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35.二律背反

 急に射し込んだ光がまぶしく、思わず目を細める。

 柔らかなシルエット……逆光で誰とはわからなくとも、女性だと確信した。


「……随分と奇妙な服装だこと」


 冷んやりとした夜の空気に平坦な声音が響く。

 いつもとはまったく違う、抑揚のほとんどない声。

 でも、その声の主を、私はもちろん知っていた。


「……王妃殿下……」


 隣のシオン猊下が、その姿を目にして息を呑む。

 それは驚愕ではなく、どこか諦めにも似たものを帯びていた。


 王妃殿下はどこか無表情なままに、後ろ手でドアを閉める。

 ぎぃっと鈍い音を立てて、また静寂と闇の世界が戻ってきた。

 闇といっても、祭壇の常夜灯があるからまったくの闇というわけではない。けれど、扉の向こう……一定間隔で煌々と光が灯されている宮殿の廊下に比べると、やはりここは暗い。


(心地よい暗さ……)


 こちらの世界で、私は初めて暗さにもいろいろ種類があることを知った。


「母上……」


 猊下は険しい表情で、王妃殿下を睨みつけている。


(険しいっていうか……)


 まるで敵に遭遇したかのような眼差し……それは明らかに敵意で、実母に向ける表情として、いささかふさわしくないもののように思える。


(たぶん、猊下はご存知だった……)


 ご自身でもそうおっしゃっていたように、シオン猊下は知っていたのだろう。


(ユーリア妃殿下の慈愛の裏に存在する顔を)


 自身の母が、関わっていること。

 そして、こうしてここに王妃殿下が来ることさえも予想していたように思える。


「まあ、私も人のことは言えないわね」


 王妃殿下は薄化粧こそしてはいたが髪はおろしていたし、ガシュークと呼ばれる雪豹のコートの下にちらりと見えた薄物はもしかしたら夜着なのかもしれない。

 相手が身内とはいえ、こんな格好で人前に出るなんて貴婦人としてはあるまじきことだろうし、一分の隙もないいつもの様子からは考えられないことだった。

 とはいえ、そんなことは瑣末なことだ。


「お一人でいらしたのですか?」


 驚きは勿論ある。

 でも、ある意味、私にとっても予測の範囲内だった。

 王妃殿下が関わっていることは絶対だった。それが前提でなければ、これまでのすべてが成立しない。

 だから、別にここに来るのがご本人でもおかしくはない。


(お一人、というのは予想外だったけれど……)


「こんな時間に王妃が後宮の外に出るなんてことになったら大騒ぎなのよ。一人でこっそり来るしかないじゃない」


 確かにそうだ、と思う。

 後宮……本宮の王族の私的生活空間部分を総称してそう呼んでいる。本宮の公的なスペースをかつては前宮とか表宮と呼び、それに対して後ろに位置するということでそう呼ばれていた。今は後ろにあるかというとやや微妙な部分もあるのだが、そもそもは場所を示しているだけの呼称にすぎない……から、王族女性が出るには、煩雑な手続きが必要なのだ。

 それらをしている時間はなかっただろうし、そもそも、これは知られたくない類のこと。


「護衛もお連れにならなかったのですか?」


 妃殿下は、護衛もお供の侍女すら連れていなかった。

 こっそり来るにしても、それにはちょっと驚いた。


「貴女が一人のようにね」

「別に一人ではありません」

「……シオンはあなたを守る役には立たないわよ」


 上の子たちとは違って、武術にはまったく才能がないのよ、と王妃殿下は皮肉げに笑った。

 シオン猊下はそれについては何の感情も示さなかったが、その眼差しの険しさは変わらない。

 身内ならではの根深い何かがあるのだろう、と思う。


(私にはあんまりわからないことだけど……)


 想像はできても、理解はできない。

 そこまでの強い感情を抱くような何かは私にはなかったし、それ以前に、もう私には近しい肉親というものが存在していない。


(ああ、私は、どちらにせよ肉親との縁が薄いんだわ……)


 麻耶はとっくに両親と死別していたし、アルティリエは出生時に母を亡くし、父は存在はしていてもあまり認識していないので、そこに何らかの感情が生まれる余地がない。

 妙な共通点を発見したなと思いつつ、妃殿下に告げる。


「シオン猊下に守ってもらわなくても大丈夫です。私、逃げ足速いですから」

「おもしろいことを言うのね」


 王妃殿下は、まるで珍しい生き物でも見るかのような眼差しで私を頭の上から足の先までじっくりと眺める。

 それは値踏みの視線だった。女が、ライバルの女を見定めるときのような。


「……本当に記憶をなくしてしまったのね、ティーエ」


 その声にいつものようなねっとりとした甘い響きはない。

 ただ、名を呼ばれた時は、少しだけ嫌な感じがした。

 私は、ティーエと呼ばれることにとっても嫌悪感がある。


(たぶん、それは……)


