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28.殿下の乳兄弟

「不躾なお願いをして申し訳ありません」


 確かに不躾ではある。基本、目上の人間に目下の人間が話しかけるのはマナー違反だし。

 それは親しさの度合いで緩和されたりもするけれど、私と彼は今日が初対面だ……私が今の私になってからという注釈付だけど。


「いえ。……お話とは?」


 私は小さくクビを傾げる。

 正直、今のこの時点で彼が私に何を話したいのかなんて推測もつかない。


「妃殿下は記憶を無くしたと聞きましたが、事実でらっしゃいますか?」


 丁寧に確認するように彼は口を開く。


「はい。……ただ、無くしたというと語弊があるかもしれません。思い出せないことや、知っているはずなのに知らないことがあるのです。……あと、わかってはいるのに、自分のことではないように感じるというか……」


 こんだけ予防線はっとけば、大丈夫だよね。


「記憶が混乱している?」

「どうでしょうか?混乱というほど、自分では整理がつかない状態ではないと思うのですが」


 記憶喪失ということにしたけど、実際問題として記憶喪失ですらないわけで……正直、自分でもどういう状態かはよくわかっていない。


(……何が知りたいんだろう、この人)


 ガリガリとフィル=リンは頭をかく。


「あー、申し訳ないんですが、普通に話しても?」

「かまいません」

「ありがとうございます」


 フィル=リンは、どうやら丁寧な話し方とかが苦手らしい。


「ぶっちゃけて言いますと、記憶喪失の人間ってのは、記憶を取り戻すことがあるんですよ」


 こっちが地なんでご容赦願いますと笑ったフィル=リンは、砕けた口調で話し始める。


(ぶっちゃけすぎだから……)


「で、記憶を取り戻す際、ほとんどの場合、記憶喪失だった間の記憶を無くすんです」

「はい」


(ドラマとかでもそうだったよね……)


 私はこくりとうなづく。


「ようはですね、妃殿下に記憶を取り戻してもらっちゃこまるというか、できるだけ今のままで居て欲しいわけですよ、俺としちゃあ」


 殿下の為に、とフィルは言う。


「殿下の為に?」


 正直、私は『殿下の為に』というこの言葉に弱いと思う。


「ええ」

「失礼を承知で申し上げれば、正直、俺は以前の貴女を知らない。いや、知ってはいたが印象に残っていない。それくらい、以前の貴女は影が薄かった。けれど、驚きました。今の貴女はまったく違う」


 今の貴女にはちゃんと存在感がある。と、フィル=リンはまっすぐと私を見て口を開く。

 何かを見定めるかのように強い眼差し。

 でも、今の私はそれに気後れすることがない。


「今だってそうです。かつての貴女は人と目を合わせることなどありませんでした。……以前の貴女で俺がおぼろげに覚えてるのは、その金の髪とどこも見ていないガラスの瞳だけでしてね」


 うーん、ひどい言われようだ。でも、彼が正直に口にしていることがわかるので咎めることはしない。


(殿下も似たようなこと言ってたし……)


「俺が今回、この宮の家令なんぞに立候補したのは、あいつ……ナディルにとって、貴女が特別な存在だとわかったからだ」

「……?」


 私は更にクビを傾げる。

 

「あなたは、ナディルの唯一の妃であり、エルゼヴェルドの推定相続人だ。確かにそれだけでも代わりはない。けれど、俺が言うのはそういうことじゃなくて……貴女が、ナディルに許された唯一だからだ」

