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6 昼餐会【前編】

 儀礼官が、昼餐会の行われる小ホールの扉を開けた瞬間、室内にいた人達の視線が私たちに突き刺さるように集中した。


(……わぁ……)


 私は心の中でだけ声をもらす。

 これは別に歓声をあげたわけではない。むしろ、逆だ。


(ものすごく注目されてる……気持ちはわからないでもないけど)


 探るような……あるいは、試すような眼差し──『私』を見定めようとする人々。


(何かもう、しょっぱなからクライマックスみたいな感があるよ)


 向けられた視線にこめられているものを考えると、思わずため息をこぼしたくなる。


(敵意というほど鋭いものではないけれど……)


 でも、決して優しくはない何かを裏に潜ませている。

 このまま放り投げてしまいたいと思いながらも、私は絶対にそれをしない────できるはずがない。


(私はアルティリエ=ルティアーヌなのだから)


 麻耶であり、アルティリエである『私』。

 私の中の失われたアルティリエの為にも、私はしっかりと立たなければならない。。


(私は、もう決めたのだから)


 ここでナディル殿下と共に生きること。

 そして、殿下の隣に立つことを。

 ナディル殿下が即位すれば、私は王妃になる。私は己の意思に関わらず、国政に影響を及ぼす立場になるのだ。


(しかも、唯一の『エルゼヴェルト』だ)


 公にはできない理由により、表面に見えている以上に私はこの国の重要人物だったりする。

 この昼餐に招かれている四公はそれを知っているはずだから、余計に視線が鋭いのだろう。

 ナディル殿下は、四公については私の守護者なのだから心配する必要はないのだとおっしゃったけれど、イコールそれが無条件で私の味方であるという意味ではないと思う。


(……義務と意思との間には、大きな溝があるものだもの)


 ナディル殿下の時と一緒だ。義務にせよる責任感からだけではなく、自由意志による積極性を持ってもらうことこそが、私にとってよりよい環境を作る手助けとなる。

 この世界で生きると決めたからには、より過ごしやすい環境を手に入れることが大切だと思うのだ。


「……ルティア?」


 殿下が私の名を呼ぶ。

 柔らかなその響きに、少し臆しかけた心がしゃんとした。

 私は殿下に何でもないのだというように小さく笑ってみせる。


(大丈夫)


 己に言い聞かせる。

 だって、私の隣には殿下がいるのだ。

 私の絶対の味方だと信じられる殿下が。

 だとすれば、視線が多少鋭いことなど気にする必要などない。


(難しく考える必要なんてない)


 公務デビューを成功させようとか、皆に好印象を持ってもらおうとか、そういうのはとりあえず後回しでいい。

 大事なことは一つ。と、私は心の中で自分に言い聞かせる。


(今日の最大の目標は、殿下に昼餐をおいしく食べてもらうこと!)


 殿下には、昼餐でしっかりと食事をとってもらう。それができれば、後のことはおまけでいい。


(二兎を追ったら失敗するもの)


 ナディル殿下の首席秘書官であるラーダ子爵は、いつもボヤく。

 殿下は公務の席ではほとんど召し上がらないのだと。

 だいたいの場合、公務の終わった後に書類を見ながらいつもの携帯糧食を口にするのがお定まりのコース。せめて、多少なりとも栄養になりそうなものを口にしてほしいと言う。


(携帯糧食は、栄養バランスは結構いいんだけどね)


 そして、正宮総料理長もよくボヤく。

 正宮の総料理長は、リドリー=レヴェ=エルランスという。騎士爵の血筋である郷士の一族に生まれたという彼は、正宮の料理長となったときに、一代爵位である『準騎士』を授かった。

 仲良くなってからわかったのだけれど、見た目の厳つさに反して中身は好々爺なおじいちゃんだ。

 元々は亡くなられた陛下の料理長の下で働いていた料理人の一人で、本来なら総料理長になどなれる身分ではないのだという。

 アル殿下とはまた別の意味でナディル殿下の料理人は長続きしないらしい。


(それはわりと納得できる)


