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閑話 王太子と女官見習いと婚約者

 初めて見た時、その子は泣きながら庭に何かを埋めていた。

 まったくの無表情だったが、私にはその子が泣いているように見えた。

 その子がいなくなった後、こっそりそこに近づいてみた。

 掘り返された真新しい土……木で作られた粗末な十字架に小さなシロツメクサの花輪が飾られていた。


「……金糸雀よ」


 声に振り返った。黒のお仕着せに青いカフス……とても若く見えたけれど目の前のこの女性は正式な女官だった。


「姫さまが飼っていた金糸雀が死んだの」


(あれが、姫さま……)


 ああ、そうか、と思った。

 光をはじく黄金の髪……ダーディニアの黄金の薔薇と呼ばれたエフィニア王女と同じその髪を持つアルティリエ王太子妃殿下。

 彼女こそが、私の主となる方だった。




「あなたが、ミレディアナ=レナーテ=ドナ=アディラ?」

「はい」

「私は、リリアナ=エルリーナ=ラナ=ハートレー。王太子妃殿下付の女官です。あなたの上役になります」

「失礼しました。すいません、勝手に庭に出てしまって……」

「いいえ、かまわないわ。……先ほどのことは他言無用よ」

「え、あ、はい」


 ラナということは、この女性はれっきとした貴族の令嬢である。それも、宮中貴族ではない世襲貴族のご令嬢だ。

 ダーディニア貴族は、その成立の事情から世襲貴族と宮中貴族とに分けることができるが、世襲貴族の方が圧倒的に格が高い。というのは、世襲貴族は独立領主であるのに比べ、宮中貴族は王臣であるからだ。

 簡単な見分け方としては、領地に付随する爵位を持ちその領地の名が爵位名となっているのが世襲貴族。功績により王家から爵位と俸禄を与えられた者で姓を爵位名としている者が宮中貴族だ。

 そのどちらをも兼ねる人間もいるが、優先されるのは領地が付随する爵位であり、叙爵された年代が古い爵位である。

  

(まあ、王太子妃殿下付の女官なら当たり前か……)


 王族の傍近くに仕える侍女は、最低でも騎士爵以上の家柄の娘であることが条件である。

 かくいう私の家も準男爵だ。騎士爵よりやや高い身分を持つ家柄ではあるけれど、その実は、御料牧場……王室の所有する農園や牧場の管理人に過ぎない。

 だが、身分は高くなくとも御料牧場の管理人を務める家というのは裕福だ。

 職務の性質上、殊更私腹を肥やすようなことをしなくともさまざまな余禄があり、下手な伯爵家など及ばぬ財を誇る。

 だから、私の姉たちは全員15歳を前にして婚約が決まり、貴族女性の適齢期とされる20歳前後で早々に嫁いでいるし、私自身も北方に領土を持つ伯爵家の次男と婚約していた。

 私が王宮に侍女としてあがったのは、ある種の箔付けの為だった。貴族女性として、王宮で侍女勤めをしたことがあるということは、最高の花嫁教育を受けたとみなされる。

 格上の伯爵家に嫁ぐにあたり、私が引け目を感じないで済むようにと考えた父の心づくしであるといってもいい。


「隠しておいても仕方がないから先に言っておくけど、姫様の周囲では不穏な噂が絶えないわ。事実、いろいろなことが起こってもいる。でも、ここは王宮なのだから、多少のことは仕方がないと思って頂戴」

「多少って命の危険があったりもするんですか?」

「……それなりにね」


 さらりと言われた。


(お姉様もいろいろあったって言ってたっけ)


 5歳上の姉 アリーダは、16歳からの3年間を第二王妃殿下にお仕えした。後宮では文字通り、どろどろした女の争いの中に投げ込まれ、日夜いろいろと気苦労が絶えなかったらしい。