「殿下に許された唯一?」

「そう。あいつが望み、あいつが自分のものにできる唯一」

「意味が、よくわかりません」

「あー、貴女さ、ナディルがただのお優しい王太子殿下だなんて思ってないだろう?」


 フィル=リンががりがりと頭をかく。これは、たぶんクセ。

 間がもたないときの。あるいは、照れくさかったり、ちょっと困っている時の。


「はい」


 私はうなづく。

 だって、私は知ってる。

 殿下が結構大人げない事や、ちょっと天然入ってるぽいことや、それから、子供みたいなところがあること。


「そういうのって特別だってのもわかってるだろ?」

「……たぶん」


 誰にでもそういう顔を見せるわけじゃないとは思っている。

 だからといって自惚れるほど、自分に自信があるわけじゃないけど。


「……ナディルは、人が言うほど順風満帆な人生送ってきたわけじゃない。むしろ、あいつは常に奪われ続けてきた」

「奪われ続けてきた?」


 それはひどくそぐわない単語だった。

 殿下なら自力で奪い返しそうだけど。


「そ。あいつはすべて計算づくみたいな人生送ってんけどさ。その基本は諦めなわけ」

「諦め?」


 また、そぐわない単語。


「王太子なんぞになりたかったわけじゃないんだよ、あいつは」


 どれだけ歳月がたっても、それだけは俺は断言できるんだ、とフィル=リンは言った。

 その横顔に何かもやっとする。

 何だろう、これ。


「えーと、そんなことを言いたかったんじゃなくて……あのさ、あいつは、すべて諦めたんだ。自分の夢も、人生設計も、目標も、全部諦めた。私生活なんてあるわきゃないし、好みなんて口にすることもない……いろいろさしさわりがあるからな。……で、今は『お優しい王太子殿下』ってのをやってるわけだ」


 わかる、と思った。

 私は知らないけれど、でも、彼の言っていることが理解できる。

 最初感じていた薄気味悪さというか、苦手だと思ったそれ……殿下がつけている完璧な王太子殿下の仮面の存在を、彼もまた感じているのだ。


「王太子なんかになった瞬間から、あいつは、延々と搾取され続けてる」

「……搾取?」

「そう。搾取。……あいつは己を削り、与え続ける……国に、そして、民に」

「……王は、国家に奉仕する存在である」


 これ、元は統一帝国時代の誰かが当時の皇帝を諌めた時の言葉。原文では『皇帝は、国家に奉仕する存在である』なんだけど、ダーディニアは、王制だからね。

 フィル=リンは軽く目を見開く。


「そうだ。けどさ……あいつはまだ王じゃないし、それでなくとも奉仕しすぎ。今のあいつには『私』ってもんがまったくない。ギブ&テイクっていうけど、あいつの場合、与える一方で、あいつには誰も与えてくれない」

「そんなことはないと思いますが……」


 だって、みんな殿下の為にいろいろしてると思うけど。


「あー、言い直す。あいつが望むものを、誰も与えてくれないんだ」


 それならわかる。

 殿下、難しそうだもの。実は結構好き嫌いも多いし。


「だから、あんただけなんだ」


 ついに貴女からあんたになってる。

 でも、フィル=リンが素で……掛け値なしの本音を口にしてることがわかってた。


「……は?」

「あいつはね、諦めることに慣れてる。むしろ、最初っから望まない。あいつにしてみれば大概のことは先が見えるからね。でも、あんたは違う」

「えーと……?」


 この場合、どう言えばいいのだろう。

 フィル=リンの砕けた口調にひきずられて、私も随分お姫様ぶりっこが剥がれてきてる。


「あんたはあいつの妻だ。こう言っていいなら、あんたはあいつのモノだ」


 やや反論したい部分もあるけれど、まあ、間違いではない。


「あいつが望んでも許される存在で……そして、誰もあいつから奪うことができない」


 物理的な誘拐拉致……あるいは、私が殺されるようなことがない限り、だけど。

 だって、何といっても私は殿下の妻で、殿下はいずれ国王となられるこの国の実質最高権力者なのだから、私を殿下から取り上げることのできる人間はいない。それは、国王陛下ですらできないことだ。

 正式な婚姻というのは、そういう強制力がある。


「ずーっと奪われ続け、このまま何もないまま終わるかもしれなかったあいつが、あんたに心を寄せた」


 ドキリとした。


「それは奇跡のような幸運と言ってもいい」


 フィル=リンはまじめな表情で私を見る。


「だから、俺はここに来たんだ。……あんたを守る為に」


 ちゃかす気にはならなかった。


「………随分と、唐突ですね」


 私は小さく苦笑する。

 でも、フィルのその言葉を疑っていなかった。

 今日着任したばかりの家令見習いで、いきなり、こんなぶっちゃけ話をはじめて、王太子妃を「あんた」と呼ぶような人だけど。


(……リリアの言ったとおりだ)


