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閑話 王太子と乳兄弟(前編)

 夢は叶わないから夢であり、叶うものは目標と言うのだと誰が言ったのか……。

 だとするならば、それは確かに目標だった。

 それは手の届く場所にあり、俺たちは思い描いた未来がやがて来るのだと信じて疑わなかった。




 最悪の目覚めというものがあるとすれば、それは今だと毎朝目覚めるたびに思う。

 特に、今のように書類に突っ伏して朝を迎えたなんて場合はしみじみとその認識を新たにする。


「フィル=リン、殿下がお呼びだ」

「…………俺はいない。どこにもいない。奴には俺は消えたと伝えてくれ」


 俺は、振り向きもせずに言った。目の前には高くそびえるようにつまれた書類の山……今にも倒れてきそうだ。


「やだね。あの状態の殿下に誰がそんなことを言える?僕はまだ命が惜しい」


 レイ……レイモンド=ウェルス=イル=ラーダ=リストレーデは、ため息混じりに肩を竦める。まったく友達甲斐のない奴だ。物心ついたときからの幼馴染だっていうのに。


「つまり、お優しい王太子さまモードじゃなくて、大魔王様顕現中モードだろ……そんな奴に誰が会いに行きたいものか!だいたい、俺は今計算中なんだよ!3桁もあわねーんだよ!どこ行ったんだよ182袋の小麦」


 ややキレ気味なのはあれだ。メシ時以外、この狭苦しい資料部屋に缶詰させられているからだ。それも、今日で三日目。


「あー、それはひとまず置いといて、早く行った方がいいと思うぞ。あんまりご機嫌がよろしくないからな」

「奴が機嫌悪いのなんざ、いつものことだろ」

「言い直す。かつて類を見ないほどに、ご機嫌がよろしくないんだよ」


 レイ、単語の一つ一つに強調点うたなくていいから。


「はい、はい、だからそれもいつものことだって。ここのところ毎日、不機嫌指数最高値をぶっちぎりで絶賛更新中だからな」


 この三日の奴の不機嫌さと来たら……ちょっと言葉では言い尽くせない。

 一番不機嫌になったのが、今朝の朝食にいつもの携帯糧食ビスケットを出した時だったっけ……。

 携帯糧食に不平を漏らしたことなどまったくなかったのだが、幼な妻のお手製の朝食を二人で仲良く摂る習慣ができてしまった現在、それに不満を覚えるのは至極当たり前だった。


(すっかり、エルゼヴェルトの姫さんに餌付けされちまってるからな……)


 口に出しては何も言わないが、相当気に入っていることくらい、奴の側近だったら誰でも承知している。

 奴にとっては、食べるという行為は栄養摂取以外の何物でもない。

質の良し悪しが判る舌はあるので味覚オンチではないのだが、所詮、まともな食事とか和やかな家庭の食卓というものがどういうものかわからないあいつは、真の意味での『味』というものがわかっていない。

 だから、この場合の餌は提供される『食事』ではなく『姫さん』だ。より正確に言うならば、姫さんと一緒に過ごす時間と言うべきか。


(そこまで気に入るような存在だったっけか?)


 幼馴染であり、乳兄弟であり、仕えるべき主でもある奴……我がダーディニアの王太子たるナディルの嗜好というものはだいたい押さえているつもりだが、女の好みだけはよくわからない。

 とりあえず後腐れない大人の女ばかりと付き合っているのは確かだ。かなりイイ女ばかりなのは、バカが心底嫌いなせいだろう。

 ここのところの様子を見るともうちょっと深くエルゼヴェルトの姫さんにチェックを入れたほうがいいかもしれん。


(まあ、ロリコンの心配だけはしてないけどな……)


 基本的にナディルは『子供』が嫌いなのだ。「弟」「妹」については家族補正が良い方向に働いていたから別格だったが、感情で理性を振り切る子供が嫌いだし、ついでに理性的に話ができないところも嫌っている。

 ちなみにナディルにとって『弟』『妹』に当たるのは同母弟妹だけだ。異母の二人にはほとんど関心がないと言ってもいい。

 そして、ナディルの判断基準は、別に見た目というわけではない。年齢と中身の成熟度は必ずしも一致しないというのが奴の持論なのだ。


(つまり、姫さんは子供じゃねーし、奴とまともに言葉が通じるタイプっつーことだな)

 

