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34.予測

 聖堂は常に光を絶やすことがない。

 その聖堂において常に光を放っている『常夜灯』と呼ばれるランプは、一晩中、柔らかな光をともし続ける。

 どういう仕組みになっているかはわからないけれど、このランプは特にオイルを足したりすることなく、一晩中灯をともし続ける。

 『常夜灯』は、聖堂がその独占販売権を持つ照明器具で、聖堂における喜捨の約三分の一近くがこの常夜灯関連のものだと殿下から聞いたことがある。

 宗教団体の在り様としてはともかく、教会がしっかりとした財源をもっていることは良いことだと思う。


(お布施的なものだけに頼っていては、本当の意味で誰かを救ったり支援したりすることはできないから……)


 宗教団体としては矛盾する点もなきにしもあらずだけれど、ダーディニアの国教会の在り様は私にも受け入れやすい。

 ぼんやりとした常夜灯の光を眺め、それから私は高い天井を見上げる。

 この小さな祈りの場は、小さいながらも王宮内であるためにとても手が込んだ装飾が施されている。

 基本、聖堂は窓が小さく光があまり差し込まないつくりになっていて、それはここもまったく同じだ。

 だから、昼は薄暗いのだが、夜は逆に明るく感じられる。


(確か、照明効果とか計算してあるんだよね)


 たとえば天井の高さ、それから多用されている白や金、いささか過剰すぎると思えるほどのきらめく装飾……そのすべてが神の威光と荘厳とを形作る。

 正直、こんな時じゃなければ、いろいろ見て回りたい。

 祭壇の彫刻もすごいけど、天井や壁もすごいし、床だってモザイクでなにやら意味ありげな意匠が並んでいる。


「あまり知られていませんが、この西宮の聖堂も、アルセイ・ネイの作った建築物なんですよ」


 ご存知ですか?とシオン猊下が問う。


「……本宮だけではなく?」


 唐突な話題。シオン猊下は何かを迷っているようだった。その横顔に、あの笑みがない。

 だから、私も静かに言葉を紡ぐ。


「ええ。この聖堂は……当時は聖堂ではなく、離宮だったのですが……すべてがネイの作ったものではない為に、ネイの建築物であるという認識はされていません。具体的に言うと信徒席の前参列から祭壇にかけてのあちら側がネイの建築したもので、後はすべて後代のものです」

「へえ」


 純粋に感心した。床の模様は同じように見えるが、確かに多少色合いが違う。


「妃殿下はネイについて知識があるのですね」

「興味があったので少し調べましたし……猊下の代わりにネイのレポートを書いたリリアの講義も受けましたから」


(それだけじゃないけど)


 にっこりと笑って言うと、シオン猊下の顔が思いっきり引きつった。

 えーと、嫌味のつもりはなかったけど、もしかしたら、これは痛烈な皮肉になってるのかも。

 ……あんまりしゃべらない方がいいかもしれない。何かこう口の回りが良すぎる感じがする。

 こういう時って言わないでもいいこと言ってしまうんだよね。うん。自重しよう。

 軽い興奮状態にあるのか、眠気とかはほとんど感じていない。

 沈黙には慣れているので、私は特に居心地の悪さを感じることもなく、こっそり周囲を観察していた。こんな時になんだけど、どれだけ居ても飽きないかもしれない。


(すごいなぁ……)


 正面の祭壇のレリーフは、聖書の冒頭の天地開闢の部分を描いている。たぶん、こうやって信徒席に座ってみるのが一番いい角度にできてるんだと思う。よく見えるもの。

 もちろん、私の名前の由来となったシーンだってある。

 わりと夢中になって見ていたら、シオン猊下が口を開いた。


「………わかって、いらっしゃるんですね」


 陽気さも、押さえつけられた激情も、何もなかった。

 それは、問いかけではなく、ただの確認だった。

 ……立ち上がった猊下の表情は、影になっていてよくわからなかった。


(やっぱり)