 何しろ、殿下はこれまで食べることをあまりにもないがしろにしてきている。

 リドリーがこれまで続けてこられたのは、辞めなかったから……諦めが悪かったからなのだそうだ。

 料理人として、主が己の料理よりも携帯糧食を好んで食べるというのは、屈辱だ。

 いや、ナディル殿下の場合は諦めが先に立ち、屈辱を通り越して泣けてくるのだとリドリーは言った。

 彼と私が仲が良くなったのは、殿下の食事事情を改善しよう同盟の仲間になったからだ。

 リドリーは二言目にはいつも言う。

 せめて携帯糧食じゃないものを口にしてもらいたい、たとえ自分の料理ではなくとも、と。

 王宮にいる人間は、あまり素直に本心を言葉にしない。だから、そういう中で彼の言葉はとっても素直に心に響く。

 飾ることなく、誤解を恐れることなく言葉にできる彼はすごいと思う。

 でも、更にリドリーをすごいと思えるのは、私のような小娘に教えを乞うことができるところ。


(……普通はできないよ)


 だって、リドリーは私が生まれるずっとずっと前から料理人だったのだ。宮廷料理人と呼ばれる身であれば腕に覚えもあるだろう。

 そんな人が、私のような子供に素直に教えを乞うなんて、なかなかできることじゃない。

 しかも、私は子供であるばかりか、料理人ですらないのに。

 

(結局は、私も彼も同じところに行き着くから……)


 だから、私たちはお互いを認めることができた。




 食事というのは、ただ『食べる』だけのことではない。

 殿下は、もうそれを知っている。

 この間、フィルに教えてもらった ──── 私との朝食やお茶の時間は、殿下にとってもう特別な時間になっているのだと


(『ぜーったい、あいつは言わないけど、あれで姫さんととる食事を楽しみにしてるんだぜ』って、言ってた……)


 もちろん、一緒にいて楽しんでくれているのはわかる。

 でも、そうやって第三者から教えてもらうとまた違った嬉しさがあるものだ。

 私だけの独りよがりではないんだと証明されたような気がするから。


 だから、彼らにもちゃんと知ってもらいたかった。

 ラーダ子爵も料理長もボヤくけれど、二人がやっていることは何も役立っていないわけではない。


(だから、二人にも協力してもらった)


 ラーダ子爵からは殿下の最近の体調などを教えてもらって、それをもとにして私は昼餐のメニューを組み立てた。

 おいしく食べるのには、体調が整っていることが一番大事!

 いくつかは当日の様子で、味付けやメニュー自体を変更するようにも言ってある。


(今日の昼餐は、一味違うのだ)


 ラーダ子爵からの情報をもとにして、私と王宮料理長が二人三脚でつくりあげた。

 メニューづくりも、素材選びも随分とこだわったのだ。


(予算なしってすごいよね……)


 私の公務デビューにあたって、殿下は万事不都合のないよう。そして、予算を惜しまぬようにと言ったという。

 王宮の公式の昼餐だから私が直接作ることはできなかったけれど、それでもだいぶ我儘を聞いてもらった。


(料理長の腕は確かだし、デザートはうちの子たちが仕上げに行っている……)


 最初は覚束ない手つきだったアリス達も、今はもうすっかり手慣れたもので、新しい侍女たちの指導役になっているほどだ。

 そして、昼餐の最後を〆るデザートを任せられるのは、やっぱり彼女たちだった。

 デザートの良いところは、選んだメニューにもよるけれど、すべてをその場で出来立てを提供する必要がないこと。

 今回はメインが林檎と胡桃をいれたベイクドのチーズケーキで、すでに昨日のうちに焼き上げてある。

 アリス達には昨日、本番と同じ盛り付けをしてみせたので、慣れている彼女たちならばきっと完璧に仕上げてくれるだろう。


(別にそれほど珍しいものをだすわけじゃない)


 こういう席で奇をてらったものは必要ない。

 昼餐だから華やかさは必要だろうけれど、それは盛り付けや器の選択でどうとでもなるものだ。


(日頃食べなれているものが一番!)


