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プロローグ

 夢をみていた。

 夢の中にいて、夢だと理解していた。


(……だってこれは、今の『私』じゃない)


 今よりもずっと小さな手。

 この手は今の私のものではない。


(爪が整えられていないし、肌の色が違う)


 ほとんど外に出ないせいで、美白に気を使ってもいるわけでもないのに、肌が透き通るように白いのがアルティリエの肌の色だ。


(これは、麻耶の手だ……)


 そして、目の前に広がるのは、今の己が決して目にするはずがない景色。


(ここは、ダーディニアじゃない)


 王太子妃宮の庭でもなければ、王宮のどこかでもない。

 そして乗っているのも、贅をつくし、居住環境に配慮した自分の馬車ではない。


(パパのおんぼろ軽トラだ……)


 硬いシート……それから、ほんの少し生臭い魚の匂いがする。


「まったく、これはまいったね」


 声がした。

 震えるほど懐かしい声が。

 ためらいながら、運転席を見上げる────そこには、記憶にあるままの父が、居た。

 

(……パパ……)


 ともすれば、フロントガラスが真っ白く見えそうなほど激しく降る雪……それはもう吹雪と言っていいほどの勢いがあった。


(これ、たぶん、あの時だ……) 


 小学校の一年生か、二年生だったと思う。

 父と一緒に隣町に届けものに行ったことがあった。

 本州とは季節が違うと言われる北海道でも遅い春の兆しが見られるようになっていた頃だった。まだ、完全に春だと言い切るには寒い日も多くて長袖は手放せなかったけど、さすがにぶあついダウンコートはクリーニングに出していた。

 父が仕事で使っている軽トラックは、普通の車より目線がちょっと高くなる。助手席によじのぼって、ふだんとは違う目線の風景を見る楽しかったから、幼い私はよく父のお届けものにつきあっていた。


「パパ?」

「麻耶、見てごらん。雪で道が見えなくなっちゃってるよ」


 あまりにも激しい雪の勢いに、ほんの少しだけ恐怖を感じた。

 でも、隣の父を見上げて、それで安心した。


(……パパがいるから、へいき)


 幼い私にとって父は誰よりも強い存在だった。父がいれば怖いことなんて何もなかったのだ。

 真っ白な視界に、父はのろのろと歩くような速度にまでスピードをおとして注意深くハンドルを握っていた。


「この先の自販機のところで車を止めるから」

「はーい」


 何度も通る道だから、どこに何があるかはよくわかっている。

 それでもこんな天気になると、見慣れたはずの風景がまるで別世界のように見えた。


「まっ白だね。……もう、はるなのに」

「そうだね。こんなことなら、明日にすればよかったなぁ」


 自販機が二つ並んでいるだけの小さな空き地……護岸壁沿いに自販機が二つ並んでいるだけのスペースのその壁沿いに車をよせれば、助手席側は激しく叩きつけてくる雪から逃れられる。

 ゴウゴウと聞こえるのはたぶん波の音で、少しだけ心細くなって父のジャンバーの袖を掴む。父は大丈夫だというように私の頭を撫でた。

 このあたりは雪がそれほど多くない地域だ。そのかわりに、すごく冷え込むのだが、こんな吹雪の日は年に何度もない。

 しかも、四月だ。北海道といえど四月にこんなにすごい雪が降るというのはものすごい珍しい。


「くるま、雪がつもってうまっちゃわないかなぁ?」

「埋まりそうになったら、パパが雪かきしてくるよ。スコップも積んでいるからね」


 ノーマルタイヤに戻してなくてよかった、という父の呟きの意味を、このときの私はよくわかっていなかった。

 ただ、とりあえず、まだうちに帰れないことはわかった。


「ちょっと待ってなさい」


 父が車の外に出る。ややしてもどってきた父の手にはいつものココアといつものミルクコーヒーの缶があった。


「はい、麻耶」

「ありがとう、パパ」


 熱いココアの缶を手袋の手で受け取る。プルトップを開けてもらって、ふーふーとさましながら一口飲んだ。

 ココアの濃厚な甘さと温かさがほっと心を暖めてくれる。

 そして、一安心したら、案ずるのはもう一人の家族のことだった。


「ママ、きっとしんぱいしてるね」

「そうだね」


 あの当時、携帯電話はまだまったく普及していななくて、一部の富裕層が車に移動電話と呼ばれるものを備え付けてたりするくらいで、ポケベルさえ、一般的ではなかった。

 こんな風に突然帰れない事態になっても、それを伝えることも、理由を説明することもできなかった。


(……そういうの、今とちょっと似てるかも)