 だが、実際のところ、私が巻き込まれたのは女の争いなんていう生易しいものじゃなかった。

 別に女の争いをバカにするわけではない。時と場合によってはそれもかなり過酷なものではあることは承知している。

 でも……アルティリエ妃殿下の周囲にまとわりつく薄暗い……王家や大貴族の闇の部分のほうが私にはよほど恐ろしかったのだ。


□□□


「アヴィラ家のご息女?」

「はい。そうです。アルティリエ妃殿下の侍女を務めております」


 私は、居並ぶ鎧姿の騎士たちの前でしとやかに侍女ぶりっ子なしぐさで一礼してみせる。

 王宮生活もすでに4年目ともなれば、宮中作法もそれなりに身についていて、意識するまでもなく滑らかに身体が動く。

 それは、彼らにも十分に伝わったらしい。天幕内のどこかはりつめ空気がほんの少しだけ和らいだ。


「妃殿下の侍女が、なぜこのようなところに?」


 それは当然の質問だった。


「休暇をとって、婚約者の実家へなかなか進まない婚約破棄の話し合いをしに行く途中でした」

 

 私はあらかじめ用意しておいた答えを口にする。

 婚約破棄については確かにこじれていたが、実際のところは、妃殿下に依頼された調べものの為に退出する言い訳に使っただけだった。

 でも、たずねた騎士は少しぎょっとした表情をした。そりゃあそうだ。いきなり婚約破棄とか言われると驚くだろう。

 しかも私本人が直接相手の家を訪れるようとしているなんて、普通では考えられない。

 私も先方のおうちを訪ねるつもりはあったが、挨拶するだけのつもり。だって、すでに事態は私の手に負えない。


「親同士の間で話は決まっているのですが、ちょっと話し合いがこじれていまして……先方にお伺いする為に近道をしようと思っていたのです……」


 我が家は王宮の御料牧場の管理をしている。御料牧場はこの近くにもあって、うちの人間はこのあたりの地理に詳しい。勿論、地図に載っていない道にだって知っている。今回はそれが仇になった。


(軍がこの道を移動の為に使うなんて!!)


 普通、こんな間道は軍は通らない。

 確かに『道』ではある。概ね、全行程にわたり小型の馬車が通れるくらいの道幅はあるし、ところどころがかなり悪路にはなるものの、それなりに整備されている場所もある。

 だが、街道ではないのだ。

 街道ではない以上、途中で補給をしたり、休息したりはできないし、物資を運ぶ大型の馬車はもちろん通れない。

 だから、「軍はそんな道を行軍しない」と私は思い込んでいた。


 けれど、身軽な騎馬の隊だけで駆け抜けるのならば……物資だけ別ルートをとれば、それはまったく問題がないし、街道を通るよりもずっとはやい。

 よく見ていれば、彼らは10人程度を一隊として時間を少しづつずらして出発している。少人数の騎馬隊は、この間道を抜けた先のどこか……おそらくは、私たちが目指すトゥーラか、その先のエキドナ平原あたりで集結するのだろう。

 

(国境まで、最低でも一日は短縮できるわ)


 それに気づいたら背筋がぞわぞわっとした。

 すごい、と単純に思った。

 この道を使用する為に少人数の騎馬隊を編成したこともそうだけれど、知らない人からしてみればおそろしいほどの早さで我が軍が国境に到達したように感じるに違いない。最低でも一日……騎馬になれていれば二日くらい短くなる。

 そして同時に、自分たちがすぐ解放されないだろうことが簡単に予測がついた。


(たぶん、軍事機密よね)


 普通だったら軍の行軍と一緒になったとしても咎められることはない。軍が通り終わるまで足止めをくうくらいで終わりだ。

 けれど、この間道のことといい、今現在の状況といい、拘束されるだろうことは間違いないような気がする。 

 それを思って私はため息をついた。

 何ていうか……うまくいかない時ってとことんツイていない気がする。


□□□


 そもそものはじまりは、先月のはじめ、お父様から来た手紙だった。

 その長い長い手紙は、要点だけを言うならば、『マーレ子爵がおまえとの婚約を破棄しないと言い張っている。説得して欲しいと伯爵はおっしゃっている』ということだった。

 マーレ子爵というのは、私が婚約していたアーサー=ルドヴィア=ディス=ラドヴィックのことだ。

 正直、うんざりした。


(だいたい、婚約破棄だってムシが良すぎると思うのよね)


