33.理由
闇の中で、息を潜める。
周囲に人の気配はなかった。
(なんか、不思議……)
表面的にとはいえ、こんな風に独りになるのは、『私』として目覚めてから初めてかもしれない。エルゼヴェルトのお城での墜落事件以来、皆、私を一人にすることをとても恐れていたから。
(どきどきしてる……)
それが、王太子殿下との約束を破るせいなのか、それとも、別の予感からなのかちょっと自分でも判別がつかない。
ぼんやりと空を眺める……二つの月が中空にかかっているのを見ても、今はもう特にどうとも思わなくなっている。最初は衝撃だったけど。
(慣れたってことなんだろうな……)
この世界で生きること……そして、アルティリエであることに。
吐く息が白かった。
室内とはいえ夜ともなればこの季節はかなり寒くて、私はマフラーを巻きなおす。
薄い皮の手袋のおかげで指先は温かい。室内だけど、コートも着て完全防備だった。
コートの下はジュリアのお仕着せで……そのほうが動きやすいし、もしもの時に都合が良かろうと借りてきた。
ジュリアのお仕着せは私にはちょっと大きめだったけど、簡単に糸で留めてサイズを詰めてある。何箇所かささっと留めただけなのに、ほとんど不自由を感じない。
(ジュリア、器用だなぁ……)
この国では、裁縫は重視される技能の一つだ。
特に刺繍は、貴族の子女の教養の一つで、刺繍の腕が良ければ、良縁に恵まれるとまで言われるほど。
すべてが手工業の世界だからドレスの装飾なんかも全部手作業。装飾の基本は刺繍で、あとはモールやレースや宝石なんかを縫い付けたりする。
裁縫の技能をかわれて仕える、縫製専門の侍女もいるくらいで、その侍女の腕が女主人のおしゃれ度に直結してるといってもいい。
私の場合、それを担当しているのがジュリアとアリスだった。
とはいえ、私はそれほどそういった方面に関心がなかったのでいつもお任せで、これまで、彼女たちの技術を実感することがあまりなかった。今夜、思わぬことでそれを再確認したといってもいい。
(今度、いろいろ作ってもらってもいいかもしれない)
もっと動きやすく、装飾のあまりないシンプルなドレスを作ってもらったら、きっともっと便利に違いない。
こんこん、と小さくガラスがたたかれる。
びくっと身体が震えた。
心の準備をしていても、やっぱり驚く。
静かにテラスの履き出し窓が開いた。
「……いらっしゃいますか?」
押し殺した声は、シオン猊下だ。打ち合わせしたとおり、一度、宮から出て改めてこっそり戻ってきたのだ。
これは内緒の外出だからして、それなりの偽装が必要になる。
「ここです」
言葉少なくこたえた。
窓のわきの壁に背中をつけて膝をかかえて座っていた私を、猊下は見下ろす。私はパタパタとコートの裾をはたきながら立ち上がった。
「……変わった、格好ですね」
私を見て、少し考えたシオン猊下は、言葉を選んでそう言った。
「そうなんですか?このコートは殿下からもらったものなんですけど」
私はコートの裾をつまんで、見回す。別におかしいところはないと思うけど……。
まあ、強いて言うなら、このグレイのフードつきのコートは、私の持っているコートの中では一番簡素な品だ。
あのお出かけの後に殿下からいただいたもので、特別に私サイズに仕立ててくれた物。軽いのに少しの水ならはじくし、風も防ぐし、裏にポケットがいっぱいあって便利。化学繊維のないこちらのことを考えるとすごーく機能性に優れているんだから!
「兄上……」
シオン猊下はがっくりと肩を落とした。
「何かおかしいですか?」
「……そのコートが男性物なのは言うまでもありませんが、そのデザインは軍用の品なんです」
騎士団の従僕用に採用されている品で、妃殿下のような方が身につけるものではないです、とため息混じりにつぶやく。
「かまいません。いつものふわふわコートでは気軽に動き回ることもできませんから」
見た目は濃い目の灰色のてるてる坊主みたいな感じ。結構かわいいと思う。
色が色なのであんまり目立たないし、シンプルなのがいい。
デザインが軍用であっても別に問題ない。どうせ、コートの下は侍女のお仕着せ着てるくらいなんだから。
「妃殿下へのプレゼントはもっとロマンティックなものにしていただきたいと思うのですが……」
(殿下にロマンティック!!)
思わず吹き出しそうになるのをこらえた。
夢見てるなぁ、シオン猊下。
「どうぞ」
「ありがとう」
差し出された手に、そっと手を重ねる。
さすが元王子様、エスコートがとっても上手。
(あれ?)
さっきまでは庭はまるで昼間のように明るくなるほどたくさんの人がいたはずなのに、今はもう誰も居ない。人払いでもしたんだろうか?
もっとこそっと行かなければいけないかと思っていたのに。
「どうかしましたか?」
「……騎士の人や護衛の人がいないので」
「ああ……今、ちょうど、調査の中間報告をやってるんですよ、裏のほうで」
「なるほど」
抜け出すには絶好のタイミング、というわけだ。
猊下にエスコートされて、暗闇の中でも私はまったくつまづくことなく歩を進める。
こういうのって初めてかもしれない。
(殿下は……ほとんど私を歩かせないから……)
殿下と外出したのは一回きりだったけれど、庭を散歩したりとかは何度かある……でも、あれを散歩と言って良いかはちょっと疑問だ。だって、私はほとんど地面を歩いていないもの。
殿下は私をものすごーく小さな子供だと思っているのか、気がつくといつも抱き上げられている気がする。
(まあ、そのほうがお話しやすくていいんですけど)
……そんなことを思い出していたら自然に笑みがこぼれた。
「どうしました?」
きっとシオン猊下にも私が笑みを浮かべているのがわかったんだろう。
「いえ……ちょっと思い出していました」
誰のことを、と言わずとも猊下もすぐに合点する。
「そんなに兄上のことを?兄上が心配ですか?」
「……いえ。本当はそういうわけでもないのです」
戦勝祈願はただの言い訳にすぎないから。というと、ピタリと猊下の足が止まった。
つんのめって、危なくぶつかりそうになる。
「では……なぜいらっしゃったのです?」
平坦な声音。
言葉に熱がこもるのを無理やり押さえつけているような、そんな印象を受ける。
「……猊下と内緒話がしたかったので」
「僕と?」
「はい」
私はうなづいて、にっこりと笑いかけた。
「僕と何を話したかったのですか?」
強張った声。
『私』ではなく『僕』という一人称。猊下は、自分がそう口にしていることすら気づいていないのかもしれない。
「リリアのことを」
息を呑む音が聞こえたような気がした。
(わかりやすいなぁ……)
微笑みの裏でいろいろと画策するのは、この兄弟の共通点なのかもしれない……アル殿下をのぞく……けれど、シオン猊下はリリアが関する限りとてもわかりやすい。
(きっとそれだけ大事なのだろうけれど)
その事実が今の私には一番大切なことだった。
そして、それこそが、こうして私が猊下についてきた理由だった。