 殿下にとって無二の腹心……その通りなんだろう。

 乳兄弟っていいな~とうらやましく思う。リリアとシオン殿下もそうだけど、何ていうのかな……特別な絆があるような気がする。


「あー、本当なら、少しずつ信頼だの何だのを積み重ねていくべきなんだろうが、その時間が惜しいんだ。むしろ、その時間すら怖いっつーか。ちんたらそんなことやってる間にあんたに何かあってからじゃ遅いからな」


 だから、手っ取り早くこういう話をしたんだ、とフィル=リンは笑う。


「あいつからも頼まれてるからさ」


 ちょっと照れくさそうにまた頭をかく。


(あ、何でもやもやしてたかわかった……)


 これ、嫉妬だ。

 私の知らない殿下と彼のその絆に対する嫉妬というか……。

 男同士の友情って時としてものすごくホモっぽいと思うのは私だけだろうか。


「ナディルが王宮を離れている間、必ず貴女は狙われる」


 フィル=リンは言葉を改める。


「はい」


 やっぱり、と思った。


「でも、何も奴が好き好んで貴女を標的にしてると思わないでくれ。あいつにとって、貴女はかけがえのない唯一なんだ」

「大丈夫です。予想はしてましたから」

「へ?」


 私の言葉に、フィル=リンは何を聞いたかわからないという顔をした。


「殿下の乳兄弟で、側近で、本来家令見習いなどになるはずのない方が来る……心配してくれてるのかな、とは思いましたが、裏を返せばそれだけ危険なんだろうなと思いました。殿下が留守であれば宮に常よりも隙ができるのは当然ですし……殿下だったら罠くらいかけていそうだな、と」

「………………………」


 唖然とした表情がおかしくて、私は思わずクスリと笑う。


「間違ってます?」


 上目遣いに見上げた。


「……いんや……大正解。貴女すごいよ」


 心底驚いたという顔のフィルは、まじめな口調のまま問う。


「で、どう思いましたか?」

「どう?とは?」

「あいつが貴女を囮にしてること」


 私にはちゃんと『貴女』っていうのに、殿下は『あいつ』なところが、二人の親しさを感じさせると思うの!!


「殿下らしいなぁと」


 半ば予測していたのが正解でちょっと嬉しい。

 殿下の思考パターンがちょっと読めてきたのかも!


「……それだけ?」

「んー、こっちに教えておいてくれると心の準備できるのになぁ、とか、いろいろありますけど……失敗しない限り、私には別に影響ないからいいかなぁとか……」


 ぶっとフィルが吹き出す。


「あんた、ほんと、すげーよ」


 また、あんたに戻ってる。これって認められたと思ってもいいのかな?


 あははははは……と大笑いする声が響き渡る。

 あんまりにも大笑いするから、何事かと、いつもはひっそりと影ながら見守ってくれている護衛の騎士達が集まってきたくらい。


「なぁ」

「はい?」

「もし……もし、記憶を取り戻しても、あいつのことだけは忘れないでやってほしい」

「忘れないとは思うんですが……でも、大丈夫ですよ」


 これは記憶喪失ではないからそういうことはないと思う。

 でも、忘れてしまってもたぶん大丈夫。


「なんで?」

「だって、忘れてもきっと殿下のことを好きなのは変わりませんから」


 たとえば本当に記憶喪失になってしまったりしても、きっとこの気持ちは無くならないと思う。

 あの冬の湖でアルティリエの記憶は失われたけれど、でも、今の私の中に確かに息づいている。

 この気持ちは、突然生まれたものではなく、すべての延長線上にあるものだと思うのだ。


「記憶なんてなくなっても、一番大切なことは忘れないんです、きっと」


 フィル=リンは、笑いたいようなくすぐったいような表情をして、それからがりがりがりと頭をかく。


「どうしたんです?」

「何かすっげえかゆいっていうか、独り者にはわびしくなるっていうか、胸焼けするっつーか……」


「???????」

 

「いいです、あんたはそれで」


 フィル=リンが諦めたように笑った。


(……変なの)




 私は、彼が言ってることがよくわからなくて首を傾げた。




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