表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/102

26.自覚



 青空が広がっていた。一昨日、昨夜と続いた吹雪が嘘のような青空だった。

 空を見上げ、はぁ、と本日何度目かの溜息をつく。

 溜息をつくと幸せが逃げるって言うけど、もう逃げまくってると思う。


「妃殿下、散歩をしてみてはいかがでしょう?」

「いい。雪に埋まるの嫌だし」


 ありがと、ジュリア。でも私の身長だと、この積雪量ではほとんど何も見えないの。雪かきしてくれたのはありがたいけれど……1m以上の雪の壁の間を歩くのはちょっと恐いよ。


「台所の工事の進み具合を見てきてはどうですか?」

「そんなに何度も見に行ったら、職人さん達の邪魔になるわ」


 あのねアリス、工事が着々と進んでるのは嬉しいけど、私が行くとみんな畏まってしまうから逆に申し訳なくなっちゃうんだよ。


「本宮の図書館から、何か新しい本でもお持ちしましょうか?」

「……資料の読みすぎで、しばらく文字はみたくない」


 シュターゼン伯爵から送られて来た資料はとても詳細だった。

 文字で追っただけの他人の過去が、生々しく浮き上がってきって少し疲れてしまった。あれは、気力がある時じゃないと読めない。


「私のことはそんなに気にしなくていいから。ありがとう」

「でも……退屈なさってらっしゃいますでしょう?」

「ううん。そんなことないわ」


 溜息の理由は退屈しているからじゃない。

 単にいろいろわかってきた事実が、気の重くなるようなものだったから。


「王太子殿下ももう三日もいらっしゃいませんし……」

「仕方がないわ。隣国で政変があったのだから」


 隣国エサルカルでクーデターが起こったという知らせが届いたのは三日前の昼過ぎのことだった。

 殿下とお約束していた午後のティータイムはそのせいで延期になった。がっかりしたけど、それは仕方のないことだと思った。

 隣国での出来事がダーディニアに少なからぬ影響を与えるだろうことは私にだってわかるもの。


「でも妃殿下、いくら忙しいと言っても、顔を出せないということはないと思うのです」

「殿下がお仕事を優先させるのはわかりきったことだし……そもそも、私を優先させるようだったら、ちょっとどうかと思うところです」


 悔し紛れとかじゃないよ。本当にそう思う。

 よく言われる究極の選択。ドラマとかである「あたしと仕事、どっちが大事なの?」っていうやつ。

 個人的な意見だけど、あの質問ほどバカな質問はないと思う。


 タルトの店で働いていた時、同僚の女の子が彼氏に言われたんだって。「俺と仕事、どっちが大事なんだよ」って。

 今時は彼の方が彼女にそれを言うんだなぁ、と思って変なとこ感心したんだけど、仕事と恋人を同列に並べる?そんなのありえないって思ったよ。

 並べられるものじゃないし……だって仕事だよ?それと恋人は別物だよね?

 まあ、恋愛にすべてを賭ける人がいることを否定はできない。それは個人の自由だから。

 でもね、それは自分ひとりで済む範囲でやってほしい。突然退職されてすごーく大変だったんだよ、あの時は。

 ……後に同じ決断を迫られた時、仕事を選んだ私がここにいるけれど。


「閉ざされたここにまで、外のあわただしい気配がわかるのだもの。政庁ではきっともっと忙しくしていて、昼も夜もないんじゃないかしら。……無理をして会いに来ていただくよりも、殿下には少しでも身体をやすめてほしいと思うの」