 とはいえ、殿下が一番食べなれているのは携帯糧食なので、それはのぞく。


(細工は流々、あとは仕上げを御覧じろってやつだわ)


 打つべき手はすべて打った。

 あとは結果を待つだけだ。



 儀礼官が私たちの到着を告げ終わると……これ、ちょっとした決まり事で、私たちのフルネームを呼び上げることになっている……室内ににいた全員が立ち上がった。


「……ルティア」


 ナディル殿下が小声で名を呼び、私の顔をのぞきこむようにして目を合わせる。


「はい」


 私は大丈夫ですよという意味をこめてにこやかに笑むと、殿下の瞳が和らいだ。


(うん。大丈夫)


 あんまり緊張はしていなかった。

 今日の最大の目標を思い出してしまえば、緊張なんかする必要がない。

 そして、殿下が醸し出す穏やかさに反し、室内の空気がひどく緊張を孕んでいることに気づく。


(……何だろう?別に私にだけっていうわけじゃないみたいだけれど……)


 私に対する視線だけではない気がする。

 なんかこう目に見えない火花があっちこっちで飛び散っているような……。

 とはいえ、ここにいるのはダーディニアを代表する大貴族のそれも当主夫妻のみだ。表面上は大変に穏やかで静かな空気が流れていて、どこか優雅な気配すら漂わせている。


(……なのに、みんな眼光鋭すぎるんだよね)


 油断していないというか、互いに隙を伺っているというか……優雅な空気の裏には、ピリピリとした緊張感がある。

 私はそれを気にしないようにして殿下のひいてくれた椅子に座った。

 そして、殿下が自分の席に着くと、全員が着座した。

 儀礼官が独特の抑揚のある節回しで昼餐会の開始を告げる。

 そうしたら、どこで合図をしたのかわからなかったけれど、音楽が始まった。


(生オケなんだよ、この音楽)


 仕切られているせいで私たちからはまったく見えないけれど、この小ホールの舞台にあたる部分で楽団の人たちが演奏している。レコードとかそれに類するもののないこの世界では、音楽を聴こうと思ったら生演奏を聴くしかないのだ。

 ムジーカという巨大なオルゴールみたいな自動演奏機もあるのだけれど、その機械も奏者が必要だし、そもそもがこのホールはムジーカが備えられていない。

 王宮で演奏するだけあって生オケの人たちの腕は確かで、私は半分だけ耳を傾ける。


(あ、これ、陛下がお好きだった、『ウェルディアーナ』だ)


 歌劇『ウェルディアーナ』の主題となるメロディは、高音の澄んだ金管楽器の音色からはじまるのが特徴的だ。

 緩やかなメロディは食事の邪魔にならない程度の音量で、場の空気を柔らかなものにしてくれていた。


(歌劇の内容自体は、まったくもってドロドロ愛憎劇なんだけど)


