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2 後宮の朝


 リリアに促されて、元の宮から持って来た鏡台の前に座る。

 運ばれてきた琺瑯びきの洗面ボウルにはちょうどよい温度のお湯がはられていて、そこにリリアが白いパウダーを振り入れる。

 成分はよく知らないけれど、これは保湿効果があるのだ。水がわずかにとろみを帯びて、手に取るとしっとりと馴染む。

 乳白色のぬるいお湯でぱちゃぱちゃと顔を洗う。汚れを洗い流すのと同時に保湿成分を馴染ませているイメージだ。

 ふわふわのタオルで水気をふき取ったらさらに化粧水を重ね、ぷるぷるになったところをクリームで仕上げる。


 そこまで終わったら、次は着替えだ。

 王太子妃宮では寝室の隣が身支度を整えるためのドレッシングルームがあり、洗顔などもそこでしていたのだけれど、後宮に引っ越してきてからは寝室としているこの室内で洗顔も含めて身支度を整えるようになった。


(王太子妃宮は動線がちゃんと考えられていたんだけど、ここはなぁ……)


 私が使うために寝台が運び入れられて寝室として使っているものの、この部屋は元々は寝室として使うことを想定されていない。

 元の寝室よりも倍以上広いから、寝室以外の用途で使っても全然かまわないけれど、何となく落ち着かない。

 でも、隣接している部屋はドレッシングルームとするにはとても狭く……日常使うための衣装を収納やさまざまな小物類を収納した上で身支度を整えるほどのスペースがないとリリアに判断された。

 今は完全にクロゼットルームとして使っている。

 私の個人的な意見を述べるなら、いったい着替えるためにどれだけの広さを必要と思われているのか謎だ、というところだ。

 確かにこうして何人もの侍女達に身の回りの世話をしてもらいながら着替えるためにはそれなりの広さが必要ではある。


(一人で着替えるのっていろいろな意味で難しいし……)


 十三歳になったその日から、ソフトなものとはいえコルセットを使うようになった。コルセットを身に着けるのは一人では難しい。コルセットなしでも着られる服がたくさんあるけれど、やはりコルセットをつけるとシルエットが綺麗なのだ。

 その心をしっかり繋ぎ止めておかねばならない夫を持つ身であれば、少しでも綺麗に見える努力を惜しむことはできない。

 私にだって乙女心の持ち合わせというものはあるのだ。


(それにデザイン的な流行もあるし……)


 今は、胸部をレースで飾るデザインが流行している。そのせいで、ブラウスもワンピースタイプのガウンも背中でとめるボタンが主流だ。そうなるとどうしても手が届かない箇所が出てくる。だいたい基本的にはこちらの衣装というのは誰かの助けを借りて着ることが前提でできているので、一人では綺麗に着るのが難しい形が多い。


(クリノリンとかなくて良かった)


 ソフトなタイプのコルセットはどうしようもないにせよ、私は絶対に拷問器具みたいなコルセットは流行させたくないし、スカートをふくらませるためのクリノリンやそのほかの器具も流行させたりはしない。


(今のファッションリーダーはアリエノール王女なんだっけ)


 彼女がそういうものを思いつかないことを祈るばかりだ。

 でももし、そういうものが流行しそうになったら、全力で違うものを流行らせて阻止しようと思う。


(どんな方なのかな?アリエノール姫)


 ナディル殿下の妹君で、話に聞く限りではとても勝気そうな方だ。アル殿下やシオン猊下を見ていればわかるけれど、おそらくはアリエノール姫もブラコンの気があるだろう。

 仲良くできると良いな、と思う一方で、女同士特有の難しいこともあるから、あまり過剰な期待はしないでおく。


(夫婦仲はとても良いって、殿下がおっしゃってたっけ) 


 ダーディニアでは、嫁いでも、王女は王女だ。

 私の母のエフィニアも嫁いでも『殿下ディア』の称号で呼ばれ続けたし、今はディハ伯爵夫人であるアリエノール王女もそう。

 ディハ伯爵というのはグラーシェス公爵家の嫡長子に受け継がれる爵位の一つだからアリエノール王女はいずれ、グラーシェス公爵妃となられるのだろう。


(そういえば、アリアーナ様は、グラーシェス公爵家の縁の方だった)