 俺は、このところ、ナディルの私的な関心のすべてを一身に集めている姫君の姿を思い浮かべようとして諦めた。

 金の髪と幼いながらもいかにも姫君らしい雰囲気を思い浮かべることはできるのだが、明確に顔かたちを思い浮かべる事が出来ないのだ。

 可愛らしい顔をしていたという記憶はあるのだが……こう、全体として靄がかかっている感じだ。

 たぶん、同じくらいの背格好で金髪碧眼の女の子の中に混ぜられたら、絶対に見分けがつかない自信がある。


(印象薄いからなぁ、あの姫さん)


 人形姫とか氷姫とかという呼び名で呼ばれているエルゼヴェルトの姫君は、これまで他者にほとんど関心を示さないことで有名だった。

 あれほど国王陛下の関心を集め、影の寵妃とまでささやかれるほどに陛下の好意を一心に集めていたとしても、彼女は陛下にさえさほど関心を示しはしなかった。

 ……これまでは。

 注釈をつけるのは、里帰りしている間に湖に落ちて記憶喪失になったせいで、なんだかだいぶ違う性格になったらしいといわれているからだ。ちらほらといろんな噂が俺の耳にも届き始めている。湖に落っこちたときにどこか頭を打ったのかもしれない。

 何にせよ、それが悪い変化じゃなかったことを喜ぶべきだろう。


(そのせいで、奴に気に入られたことが幸か不幸かは別として……)


「とりあえず俺は忙しい。用があるんならおまえが来いって……」

「だから、そんなこと僕が言えるわけないだろう」


 かつてはそんなこともなかったが、今のレイはナディルを苦手としている。ナディルの前に出ると、レイはまるで蛇ににらまれた蛙のようだ。

 多かれ少なかれ、俺たちはみんなそんなものかもしれない。

 そもそも、ひとまとめに王太子殿下の側近団と言われる俺達の中で何か一つでもナディルに勝てる人間はいないのだ。

 頭脳明晰、眉目秀麗、おまけに剣の腕もピカ一ときている。

 天は二物を与えずというが、ナディルに限って言えば、二物どころか三物も四物も与えていると言うべきだろう。奴と何かで並び立つことができるのは、せいぜいアル殿下くらいだ。

 あの殿下はあれで百年に一人の剣の天才と言われている。最も、どれだけ褒め称えられたとしても「個人の技量なんて、物量の前では無意味だ」とか笑い飛ばしてしまうところが、いかにも奴の弟らしいところだ。


「随分と楽しそうだな、二人とも」


 冷ややかな声がした。

 永久凍土の底から響いてくるような声が。

 ぐぎぎぎぎ……と、軋む音すら聞こえそうなぎこちなさで、俺とレイは振り返る。

 流れる銀の髪に絶対零度の眼差し……ダーディニアの王太子にして、我が主たるナディル殿下だった。


「あ、あ、あの……」


 レイ、びびりすぎ。


「主に足を運ばせるとは随分だね、ラグフィルエルド=エリディアン=イル=レグゼルスノウディルイルティーツク=アルトハイデルエグザニディウム」


 噛む様子も詰まることもなく、俺のフルネームを口にする。

 いちいちフルネームを口にするのは間違いなく嫌がらせだ。

 何しろひっじょーに長い姓なので俺は自分自身ですら間違えずに言えた試しがない。たぶん他の兄弟達も同じだろう。自分で覚えてないので、俺は自分のフルネームが好きではない。

 だいたい、こんな長い姓を持つ者同士が結婚するのが間違っているのだ。しかも、名前までややっこしいものをつけやがって。

 面倒なので俺はフィル=リンと名乗る。アルトハイデルエグザニディウム伯爵公子でも何でもない……称号も何もないただのフィル=リンだ。最初に俺をそう呼び始めたのは、他でもないナディルである。


「で、で、殿下……フィ、フィ、フィル=リンは、その……」


 フォローすんつもりなら、せめて噛むな。ついでに弁護する理由くらい考えておけよ、レイ。


「あー……、殿下、ご機嫌麗しゅう」

「まったく麗しくない。おまえはいつから僕より忙しい人間になった?主を呼びつけるとは側近のあり方としてだいぶ違うと思わないか?」


 思いっきり尊大な微笑……遠くから見れば、優しげに見えないこともない。が、至近距離でそれを見せられ、冷ややかな嫌味攻撃をくらってる現在は決してそんな勘違いをすることはない。それは紛れもない冷笑である。

