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13 騒動【前編】



「……王太子殿下。このグラーシェス、お召しと伺い参上いたしました」

 

 殿下の前で、黒地に金の装飾の施された夜会服の公爵が胸の前に右手をあてて深く腰を折る。教本になりそうな美しい礼だった。

 ナディル殿下は私をそっとご自分の腕の中へと抱き込んだ。

真っ白になってしまった髪もひげも、かつてはナディル殿下のような美しい銀色をしていたという。美貌で有名だったらしい若い頃の面影は、常に険しい表情の陰に隠れてしまっているように思える。

(見た目は最高に恰好良いおじいちゃんだよね。……ものすごく頑固そうだけど) 


「……公爵、私と妃は退出するところだったのだが、そなたの妃が私に用があるといって私たちを遮ったのだ」


 殿下の口調はとても明るかったが、公爵の表情は曇った。


「……しかも、本当は用があるのはそなたの妃ではなく、そこの娘だそうだ」


 公爵はエレーヌ妃を見、エレーヌ妃はふわりと小さな笑みを見せた。

(……何だろう。何か、ひっかかるんだよね)

 お二人をみるたびに、何か小さな違和感を感じる。

 公爵は、じろりと令嬢の方を見やった。

 その視線に、令嬢はびくりと身体を震わせる。

 それを、ふん、と嘲笑するような表情で切り捨てた公爵は口を開いた。


「……王太子殿下」

「何だ」

「このグラーシェスへの温情を持ちまして、どうかこの娘の話を聞いてやっていただけますでしょうか」

「……正気か?」


 殿下が驚いた表情を見せる。


「はい」


 グラーシェス公爵は恭しく頭を下げた。


「……わかった。では、それの話を聞くことをそなたの功への礼とする」


 殿下は小さな溜息をつき、そして、私の耳元に「すまぬ。すぐに済ませる」と囁いた。私は大丈夫です、というように重ねている手を軽く握る。すべらかなはずの手袋が少しだけ湿っているような気がして、早く外したいとちらっと思った。


「ありがとうございます、大伯父様」


 語尾にハートマークがつきそうな甘い声音と喜色を隠せない笑顔で彼女は公爵に礼をのべ、殿下に向き直った。


「王太子殿下にお願いがあるのです」


 その言葉に空気がややざわめいた。

 令嬢の不作法に苦々しい顔をみせる者、何がはじまるのかと好奇心で顔を輝かせている者、さまざまな表情が見られるけれど、大半はうんざりしたような表情をしている。


「……まずは名乗りなさい」


 公爵が冷ややかに言う。


「え?」


 自分のことを知らぬはずがない、という顔だった。

 確かに令嬢ははっと目を引く美貌の持ち主だった。そのうえ、グラーシェス公爵を大伯父様と呼ぶような家柄に生まれているのだ。きっと、誰もが知るような名家のご令嬢なのだろう。

(すでに成人なさっているから、殿下と面識もあるのでしょうし……)

 花冠が済んだ貴族の令嬢は親に連れられて必ず一度謁見するのが決まりだ。

 そして、一度でも会えば、殿下の記憶力ならば忘れることはない。

 不自然にならぬように私たちを取り囲んでいる人垣の間で、フェリシアという名が呟かれているとことをみると、それが令嬢の名なのだろう。私が知らないのはこれが私にとって初めての夜会だからだ。


「まずは名を名乗れ」


 わずかに苛立ちが入り混じる公爵の口調はさっきよりも更に冷ややかで、令嬢は文句の口を封じられてあわてて名乗った。

「わ、私は、ローデリア侯爵アロンドが三女フェリシア・ユディエールと申します。王太子殿下にお願いの儀があり、この場を設けていただきました」


 別に設けてないだろ、と誰かの揶揄した言葉が聞こえる。

(……ローデリア侯爵家は、グラーシェス公爵家の親族の中でも結構有力な家だ)

 元々は、七代目グラーシェス公爵の妾腹の子であった剣豪将軍バルティスがその武勲ゆえに爵位を賜り、別家したのが侯爵家のはじまりだ。以降、グラーシェス公爵家と代々婚姻を重ねている。アリエノール王女が嫁がなければ、おそらくディハ伯爵の花嫁はローデリア侯爵家から選ばれていたはずだ。


「随分と不作法をするのだな」

「申し訳ございません」


 殿下の表情はにこやかだ。だから、令嬢は咎められているとは思わなかったのかもしれない。言葉では謝罪をしながらも、殿下に笑顔を向けた。


「……それで、何を願い出るためにこのような騒ぎを起こしたのだ?」

「騒ぎを起こすつもりはございませんでした。ただ、私の想いをどうしても王太子殿下にお伝えしたかったのです」


 フェリシア嬢はそっと胸の前に手を組み、目を潤ませる。

(……あれ、本気でやっているんだろうか?)