 私とアーサーが婚約したとき、アーサーはティルヴィア伯爵家の次男だった。

 次男ということは、家を継がず分家をするということだ。伯爵家には、レイモンド様というれっきとしたお世継ぎがいらっしゃって、三ヶ月前までは彼がマーレ子爵だった。

 ティルヴィア伯爵家では、嫡子こそがマーレ子爵を名乗る。アーサーがそう名乗るようになったのは、レイモンド様がお母上の小間使いと駆け落ちして廃嫡されたためだった。

 次男で分家するから私と婚約していたのであり、伯爵家を継ぐ身となったアーサーと私とでは身分が釣り合わないと先方は考えた。

 そして、当然のように婚約破棄が申し入れられた。

 我が家はそれを婚約不履行で訴えることも出来たのだけれど、私が止めた。


(何もいいことないしね)


 元々、親同士の決めた婚約でそれほど思い入れがなかったこともあるし、准男爵の娘が未来の伯爵夫人の地位を望むのは分不相応であるというのも理解できる。

 何よりも、私には女官になる話があったから、私にまったく非がないということを明らかにしてくれるのなら婚約破棄しても良いと父に言ったのだ。

 結果、父は伯爵に恩を売る形で婚約破棄が成立した。

 私はそれで良いと思っていた。


(政略結婚なのに、反対されてムリを押し通して結婚するなんてごめんだもの)


 ところがだ。

 婚約のもう一方の当事者であるアーサーがそれを拒否したのだ。

 私としては、まったくその理由がわからなかった。

 あちらは北方騎士団に従騎士として入団し、私は王宮に侍女としてあがっている身の上であれば、年に一度も会う機会はない。

 これまで会ったことのあるすべてを足しても両手で余るほどの回数だ。

 そんな私との婚約破棄を拒否する理由がわからなかった。


(特に何があるってわけでもなかったし……)


 私は、すぐに手紙を書いた。

 お父様と伯爵の間で決められたシナリオ通りに、私が妃殿下の女官になること。そして、女官になるからには中途半端なことはできないので婚約を破棄したいという手紙を。

 それに対するアーサーの返事は便箋にデカデカとたった一言。

『嫌だ』

 それを目にした私が、思わずそれを真っ二つに引き裂いたとしても誰もとがめないだろう。

 何が嫌なんだ、このクソガキ!

 思わずそう罵りそうになったが、口には出さなかった。そこで押し留まるのが淑女教育を受けた娘というものだ。


 そして、私がどれだけ手紙の上で言葉を尽くしても、アーサーからの手紙は『嫌だ』の一点張りだった。

 なので、私は説得を諦めた。そもそも、婚約破棄を言い出したのはあちらなのだし、私はできるだけのことはやった。

 後は親子間で話をつけてほしいと思った。


 そんな中、リリア様……そして、妃殿下に調査を頼まれた。

 『エルルーシアの足取りを追って欲しい』と。

 こじれている婚約問題を解決する、というのは退出の理由にはうってつけだった。


(……っていうか、言い訳くらいに使えなきゃ腹立つし)


 噂にはなるだろうが、私は女官になるのだから別に気にする必要もなかった。


 □□□


 エサルカルの国王一家が幽閉されたことは、旅の途上で聞いた。

 戦争が起こるのだと皆が口々に噂していて、王宮に比べるとあまりにも乏しい情報の中で、私はいろいろとやきもきした。

 まあ、私がやきもきしたところで何がどうなるわけでもなく、結局、命じられていた調査を続行させる以上のことは何一つできなかったのだけれど、せめて、少しでも早く仕事を片付けて王都に戻ろうとしていた矢先にこの始末だ。


(ついてない……) 


 ため息をついた私に、三十過ぎだろうか、やや険しい表情をした騎士が問う。


「ミレディアナ嬢、近道とはいえ、どうして地図にも出ていないこんな道を選んだのですか?」

「早いからです。地元の人間なら知っていますし……私の家は御料牧場の管理の家でございますので、管理している牧場間の流通経路については隅々まで知っているという自負がございます。急がなければならない時、あるいは、腕に自信があるか、馬術に自信があればこの道を選びますわ」