 アリエノール姫のことから連想して、つい先頃、この後宮を去った妃様方のことを思い出す。

 陛下がお亡くなりになられて、後宮は一新された。

 ユーリア妃殿下、アルジェナ妃殿下はともに王都の離宮を与えられてひきうつり、側妃のお二人やお手のついた妾妃方もすべて爵位とそれに伴う年金とをいただき、後宮を去った。

 以後、亡くなられた陛下に操立てする限り、その称号と年金が彼女たちのこれからを保障する。


(ここまできれいさっぱり一新することってあんまりないらしいけど)


 ナディル殿下は、陛下のお手がついた方やその下に仕えた者は、誰一人後宮に残ることをお許しにならなかった。

 だいたいの場合、自分の生母となる方はそのまま王宮でお暮らしいただくのが普通だというし、たぶん、ユーリア妃殿下が望まれたのならば、殿下はそれを拒まなかったと思うけれど、妃殿下はご自分から、離宮への移動を希望された。

 最後にお会いしたユーリア妃殿下は、後宮には思い出が多すぎる、とだけぽつりとおっしゃって離宮へと行かれた。

 ご生母すら残らないのに、他の女性が残れるはずがない。

 他国では、先代の後宮をそのまま次代の王が引き継ぐというところもあるのだというが、ダーディニアではそれはありえない。イシュトラやシェイラムとは習慣が違うといえばそれまでで、互いに決して相容れない部分でもある。


(私の安全を守るためにだとリリアは言ったけれど、ご本人は何もおっしゃらなかった)


 私を後宮に移すにあたって、だいぶ後宮に手を入れているのだという。まだいろいろと改築が終わっていないため、仮住まいで不自由をかけると殿下には言われたので大丈夫だと笑顔でうなづいておいた。


(その改築とかが私のためではなく、殿下がこれから後宮にいれる人たちのために行っているという噂もあるんだよね)


 後宮に来て思ったのは、後宮という閉鎖された世界では本当にさまざまな噂が飛び交うのだなということ。

 あちらの世界での私は噂にあんまり興味がなかったのでとても疎かったし、スルーしていればそれで良かったのだけれど、こちらではそうはいかない。


(私は後宮をおさめなければいけないのだから)


 もちろん、リリアやミレディ、アリスやジュリアもとても助けになってくれる。

 けれど、アリスとジュリアは即位式が終われば宮中を退出し、夏前に結婚することが決まっているし、リリアはいずれ私の女官長になることが決まってはいてもまだ年齢が若い。

 リリアは少しだけ悔しそうに、ナディル殿下はおそらく年長の……誰もが決して文句を言えないような人間を王妃の女官長として派遣するだろうと言っていた。


(候補は、アル殿下の側近の方のお母様とかフィル=リンのお母様の名が挙がってるんだっけ)


 あと十年年齢がいっていれば、とつぶやいた言葉を私の耳はしっかりと聞き取ったけれど、あと十年リリアが年が上だったらきっと出会えなかったと思うし、リリアをこれほどまで信じるようになったかはわからない。


(うまくやっていける人ならばいいけれど)


 そう思う反面、殿下がおかしな人を送り込むはずがない、とも思った。

 ナディル殿下は、過去のあれやこれやを悔いているせいでとても慎重なのだ。


(新しい侍女をいれるのにもすごく厳選しているみたいだし)


 本当はあと十人くらい増やさなければいけないらしいけれど、新しく入ったのはまだマーゴ一人だけだ。

 マーゴは政庁に努める法務官の孫娘で、北方のすごく寒い地域に小さな領地があるという。先頃まで領地の小さな村で暮らしていたのだけれど、先を案じた祖父がツテを辿ってマーゴを後宮に出仕させたそうだ。

 両親をすでに亡くし、身内といえば法務官の祖父だけで、祖父は自分が亡くなった後のことを案じたのだという。


(まあ、それは心配するよね)

