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3.人形姫

(しっかし、何度見ても奇跡だなぁ……)

 バルコニーに設置された椅子に腰掛けて、ぼんやりと湖を眺める。

 目覚めた初日はさすがにベッドから出してもらえなかった。

 その後は部屋の中では起きていることを許されたけれどもちろん外になんか出してもらえるはずもなく、昨日は息苦しさのあまりほんのちょっとだけ廊下に出たところ、廊下に掛かっている絵を見て歩いているうちにこの広いお城の中で迷子になってしまた。

 何とか自室近くに戻ってこれたのではと思っていたらものすごい形相をした屈強な男たちに追われて反射的に逃げ出し、城中を迷走して墜落現場で眩暈をおこしてベッドに逆もどりした。

(あれはたぶん、私を探してくれていた人たちだったんだよね、たぶん)

 あんまりにもすごい形相だったので、逃げ出してしまったけれど。

 たぶん、大騒ぎになってしまったのだろう。

 気絶してしまった私はその顛末を知らないけれど。

(ごめんなさい、もう勝手に廊下に出たりしないから)

 心の中で謝罪の言葉をつぶやき、小さな吐息を漏らす。

 あんな事件があった後に部屋を抜け出すようなことをするべきではなかった。……抜け出すつもりはなかったとはいえ、結果として、迷子になったので抜け出したと判断されても言い訳のしようがない。

 リリアに、部屋から出ないでくださいと念を押されてしまったのも無理はない。

 反省しているからこそ、こうしておとなしく朝からずっと椅子に座り続けているのだ。

(なんか、人形になった気分だわ)

 目の前の光景は、まるで絵のように美しいものだ。

 鮮やかに青い空、向こう岸には深い森が見える。

 セラード大森林……ダーディニア有数の森林地帯で、その半数以上の樹木は樹齢五百年を越える。この大森林の奥には旧帝國時代の遺跡があるという。

(景色は綺麗なのに……)

 どうも素直にその景色を楽しめない。何となく息苦しいし、気持ちが竦むのだ。

 今の私の部屋は1階だけど、湖の上に張り出したこのバルコニーから落ちるだけでもとっても危険で、それを考えただけでも何だか全身がきゅっと縮こまるような気がする。

 こうして危険のない場所から眺めているだけでもしみじみ自分の運のよさに感じ入る。

 ほんとよく助かったものだ。

 意識不明で一週間寝込んだらしいけど、勿論覚えていない。

 一週間寝込んだ割には身体は何でもなかったと思う。

 目覚めた当初はずっと寝てたせいであちらこちら痛かったりもしたけれど、今は全然平気。打ち身が少しあるくらいでケガらしいケガもまったくしてなかったし。


(私を殺そうとしてた人、びっくりしてるだろうなぁ)


 アルティリエが落ちたとされるバルコニーは、三階の端。絶対にアルティリエが一人で行くような場所ではないと侍女が力説するような場所だ。

 そもそも、あそこは遊戯室なのだ。

 ビリヤードやダーツのようなゲームがあって、夜会の後で男性参加者達が煙草を楽しみながらゲームをしたりする部屋で、勿論、当日は使われていなかった。それに、遊戯室というのは、女性が足を踏み入れる事の少ない部屋なのだ。

 そして、そこが遊戯室だと知っている少女が、誰もいなかったとしても一人で行くような場所でもない。

 だとすれば、偶然の事故である確率は極めて低い。

 だいたい、アルティリエは一人でどこかに行くような子ではない。

 物心ついたときから王太子妃であるお姫様育ち。たぶん、アルティリエには一人でどこかに行くという発想自体がない。昨日のあれは中身が『私』だったからの結果だ。

 だから、護衛の騎士もお供の侍女達の誰一人も気付かぬうちに、彼女が絶対に足を踏み入れないような場所から落ちるなんてことはありえない。

 リリアなどは、あからさまには口に出したりしないけれど、アルティリエが誰かに誘拐され、ベランダから突き落とされたと考えている。

 エルゼヴェルト公爵家側が必死になって取り繕い『事故』とは言っているが、これは実は『事件』だ。

 それも立派な『王太子妃暗殺未遂事件』。

 私が脱走しようとした影響もあるけど、リリアや護衛の騎士たちがぴりぴりしてるのも無理はない。

(私が覚えていれば、話は簡単だったけどね……ただ……事故でないという決め手もないわけだし……)