 なのに、奏でられる音楽は軽やかで明るい。

 音楽が軽やかだからこそ、物語の登場人物たちの愛憎劇がより際立つのかもしれない。


「ルティア」

「はい」

「エルゼヴェルトはいいとして、他の者たちを紹介しよう」


 相変わらず殿下はエルゼヴェルト公爵に厳しい。

 私に一番近い席についているエルゼヴェルト公爵が軽く目礼するのに、私はうなづきを返した。


「そして、フェルディス公爵夫妻」

「妃殿下にお目にかかれましたこと、恐悦至極にございます」

「お目にかかれて光栄でございます」


 エルゼヴェルト公爵の隣に座る燃えるような金の髪の偉丈夫が軽く頭を下げ、傍らのほっそりとした公爵妃もそれに合わせて一礼した。

 私は、その挨拶を受けたという証にこくりとうなづく。


「それから、その隣がアルハン公爵とご息女だ」

「妃殿下にお目にかかれましたこと、まことに喜ばしく思います」

「お会いできるのを楽しみにしておりました」


 若すぎる奥様なのかと思っていたら、娘さんだった。

 確か、アルハン公爵の奥様はすでに亡くなられている。

 後妻でモメているという話をちらりと耳にしたことがある。

 私は二人に軽く目礼した。

 親子というにはあまり似ていないが、もしかしたら娘さんはお母さま似なのかもしれない。

 この令嬢は確か、ナディにとって従妹になるはずだ。


「それから、そちらがグラーシェス公爵夫妻だ」

「妃殿下におかれましては、ご無事のご成長何よりにございます」

「今度、我が家にぜひいらしてくださいませ。エフィニア様のお好きだった自動演奏機がございますの」


 謹厳そうな老人はにこりともしないで私を寿いでくれたが、奥方のほうはあふれんばかりの笑みを浮かべて言った。

 私は老人にうなづき、殿下の方を見る。私の予定は私が決められるものではない。


「ディス・グラーシェス、アルティリエはまだ王宮から出さぬ。建国祭が済むまでは」


 空気がやや緊張の色を増した。


「かしこまりました。おいでいただくのを、楽しみにしておりますわ」


 緊迫した空気を知ってか知らずか、公爵妃はにこやかに笑う。

 品の良い優し気な老婦人だ。

 信心深く、奉仕活動に熱心だと聞く。

 優しげに見えるし、とてもやさしい方なのだとお聞きするけれど、本当に優しいかはわからない。


(とはいえ、本当の優しさが何かなんて、私にもわからないんだけどね)


 エルゼヴェルト公爵以外の三公爵が女性を伴っている。

 ダーディニアにおいて、正式な社交というのは夫婦単位で行われるものなのだ。


(ナディル殿下は、これまでは常に一人参加だったんだよね)


 仕方のないこととはいえ、そのことが心苦しく、同時に口惜しい。


(これからは、できるだけ一緒に参加するのです)


 私は決意をこめてぐっと拳を握り締める。

 殿下がこれまでお一人様参加だったのは、正式な妻である私がまだ花冠前であまりにも幼かったからだ。

 

(エルゼヴェルト公爵は……まあ、連れて来られないよね)


 彼には、この席に連れてこられるパートナーがいない。

 王族……それも次期国王が主催する場に同伴できるのは『妻』か『子』。あるいは、『姉妹』だ。

 彼の妻は、正式に公爵夫人ではあるが、『妃』ではない。だから、この場に参加させるためには、王宮側への打診が必要になる。

 でも、たぶん、打診しても許可はおりないだろう。

 何よりも彼女が『夫人』になった事情……つまりは、彼の正式な『妃』であった、私の亡くなった母の事情があるから。


(そもそも、殿下の公爵に対する態度からして、かなり冷ややかなわけで……)


 お優しいと言われるナディル殿下が絶対的に塩対応する数少ない相手がエルゼヴェルト公爵なのだ。

 それは夫人に対してもあまり変わらないだろうというのがリリアの意見だ。

 というか、下手をしたら視界にいれない可能性もある、とフィルは言っていた。

 彼らのそのあたりの判断を、私は妥当なものだと思っている。 


「御久しゅうございます。妃殿下」


 改めて、というようにエルゼヴェルト公爵が頭を下げた。


「……一瞥以来ですね、こうしゃ……東公」


 公爵と呼びかけて、呼びなおした。

 ここにいるのは全員が公爵家の人々で、公爵だけでも四人いるから、呼び方には気を付けなければいけないだろう。


「はい」


 エルゼヴェルト公爵は口元に笑みを浮かべる。いつもの殿下とのやりとりの中で透け見える腹黒さが漂っていた。


(……これって、もしかしたらまずかったのかしら)


 皆が私たちのやりとりに軽く目を見開いたり何か物問いたげな表情をみせていることに気づいた。

 たぶん、今のほんの数言のやりとりで、私と公爵との間が近しくなっているのだとここにいた皆が判断しただろう。

 和解とまでは行かずとも、以前のようにまるっきりの没交渉というわけではないことは充分わかったはずだ。

 ナディル殿下が面白くなさそうにエルゼヴェルト公爵をジロリと睨んだが、公爵はそれを黙殺した。


(んー、でも無視はできないし……)


 王家との関係を修復しつつあるよ!アピールに使われたかもしれない、と思いつつも、私はそれを許容した。

 私のことになると途端にいろいろ過敏になる殿下については、あとでちゃんとお話ししておこう。


「それでは、はじめようか」


 ナディル殿下の不機嫌なその言葉で、波乱含みの昼餐会はスタートした。


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