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1 新しい御世のはじまり


 まるでスイッチが切り替わるかのように意識がパチリと覚醒した。

 のろのろと起き上がる。

 王太子妃宮では海の底だった寝台の天蓋の風景は、後宮に引っ越してきてから光の庭へと変わった。

 光の庭は、ダーディニアの建国王とその王妃となった妖精王の姫君が出会った舞台だ。

 朝露に濡れる淡い色調の花々が瑞々しく縫い取られた春の庭は、まばゆいばかりの金糸銀糸の光をうけてきらきらと輝いている。

 しかもこれ、実は外側と内側で縫い取られている柄が違う。その精緻な刺繍は、もはや芸術作品だ。

 ぎっしりと刺繍が施された分厚い帳はまったく光を通さないので、今が朝なのかそれともまだ夜なのかがまったくわからない。

時計はあるけれど、寝台の中にもちこめるほど小さくないのだ。


「あ……」


 顔が濡れていた。


(夢……)


 最初からわかっていたのに、こうして現実に戻ってきても、何だかまだ夢の中にいた感覚から抜け切れない。


(久しぶりに、麻耶の夢を見たな)


 二十一世紀の日本で菓子職人として働いていた和泉麻耶の三十三年の記憶を持ちながらも、ダーディニアという国の王太子妃アルティリエとして過ごして一年と少しになる。

 麻耶としての記憶がよみがえるきっかけは、アルティリエが生命を狙われたせいだ。

 麻耶の記憶が目覚めた当初は随分と戸惑ったし、悩みもした。麻耶の記憶を持ちながら、アルティリエとして生きる決意をかためるまでもいろいろなことがあったけれど、今はもう迷うことはまったくない。

 麻耶の記憶を持つアルティリエとしての自分を疑うことがないからだ。

 片や、二十一世紀の日本人。片や、ダーディニアという異世界の王太子妃。

 共通点はまったくないのに、違和感はほとんどない。


(それでも、こんな風にあちらのことを夢に見ると心が揺れる)


 『私』であって『私』ではない『私』。

 違和感はほとんどなくとも、決して同一になることはないだろう。

 たぶん、私はそれをそっと抱えて生きていくのだろう。


(誰かに話して信じてもらえるようなことではないし……)


 私自身、時々、夢なのかもしれないと思うことがあるくらいだ。

 寝間着の袖でそっと涙をぬぐう。

 グラーシェ山羊の毛で織ったという肌触りの良い毛布の中からそっと抜け出す。毛足の長いフカフカの絨毯の感触が足に触れた。


(……まだ、誰も来ないけど、今って何時なんだろう……)


 いつも、目覚めるのは誰かが起こしに来る時だ。不思議なことに、起こされるほんの三十秒くらい前に目が覚める。

 時々は、控えめなリリアの呼びかけで目覚めることがあるものの、だいたいの場合はその直前にぱっちりと意識が覚醒する。

 今日のような例はとても珍しい。


(何だろう……何か、変な感じがしてる)


 服喪期間が終わったせいなのかな?と考えても、よくわからなかった。

 ダーディニア国王の逝去による服喪期間は一年だ。

 至尊の地位にあった方の喪なれば三年が妥当であると言われるかもしれないが、かつてと違い、昨今の政治情勢で三年もの間、玉座が空であることは認め難い。

 よって、新たな国王の即位という慶事を理由に、国王の喪は一年とすることが暗黙のルールとなっている。

 前の国王グラディス四世陛下の葬祭儀礼は、昨日の葬礼ですべて終わる。

 その間、十二歳になったばかりだったアルティリエは十三歳の誕生日を迎えた。

 十二歳と十三歳なんてたいして違いはないだろうと思っていたのだけれど、周囲の見方はまったく変わってしまった。


(初潮がきたんだよね……)


 口にするのははばかられるけれど、今や王宮勤めの誰もが知っている。

 皆が知っていることを知ってから三日間、恥ずかしくてどうしようもなくて寝室にこもったから!

 なのに、やっと諦めがついて寝室から出れば、皆に「おめでとうございます」と祝福の言葉をかけられるのだ。

 あやうく人形姫と呼ばれていた時に戻りそうになったから!

 顔の筋肉ひきつっていたから!!


(救いなのは、殿下が苦笑していたことくらいか……)


 十五歳年上の夫であるナディル王太子殿下とはだいぶ打ち解けたていると思う。

 夫であることはちゃんと認識している。

 それなりに好かれている自信だってあるし、自分の好意だってちゃんと自覚している。

 けれど、やっぱり私たちの間には年齢の差というものが立ちはだかるのだ。


(当たり前だけれど、『お渡り』というものは未だないわけだし)


 というよりは、建国祭が終わるまでは絶対にない。

 初潮を迎えたことで、周囲がどれほど期待しようともそれだけは自信を持って言える。


(まだ、成人の儀も済んでいないし)


 正直、今来られてもちょっと困るのだ。

 何しろ、この身は十三歳の少女にすぎない。それも、あちらの世界で言うならばだいぶ未成熟な十三歳だ。

 この身で閨に侍るというのはちょっとどころかだいぶ問題があると思うのだ。


(とはいっても、殿下は私以外の妃をとることができないから)