 優等生の回答ではある。でも、これは本心だよ。

 殿下の体調が一番心配。

 よく鍛えてる人だからそうそうのことでどうにかなるとは思わないけど、でも、元々がワーカーホリック気味なところがあるからこれ以上の無茶はしないで欲しい。

 殿下のスケジュールには休みというものが存在してないんだよ。『休日』って何のことか知ってる?と問い詰めたくなったくらい。


「妃殿下は物分りが良すぎます」

「そうかしら?」

「そうです。多少、わがまま言ってもいいんですよ」

「でも……殿下を煩わせたくないの。……私は、わがままを言ってそれを聞いてもらうことで殿下のお気持ちを量ろうとは思わないのです」


 わがままは、際限なくエスカレートする。

 最初は何てことない些細なことかもしれない。でも、そのうち感覚が麻痺してくるのだ。どちらも。

 わがままをきいてもらうことが当たり前だと自分が思うようになってしまうのが嫌だ。

 そして、本当に心から願った事を、単なるわがままと思われてしまうのはもっと嫌。


「妃殿下……」


 別にこれは物分りがいいからじゃない。ちょっとズルい大人の知恵。

 常日頃、わがまま言ってるとそれに慣れてしまうでしょう。でも、 滅多に口にしない望みならば……大切に思ってもらえるはず。

 切り札は、何度も切るものではない。


「お会いできないのは淋しいし、つまらないです。でも、大事な仕事をなさってるのですから……。私は、殿下の足手まといになるのではなく、せめて応援団になりたい」


 私のできることなんてたかがしれている……例え、33歳の私がここにいたとしても、できることはそれほどないだろう。手伝うなんておこがましいことは言えない。


「まあ、妃殿下……」

「ご立派ですわ」


 目がきらきらしてるよ、ジュリア、アリス。

 だから、そんなご立派なことじゃないんだってば。自分をよく知ってるだけ。


「妃殿下が、そういうお心がけの方で良かったと思いますよ、本当に……」

「リリア……ご苦労様でした」


 いつの間にか、殿下に差し入れをお願いしたリリアが戻ってきていた。


「ただいま戻りました。差し入れの籠は殿下に直接お渡ししました。お忙しそうでしたけれど……殿下のご側近の皆様も妃殿下のお心遣いに感謝されていましたわ」

「そう……」


 殿下の側近の方ってラーダ子爵くらいしか知らないわ。ファーザルト男爵は家令だから、側近とはちょっと違うものね。


「……どうぞ、殿下からです」


 飾りけのない白い封筒が差し出される。

 思わず自分の目が輝いたのがわかるよ。


「……ありがとう」


 殿下からのカード。嬉しい。

 メールとか電話があればもっと簡単に連絡がとれるし便利だと思う。

 でも、だからといって、そういう手段のない今がそれに劣るかといえばそんなことはない。

 不自由だとか不便だとか思うことはたくさんあるし、時々、泣きたくなることもあるけれど、でも、今には今の良いところがある。カードのやりとりは、メールや電話のスピードでは伝わらないものが伝わると思う。


「見ないんですか?」


 リリアがにっこりと笑う。


「まだもったいないから開けない」

 

 大切にハンカチに包んで胸元の隠しにいれる。

 そっと胸に手をあてる。

 何かすぐに見てしまうのがもったいない気がするの。


「妃殿下……そこはポケットじゃないですから」

「だって、便利なんだもの」


 胸元の隠しは、ハンカチを入れるようになっている。ハンカチは常に携帯しているのが貴婦人のマナーなの。

 開いている胸元が二重になっているから、出し入れするときは周囲に気をつけないといけない。

 ここにしまうのは、基本的にはハンカチ限定。だからこそ、ハンカチには特別な意味がある。

 ハンカチは、『心』を意味するのだ。


 ダーディニアにおいて、騎士は主に剣を捧げる以外に己の想う相手に捧げることがある。

 主に対するそれは命を賭けて仕えるという『誓約』であり、想い人にささげるそれは、命を賭けて貴女を愛します、という『誓言』であると明確に分けられている。

 『誓言』を捧げられた想い人は、その騎士に対して『姫』と呼ばれるようになるのだが、騎士が『姫』に対する想いというのは、肉体関係を伴わない崇高なものであるとされている。

 『騎士』は『姫』の誇りとなる者で在ることを己に課し、『姫』もまた己の『騎士』に相応しい『姫』であらんと己を磨く。その精神的な結びつきこそが、ダーディニアにおける貴族社会の根底にあると言っても良い。

