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31.違和感

いつもならとっくに眠っている時間なのに起きていたのは、漠然とした不安を覚えていたからだ。


(まだ、帰ってこない)


 どんなに遅くても、リリアは戻った時に一度私の元に顔を出す。これは私が眠っていてもだ。

 一度、半覚醒の状態で夜中にリリアが来た気配があったから、翌朝、本人に聞いたら、私の無事を自分の目で確認してから出ないと自室に下がれないと言っていた。

 だから、まだ戻っていないのは確実だった。

 一人諜報部員みたいなリリアだからして、私の知らないところでいろいろと暗躍しているのは知ってる。

 様子を伺ってくるとも言っていたから、遅くなるのは承知の上だったし、場合によっては今夜中に顔を出すことはないかもしれないとも思っていた。

 だから、アリス達が遅いと言い出したときには、にこやかな微笑みを浮かべて、リリアには大事な用事を頼んだから今日は帰らないかもしれないとフォローもした。

 リリアなら大丈夫と思いながらも、今夜に限って不安がうち消せなかった。


(たぶんそれは、リリアが行ったのが王妃殿下のところだから……)


 ガラスの割れる音がした瞬間、反射的にベッドから飛び降り、ガウンを上に羽織って音のした居間の方に走り出した。

 少しはしたないかなと思ったけど、これは非常事態だからと自分に言い訳する。

 居間に駆け込むと、既に何名かの騎士達が駆けつけていた。


(さすがだ……)


 エルゼヴェルドで私の身を危険にさらしたことを教訓としているためか、彼らの行動はとても迅速だ。


「……妃殿下」


 入り口に立つ私にすぐに気づいて、レイエス卿が膝をつく。


「何があったのですか?」

「何者かが建築資材の石塊を投げ入れたようです」

「……この宮にですか?」

「はい」


 だって、ここはどこよりも警備が厳重で、言葉を飾らずに言えば常に監視されているのに……そんなことできるんだね。

 

(ああ、でも罠って可能性もあるなぁ)


 わざと隙を作っておくとフィル=リンは言っていた。誘き寄せるのだと。

 この場に彼がいないところをみると、もしかしたら、今頃、犯人追跡中なのかもしれない。


 まあ、私の寝間に踏み込むのは不可能でも、夜は使っていない居間に石を投げ入れるだけなら誰にでもできる。

 こちらには防弾ガラスとか強化ガラスとかそういうのはないから、ちょっと硬いものを力いっぱい投げれば、ガラスなんて簡単に割れるし、力もそれほどいらない。

 庭にはちょっとした死角はいっぱいあるし、警備の目をくらますこともきっと寝間に比べればそれほど難しくはない。


(まあ、可能性ばかりだけどね)


 防犯カメラとかないし、基本、すべてを『人』に頼っている以上、『絶対』はない。

 だから、どれだけ警備が厳重でも絶対に『不可能』とはいえないのだ。


 ちらりと視線をやれば、ガラスの破片は室内側に飛び散っていた。間違いなく、外からの衝撃で割れたことは確かだ。


(結構飛び散ってる……)

 

 石を投げ入れたと思ったけれど、遠距離からパチンコのようなもので飛ばしたのかもしれない。

 護衛の騎士たちが記録をとりながら割れたガラスを片付けている。

 私は、そこが自室でありながらそれ以上奥に踏み込まないように誘導された。

 庭のほうが昼間のように明るくなっているのは、多くの人が動員されて庭を調べているからだろう。

 一つ一つは電気を知る私には薄暗く感じられるランプや松明も、たくさん集まれば相当な光量になる。


「申し訳ござません。責任は私にあります」


 レイエス卿は、膝をついたまま頭を垂れた。

 彼が今夜の警備責任者なのだろう。


「いえ。殿下が出征なさっていて、いろいろと手が足りないことでしょう。賊が私の元に侵入したわけではありませんから」


 気にすることはありません、と私は真面目な顔で告げた。


「それに、いたずらかもしれませんし……」


 そう口にする私にレイエス卿はわずかに苦笑をみせ、それから深く一礼した。

 実際には、お互いそれを信じていないことは承知していた。でも、建前は必要だ。あんまり真実を追究しすぎると、彼の責任問題になってしまう。

 こんなことくらいで責任を取って降格とか、降格ならまだしも、除籍とかされてほしくない。


「妃殿下!」


 侍女のお仕着せ姿のアリスがやってくる。

 髪は結っていないし、化粧もしていないが、騎士たちがいることを見越して着替えて来たらしい。


「こんなところに……危ないですから、寝間にお戻りください」


 いつもと同じアリスの姿を見ると、何だか自分の夜のガウン姿が恥ずかしくなった。まあ、12歳はまだ子供のうちだから周囲はそれほど気にしないだろうけど。


「……わかりました」


 少しだけ考えて、私は素直にうなづく。ここにいても不安は消えない気がしたし、私がいても何もできることはない。


 ふと、壁際の小卓の下に、紙くずが落ちているのが目についた。周囲をうかがうと、他にそれに気づいている人間はいないようだった。ちょうどうまい具合に脚の部分に隠れていて死角になっていたのだろう。