だが、こんなことくらいでおたついていたらこいつの乳兄弟なんざやってられない。


「申し訳ありません。わざわざご足労をおかけしまして」


 慇懃無礼なほどに丁寧な口調で宮廷作法の教本どおりの礼をしてやる。


「まったくだ」


 ふん、と鼻で笑う。俺の嫌味なんぞ、こいつにはまったく無意味だ。

いつの間にか、こいつはこういう尊大で嫌味な言動がよく似合うようになった。聞こえ良く言いかえれば、威厳というものがついたとも言える。


(……昔は違ったけれど)


「……姫さんに会えないことがそんなに不満かよ」


 無言でじろりと睨めつけられた。

 ……うわ、図星かよ。

 だが、こいつがそれを口にすることはないだろう。

 ナディルは、自分の私的な意志を口に出さぬことを常に心がけている。

 幼時、何気ない自分の一言で守役が解任されたことを教訓にしているのだ。


(いい加減、少しくらいはわがまま言ってもいいと思うがね……)


 鉄壁の自制心を誇るこいつとて昔からそうだったわけではない。だいたい、王族や貴族の子供なんてわがままに育つと相場が決まってる。周囲が殊更ちやほやするから当たり前だ。

 まあ、ナディルは幼い頃からほとんどわがままを言う性質ではなかった。周囲が心配するくらいに内気で繊細な子供で、たぶん、今のナディルしか知らない人間は子供時代の奴を見たら別人だと思うだろう。

 強く自己を主張することはほとんどなかったが、今のお優しい王太子殿下モードの時よりもよっぽど優しかった。……俺が気づいた時は、もうナディルは今の『お優しい王太子殿下』になってしまっていたけれど。

 そのことに、俺は少なからぬ責任を感じている。

 誰がどうなろうとも、俺だけは、ナディルの側に立っているべきだった。……今はもう、昔の話で、ただの繰言にしかならないけれど。


「ちょこーっと顔見てくればいいじゃないか」

「訪問する理由がない」

「は?」


 名目上とはいえ、夫が妻に会いに行くのに、何の理由がいるんだよ、と思ってしまう。


「用もないのに行く必要はないだろう。……そんなこと言うなら、さっさと調査を終わらせろ」


(うへぇ、やぶへび)


 顔見るのが用事でいいじゃねーか、と俺は思うんだけどな。






「……ここ、計算違ってる」


 ナディルは、何気なく書面を眺めただけで、とんとん、と書類の中ほどを指さす。


「………………マジかよ」


 俺のこの書類の山と格闘していた時間を返せ

 チラ見しただけで何でわかんだよ。この天才学者様めおまえが最初っからやれよ


 こういうことがあるたびに、学者ってのはある種の異能力者だと思う。

 統一帝国設立から現在にまで渡る、およそ五千年に渡る歴史や帝国古語やら神代語やらの膨大な知識の習得が前提条件とされているのだからそれも当たり前かもしれない。

 一生の運を使い果たしてまぐれで大学に入学したとしても、授業についていけないなんてのはありふれた話だ。大学の入学試験に合格しただけで官吏登用試験のペーパーテストは免除だから、それだけでもすごいんだけどな。