 ちょっと嫌な考えになってしまって、それを振り切るように首を振る。

 視線の先で湖面に映る白亜の城が揺れる。

 湖の上に建つ城というのは、絵的にはとっても綺麗だけど使い勝手が悪そうだ。

 お城のある小島と陸地を繋ぐのは、大人三人がかりでやっと動かせる巻き上げ機で上げ下げする跳ね橋だけ。

 あれ、毎朝、毎夕上げ下げしているのだ。ひっどい音がするからそれで目が覚めたりもする。一度、下ろすときの音を聞いたら雷が落ちたかと思ったくらいすごかった。

(……巻き上げ機に油させばいいのに)

 いや、油さしたくらいではどうにもならないのかもしれないけど。

 溜息をついて、気配に振り向くとリリアが近づいてくる。

「お茶になさいますか?」

 私はこくりとうなづいた。



 あんな事故のあとだからなのか、日々の時間は淡々と流れてゆく。

 朝は目覚めるとまず洗顔と髪のセット。

 それから着換えが終わるまでにだいたい40分~50分くらい。

 ああ、時間の単位は、分=ディン、時間=ディダと読めばいい。24時間で一日なのは変わらない。

 時計もちゃんとあるし、数字はアラビア数字とはちょっと違うけど、まあ読めるから問題ない。

 朝の身支度が終わったら30分くらいかけて朝食。もっとゆっくりとるものらしいけれど、一人での食事だ。さほど時間もかからない。

 朝食の後には挨拶を受けるものらしいけど、目が覚めてから私の元にやってくるのは、父である公爵だけだ。

 父といっても、アルティリエは生後7ヶ月から王宮暮らしだから娘という感覚は薄いんだろう。一緒に過ごすようなことはまったくなくて、朝の挨拶をするだけで後は一日中顔を合わせない。

 他に挨拶に来る人間はなく、私から誰かのところに挨拶に行くことはない。

 それは、この城には私に目通りするほど身分のある者は他になく、私が自分から挨拶に行くのは国王夫妻と夫である王太子殿下だけだからだとリリアが言った。そもそも、それすら幼いことを理由に現在は免除されているのだという。

(むしろ、放置状態っぽい)

 で、この挨拶が終わると自由時間。

 もしかしたら、王宮ではこの時間に習い事とかがいろいろあるのかもしれないけれど、実家とはいえ旅先であるここにはそれがない。

 私の周囲にいるのはリリアをはじめとする、数名の侍女達。

 彼女達は王宮の侍女であり、ここのお城の侍女ではない。制服も違う。王宮の侍女達だけが黒を着る事が許されている。

 彼女たちのまとめ役は、やっぱりというか何というか、まだ二十歳そこそこだけど正式な女官として任官しているリリアだ。何でも王家直轄領の租税管理官である子爵令嬢だという。

 私が事故に遭ったことにとても責任を感じていて、言葉を失ったと思われている私にいろんな話を聞かせてくれる。少しでも声を───言葉を取り戻そうと努力もしてくれているのだと思う。

 以前のアルティリエはほとんどしゃべらない無口な子ではあったけれど、しゃべれないわけではなかった。

 無口なのとしゃべれないのは、結果にそう差はなくても意味はまったく違う。

(……ごめんね、しゃべらなくて)

 私は、アルティリエだ。

 こうしてここにいる以上、それが今の私の現実。

 けれど……こうして状況を確認するためと自分に言い聞かせながら口を開かないでいるのは、それがまだ認められないからかもしれない。

 医者の診断で、アルティリエは事故のショックで言葉を失い、ついでに記憶も失っているらしいとされている。らしい、というのは、私がしゃべらないから確認がとれない為。

 一言で言ってしまえば、ふんぎりがつかないでいるのだ。

 自分がアルティリエであることはわかっている。

 その置かれている状況もだいぶわかった。

 ……でも、積極的にアルティリエとしてこの世界で生きていく決断ができていない。

(優柔不断なだけなんだけどね……)