 理解するより先に納得する自分がいた。


「……そういうわけでもなかったのですが」


 でも、私は最初からこの展開を予測していたように思う。

 そう。たぶん、シオン猊下が私との会見を求めたときから。


(そっか……)


 ふと、気づく。

 ざらついた違和感の正体が何だったか……何がそんなにもひっかかっていたかを。


「猊下は王太子殿下の信頼を裏切るようなことはなさらない。でも……リリアのためならば、誰が相手でも退かないだろうと思っていました。だからこそ、リリアのことをお話したかった……」


 シオン猊下にとってリリアは優先順位の一番だ。それは、これまでのいろいろなことから私には疑いようもなかった。

 そして、誰が相手でも猊下はリリアのことであれば退くことはない……そう思ったのは私だけではなかったということ。

 猊下は、リリアのことであれば、王太子殿下が相手であってすら退くことはないのだ。


「なぜ、リリアのことを?」


 私はコートのポケットからカフスを取り出す。


「これが、届きましたから」


 一つだけ……片方だけのカフス。

 なぜ、片方だけだったのか……それは、もう一方が別の人間の手に届けられていたからに他ならない。

 シオン猊下も、ポケットから同じように片方だけのカフスを取り出した。


「これがリリアのものであることは近しい人間ならわかるでしょう。……同じデザインであっても、他の子たちのものとは石の質がまったく違いますから」


 私の言葉にシオン猊下はうなづく。


「これが私に届けられた、ということはメッセージだと思いました……だから、少しでも早く猊下にお伝えしようと思ったのです」


 私には何もできることがなかったから、と口にする。


「……元は、イヤリングだったんです」


 猊下がぽつりとつぶやいた。


「リリアから聞きました。……いつも身につけておきたかったから、私の侍女になるときに作りかえたのだと」


 当然ながら、侍女は装身具をほとんど身につけない。宮中はドレスコードが厳格であり、侍女にふさわしいとされるものしか許されていないのだ。

 勿論、今の私の格好は論外。猊下が『変わった格好』と評したのは控えめな表現と言える。


「自分の決意と覚悟の象徴なのだと教えてくれました」

「……そんなことまで?」

「仲良しですから」


 きっぱりと言うと、シオン猊下が小さく笑った。


「そのようですね」


 空気が柔らかくほどける。

 こんな場合なのに、ちょっとだけ和んだ。


「正直、妬けます」

「いっぱい妬いてくださってかまいませんから」

「……すごく負けた気になるのは気のせいですか?」



 シオン猊下の言葉に、私はただ笑った。





 ゴーンと遠くで鈍い鐘の音が鳴る。

 川向こうの大学特別区にある時計台の鐘の音だ。


「……遅いですね」


 高い位置にある小さな窓を見上げて、私は言う。

 明ける気配はまだないが、夜のうちにすべて終わらせてしまいたいと思っていた。


「は?」


 猊下はものすごーく間の抜けた表情で私を見る。


「さっさと片付けて戻らないと、不在がバレてしまいますから、早く来て欲しいと思いまして」

「え、いや、でも……」

「たぶん、夜のうちに戻れば何とかごまかせると思うのです」


 何度も言うけど、大事にはしたくなかった。


「しかし……」

「あ、猊下は、必ずリリアを助けてくださいね。私は大丈夫です」

「アルティリエ姫……」


 『妃殿下』と頑なに呼び続けていたシオン猊下が、ちょっと間が抜けた表情をして、思わずといった感じで私の名を呼んだ。


「何ですか?」

「あの、僕を許してくれるんですか?」

「許すも何も、猊下、何かしましたっけ?」


 私は軽く首をかしげる。

 私は心底本気でそう思っていた。

 一応、形としては猊下が私を誘きだしたということになるのかもしれないけれど、実際のところ、ここに来たのは私の意志だった。