 この道は、裏道のわりにはそこそこ道幅があり、小さな馬車も通れる。なのに、地図にも載らず、あまり利用者がいないのはこの先の一部が灰色狼の生息地である森を通る為と、水場がほとんどない為だ。


「女性がいるのに?」

「旅には慣れていますし、何度も利用していますから」


 私はにっこり笑う。多少誇張があるかもしれないが、利用したことがあるのは事実だ。

 対する騎士さんが私の笑顔に困ったように視線をそらした。しゃべり口調がぶっきらぼうなのは、女性と話すのに慣れていないせいかもしれない。


「しかし……」

「私たちもこんなところで行軍する部隊と遭うなんて思ってもおりませんでした。勿論、わかっていたら選びませんでした」


 急いで帰りたかっただけだもの。軍と鉢合わせするのなら、この道は選ばなかった。

 すでに出陣したとか、これから出陣なのだとか、いろいろな噂も聞いていたけれど、まさか既に出陣していて、更にはその出陣した部隊と遭遇するなんて誰が思うだろう。

 軍の移動ルートなどはもちろん軍事機密に類することになるから明らかにされるはずがないのだけれど、この道はちょっと盲点だと思う。


(舗装されてないから、馬術に自信がないと難しいし……)


「私たちも驚いているんです。この道を軍が利用するなんて……」

「……軍にも地元の人間はいるものだ」


 背後から声がした。

 聞きなれたというには恐れ多い、だが、最近はよく聞いていた声。

 私の尋問というか、質問にあたっていた騎士が立ち上がって敬礼する。

 かまわなくて良い、というように王太子殿下は軽く手をあげそれを押しとどめた。


「殿下」


 びっくりして思わずぴょこんと立ち上がった。優雅でない動作に気づいて、ちょっと恥ずかしかった。

 そして、私は宮中でよくそうしているように王族に対する礼をとる。

 左手を軽く握って胸の前に置き、右手でスカートの裾を軽くつまんで、足を引き、心からの敬意を込めて頭を下げるのだ。できうる限り動作が優雅に見えるよう心がけることを忘れない。

 この礼が優雅に美しくできるようになると、概ね、花嫁修業が終わったとみなされる。


「良い。このようなところでそなたの顔を見るとは思わなかった」


 ええ。私もです、殿下。

 頭の中をいろいろなことが駆け巡る……私が妃殿下のお望みでエルルーシアの調査をしていたことは、たとえバレバレだったとしても殿下には内緒にしなければいけない。


「お恥ずかしながら、私としても不本意な次第でして」


 妃殿下に依頼された調査については、実はそれほど手がかからずに終わった。

 王宮に入る前のエルルーシアの足取りを追うことはそう難しくなかったし、エルゼヴェルトで行った調査報告書も既に王宮に送ってある。

 私が王都から離れたこんなはずれにいるのは、退出の言い訳に使った以上、ティルヴィアの伯爵の屋敷にご挨拶に伺わなければならないからだ、そうしないと、後で調べられたりした時に言い訳ができない。


「不本意?我が妃の女官になることがか?」

「とんでもありません。妃殿下の女官になることは我が身の誉れ、我が家の名誉でありましょう。私はアルティリエ妃殿下に正式にお仕えできることを心から嬉しく思っております」


 殿下は私の回答に満足げにうなづいて下さる。


 私は、妃殿下の正式な女官になることが決まっている。

 現在は女官見習いという身分で、半年して試験に受かれば女官として正式採用される。

 女官の試験には実は武術という項目もあるのだが、私は実はそちらが得意だったりする。

 私の望みもあったのだが、おそらくリリア様の計らいなのだろう。私の願いを汲んだ形で、王家から我が家に対して女官になるかどうかの打診をして下さった。

 これは我が家としてもとても名誉なことだった。

 ただの侍女であるのならばともかく、妃殿下の正式な女官だ。男性の地位で言うならば、王子殿下の側近に望まれたようなものだ。

 ましてや、アルティリエ妃殿下は王太子殿下が即位の暁には間違いなく王妃となられる方であり、国母となられる方と定められてもいるのだ。その信頼を得、お側近くにお仕え出来るなど、貴族の娘として生まれてこれほど名誉なことはない。


