地下は迷宮化しているも同然だから、すべて知っているわけではないしな」
少し残念そうな表情だった。
図書館というのは知識の宝庫だ。新しい図書館を一つ手に入れるのは一国を手に入れるのと同じ価値があるとも言われているし、殿下のように知識欲旺盛な人はとても興味深いのだろう。
「いつか、一緒に探しに行きましょう。おやつとお昼をもって」
「……そうだな。確かぴくにっく、だったな?」
「そうです。ピクニックです」
お互いに笑みを浮かべ合う。
(なんか、こういうのいいと思う……)
温かくて、ぬくぬくしていて、くすぐったい気持ちに満たされていた。
「ナディル様」
静かな声に呼ばれた。
声の方向に視線をやると数人の男の人がいた。
全員が白衣を着ている。
(……『学者』だ……)
「ナディル殿下、こんな時間においでになるとはおめずらしい」
年のころは五十を幾つか過ぎたくらい。左にモノクルをかけたダンディなおじさま然とした風貌の人がにこやかな笑みを向ける。
「ああ。今日は時間に余裕があったからな」
「そんなことおっしゃって、またすぐに呼び出されるんじゃないんですか?」
「まあ、その可能性はあるな」
よく知っている相手なのだろう。気安く軽口をたたき合う。
「殿下、腕の中の御方をご紹介していただけませんか?」
「……不本意なのだがな」
殿下は溜息を一つつく。
(確か、前の……ディハ伯爵の時も同じことを言っていた)
「愛らしい妃殿下を俺たちに紹介するのはそんなに不本意ですか?」
「ああ、不本意だとも」
(え?)
殿下は真顔だった。
(え? 何? 不本意ってそういう意味?)
「……本当は外にはださずに、閉じ込めておきたいのだ」
殿下はぎゅっと私を抱きしめる腕に力をこめる。
「……え? ええ?」
「ナディル様は、相変わらずお好きなモノへの執着が強いですな」
「……心惹かれるようなものがさほどないからな」
「そりゃあ、仕方ありませんな。ナディル様は好き嫌いが多すぎます」
そして彼らはにやにや笑いながら顔を見合わせ、それから、私の方を見る。
ナディル殿下は彼らを見渡し、それから私を見て溜息を一つつくと紹介してくれた。
「……ルティア、彼らはこの王宮の発掘調査を担当している学者たちだ」
「発掘調査……ネイの建築のですか?」
「ああ。……そして、喜べお前たち。彼女こそが私の唯一の妃にして、当代の『鍵の姫』だ」
おおーっと彼らの口から歓声がもれる。
「……妃殿下」
学者の内の一人が私の目の前で膝をつく。
「はい?」
「お暇な時でかまいません。どうぞ、わたくし共にお力添えをいただきたく存じます」
「……力添え、ですか?」
「はい」
「いったい何を? 私は何もできないです」
「実験にお付き合いいただくだけでいいのです」
「……実験?」
「はい」
首を傾げる私に、彼らは力強くうなづく。
(何か、ちょっと怖いかも……)
実験という単語に含まれるどこか不穏な響きに、ナディル様に問うような視線を向けてしまう。
「おまえたち、ルティアが実験に付き合うのは、私が共にいる時だけだ」
「そんな殺生な」
「ナディル様は実験の時間などほとんどとれないでしょうに」
口々に皆が文句を言う。
「馬鹿者。お前たちのような気狂い学者に大切な妃を任せるなど、正気の人間のすることではない」
そういって、ぎゅうっと私を抱きしめる。
そこには色めいたものは何もなかった。ただ、大事なぬいぐるみを抱きしめるだとか、あるいは抱き枕を抱きしめるだとか、そういう類の執着のような何かがあった。
「妃殿下、我々はいつでもお待ちしております」
「どうぞ、いつでもご自由においでください────ナディル殿下なしでも」
「ありがとうございます」
殿下が何だか苦虫をつぶしたような顔をしている。
その顔がおかしくて、私は小さく笑ってこっそりと殿下の耳元でつぶやいた。
「……大丈夫ですよ。私、ここまで一人では来れませんから」
方向音痴なんです、という私の言葉に、殿下はくすくすとおかしげに……でも、どこか満足げに笑った。