 かくいう俺がそのタイプ。

 俺は、さんざんナディルに嫌味を言われながら、五年かけてやっと初級カリキュラムをクリアした劣等生だった。大学では劣等生であっても一般社会ではエリートだ。

 初級カリキュラムをクリアすると身分出身関係なく、それなりの地位を与えられる。今の俺は王太子殿下の「執政官」の一人だ。

 だが、ナディルは違う。ナディルはそんな異能力者達揃いの大学に在ってさえ『特別』と言われた人間だ。


「でなんでエサルカルの政変が原因で、俺らが災害援助物資の帳簿をひっくり返さなきゃならんのだよ……まあ、不正発見しちまったけど……」


 一週間前、隣国エサルカルで政変が起こった。

 親ダーディニアの現国王が幽閉され、弟の大公が即位。同時に五大国の一つであるイシュトラの姫の立后を宣言、ダーディニアとの友好条約を一方的に破棄してきたのだ。

 その使者がダーディニアに来たのは今日の朝だったが、俺達は既に三日前にはそれを知っていた。

 エサルカルと所領が接しているグラーシェス公爵がほぼ当日中に情報を得、即座に兵を召集すると同時に使者を王宮に送り込んで来たからだ。


「軍を動かすのは無料じゃないんだよ、ラグフィルエルドエリディアン」


 ちっ、まだ不機嫌かよ。

 ……だが、やはり軍を動かすわけか。


「そりゃ、わかってるけどな」

「備蓄している災害援助物資を遠征軍の糧食の一部にあてる。そうすれば、倉庫の物資の入れ替えもできて、不正も正せて一石三鳥だろう」

「……………さいですか」


 単に軍を動かす……だけでは、終わらないのがナディルだ。奴の計算は、単純に+2とはならない。もしかしたら、ナディルの耳には前から不正の件が入っていたのかもしれない。

 よく言うなら超合理的精神とでも言うのかもしれないが、俺が思うに単なる貧乏性だ。


「……それの計算が終わったら二人とも会議室に来るように」

「正確な数量特定すんなら、一時間はかかるぜ」

「ならば一時間で済ませるがいい。その頃にはシオンも到着するだろう」

「……ギッティス大司教まで」

「ああ」


 ナディルは小さくうなづく。

こいつの言う「シオン」というのは、同母弟であるギッティス大司教シオン猊下のことだ。シオン猊下は王子としての地位を捨て、現在はダーディニアの国教であるルティア正教の大司教としてナディルを影から支えている。

 もう一人の同母弟であるアル殿下は中央師団の師団長として軍事面を補佐していたから、なかなかにバランスがとれていると言える。

アル殿下が近衛に入らなかったのはナディルの薦めによるものだ。王太子の義務として、ナディル自身は一時期、近衛に籍を置いており、その時に近衛に関してはがっちり掌握していたからこれ以上パイプを太くする必要を認めなかったのだろう。

 アル殿下は武官としてほぼ最高位を極めている。シオン殿下……いや、シオン猊下もいずれはルティア正教の最高枢機卿になられることだろう。


 最高枢機卿は、ルティア正教における最高位で、初代をのぞくと、常にダーディニアの王族枢機卿がその地位についている。

 ルティア教はおおまかに西方教会と正教会の二派に分かれているのだが、この二つは根源が同じ宗教でありながら、分裂後、長い時を経たことでまったく違う宗教のような変化を遂げている。

 それがもっともわかりやすいのが、最高指導者の名称とその在り様だろう。


 西方教会は、教皇という存在を戴き、母女神の最愛の御子と彼らが主張する教皇の権威が世俗君主よりも上であるとしている。

君主にその位を授けるのは教皇であるとして政治に積極的に介入していて、帝国とそれに近い国のほとんどが西方教会を国教としている。

帝国では皇帝の戴冠の際、教皇がその皇帝仗を授けることになっているほどだ。


 それに対し、正教会……西方教会に対しては東方教会と表現される事もあるが、正しくはルティア正教会といい、正教と略す……においては、明確に政教分離がはかられ、君主は母女神により王権を与えられた教会の最大の庇護者であり最高権威者であるとされている。

 聖職者の長は最高枢機卿であり、これは正教会の総本山である聖フィルシウス大聖堂を治める枢機卿を言う。だが、最高枢機卿は教皇のように西方教会の頂点に立つ存在という位置付けではない。強いて言うならば、枢機卿団のまとめ役という存在だ。


「エサルカルの国教は正教だ」


 その一言に俺は納得した。

 ダーディニアの国教もまた正教である。

 これは、かつてダーディニアの王位継承に教会が介入しようとした時に、ダーディニアが教会を拒否し、その時に西方教会から分裂してできたのが正教なのだから当たり前とも言える。

 ある意味、正教を作ったのはダーディニアであると言っても間違いではない。


 正教の成立当初、正教を国教としたのはダーディニアだけだった。

 だが、近年では正教に改宗する国が増え始めている。

 これは単純に考えたとしても、正教が君主にとって都合が良い点が多いからだと俺は思う。

 宗教というのは、政治的に無視できない大きな力となりうる。

 エサルカルは三代前の国王の時に正教を国教とした。

 正教のみならず他のあらゆる宗教を異端として厳しく弾圧している西方教会と違い、正教会では他の宗教を信じることを認めている。その寛容さが国教にふさわしいと時のエサルカル国王が自ら改宗し、国教の変更を布告したのだ。