「不本意なのは、妃殿下に心置きなくお仕えする為に婚約破棄をしたのですが、双方の家が納得しているのにご本人が承知してくれないことです」


(……ほんと、あの子、どういうつもりなのかしら)


 マーレ子爵 アーサー=ルドヴィアは、私より3つ年下の17歳。

 記憶にあるのは、彼が北方騎士団に入団する時の祝宴の時だから、もう3年前になる。

 柔らかな金の巻き毛に緑の瞳が綺麗な、無口がちでおとなしい子だった。

 覚えているのは3年前の彼であり、今ではきっとかなり大人びているに違いなかったが、私には成長した彼が想像できなかった。思い出すのはいつもどこか幼さが残る少年の横顔だ。


「婚約を破棄するのか?」

「はい。私は社交生活もそれほど好きではありませんし、そもそも家におさまっていることが苦手です。女性の嗜みである刺繍とか、音楽の素養もまったくなく、貴族女性としては落第に近いんです。……でも、妃殿下のお傍で仕えさせていただけるのでしたら、この私にもできることがあります」


 お祖父さまやお父様の手伝いでいろいろな公文書の下書きとかをしていたから……御料牧場は報告書が多い……書類仕事が苦にならない。それから、幼い頃から習っていた武道も、普通の貴族の子女としてはちょっと大きな声では言えない技能だが、傍仕えの女官ならば特技の一つとして認めてもらえる。


「そなたは、よくやっている」

「ありがとうごさいます」


 殿下の言葉に、私は恭しく礼をする。

 思いがけないお褒めの言葉に、ちょっとだけドキドキした。


(好みじゃないけど、褒められると嬉しいかも)


 王太子殿下は確かに素晴らしい美形なのだけれど、私の好みはどちらかというと第二王子殿下のようながっちりしたタイプの男性なのだ。

 クマみたいで可愛いと思うの、アルフレート殿下って。


「あまりにもこじれるようだったら言うが良い」

「ありがとうございます」


 私はその一言をとてもありがたく思う。

 殿下のお言葉であれば、アーサーも逆らえないだろう。


「……私もそろそろ行かねばならない。そなたはこのまま王宮に帰るが良い。供をつける」


 殿下のおかげでどうやらすぐに解放されるらしくて、私は安堵した。


「いえ、殿下のお手を煩わすわけには……」

「礼には及ばぬ。単なる護衛というだけではない。そなたがまっすぐ王宮へ戻る監視も込みだ」

「は?」

「あれの傍らに人が少ないのは心配なことだからな」

「……………」


(か、過保護だわ……)


 薄々わかっていたことではあった。

 たぶん、王太子殿下はもうかつてのように『誰にでも』『等しく』『優しく』なんて接することはできないだろう。


(だって、特別ができてしまったもの)


 ただ一人だけの特別な存在 ─────── アルティリエ妃殿下。

 それは素敵なことだと思う。


「それと、ここで私と会った事は他言無用だ」

「……軍事機密、ですか?」

「そうだな」


 殿下は小さく笑みを浮かべる。殿下にとっては、機密というほどたいしたものではないのかもしれない。


「……妃殿下にもですか?」

「そなたが王宮に着く頃には、我らがここに居た事などもうどうでもよくなっている。あれに話す分には別にかまわない」

「良かった」


 妃殿下に、殿下がご無事な様子をお話したらきっと喜ばれるだろう。


「気をつけて戻るが良い」

「……はい。お心遣いありがとうございます」


 私は出来うる限り優雅に腰を折り、礼をする。

 殿下は軽くうなづいて天幕を出て行った。


(あれ?私、このまま帰ったらまずくない?)