 そう呼ぶ相手に対する、私が忘れてしまった記憶に関わっているのだろう。

 頭で覚えていなくても、身体が反応している……たぶん、そういう類のこと。

 そして、私はうすうすその相手が誰であるかに気づいている。


「……幸か不幸かはわかりませんが」


 周囲の人達は、今の私を受け入れてくれている。

 そのことは勿論嬉しいし、幸せなことだと思う。

 けれども、私がここにいるのは、記憶と共に幼いアルティリエが失われたからで、手放しで幸せだと言えることでもない。

 私はそのことを決して忘れない。


「……幸い、なのでしょう。王太子にとっては」


 王妃殿下はそっと目を伏せた。

 愁いを含んだ横顔はとても綺麗で、なるほど未だに国王陛下の寵愛が衰えないと言われているのがわかるような気がする。


「リリアをお返し下さい、王妃殿下」


 静寂の中に、私のさほど大きいとは言えぬ声が響く。

 王妃殿下は、リリアの行方を知らぬとも、自分は関係ないとも言わなかった。

 無言の肯定。

 ……リリアが帰ってこないことに自分が関わっているのだと。


 だから、私はもう一度繰り返す。


「リリアを返してください」


 声を荒げることなく、まっすぐと見上げて。

 王妃殿下のその瞳は、虚ろだった。

 そして、軽く首を横に振り、私達に告げた。


「彼女は……今頃は、もう西宮に戻っていることでしょう」


 ほっとシオン猊下が息を吐いた。私も小さく安堵のため息をつく。


「無事、なのですね」

「何もしていませんし、させてもいません」


 疲れたような声音。

 私と猊下は顔を見合わせて、互いにその事実を喜ぶ。

 そして私は、リリアの元に駆けつけたいと思いつつも、躊躇ってる猊下の背をそっと押した。


「義姉上……」


 行きなさい、というようにうなづいてみせる。

 シオン猊下は心配そうな表情をしながらも、でもうなづいて駆け出した




「大丈夫よ。リリアは自分の足で戻ったわ……といっても、聞いていないわね、あの子」


 王妃殿下の口調がまるで母親のようで変だと思い、変だと思うこと自体がおかしいのだと気付く。

(だって、真実、殿下はシオン猊下の母親なのに)

 けれど、どれほど母のようであろうとも、目の前のこの人は真実の意味で『母親』ではないのだと思う。

 それほど多くの時を過ごしたわけではないけれど、そう感じた。

 

 ふと、私を凝視する殿下に気付く。


「……?」

「ねえ、なんで、あなたはここに来たの?ティーエ」


 いつものあの慈愛の笑みを浮かべていないユーリア殿下は、私などよりよほど人形めいて見える。


「リリアを取り戻すためです」

「たかが女官一人のために?」


 ユーリア妃殿下は、唇の端を歪めた。


「たかが、ではありません」


 私にとって、リリアはたかが女官なんかではない。


「あら、貴女、あの子を信じているの?だとしたらとっても驚きだわ。あなたの周囲で起こったいくつかはあの子が起したことよ。あなたの侍女を殺したのも、リリアかもしれない」

「それは、ありません」

「あら、なぜそんなことが言えるの?記憶もないくせに」


 挑むような表情で、妃殿下は言った。

 私は首を横に振る。


「……確かに、私の周囲でおきたことのいくつかに、リリアは関わっているかもしれません。でも、それとこれとは別です」


 リリアはあまりにも有能すぎ、あまりにも知りすぎている。

 でも、同時に、リリアが私に対して誠実であることを私は知っているのだ。

 私には言わないことがあるし、言えないことだって勿論あるだろう。だからといって、それは私が彼女を信じない理由にはならない。

 ぼんやりとしかわからないけれど、たぶん、リリアは何かを探していて……その為に、隠したり、言わなかったりすることがあるのだ。

 

「随分な信頼ね」


 リリアを信じているのは確かだ。でも、エルルーシアに関しては、リリアが関わってないだろうことを私は知っている。

 私は、深呼吸を一つする。


(正念場だ……)


「王妃殿下は、私の死んだ侍女の名前をご存知ですね?」

「……そうね。だって、私はあなたの母代わりですもの」


 それだけじゃない。


「エルルーシアがナディル殿下付の武官の娘だったから、私は、その縁で彼女が私の侍女になったと思っていました。確かにそれは間違っていません。彼女の父親はナディル殿下の武官ですし、その口利きがあったことも事実です」


 それがどうしたの?というように、妃殿下の視線は話の先をうながす。


「でも、母親はかつてあなたの女官だったのです」


 妃殿下はうっすらと笑みを浮かべた。


「ええ、そうよ」


 あっさりと彼女はそれを肯定する。

 だから、私は先を続けた。


「表面上、彼女は父の縁を辿ってこの西宮に勤めたことになっています。けれども、本当はそれ以前に母の縁で王宮にあがっていたのです……そして、この西宮に勤めた。あなたの命令で」

「それが何か問題かしら?」


 穏やかな表情。なのに、それが怖い。


「エルルーシアは、あなたの命令でいろいろなことをしたようですね」

「……証拠があって?」

「妃殿下、そう問いかけるのは、暗にそれが事実なのだとおっしゃっているのと同じことです」


 私は、わずかに微笑んでみせる。頬が引き攣らないように、できるだけ余裕に見えるように。

 本当は怖いのだ。でも、ここで退くわけにはいかない。


(だって、これは私の戦いだから)