 ようは、シオン猊下の立場があちら側というだけで、あとは私の思い通りになりそうだったので、どうでもよかったとも言える。


「今はまだしてません。でも、姫をリリアと引き換えにしようとしています」

「ああ……別に問題ありません」

「いや、あるでしょう。普通に考えて」

「予測の範囲内です。大丈夫ですよ」


 猊下がマジマジと私の顔を見つめる。

 そんな風に見られても、実際まだ何もされてないし、憎むとかそういう気持ちもさっぱりわかなかった。

 そもそも、猊下自身、脅されて加担しているのだ。私に何か意趣があるわけではない。事情を考えれば、仕方のないことだと思う。


 最もそう思えるのは、私だからなのだとも言える。

 年齢どおりの子供でしかなかったら、きっと、どういうことかまったくわからず、裏切られた気分で絶望していたに違いない。


「……誰が来るかわかってますか?」

「何となく想像はしてますが、当たっているかはわかりません。……でも、私の想像通りなら、私が物理的に傷つけられることはないでしょう」

「……ええ、物理的には」


 猊下は、そこで初めて憎悪にも似た表情を閃かせた。

 昏い翳り……負の感情を感じさせる何か……でもそれは、ほんの一瞬だけのことだった。


「申し訳ありません」


 猊下が何について謝ったかわからず、私は首をかしげる。


「……僕はずっと知っていたのです。貴女がつらい目に遭っていたこと。それが誰の手によるかも」


 でも、それを告発することができなかった、と猊下は目を伏せる。


「昔の話は忘れました」

「姫……」

「覚えていないことを謝られても困ります」


 事実、覚えていない。

 一度、リセットしちゃってるから。


「しかし……」

「大丈夫ですよ、私はもう以前の私じゃありませんから」


 安心させるように笑ってみせる。

 そう。今の私は、何も言い返せない子供ではなく、傷つきやすい柔らかな心の少女でもない。


「それはわかります。ですが……」

「さっきも申し上げましたけれど、猊下はリリアを助けることだけ考えてください」

「……ここで貴女の身とリリアを引き換えにすることになっています」

「そう。良かった」


 私はほっと安堵のため息をもらす。それだけが心配だった。

 リリアが無事に帰ってくるのなら、私の目的は達成される。


(その後はちょっと大変だけど……)


 でも、大丈夫だと勝手に決め付ける。

 ちょっと出たとこ任せな感はあるけれど、きっと平気。

 それは半ば自分に言い聞かせているようなものだった。でも、今の私はそれだけで充分だった。


「妃殿下」

「はい」


 シオン猊下は、静かな衣ずれの音をさせて立ち上がると、優雅な動作で一礼し膝をついた。

 私はきょとんとした表情でそれを見ていた。

 目の高さがそれほど変わらないので、猊下の顔がよく見えた。

 ナディの言葉を借りれば、聖職者ではダントツ一番人気であるという猊下は、確かに美貌と呼ぶにふさわしい容姿の持ち主だった。どこか神経質そうなところもまた魅力なのだと聞いた。


(私は殿下の妃だから、別に猊下がどれだけ美貌でも関係ないけど!)


 その蒼の瞳がやや緊張を帯びて見えて、私は軽く首をかしげた。

 猊下はそっと私の右手をとり、それから、自身の額を軽く押し付けた。

 ちょっとだけ驚いた。

 それは、最高の敬意の証だ。

 大司教たる猊下は、国王陛下にだってこんな礼はしなくてもいい。


「猊下?」

「シオンとお呼び下さい、妃殿下」

「シオン猊下?」

「ただの、シオン、と」

「シオン、ですか?」

「はい」


 シオン猊下は、私の口からもたらされた響きに満足そうに笑う。


「本当はお名前で呼びたいところですけれど、兄上が怖いので止めて置きます。そうですね……妃殿下は兄上の妻ですから……僕は、義姉上とお呼びしますね」


 えっと……。

 何て言えばいいんだろう?

 もしや、これは懐かれたの?