 退出の理由に使ったのだから、伯爵家に挨拶に行く予定だったのに。


(バレバレだってことかな……)


 苦笑した。

 王太子殿下は、知らないことがないんじゃないかと思うくらいあらゆる事柄に精通している。

 そして、おそらくは私の事情もご存知なのに違いない。

 私は馬車へと足を向ける。


「どうしたの?」


 御者のハインツが困ったような顔をしている。


「あ、お嬢様。いえ、あの……」


 困惑の原因はすぐにわかった。


「……ミレディアナ嬢」


 馬を連れて現れた青年が、どこか親しげに私の名を呼ぶ。

 でも、私にはまったく覚えがなかった。

 王太子妃宮に出入りできる男性は決まっているし、妃殿下の近衛の方々でもない。


「……どちらさまですか?」


 私より頭一つ分以上高い身長。すらっと……というよりは、ひょろっと感じられる細い身体……その、その金の巻き毛に既視感を覚えた。


(……何か記憶をかすった気がするわ)


「……僕です」

「僕?」

「……アーサーです」

「は?」


 私は、ぱかっと口を開けたまま青年をもう一度よく見た。

 身につけているのは濃紺の北方騎士団の従騎士の制服。手も足もすんなり長く、こう言っては何だがなかなかうまく成長していた。

 父である伯爵はずんぐりむっくりなのにかなり身長が高いのは、きっと母である伯爵夫人の血だろう。女性にしては背の高い伯爵夫人は、女性の平均身長よりやや高い私よりも長身なのだ。


「アーサー?アーサーってティルヴィア伯爵家のアーサー?」

「ええ、そうです」


 柔らかく微笑む表情に、どきっとした。

 おとなしい恥ずかしがりやの少年は、いつの間にか見上げるほどに成長していて、まったく別の……男の人になっていた。


(北方騎士団も動員されているのか……)


 現実逃避気味に、頭の中では全然別なことを考える。

 エサルカルとの国境は西部から北部にかけてだ。北方騎士団が動員されていてもおかしくはない。ないのだけれど、どうしてここに……と思ってしまうのは当然のことだろう。


「ほんとのほんとに?」

「ええ。正真正銘本物のあなたの婚約者です」

「えーと……」


 婚約破棄したと思うんですけど。


「まだ婚約証書は破棄されていませんから。……よって、婚約破棄も成立していませんから!」


 私の心の声が聞こえたかのように、アーサーはきっぱりと言った。


「いや、それはそうなんだけど……」


 確かに書類上とか公的には『まだ』だけど、互いの家の家長が承知しているんだから成立したも同然だと思うんだけど。

 アーサーが重ねて口を開こうとしたところに、おそらくはアーサーの騎士である人から声がかかる。


「おい、アーサー、ここで話すのも何だ。どうせ王宮まで時間はたっぷりあるんだ。後にしろ。出発するぞ」

「はい」


 アーサーはその言葉に表情をひきしめてうなづいた。


(いい表情するなぁ……もうあの子だなんて呼べないわね)


 そして姿勢を正し、ほれぼれするようなビシッとした敬礼をしてみせる。

 ちょっとだけ私は見惚れた。……あくまでも、ほんのちょっとだけ。


「ドナ・ミレディアナ……王太子殿下の命により、王宮までお送りさせていただきます」

「…………はい」


 王太子殿下の命に他の返事ができるはずがない。


(……なんか、してやられた気分だわ……)


 確かに礼には及ばぬ、とおっしゃるわけだった。

 考えようによってはこうして当人と直接顔をあわせて自分たちで話をしたほうが話が早いような気がするが、もはやその段階は通り過ぎているという気もする。


「ミレディアナ嬢、参りましょうか」


 アーサーがにっこりと笑って、エスコートの為に手を差し伸べてくれる。


「……………ありがとう」


 笑うとどこか幼げで、わたしの記憶の中にある少年と一致した。

 正直、どう接していいか悩む。

 いきなり成長して現れたのも驚きだけど、事情もなかなか複雑なわけだし……。


「どうかしましたか?」

「いえ……」


(早く戻りたかっただけなのに……)

 

 王宮までの道のりが、果てしなく遠いもののように思えた。


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