 

 祖父は法務官としてそれなりの地位にあるが、官僚貴族の地位というのは一代限り。領地は特別な特産品もなく、北方らしく土地はそれほど豊かではない。そんな小さな土地を持参金にしたところで、良い結婚は整わないのだという。

 十五歳のマーゴは、リリアやミレディのように女官になることを目指していますと言った。私のところに勤めることがかなって運が良いと喜んでいた。

 リリアは、これからは行儀見習いの侍女もそうだけれど、女官志望者が増えるだろうとも言っていた。

 王妃の女官というのは、男性でいう高級官僚なので、働くことを希望する女の子にとっては憧れの的なのだという。


(後宮の侍女には、女官と行儀見習いの二種類の分類以外に、殿下のお手つきになることを狙うタイプと出世を目的としたキャリアウーマンタイプがいるって分類もあるわけか……両極端だなぁ……)


「妃殿下、どうですか?」


 ミレディが髪型を確認して欲しいと私に鏡を向ける。

 ナディル殿下の唯一の妃として初めて公の場に出るにあたり、成人女性のように結い上げることも検討されたのだけれど、結局、サイドを編んで垂らし、宝飾ピンで飾ることにした。

 これまでよくしていたツインテールは幼く見えるということであまりしないようにしようということになっている。


「良いです」

「サイド、ひきつれていませんか?」

「大丈夫です。痛くないし、ピンもささっていません」

「良かったです」


 水晶細工の花がきらめく飾りピンは値段を聞くのが怖いような素晴らしい品だ。黄水晶、紫水晶、緋水晶、緑水晶、蒼水晶に銀水晶……さまざまな色合いの水晶で作られた小さな花が私の髪の上に散っている様子はとても豪華だ。


(まだティアラを身に着ける年齢ではない私の苦肉の策なんだけど)


 成人前の少女が宝飾品を身につけるのはあまり品の良いことではないとされている。そんな少女の年齢でほぼ唯一許されているのが髪飾りなのだ。


(あえて背伸びはしない)


 皆はあえて私を成人として扱うようにしたがっているけれど、どうせあと三ヶ月もすれば花冠の儀なのだ。

 ここであえて無理をする必要はないと思う。

 皆が、ナディル様には私という妃がいるのだということを強く印象付けようとしてくれているのはわかるけれど、変に大人びた格好をするほうが子供であることがより強調されるものだと思う。


(それに、私も覚悟しているし)


 ダーディニアのこれまでの歴史を紐解いてみても、妃を複数持つのが倣いだ。

 これまで結果としてただ一人の妃を守った例は、数えるほどだけどある。でも、そんな愛妻家と言われるような王であっても妾はしっかりいるのだ。

 完全にただ一人の女性を守ったというのは初代の建国王くらいなもので、その建国王についての記録は散逸した部分も多いから定かではない。


(なるようにしか、ならないし……)


 私は私のできることをするだけで、この件については殿下のご意向が優先だと思っている。


(でも、一度、殿下に後宮にはどれくらい女性を入れるつもりなのかお聞きしたほうがいいのかしら?)


 私にだって心の準備というものがある。


(ナディル様が即位なさる以上、私はいつまでも幼い王太子妃のままではいられないのだ)


 皆が大人として扱おうとするだけではなく、私自身にもちゃんと自覚は芽生えている。


(だって、私はナディル様の王妃になるのだから)


 王妃は、後宮の女性の管理こそが妃の最大の仕事だ。

 ユーリア妃殿下はそれをしっかりとなさっていた。妃殿下が未だに苦手な私だけど、その点についてはすごく見習わせてもらいたいと思っている。


(ただ、守られるだけでいたくない)


 手助けをするという名目で政治に口を挟む妃も過去には在ったというが、私はそういうことがしたいのではない。


(私には私のやるべきことがあって、その中でナディル殿下のお役に立ちたい)


 ただ可愛がられて守られるだけの……寵愛を受けるだけがすべての妃になるつもりはない。


(もちろん、寵愛を受けることは大事なことだけど)