 ダーディニアにおける主たる通信手段は手紙だ。

 郵便配達網はかなり発達しているらしく、郵便馬車は特別な便宜をはかられているという。

 ただし、スピードに重きをおいていない為、手紙が届くよりも先に自分が帰りつくというようなこともあるらしい。

 貴族間では、正確さと速さのことを考えて、使者や使い番といった役目の使用人がいるが、場合によっては伝書鳩という手段もあるという。

 そんな状態だから、物理的な距離がそのまま情報伝達のスピードとほぼ比例する。

 現代日本では、携帯電話が普及したことで、時間差がなく連絡がとれるようになったが、ダーディニアではそんなことは夢のまた夢でしかない。


(確かに携帯電話があればなぁって思うことはある……)


 そうすれば、もっとこまめに連絡がとれて、一緒に過ごす時間もとれるのではないかと思うのだ。


(そうすればお夜食差し入れにいったりとかできるし……もっとスキマ時間を活用できると思うんだよね)


 もちろん私のスキマ時間ではない。ダーディニアで一番忙しい人のスキマ時間だ。


(でも、連絡をとりたい一番の理由はそれじゃないけど)


 ただ、声が聞きたい。

 ただ、話がしたい。

 今、こうして夢の中で父と話しているように。


(夢の中とはいえ、パパに会えて嬉しいのに、やっぱり殿下のことを考えちゃうんだな……)


 それが何だか照れくさくて、でも少し嬉しい。


「あのね、今日のよるごはん、まやのすきなシチューなんだよ」

「え?今日、シチューなのかい?」


 父の表情がぱあっと明るくなった。


「そうだよ。とり肉のおだんごのシチュー!まやもとり肉のおだんご作るの手伝った!!」

「あー、なんだ、ホワイトシチューかぁ」

「ざんねんでした。パパの好きな茶色いシチューは、おきゅうりょう出たらねって、ママ、言ってた」

「……だよねぇ」


 父は母のつくるビーフシチューが大好きだった。

 去年の誕生日に圧力鍋を手に入れた母の作るそれは、国産じゃないお肉でもとろっとろで素晴らしくおいしいのだ。


「おなか、すいたね、パパ」

「本当だね」


 残念なことに、車の中には食べ物がまったくなかった。

 父は母と違って甘いものをそれほど好む人ではなかったから、おやつを持ち歩く習慣がない。


「……あ、まや、クッキーもってる」


 出掛けに、食べ切れなかったおやつをティッシュにくるんでそのままもってきたのだ。


「はい、はんぶんつ」

「いや、麻耶が全部食べなさい」

「だめ、はんぶんつ!」


 二つに割った片方を差し出す麻耶に、父は泣き笑いのような顔を向けてそれを受け取った。

 あの時のクッキーはとてもおいしかった。

 別に特別なものでも何でもない市販のクッキーだったけれど、父と半分ずつ、それもおなかの減っているときに食べたことで忘れられない味になった。


(たぶん、この時の経験のせいで、私、いっつもカバンに何かいれておくようになったんだよね)


「もうパパはおなかいっぱいだよ。残りは全部、麻耶が食べなさい」

「えー、まだキャラメルあるよ」

「パパはもう大人だけど、麻耶は子供でこれからたくさん大きくならないといけないからね。……だから、麻耶が食べるんだ」


(半分くらい食べたって、どうしようもなかっただろうに……)


 なのに、優しく父は笑った。


(……どうしよう、泣きそうだ……)


 懐かしくて、嬉しくて……どうしようもなく慕わしかった。


「麻耶」

「……なあに?パパ」


 父が何か言った。

 なのに、それがうまく聞き取れなくて聞き返す。

 

「……パパ?」


 真顔の父が、自分を見つめていた。


「しあわせにおなり」


(え……?)


 そんな言葉を父からかけられた記憶など一度もなかった。


(……あ、でもこれ、夢だもんね……)


 父の手がそっと頭の上に置かれた。

 最初から夢とわかっている夢だった。

 なのに、もう堪えられなくて涙がこぼれた。


(……私は幸せになるから大丈夫だよ、パパ)


 安心してほしいと思って、涙を流しながらも笑って見せた。

 




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