14 騒動【後編】
「え?」
ハラリと数本の髪が落ちる。
「ひっ……」
目の前を通り過ぎたのは、鋭い刃だった。
「……これ以上、近づくな、無礼者」
それは、さきほど紹介されたばかりのディハ伯爵だった。
一見穏やかそうに見える殿下と違って明らかに激怒している。
「……クロードさま……」
大きく目を見開き、身を震わせるフェリシア嬢を一瞥したディハ伯爵は、流れるような動作で剣をおさめて膝をつく。
宮中で帯刀を許されている者はそれを抜くこともまた許されている。
ディハ伯爵がここで抜刀したことは特に問題とすることではないらしい。
「我が親族が申し訳ないことをいたしました、殿下」
伯爵は、深々と頭を下げる。
「……そうだな。サグリザの夜会が台無しになったな」
殿下はにこやかなままの口調だった。
御世のはじまりを告げるサグリザの鐘にちなんで、はじめてひらく夜会をサグリザの夜会と呼ぶのはとても古い言い回しだ。
(……確かにめちゃくちゃになりましたね)
特別な意味がある夜会だったわけではない。ただ、殿下がご自身の御名でひらく初めての夜会というだけだった。何事もなく終わればそれで成功だったのだけれども、これは控えめに言っても成功したとは言い難い状況だろう。
(ああ、でも、私の目的としてはわりと成功かも……)
この夜会での私のミッションは二つ。
一つはファーストダンスを成功させること。
そして、もう一つは内緒だけど、私と殿下の仲を見せつけること。
殿下との仲って何だよ、とか、そんな仲というほどのものがあるのか、とか言われるとちょっと苦しいけど、つまり、私と殿下は単なる政略結婚だけじゃない絆があるんだよっていうところを見せておきたかったのだ。
(諸事情というか、私の年齢的な事情で身体的な関係はないんだけど、でも、精神物理的にちゃんとそれなりに絆をはぐくんでいるんだから────主に胃袋を掴むという形で!)
いずれ来るだろう側妃志願者を牽制したいと思っていたのだ。
(この場で志願した人がいたのは、すごーく計算違いだったけど)
私たちのダンスが終わった後の拍手や歓声からすれば、 ダンスは大成功だったと思う。皆の反応もそれほど悪くなかったから、及第点はもらえるはず。
もう一つのほうは、ちょっとすぐに効果はわからないけれど、殿下が私をとても気遣ってくださっていることはここにいる皆が理解してくれただろう────この騒ぎの間中、殿下はずっと私を腕の中に囲っているのだから。
「妃殿下にも誠にお詫びのしようもなく……」
ディハ伯爵が苦笑いを見せ、深く頭を下げる。
「いいえ。以後、このような騒ぎがないことを願います」
首を横に振る。過分な謝罪は私には必要ない。
「どうして! どうして、わかって下さらないのです。私はナディル様をお慕い申し上げているのです」
悲嘆にくれる声音。
「黙れ。殿下の御名を許しなく口にするな」
「クロードさま!!」
フェリシア嬢は悲痛な表情で涙を浮かべていた。
「……私ほど美しければ殿下の御心もつかめるかもしれぬとお父様だっておっしゃったじゃないですか」
誰も味方をしてくれない、と令嬢は父親を振り返った。
ローデリア侯爵の顔色が蒼白を通り越して、青黒くなっていく。
大丈夫かな、呼吸できているかな。ちょっと心配してしまう。
(……あのね、それは親の欲目からのリップサービスだから。真に受けちゃだめだよ)
たぶん、彼女が口にしたことそのままではないにせよ、それに近いことを侯爵は口にしたのだろう。
でもきっとそれは、別に彼女を扇動するつもりではなかったのだ。
侯爵にとって、フェリシア嬢はそれくらい可愛い娘だったのだろうし、男手一つで育てたと言うのなら、多少、親ばかが過ぎても仕方がないといえる。
「……皆も私ならば殿下も気に入ってくださると! 妃殿下よりもずっと私の方が似合いだと!!」