 はっきりと誰もがそう認識しているわけではない。

 でも、少なくとも四公爵の間ではそれが確定の事実だった。

 ダーディニアの国王は公式には四人の王妃を娶ることが許されているのに、残念ながら殿下は私以外の妃を迎えることができないのだ。


(この国は、私が産む子供にしか玉座を許さない)


 すごく責任重大ではあるのだけれど、張本人である私にはあまりピンと来ていなかった。

 たぶん、十年後にも子供が生まれていなかったら追い詰められて真っ青になると思うけれど。

 

(まあ、殿下に限っていうならばあと三年くらいは余裕で大丈夫だと思う)


 ナディル殿下は別に幼女趣味ではないし、周囲の圧力に押し負けるような方ではないのでたぶん双方ともに不本意な形で強制的にお床入りをさせられるようなことはないだろう。

 ただ後宮に移ったことで、周囲が浮き足立っているだけだ。


(その後宮も、当分は私だけの住居ということになるわけで)


 後宮に移ったことで、私に仕える女官の数は桁が二つ増えた。

 片手で足りる人数だったのが、今や三桁の数の女官がいる。侍女も含めればその倍にはなるだろう。

 後宮を滞りなく運営するためにはそれくらいの人数が必要で、殿下の即位を控えた今、いろいろな家が後宮に侍女を送り込もうとしている。


(それも大半が側妃候補として……)


 それを思うと溜め息をつきたくなる。

 側妃というのは、『妃』の位を与えられるというわけではない、実際には公妾だ。国王の子供を産もうともその子供は王族ディアの称号も与えられない。

 国王の庶子に与えられる爵位は一代伯爵と爵位に伴う年金のみ。

 それは、どれだけ側妃が寵愛されようとも決して変わらぬ不文律だ。


(ただ、国王の庶子というのはうまく立ち回ればそれなりの地位に就けないわけではない)


 ダーディニアでは男女を問わない長子相続である貴族家が多いので、女性相続人の一定数いるから、婿としての需要があるのだ。


(それに実際のところ、ナディル殿下が私以外の妃を持てないことは明らかにできることではないから、最初は側妃でも子供を生んで妃に成りあがろうって人がいないわけじゃない)


 ナディル殿下の新しい侍女の中に、既に何人かそういう人がいるのを知っている。

 そういう人はすぐにわかるのだ。

 殿下と私がいるときの視線が違うから。


(侍女としてはとっても無礼なんだよね)


 私の侍女ではなくとも、私は王太子妃だ。

 殊更、子ども扱いしたり、さりげない嫌がらせをするのはどうかと思う。

 幼くとも、ナディル殿下の即位と共に私は王妃となるのにそれがよくわかっていない人が多いらしい。


(一難去って、また一難というか……)


 これまで私は王太子妃宮で何重にも守られて生活してきた。

 ナディル殿下はもちろんだし、亡くなられた国王陛下は私の最大の後ろ盾だった。

 けれど、陛下が亡くなったことで私は後ろ盾を失くしたと思われていて、そのあたりで与しやすいというか……ようは、舐められているのだ。

 ────まだ、幼いから。

 ────ぶっちゃけて言ってしまえば、殿下と肉体関係がないから。


(命を狙われる危険が薄れたと思えば、次は女の戦いか……)


 正直、自信はあんまりない。

 元々、そっち方面は疎い方なのだ。

 あちらの世界でもどちらかといえば受動的で受身だった。女子力を投げ捨てたとまでは言わないけれど、あんまりなかったと思う。

 今はそれなりに頑張っているつもり。

 この一年の間に重ねてきたいろんな記憶もあるし、二人で過ごしてきた時間だってある。

 

(胃袋もがっつりつかんでる自信あるから!)


 朝のお茶が朝食兼用となり、朝のひと時を供に過ごすのはすでに私と殿下の決まりきったお約束だ。


(これで充分な気がするんだよね、とりあえず)


 あちらとこちらでは婚姻の制度自体が違っている。

 一夫一婦を守れなんて言ったら頭がおかしいと思われるし、独占できる人だとも思えない。

 何よりも、私はまだ殿下のお相手ができるわけではないので、仕方がないと思うのだ。


(つまり、その女性が私の立場をちゃんとわきまえてくれるのなら、殿下が女性をお側においてもいいと思う)


 むしろ、それが当然だと思う。


(殿下は健康な成人男子なわけだし、それが許される立場なのだし……)


 元々、私が後宮に移るのは、即位式の後でということだったのを、自分が移るときに一緒にと言い張ったのはナディル殿下だ。

 私を後宮に移さないのならば自分も王太子宮から動かないとまで言ったらしい。

 情熱的で素敵です、と、新しく来た侍女のマーゴがうっとりとしていたが、実際のところ、王太子宮が空だと王太子妃宮の警護体制がかなり手薄になるという現実的な理由が大半を占めている。

