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10 ファースト・ダンス

 緩やかな弦の音が、耳になじんだメロディを小さく奏でていた。


(『ランドルリーチェ』)


 元々はエルゼヴェルト地方の民族舞踊の曲で、その後、歌劇『花の女王』の主題曲となって誰もが知る人気曲となり、円舞曲に編曲されて今では夜会で必ず何度か演奏される定番曲になった。

 この曲が夜会で一晩のうちに何度も演奏されるほど人気があるのは、『春の女王』が今も人気の歌劇であること、それから、曲が短くて踊りやすいせいだろう。


(……まだ、もうちょっと準備中かな)


 フルオーケストラがそろうと絢爛絢爛と花が咲き誇る様を思わせる堂々たるメロディになるのに、まだ弦が数本しか参加していない今は、どこか物悲しく聞こえる。


(あと、三分くらいかな……) 


 頭の中で、流れるメロディに合わせながらステップの最終チェックをする。

 この夜会での目標は、とりあえずファーストダンスを滞りなく終わらせることだ。 


(そもそも、私と殿下の身長差でダンスしようというのが、無理があるんだけど!)


 頭二つ分くらい違う身長差ではホールドするだけでも一苦労だ。

 だから、今日この日のためにたくさんの準備をした。

もちろん練習もしたし、武器も準備した。


(私にとって、ここは戦場だ)


 初めての夜会。

 そして、ほとんど初めての社交の場。

 もう緊張はしていないけれど、少しだけ気は重い。

 

(……できる限り美しく在ること。そして、殿下の隣に立つこと)


 自分に言い聞かせる。それが、王太子妃である私の大切な役目だ。

 うっすらと施したメイクも、艶やかな真珠を編み込んだ新しい髪型も、それだけで一財産になりそうなガウンもそのための武器で……そして、今の私にとっての最大の武器はこの小さな足を包む靴だった。

 ガウンと同布で作られた高さ十二センチのハイヒールは、見た目は大変エレガントな代物だ。もちろん、熟練の職人によって丁寧に作られたオーダーメイドである。


(このかかとで絨毯に穴が開けられそうなピンヒールは秘密兵器なんだから!!)


 光沢のある深みのある濃紺のシルクタフタにいろいろな青の色合いのロゼフィニアがグラデーションで刺繍がされている靴は、ぱっと見は花束のようにも見える。地に刺繍しただけではなく刺繍素材を使った造花で飾られ、素材がよくわからないけれど白い踵部分にも刺繍と同じくらいの繊細さでロゼフィニアが彫刻されている。


 ロゼフィニアというのは、七枚の花弁を持つダーディニアの国花だ。

 夜色を基本にさまざまな青の色合いのカラーバリエーションを持つ花で、王族の紋章のモチーフに必ず使われ、大学の校章にも使われている。

 大学の学徒の校章をのぞけば、ロゼフィニアで身を飾ることができるのは王族だけと決められている。そういう特別な花のモチーフで私の身を飾らせるあたり、ナディル殿下には何か思惑があるのだろう。


(靴下もガウンもこの花だし……)


 ほとんどストッキングのような薄手の靴下は、靴と同じ刺繍職人の手による刺繍の施されたもの。夜色のガウンはやはり同じようにロゼフィニアがモチーフだ。すべて一式、ナディル殿下がプレゼントしてくれたものである。


(殿下の贈り物ってものすごく素敵なんだけど、お値段が凄そうなんだよね……)


 しかも、公式の場で一度着たドレスを再度公式行事に着ていくことはできない。


(もしかして、私、ものすごく貢がせてるのでは?)


 え? これも、餌付けが成功しているおかげと考えるべきなんだろうか?

 ほどほどでいいのだけれど、どのあたりまでがほどほどなのかがわからないのが悩みどころだ。


 ランドルリーチェのどこかもの哀しくも聞こえるメロディは、演奏する楽器が増えていくごとに次第に厚みを増していく。


(あ、金管が加わった)


 少しづつ参加楽器が増えてフルオーケストラがそろったところで、最初のダンスははじまる。


(……そろそろかな)


「準備はいいか?」


 こっそりと小声で問われる。


「はい」


 私はうなづいて、それから自分の足をみる。

 この年齢でこんなハイヒールを履くなんて、足に良くないことはわかっている。わかっていても、そうしなければいけないことはある。

(これは、乙女の意地なんだよ)

クッションになるような中敷きやら何やらで、この上なく足にぴったりとフィットしていても、やはりハイヒールはハイヒールだ。

(つまり、軽く拷問的というか……まあ、負担ではあるよね)


ハイヒールは履きこなすのに努力がいる靴だ。訓練がいると言い換えてもいい。

(最初は、ただ立つことさえ大変だった……)

 美しい立ち姿をキープできるようになるのに二週間。それから、リリアの及第点に達する歩き方ができるようになるまでそこからプラス三か月がかかっている。

(それから、本番と同じデザインの正式なガウンを着て、この靴で歩くのも大変だった)


 普段着と正式なガウンの一番の違いはスカート丈だ。花冠前の私に許されるのは最も長くてミモレ丈とロング丈のちょうど真ん中くらい。普段着はだいたいミモレ丈なのだけれど、正式なガウンは最大限の長さで作っている。

(今回は、ペチコートのレースをのぞかせているからさらにちょっと長いかな)


 成人女性のくるぶしがちょうど隠れる丈ではハイヒールの意味がまったくないけれど、今のこの丈は、ハイヒールの足をとても魅力的にみせてくれる。注意しなければいけないのは、ダンスの時にステップを間違ったらすぐわかってしまうということ。

 すべての楽器の音が揃うと、ナディル殿下が立ち上がった。


「……踊っていただけますか?」


 ナディル殿下が、私の前に膝まづいて手を伸べる。


「よろこんで」


 私はそっとその手に己の手を重ねる。

 お互いわかっていても同じ問答を繰り返す。様式美だ。

(……せめて、あと十……いや、二十センチは欲しいな……)

 これだけ頑張っても、そっと背に回された手の位置はかなり上の方だ。気を抜けば、すぐに足は宙に浮いてしまう。

(……うん。できる)

 目をつむって、深呼吸を一つ。

 それから、まっすぐと殿下を見上げた。殿下の眼差しが、私を案じる色を宿している。

 私は大丈夫だというように小さくうなづいた。

(視線が痛い……)

 もちろん、殿下に対しても熱い視線が注がれているけれど、この場で最も視線を集めているのは私だ。

(公式の場に出るのはほとんど初めてだからなぁ……)

 金管が澄んだ高音を響かせ、それに合わせて足を滑らせる。

 殿下はつないだ手を上にあげ、クルリと私を回転させた。

(足元は見ない)

 どんなにステップが危うかろうとも下を見る必要はない。

(殿下にお任せすればちゃんとリードしてくださるもの)

 クルクルと回りながらフロアを一周する。 


 私はできうる限りの優雅さでもって一緒に回りながら、柔らかな笑顔を振りまいた。


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