令嬢はぐるりと周囲を見回す。何人かが目を逸らした。
たぶん、侯爵の友人や部下や、家に仕える人たちならば、問われたら賛同しただろう。
もしかしたら、親しい者たちだけの宴席での軽口だったのかもしれない。
フェリシア嬢は確かに美しいし、年齢的に私よりもずっと釣り合いがとれている。
うんざりだというように、ナディル様が長い長いため息をついた。
そして、殿下の手がそっと私の耳を覆う。
「……殿下」
「これ以上は聞かずと良い。ローデリア侯爵令嬢は、少し正気を失っているのだろう」
「私は大丈夫です」
好んで聞きたいものではないけれど、別に彼女に何を言われても気にはならない。
(でも、ちょっともう限界です)
精神的にも。肉体的にも。
だから、私は口を開いた。
「……ローデリア侯爵令嬢」
「……はい」
急に私に声をかけられて、フェリシア嬢はほんの一瞬、虚をつかれたような表情をした。そしてすぐにそんな自分の表情を隠すように俯いた。
「……殿下にお仕えしたいと言いましたが、あなたは何ができますか?」
「え?」
思わず……という様子で顔をあげる。
「私は、微力ではありますが、殿下の健康を保つための一助を担わせていただいております」
とってもえらそうに言っているけど、殿下の食生活に関して皆の協力を得ながら改善を進めている立場ってことだよ。
放っておくと殿下は際限なく不摂生するから、バランスの取れた食事は大事。最近はあの手この手で野菜を食べさせる人みたいになってるけど、殿下がおいしくご飯を完食してくれればそれでいい。
「殿下にお仕えする者は皆、優秀な人たちばかりです。秘書や執政官はもちろんのこと、女官や侍女も選び抜かれています。貴女は、彼らをさしおいて殿下のお役に立てる特技がおありですか?」
「……わ、私は殿下の御心に安らぎをさしあげることが……」
「殿下の御心は、殿下にしかわからぬものです。それを勝手に推し量るのはどうかと思いますけど」
どうでしょう? と私はナディル殿下を見上げる。
殿下は呆れた顔で首を横に振った。
「そ、それに、私は妃殿下と違い、もう成人しております。妃殿下にはできぬ方法で殿下のお望みをかなえることもできます」
あー、それはつまり閨のお相手ができますっていうことだよね。
「必要ない」
殿下は一刀両断した。
「どうしてですか!」
「私にはちゃんと妃がいるのだし、公妾を必要としたこともない」
そして、ナディル様は真顔で続けた。
「安らぎというのならばルティアがいる。……これ以上、何を必要とするのだ?」
(!!!!!!!!!!)
そっけない口調なのに、おっしゃっていることがとても甘い。
(殿下の馬鹿、殿下のばか、殿下のバカ! こんなの不意うちすぎます!)
心がどうしようもなく震える。
きっと殿下は特別に意識したわけではないのに。
「……クロード」
「はい」
「……身内の事ゆえ、処分はそなたに一任する。二度とこのようなことがないように」
「かしこまりました」
目の前で淡々と処分が決められてゆくのを、私は何だか現実感のないふわふわした気分で眺めていた。
「王太子殿下、私は心の底から殿下をお慕いしているのです」
猶も涙ながらに訴える令嬢に、ナディル殿下は何の感情も浮かばない無表情を向けて口を開きかけたが、ディハ伯爵がぴしゃりとそれを遮った。
「……だから、何なのだ? 殿下にそなたの一方的な感情を押し付けるな」
身内だからなのか、ディハ伯爵の口調は容赦がない。
(……あと、ちょっと頑張ろう)
ふっと意識が遠のきそうになるのを、意地と根性で引き戻す。
「……ルティア、もうよい」
ふわりと抱き上げられた。
「でも……」
「無理をさせてすまない」
耳元で囁かれる、声。
頑張ってとどめようとしたけれど、殿下にもう良いと言われてほっとしたせいか、私の意識はそのままホワイトアウトした。