 王太子妃宮は元々念入りな警備体制がとられている宮ではあるけれど、王太子宮との行き来がなくなると完全に孤立してしまう。

 孤立し、かつ、閉ざされている宮というのは、一度入り込まれてしまうと外の目がまったく届かなくなって逆に危険なのだ。


(かといって後宮が安全ってわけでもない)


 国王陛下の死とともに、私の周囲に色濃く漂っていた危険はだいぶ薄まった。

 でも決してそれが無くなったわけではない。依然、私は狙われやすい立場だし、何よりも我が身を真っ先に守らなければいけないのだ。

 それでいながら、これからの後宮生活において私はきちんと後宮を治めなければならない。


(できれば、あからさまに殿下狙いの子が後宮に配置されませんように)


 頭では納得していても、目の前で見たら感情では許せなくなるかもしれないし。

 あれやこれやと考えていたら少し肌寒くなって身体が震えた。


(何か羽織ろうか……)


 それとも着替えてしまおうかと思ってぶ厚い帳を開こうと手をかけた瞬間、まだわずかに冷ややかさを帯びた早春の空気が震えた。


(え?……鐘の音……?)


 その音で時刻を聞き分けようとしたけれど、荘厳な鐘の音は一つや二つではなかった。


(これって……)


 鼓膜が破れそうな大音量、というわけではない。だが、鐘の音は王都中に響き渡っていることだろう。

 王都アル・グレアには全部で十二の鐘楼があり、その音で王都の人間はその時間を知る。日中は五小節分の決まったメロディを、日が落ちた後はその時刻を表す鐘を一つだけ鳴らすのが決まりだ。

 今、鳴っているのはメロディだ。

 でも……。


(五小節よりも長いし……これは刻を知らせる音じゃない……)


 重なり合う、高い音、低い音……共鳴するその音色に目を閉じる。

 音の響きの中に吸い込まれそうになりながら、旋律を辿った。

 地方出身の職人は、この鐘の音を聞き分けることができるようになってやっと半人前と戯れ歌にあるが、物心ついた時から王都育ちの私には、さほど難しいことではない。


(記憶がなくても、こういうのって覚えてるんだよね……)


 それに、私の音楽的教養のレベルは自分で言うのも何だけど、かなり高いほうなのだ。


(陛下のおかげだ……)


 そういう教養を私に教えてくださったのは亡くなられたグラディス四世陛下だ。

 陛下は、芸術方面にとても関心があり、殊に音楽に関してはご自身でさまざまな楽器の演奏をなさるくらいお好きだったし、造詣も深かった。

 私の母が音楽をとても好んでいたために、幼い私にもいろいろと教えて下さり、今も折々に浮かび上がってくる記憶がある。


(この曲は、『サグリザ』だ)


 サグリザというのは、ダーディニアで大切な式典などで演奏される特別な曲だ。

 いつ、誰によって作られたのかはわからない。

 元々は流浪の楽師の間で演奏されていたものを、未だ国家とならぬ時代のダーディエ家の当主が気に入り、事あるごとに自家の楽師に演奏させるようになり、やがて、式典などで演奏されるようになったとも聞く。


(鐘で演奏するの、初めて聞いた)


 王都中のすべての鐘楼の鐘を使っているのだとわかる。

 こちらの鐘はあちらでのお寺の鐘とはまた違っていて、複数の鐘を持ち、はじめから旋律を演奏するものとして設置されている。

 ちょうど、あちらでいうカリヨンとよく似ている。

 けれど、こんな風に幾つもの鐘楼の音を重ね合わせて演奏できるものだなんて、初めて知った。


(重なって、響きあう……何ていう音なんだろう……)


 奏でられる音色は、深く厚みのある音でちょっとやそっとでは揺るがない。その響きあう音の中に意識を委ねると、どこか遠くへと運ばれてしまいそうな気がする。


「おはようございます。妃殿下。もうお目覚めでらっしゃいますか?」


 控えめなリリアの声に、遠くへと飛んでゆきそうだった意識が連れ戻された。


「起きているわ」


 帳がさっと開かれる。差し込んできた光のまぶしさに目を細めた。


「……ねえ、リリア。この鐘の音は何の知らせ?夕べは何も聞かなかったけれど……」


 私が起き上がっているのを確認したリリアの合図で、アリスやミレディが洗顔などの用意を整え始める。


「これは、新しい御世が始まったという言祝ぎの鐘ですわ」

「?????まだ、ナディル様は即位されていないけれど?」

「はい。正しくは、お亡くなりになられた国王陛下の喪が明けたという知らせです。喪が明けたことにより、未だ即位はなされておらずとも、王太子殿下の御世がはじまったということになるので、言祝ぎの鐘とされています」

「慶事のはじまりを告げる鐘なのね」

「はい」

「時間は決まっているの?」

「はい。当日の日の出、と定められています」


 なるほど。次の間の柱時計に目をやれば六時半になろうとしているところ。中途半端な時間だから時計が狂ったのかと思ったけれど、日の出にあわせられているのなら納得だった。


 荘厳な鐘の音は、朝の光の中で、新しいはじまりらしい明るさと希望に満ちた調べを王都中に響かせていた。



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