 アリスがレイエス卿となにやら打ち合わせしている隙に、私はこっそりとそれを拾った。

 くしゃっと丸めたただの紙くずのように見えたけれど、拾い上げるとそれは紙だけではない重みがあった。

 中に何か包まれていることがわかった瞬間に、ドクンと心臓が一つ大きな鼓動をうつ。

 ガウンの袖の中でそれをぎゅっと握り締める……私の小さな手でも握りめられるくらい小さなもの……硬い感触がした。

 

「先に、戻っていますね」


 早口でつげ、私は小走りで廊下を抜け、寝間に戻る。

 そして、即座に扉を後手で閉めて扉をふさぐようによりかかった。

 

 目を瞑る。……何かの予感があった。 

 

 それから、そーっと紙を開く。


「嘘……」


 紙くずの中には、鈍く光るつや消しの金……カフスが一つ。

 見たことのあるデザインの……青い瑠璃石をあしらったそれはリリアのものだった。

 すぐにわかった。

 同じデザインのものを、アリスだってミレディだって持っている。

 けれど、これはリリアのものだ。

 リリアのそれは、シオン猊下がリリアに贈ったイヤリングを作り直したもので、瑠璃石の質が他の子たちのものとはまったく違うのだ。


(リリア……)


 イヤな感じがしていたのは、こんな瞬間を予感していたせいかもしれない。


(落ち着け……まだ、最悪の事態じゃない)


 これは、メッセージであって、リリアに何かあった証拠ではない。


(いやいやいや、帰ってこないんだから何かはあったから)


 一人でつっこみ、一人でボケる……私も、相当混乱してるんだと思う。

 気分を落ち着かせる為に、もう一度、大きく深呼吸をした。


(どうする……)


 リリアが何者かにカフスを奪われた……それは、囚われたと言い換えてもかまわないだろう。

 リリアはこのカフスを特別大事にしているから自分から誰かに渡すはずがない。

 そして、捕らえた者はこれを私へと届けた。


(いったい、誰が?)


 手がかりはどう考えても王妃殿下だ。

 けれど、私が王妃殿下のところを訪れて、「リリアが帰らないんですけど、知りませんか?」なんて聞いたら大騒ぎどころじゃ済まない。


(……やだな……)


 これは、脅しなんだと思う。

 さっさと私を呼び出したりしないあたりに、犯人の底意地の悪さ……獲物を嬲るような性質が透け見える気がする。


 カフリンクスを包んでいた紙を丁寧に広げる。そこに文字はない。

 薄く罫が漉きこまれているこの紙は、王宮の公用箋だ。

 右上には紋章がくっきりとプリントされていて、このクリーム色の地のものは王宮の本宮の部屋に備え付けのもの。

 本宮の人間だったら誰だって手に入れられるので、犯人を絞り込む手がかりにはまったくならない。


(あ、まただ……)


 わずかに鼻先をくすぐった、覚えのある香り。

 でも、それはほんの少しだけ記憶を刺激して、霧散する。

 うまく思い出せないことがもどかしい。


(何の香りなのか……)


 香水とか化粧品とかそういうものではなく、甘さがありながらもどこか苦味がある感じ。

 何かもう少しでわかりそうなのに、香りは曖昧でとらえることができない。


(……あちらの出方を待つしかない) 


 くやしいかな。リリアがいない私ができることなんて、ほとんどない。

 一人で出歩くことすら制限される身だし、その上、個人的に何かを頼むことができる伯爵もミレディも今は留守にしている。

 ……思わずため息がこぼれた。

 情けないというか、やるせないというか……こんな時に、ただ相手の出方を待つことしかできないなんて生殺し状態だ。


(……リリア)


 生きていることはたぶん間違いない。そうでなければ、私にこれを届ける意味はない。

 殺したという事を知らしめたいのなら、こんな風に回りくどいことをする必要はないのだ。


(必ず、助けるから……)


 コンコンというノックの音に、びくりと身体が震えた。


「妃殿下?」


 入ってきたのは、湯気のたちのぼったカップをトレイにのせたジュリアだった。アリスはまだ居間から戻っていないのかもしれない。


「ブランデーミルクです、どうぞ」


 いつものぴしっとしたお仕着せ姿だったけれど、少し眠そうだ。こんな時間だから無理もない。


「ありがとう」


 ゆっくりと閉められたドアの隙間から見えたのは、騎士の姿。廊下に歩哨として立っているらしい。

 普段は、私の目に触れるところにはあまり入らない彼らだったけれど、こんな夜はやはりそういうわけにはいかないのだろう。

 ジュリアが中に来るのを待ち構えるようにして、口を開いた。


「ジュリア、お願いがあります」


 私はまっすぐとジュリアの目を見る。


「はい」


 ジュリアはちょっと姿勢を正して私を見返した。


「朝一番で教会に行くことはできますか?……殿下のご無事をお祈りしたいの」

「……それは……」


(うん、無理だってわかってます。だって、仮病中だもん)


「……殿下のご無事をお祈りしたいの」


 そういえば、まず頭から却下されることはない。

 『王太子殿下の為に』という枕詞がつくと、皆、とっても協力的になる。……これは、私だけが使える魔法の呪文のようなものだ。

 しかも何回使っても、いつ使ってもとっても効果的な万能の呪文。


「それでしたら、シオン猊下にこちらにいらしてもらえばいいですわ」


 ジュリアはなーんだ、と言いたげな表情で笑う。


(ありがと、ジュリア)


 彼女がそう言い出すことは計算の上だった。そう。計算通り!