「妃殿下、くるっとまわってくださいますか?」

「ええ」


 ガウンの丈がいつもより長めなのでシルエットを気にしていたリリアの言葉に従って、私はくるりと回ってみせる。

 靴も踵が少しあるものにした。ただし、細いものではなく太目の踵なのでバランスをくずすようなことはそうそうないだろう。

 単純だけど、少しヒールがあるだけで大人びた気分になる。 


「お似合いですわ」

「ありがとう」


 リリアの賞賛に笑んでみせる。

 日中のガウンは、銀をベースにしたものに透ける白のレースを重ねたもの。

 動くたびにレースのスカートが下の銀のスカートを透かして、それはそれはエレガントな装いなのだ。


(白って花嫁衣裳みたいで、ちょっと心が浮き立つかも)


 ナディル様のお心を掴むことをおろそかにするつもりはない。

 好きな人に好きになってもらえることが、どんなに幸せなことか……それがどんなに特別なことなのか、知っている。


(でも、可愛いと思われているだけなのは嫌だ)


 可愛いと思われるのが嫌なわけじゃない。

 それだけだと思われるのが嫌なのだ。

 だから、私はもう幼さを理由に王太子妃の……そして、王妃の務めから逃げるつもりはない。


(まあ、幼さゆえにできないことはいっぱいあると思うけど)


 本音を言えば、他の女性を入れるのはもちろん嫌だ。

 まだ十三歳の妃ならば、泣いてわがままを言えば最初の何人かが入ることは阻止できそうだけれど、幼さを武器にするのは諸刃の剣だし、これはいずれ使えなくなる手で、そのせいで面倒くさい女だと思われたりするのはマイナスだと思う。


(ただ普通に務めを果たすだけ)


 妃として当たり前のことを当たり前にする。

 そこに年齢は関係ないと思ってもらわなければならない。


(とりあえずは派遣されてくる女官長とどれだけうまくやれるかかな)


 今、後宮の女官たちをとりまとめているのは、元王太子宮の女官長だ。

 リーズフェルド伯爵夫人というご年配の方で、この方はナディル殿下が即位なさるのを期にお暇をいただくことになっている。



(来月の建国祭の後にはちゃんと正式な室に移れるって言ってたっけ……)


 後宮のこの室に越してきて随分とたつが、未だにこの広さには慣れない。

 王太子妃宮に比べて、一部屋一部屋がとても広い。


「本日お召しいただくガウンは白を基調に、翡翠青と銀を多用したものになります」


 今日、宮中ではいくつかの儀式がある。

 だから、正式なガウンを着用予定だ。

 今日の為に作られた特別な品で、私はとても気に入っている。


「妃殿下、本日のご予定を申し上げます。……着替え後、軽く朝食をお召し上がりいただき、葬祭殿での儀式にご参加の後、昼餐会にご出席となります。この昼餐会にご参加なのは四公爵家とそれに次ぐ大貴族。昼餐会のあとに王太子殿下と共に四公爵の謁見にご臨席いただきます」

「わかりました」

「そして夜が主だった貴族たちの参加する正宮大広間での夜会になります」

「舞踏会になるのかしら?」

「はい。……妃殿下は、王太子殿下以外と踊る必要はございません。まだ、成人前ですから」

「成人前なのに参加なのはいいの?」

「はい。王太子殿下の要請でございますので」

「そう。わかりました」


 いきなり公式行事が目白押しだ。


「さ、妃殿下、急ぎましょう」

「え?」

「……いつもほどの時間はございませんが、王太子殿下が朝食をご一緒にされたいとお待ちですわ」

 ミレディが笑う。


「……やだ。たくさんお待たせしてしまったかしら?」


 昨日までの予定では、朝食は別々にということだったので、ちょっと慌てた。

 でも、嬉しい。


「急なことだから気にしないようにとおっしゃっておりました」


 立ち上がってそわそわしはじめた私を、皆はほほえましいという表情で見る。

 もうこの手の視線には慣れっこだけど、でもやっぱり少し恥ずかしかった。




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