 何だろう。すごくムズムズする。

 わざとだよね? 本気じゃないよね?

 いや、だって、あまりにもわざとらしいっていうか、すごく演技っぽいよ。何か力入りすぎというか、自分に酔いすぎている気がする。

 潤んだ瞳で殿下を見上げ、お言葉を待っている様子は何だか作り物めいている。

 ナディル殿下は小さな溜息を一つついて言った。


「……………では、その想いとやらを述べるが良い」


 オズワルドが忠義に免じてしばし耳を貸してやろう、との言葉に、令嬢は綺麗な紫の目をぱちぱちとさせた。

(たぶん、何か違うって思ってるんだよね)

 フェリシア嬢は確かに美しい人だ。

 そのほっそりとしていながらしっかりと胸がある身体つきは、同性でも見惚れるほど。

(……ナディの従妹姫とはちょっと違うタイプの美女だな)

 昼餐会で会ったレナーテ嬢も美しかったが、フェリシア嬢のような線の細さはない。


「……殿下、私はずっと殿下をお慕いしてきました。それゆえ、これまであった縁談もすべて断わってまいりました。妃殿下では、足りぬこともいろいろございましょう。……どうぞ、殿下のおそばでお仕えさせてくださいませ」


 言いながら、フェリシア嬢は俯いた。

そういうしぐさが、健気に見えることを知りぬいているのだと思う。私にはまったくそんな風に見えなかったけれど。

(……どうしよう、腹がたってきた……)

 私では足りないことがあるのはわかっているので、それについて腹が立ったわけではない。

 正直なところを言えば、無関係の貴女に言われる筋合いはないからね! と言いたいところだけど、私はおとなしい王太子妃の印象を崩したくないので口を噤んでおく。

 慕ってきたということを嘘だとは言わない。殿下を慕う令嬢なんて珍しくない。そこに打算があったとしても、王太子という地位に目がくらんでいたとしても、それも仕方がない。そういうの全部ひっくるめて『慕っている』のだとしてもかまわない。

 でも……でも、これまで縁談を断ってきた理由が殿下なのだと言ったことだけは許せない。

(けど、縁談断ったのなんか、ただの自分のわがままでしょう)

 フェリシア嬢は、たぶん二十歳を越えている。

 それでもまだ未婚なのだとしたら、何らかの問題があったのだと思う。

(本当にナディル殿下が好きで、それで縁談を断ってきたのだとして、それを殿下に押し付けるのはおかしいから!)

 そういう気持ちの押し売りみたいなのはすごく腹立たしい。


「……ローデリア」


 殿下が笑みを浮かべて、令嬢の父親であるローデリア侯爵を呼んだ。


「……は、はい」


 遠巻きにしていた人垣の間から、転がり出るように出て来た前髪の薄い中年男性が、酷い顔色で殿下と私の前に膝まづく。


「そなたの娘が申すには、そなたの娘がこれまで縁談を断ってきたのは私のせいらしいが、そうなのか?」

「と、とんでもございません。申し訳ございません、王太子殿下。娘は分不相応な夢を見ているだけでございます。無骨な男手一つで育てたせいで行き届かず、まことに、まことに申し訳ございません」


 侯爵は、侯爵という高い地位にあるとは思えぬ腰の低い態度で何度も何度も頭を下げる。

 このような衆人環視の中でそんな姿を見せることは、貴族でなくとも屈辱と感じることに違いない。

(でも、それどころじゃないんだろうな……)

 令嬢にどれだけの御咎めがあるかはわからない。そしてこれは、間違いなく監督不行き届きを咎められる出来事だ。


「お父様、どうして! 私は殿下のお傍にお仕えしたいのです」

「黙りなさい、フェリシア。そなたは何たる不作法を!」

「確かに不作法ではありましたが、直接お伝えしなければ、殿下は私の想いを知ってくださいません」


(……何だろう、この世界が違うって感じ)

 ジェネレーションギャップとかそんな生易しいものじゃなくて、もっと相いれないというか、わけがわからない感じがある。


「お父様は何度申し上げてもわかってくださいません! 私が自分で伝えるしかないじゃないですか!」

「そなたは、殿下にお仕えできるような者ではないっ」


 悲鳴のような声音で侯爵が言った。


「ひどい、お父様」


 令嬢は自身を抱きしめるように身を縮めて、私たちの方に身を寄せようとした。



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