 ……だから、その生温い笑みはよしてほしい。何かに負けたような気分になるから。


「妃殿下に外に出ていただくことは絶対にできませんけれど……シオン猊下は王太子殿下にお留守を頼まれたとのことで、毎日こちらに様子を見にいらしてますの。そのときにお伝えすればすぐに来てくださいます」

「そうなの?知らなかった」


 猊下がこちらに来ていることにまったく気づかなかった。まあ、いちいち報告があるわけではないから仕方ないけれど。


(良かった……)


 それは好都合だった。できるだけ早くシオン猊下と連絡をとりたい。

 私には何もできないけれど、シオン猊下ならばきっと打つ手があるに違いない。

 きっと、リリアが危険だということであればシオン猊下は相手が誰であっても退くことはない。


「猊下ご臨席であれば教会でなくとも、祈りの場所には充分だと思います」

「……そうね」


 できれば少しでも早くお会いしたい……どうすれば、今すぐにここに呼び出すことができるだろう……。


「猊下は、私の知らない間にこちらにお越しなの?」

「はい。猊下もお忙しい方でございますから、こちらにいらっしゃるのはいつも夜遅くか朝早くなんです……妃殿下にお目通りする時間ではないからとおっしゃって、いつも報告だけ聞いてすぐにお帰りになります」

「そう。……今夜はいらっしゃった?」

「いいえ」


 ならば、すぐに連絡がとれる可能性があるということだ。


「どうやったらすぐにシオン猊下にお会いできるかしら……」

「今夜はもう遅いですわ」

「でも、一刻を争うの……このままでは眠れないかも」


 リリアの無事を確認するまではきっと眠れないだろう。

 私は、頭の中でいろいろな可能性を検討し、却下する。

 どう考えても、私が不自然でなく、今すぐに猊下をここに呼び出すことは不可能だ。


「まあ……」


 真剣な私に、ジュリアはおかしげな笑い声をもらした。


「なあに?」

「妃殿下は、本当に王太子殿下のことがお好きなのですね」

「……突然、何言うのよ」


 突然の言葉に面くらい、どういう表情をしていいかわからなくて、視線を泳がせた。

 だって、そんなこと突然言われたって……そりゃあ、殿下のことは、す、好きだけど……。

 でも、こんな時に突然そんなこと言わなくてもいいのに。

 平常心を保たねば、と思うのに、何だかじっとしていられないような気分になってくる。


(……ご無事をお祈りするっていうのは、シオン猊下と連絡をとるためのただの方便なんだから!)


 口に出して言うことができない言い訳。

 確かにナディル殿下のことは心配だけど、でも、それほど心配はしてないの。

 だって、殿下だもの。

 ……どういうわけか、私の中には、ナディル殿下に対する無条件の信頼がある。

 私は、少し温くなったブランデーミルクを飲んで、照れくささをごまかした。


「……夜も眠れないほどに王太子殿下がご心配なのですね」


 わかります、とでも言うようにジュリアはうんうんとうなづいている。

 何か、ものすごく勘違いされている気がする。

 でも、否定はできない。そう、できないのだ。

 だから、何だかものすごくいたたまれない。


 コンコンとノックの音が響いて、正直、ちょっとだけ救われた気分になった。


「はい」


「ギッティス大司教猊下がおみえになり、妃殿下への面会をお求めになっております」


 ドア越しに聞こえたのは、レイエス卿の声だった。

 あまりのタイミングの良さにジュリアと顔を見合わせる。

 ジュリアの口元には笑みが浮かんでいて、いかにも何か言いたげ。

 私としてはどういう表情をしていいかわからなくて困ってしまう。


「お待ちいただいてください」


 ジュリアが私の代わりに返答し、扉の向こうで、伝言を持ってきたレイエス卿が軽く息をのむ気配がしている。

 そりゃあそうだろう。こんな時間に面会なんて、普通ならばありえない。あまりにも非常識だ。


「ちょうど良かったですわね、妃殿下」

「うん……でも、どうして今日にかぎって、面会を求めたのかしら……」

「事件というほどのことではありませんが、事件があったばかりで妃殿下がまだ起きていることをご存知になったからでは?」

「そうかもしれないけれど……」

「何にせよ、タイミング良かったんだからいいじゃないですか」

「……そうね」


 ふと何かが頭の片隅をかすめた。

 何か大事なこと。

 ずっと気になっていたこと。

 それを一瞬、思い出しかけたような気がした。


「妃殿下、早く着替えませんと……」

「ええ」



 けれど、それはうまく形にならないまま霧散して、後にはざらりとした違和感の輪郭だけが残った。


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