 それからおよそ五十年、エサルカルは、国民の八割強が正教の信徒である。


「……教会側は何か言って来たか」


 無神論者のレイが軽く眉をひそめた。

 シオン猊下、がナディルに仇なす真似をするとは思わないが、正教会とダーディニアは深い絆で結ばれてはいても完全に一体なわけではない。正教会には正教会の独自の思惑があるだろう。


「あちらはあちらでこちらに肩入れする理由がないわけじゃない」

「理由」

「……王宮をたまたま訪問していたラグナシア枢機卿が国王と共に囚われているという。ぜひ協力させて欲しいと言ってきた」

「……なるほど」


 ラグナシア枢機卿は、エサルカルに三人いる枢機卿の一人だ。信仰心篤く、枢機卿団における発言力も強い。


「既にフィルシウスから、エサルカルの首都ヴィルアに、特使が派遣されている」


 正教の総本山は、ダーディニアの古都アル・ファドルにある聖フィルシウス大聖堂である。

 ダーディニアの人間は、正教がダーディニアの国教としてはじまったものである為に、他国でも同様に信じられているということをほとんど意識する事が無い。

 だが、フィルシウスの神学校には正教を国教と定める近隣諸国からの留学生も多く、正教会の教区は国家の枠組みにとらわれていない。良くも悪くも政治とは違う線引きがなされている。


「人質解放のためにか」


 俺は問う。


「当然だ。……教会はラグナシア枢機卿を絶対に見捨てない。最高の人質たりえるだろう」


 『正教会は政治には介入しない』―――― それが原則である。

 だが、だからといって政治に無関心でいるわけではない。

 時の権力者の在り様によって教会の在り様も変わる。教会は自衛の為と称し、教会独自の情報網を有しているし、場合によっては傭兵団を雇うこともあるほどだ。


「解放するかな」

「無理だろう。玉座を奪いながら、殺す決断もできない小心者だ。人質を解放などするものか」

「……………殺さないことが間違いのような言い草だな」

「少なくとも国王一家を殺しておかねば、クーデターは失敗する」

「なぜ」

「国王と王太子とその子供達が生きている限り、大公がどれほど自分が国王であると言い募ったとしても、僭称にしかならないからだ」

「……………どういうことだ」

「我が国に置き換えて考えてみればいい。父上……グラディス4世陛下を退位させたとして、ナジェック叔父の即位が認められるか?どんなに幽閉しようと、自分より上の王位継承権を持つ私やアルが生きている限り、その玉座は仮のものでしかない。そんなのちょっと考えればわかることだ」


 そして、時間が経てば経つほど殺してもクーデターの成功率は下がる、と言う。


「なぜ」

「アラが見えるからさ。……驚愕で思考能力が停止している間に他の選択肢のすべてを潰して、自分の立場を磐石なものにしておかねばならない。皆が気付いた時には他の選択肢がないようにな」


 クーデターというのは時間との勝負なんだ、とナディルは言う。


「そういう意味では既に時機を逸している。今、殺したとしても悪名を追加するだけだし、そもそもクーデターだと他国に既に伝わっている時点でアウトだな。……イシュトラの姫を王妃として立后したというのもまずい」

「ヒモつきになるからか」

「それもある。だが、イシュトラの勢力を引き入れたことで、反大公で国内が一致団結する為の理由を与える」


 立后なんて大々的に宣言すべきじゃないな、とバカにしたようにつぶやく。


「内では争っていても、共通の外敵には一致団結することができる……そんな話は掃いて捨てるほどあるだろう」

「……おまえなら、成功するんだろうな、クーデター……」


 ナディルの口ぶりを聞いていたら、なんだか、こいつだったら間違いなく成功するだろうと思えた。


「私がクーデターを起こす意味があるのか?今の状態で」


 我が国の国王は、グラディス4世陛下だ。

 だが、最高権力者と言ったとき、人々が思い浮かべるのはナディルだろう。

 政も軍も、ナディルがその手に一手に握り掌握している。


「………………ない」


 そもそも、こいつは王太子なんである。

 何もしなくともいずれ国王の座は転がりこんでくるのだ。


 そんなものになりたいだなんて、こいつは一度も思ったことなんかなかっただろうけど……



 俺の回答にナディルはつまらなそうに顔をしかめた。

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