 確かに義理の姉だけど……見た目12歳の私を「義姉上」と呼ぶ21歳の猊下って違和感あるような、ないような……。

そして、シオン猊下はまじめな表情で宣言した。


「こたびの一件は、義姉上がお戻りになったら、いかようにも償わせていただきます」


 その言葉には、確かな誠意がこめられていて、私は戸惑う。

 私には、償ってもらうようなことなどなかったから。


(えーと、これからちょっと面倒なことがあると思うけれど、ある意味、それは自分で選んだ結果のことだし)


 私は何も知らずに引き渡されるわけでなく、自身の意思で引き渡されるのだから、償うとかそういうのは何か違うような気がするのだ。


「……それよりも、リリアに怒られることを覚悟しといた方がいいですよ」


 リリアは絶対に怒るから!

 平手の一発や二発覚悟しといたほうがいいと思うの。


「それは、覚悟しています」

「あと、バレたら当然、殿下にも怒られますね」


 一緒に怒られてくださいね、と私が言うと、猊下は視線をさまよわせて言う。


「……僕は、兄上には、殺されるかもしれません」


 泣き笑いのような表情から、思わず目をそらす。

 うん。それに近いものはあるかもしれない。私は怒られるくらいで済むと思うんだけど。

 殿下は、あれで結構、激しい方だと思う。ふだん効きすぎるくらい効いている抑制の箍がはずれたらと考えるだけでちょっと恐ろしい。


「大丈夫です。そのときは、とりなしてあげます」

「本当に?」

「ええ」

「きっとですよ」


(とりなしきれなかったら、ごめんね)


 一応、心の中で謝ってみた。たぶん、私の心の中の声が聞こえなかったことは、シオン猊下には幸いなことだっただろう。


(猊下って、結構、ヘタレな性格なのかも……)


 でも、猊下はまだ二十歳そこそこだから仕方がないかもしれない。普段、堂々としているからそれほど意識しなかったけれど、あちらで言えばまだ大学生くらいだ。


「それに、とりあえず、バレなければ大丈夫ですから!」

「バレなければって……無理ですよ、今頃、フィル=リンあたりが貴女の不在に気づいてます」

「大丈夫。フィルの弱みは握ってます」

「……義姉上」


 シオン猊下の眼差しに信じられないとでも言いたげな色が混じる。

 え、フィルの弱みなんて簡単じゃないですか。

 

「でも、やっぱり、貴女を渡すのは……」


 落ち着きなく立ち上がった、シオン猊下の瞳が躊躇いの色を帯びる。


「この期に及んで迷わないで下さい……いいですか、優先順位を間違えたらダメです。一番大事なものを間違えないで。二兎を追うものは一兎も得ずなんですから」


 あ、今、ちょっとお説教口調混じったかも。義姉上とか呼ばれるから、つい。


「ニトヲオウモノハイットモエズ?」

「えーと、同時に2つのことをしようとして、どちらも成功せずだめになってしまうこと

です」

「……わかりました」


 おお、素直だ。育ちが良いってこういうところに出るよね。

 シオン猊下は、私をまっすぐに見てうなづく。それから、私の隣の席に座った。

 真新しいベンチは、柔らかなカーブを描いていてなかなか座りやすい。


「大丈夫です。私だって何も備えなしに行くわけではないのですから」


 猊下の眼差しに、私は小さくうなづいてみせる。


「申し訳ありません。貴女はこの国で一番安全が確保されなければいけない人なのに……」

「……大丈夫。エルゼヴェルトの推定相続人としての自覚はちゃんとありますから」


 それに、臆病な方だと思う。好奇心がないわけじゃないけれど。


「いえ、それだけではありません……すいません。それ以上はまだ僕の口からはお話できないので」


 詮索しないで下さい、とすまなそうに言う。


「いえ」


 それ以外に何があるのだろう?とちょっとだけ気になった。

 だって、ほら、自分のことだし。



 けれど、ギーッという嫌な音がして正面扉が開き始めたら、その疑問はすぐに頭の片隅に追いやられた。


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