 私は剣を手にとることはできない。

 そういった能力もなければ、心構えもないし、覚悟だってない。

 でも、今、この場から逃げようとは思わない。


「ねえ、エルルーシアが死んだのは、あなたを守る為にリリアが殺したとは思わないの?あの子だったら、それくらいはやってよ?」


 あの子は、生粋の後宮育ちなのだから、と笑う。


「同じことを何度おっしゃっても無意味ですよ。何度言われても、私の答えは変わらないです」


 動揺を誘っているのか、あるいは別の意図があるのか。


「もしも、私の為にリリアがそれをしたとするのなら、それは主である私が負うべきことでしょう。でも、リリアではありません」

「そうまではっきりと言い切れる証拠が?」

「……証拠がそんなにも必要ですか?」


 残念なことに、明確な証拠というのはそれほど多くはない。

 そして、私がどんなに頑張ったところで、物的証拠というのはほとんど見つけられなかった。

 あるのは、状況証拠とそれを元にして組み立てた、穴だらけの推理。


「あら、あなたは証拠もないのに人を糾弾するの?」

「私は糾弾なんてしていませんし、するつもりもありません」


 そう。これは糾弾などではない。糾弾できるほどの何かを私は持たない。


「ただ、確認してるだけです。……わたしは、知りたいだけですから」

「何を?」

「……『私』がなぜここにいるかを」


 私がそう言った本当の意味は王妃殿下にはわからなかっただろう。


 アルティリエであり、和泉麻耶でもあった『私』。

 『私』という意識がどういうものなのか、定義することはたぶん誰にもできない。

 私は、麻耶の生まれ変わりがアルティリエで、アルティリエという意識が殺された為にその過去世である麻耶の記憶が蘇ったと考えているけど、それが真実かどうかは誰にもわからないことだ。

 でも、幼いアルティリエの意識が失われた為に『私』がここに存在していることは事実だ。

 だからこそ、知りたい。


「本当は、犯人を捕まえたかった。捕まえて裁判を受けさせたかった。……でも……それが不可能なことがわかりました。だって、この国には貴族を裁く法は存在していても、王族を裁く法は存在していない」

「ええ、そうよ」


 妃殿下は驚いた表情をし、そしてどこか苦味を帯びた表情で笑った。


「だから、私はただ知りたいのです」

「知ってどうなるものでもないのに?」

「知れば、同じ過ちを繰り返さぬよう努力することができます」

「奇麗事ね」

「……だから、努力と言っています」


 私は笑ってみせる。

 同じ過ちを繰り返さないと言い切ることはできないのだ。それはどうにもならないことかもしれないから。誰が悪いわけでもなく、どうしようもないことも世の中にはあるのだと今の私は知っている。

 けれど、知らないより知っていたほうが、避けられる確率も高い。

 妃殿下は、驚きの表情で私をしげしげと見る。


「ティーエ、あなた……いったい……」


 私はもう、嫌ということも非難することもできず、自分の心を閉ざし、声をなくしてしまった幼い子供ではない。

 私は答える代わりに、話しはじめる。


「エルルーシアの実家は北部にあり、エルゼヴェルドの城で私を毒殺しようとした犯人にされた人もまた、北部の生まれでした」


 北部……今、戦場になろうとしている……あるいは、なっている地域。


「事件というのは、だいたい、過去の幾つかの出来事の織り成す結果で……だから、どうすればエルルーシアが死ななくて済んだかはわかりません。エルルーシアが死んだことを聞いたその時、私はかっとなって怒りを覚え、自己嫌悪を覚え、そして、その感情の赴くままに走り出しましたが、実際にはとても的外れでした……」


 でも、それでこうやって現在につながっているのですから無駄とは思いませんけれど、と私は付け加える。


「エルルーシアはある事件では加害者であり……そして、あの毒殺事件では被害者となりました。遠因となる出来事はいくつもあって、複雑に入り組んでいて……正直、そのすべてをわかったわけではありません」


 たぶん、すべてを解明することはできない。

 中心となる出来事はいくつかわかっているけれど、それらが元となり波紋が広がるように連鎖した出来事がたくさんあるのだ。当事者にだってわかっていないことがたくさんあるだろう。


「でも、結局はたった一つの出来事が元になっているのです」


 私は小さな吐息を漏らす。

 妃殿下は、どう判断してよいかを迷うといった表情で私を見ていた。


「でも、だからこそ、私にはあなたの動機がわかりません」

「私の動機?」


 私が問うた意味を咀嚼しながら、妃殿下がおうむ返しに言葉を返す。

 私はまっすぐとその瞳を見て問う。


「あなたはなぜこの国を壊そうとし……そして、また守ろうとするのですか?」


 二律背反。

 矛盾する要因と結果。

 それは、ほとんどすべての事件にあてはまる。


 私の問いに、妃殿下の顔から完全に表情が消えた。


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