 アルティリエは可愛い。とびっきりの血筋で、かつ、王太子妃という身分もある。うまくやればこの世界でも生きて行けるだろう。

 リスクもあるけれど、条件面だけで言えば元の世界とは比べ物にならない好条件がそろってもいる。

 それでも、私は元の世界を思わずにはいられない


(戻れないのに)


 それだけは何となくわかっていた。

 あの時、たぶん私の───和泉麻耶の生命は失われた。

 そして、私の魂はアルティリエに生まれ変わったのだと思う。

(……どう考えてもその可能性が一番高い)

 漫画とかで幽霊になってのりうつるとかあったけれど、それはその身体の人格が別にあったでしょ。でも、今の私は違う。一つの身体に一つの魂しか宿っていない。

(まあ、私にはどうしようもないんだけど……)

 溜め息を一つつく。

 目が覚めてから、自分ではどうしようもないことばかりで、溜め息の連続だった。

(記憶喪失っていうお医者さまの判断は都合がいいけど……)

 ちょっとくらい何かおかしくても、墜落事故のショックでごまかせる。 

 それに、アルティリエは相当無口だったらしい。

(何しろ、あだ名が人形姫だし……)

 使用人がアルティリエにつけたあだ名は『人形姫』。『氷姫』って言ってた人もいたっけ……どっちにせよ、なんとなくどんな子だったか想像がついた。

 不敬罪にならないのかな、とか思ったけど、まあ、私もお店でやってたからね。本社の人や店長にコードネームつけて話すの。

 だって、名前をずばりと言ってしまったら聞かれたときに言い訳のしようもないでしょ。


「お待たせいたしました」


 リリアが運んで来たワゴンからはいい匂いがしてくる。

 焼きたてのフィナンシェやマドレーヌを見た瞬間、私は思わずにっこりと笑った。

 わーい。おいしそう。

「姫さま……」

 一瞬、リリアの動きが止まる。

 私は小さく首をかしげて見上げた。

「いえ、何でもありません。さ、どうぞお召し上がり下さい」

 こくり、と私はうなづく。この時は、まさか私が笑ったことをリリアが驚いたなんて思いもしなかった。

 つまるところ、そんなにもアルティリエが人形だったということなんだけど。

(んー……おいしい!うわ、これ作った人、天才!レシピ知りたい!)

 綺麗なきつね色のフィナンシェは、たっぷりのバターを使った甘さ控えめの絶品。

 こういう焼き菓子は、きつね色を焦げ色にしないその焼き加減が一番難しい。甘さ控えめといえど、砂糖を使っているから焦げやすいし。

(んー、でも、これは砂糖より、ハチミツかな……うん。たぶん。ハチミツだ)

 ちょっとクセのある甘味がする。でも、ミルクを使っているからそのクセがいい感じなのだ。これ、絶妙なバランス。

 綺麗な琥珀色の水色の紅茶を飲みながら、二つ目に手を出す。

(この緑、なんだろう……ほうれん草?よもぎ?たぶん、抹茶ないしな……この国)

 緑色をしたフィナンシェ。何かの野菜の葉っぱだと思う。ちょっとほろ苦な感じがおいしい。

「それはザーデのフィナンシェです。ザーデは栄養価が高いんですよ」

 なぜか嬉しそうにリリアが説明してくれる。

 なるほど、と思いながらおいしくいただく。甘いもの食べるとどうしてこんなに幸せな気分になれるかな。すごい不思議だ。

(どうしよう、三つ目食べようかな、やめようかな……)

 ダイエットに気を配る年齢でもないんだけど、昼食が食べれないのは困るし。

「これは人参ですけど、あんまり人参の味もしません」

(別に私は人参平気なんだけど、アルティリエは嫌いだったのかな……)

 まあ、いいや、と思いつつ三つ目に手を伸ばす。

 人参本来のほのかな甘味がおいしい。

 これ作った人、名人だよ。弟子入りしたいくらい。

 野菜本来の味を生かしつつ、お菓子としておいしい。

 売り出したら絶対に売れると思う!あ、でも、砂糖とか貴重品そうだからコストパフォーマンス的に無理か。

 後にこのお菓子をめぐって、ちょっとした騒ぎになるんだけど、勿論この時の私は何も知らなくて、結局、アーモンドとレーズンもあわせて合計五個も食べた。

 なぜか、侍女たちがみんな満足そうだった。


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