 姫は誓言を捧げられた際、自分の身につけているものを何か一つ騎士に与えることでその誓いに応えるとされている。

 飾り袖や、飾りボタン、扇、それから、アクセサリーなど、身につけている物を与える事が多いが、ハンカチを与えられた場合、それは、『私の心は常に貴方と共にあります』という意味になるのだ。


「……じゃあ、書斎にいるから」


 そっと胸元を押さえて書斎へと弾む足取りで移動する。


「お茶をお持ちしますか?」

「ううん。いらないわ」


 だって、嬉しくて胸がいっぱいだもの。


「何?」

「いいえ、何でもありません」


 リリアの意味深な笑み。

 あのね、みんなして、そんな微笑ましげな目線で見なくていいから!






 書斎の窓際のソファコーナーで、ハンカチで包んだカードを大切にとりだす。自分の体温がうつったかのようなカードをそっと開いた。


(……?)


 一瞬、甘いような苦いような香りが鼻をくすぐった。


(……これは……?)


 どこかで嗅いだことのある香りだった。どこだっただろう?と考えるけれど、その思考はうまく形にならずにすぐに消えた。それ以上を追求しようとは思わなかった。

 だって、それよりも、手の中のカードに意識を奪われていたから。


 走り書きの青い文字……。

 書かれているのは、たった三行だけだった。

 先日は反故にしてすまなかった、というお詫び。

 差し入れはありがたくいただく、という感謝。

 それから、ナディル という名前だけの署名。

 あまりにもそっけなさすぎる、三行。


(……初めてだ)

 

 名前をそっと指先でなぞる。

 これまでは、王太子 ナディル=エセルバート というサインがされていた。

 けど……ここに書かれているのは『ナディル』というその名だけ。

 異母妹であるナディや、母であるユーリア殿下すら、王太子殿下を決して名では呼ばない……宮廷序列において、王太子殿下を名で呼べる者は国王陛下以外にいないからだ。

 ただし、当人が名で呼んでいいと言えば別。

 この間、夜のお出かけをした時に、お忍びの都合上、名で呼んでいいという許可はもらったけれど、それは今も有効なのかな?

 いや、でも、あの殿下の表情が名前で呼ばない不満だったと思うのは、私の一方的な想像にすぎないのだし……。


(……でも、この署名は、遠まわしに名前で呼んでいいという意味なのかも)


 いやいや、そんな風に思うのは、私の自惚れすぎなのかも!

 頭の中がぐるぐるになる。

 内容としてはたった2行だけのカードにこんなにも心を乱される。


(あ~、もう、何だかな~)


 自分でもどうしていいかわからない。深く息を吸って、ゆっくりと吐いて、深呼吸を一回。

 それから、もう一度カードを見た。

 走り書きだけど、殿下の字は綺麗だ。


(……殿下らしい)


 あまりにもそっけなさすぎる言葉。でも、これを書いたときの殿下の様子が目に浮かぶような気がする。


(嬉しい……)


 素直にそう思う。そっけないそのカードがとても嬉しくて、胸に抱いてころんとソファの上に上半身を倒す。

 逆さまになった視界……冬の雪曇りの合間の晴れ空が、さっきとは違う気持ちで眺められる。

 胸に湧き起こる、想い……くすぐったくて、じたばたしたくて、嬉しい。

 何でこんなにも自分が嬉しくなっているのかわからない。


(ううん……違う)


 本当はわかってる。

 認めるのがあんまりにも恥ずかしいだけで。


(……好きだなぁ、と思うわけだ……)


 あの、私の前ではいつも不機嫌みたいな顔の殿下が。

 口調は冷ややかだけど、中身はかなり心配性な殿下が。

 そして、ニンジンが嫌いで何とか食べずに済ませようとしている殿下が。

 

 きっとね、私だけしか知らない顔もあると思うの。

 殿下のいろいろなことを思い出したら、何か頬が熱くなった。

 きっと鏡をみたら赤面してると思う。


(す、好きでも別にいいんだよ。だって夫婦なんだし!全然、おかしくない!)


 何か思わず自分に言い訳してみたり。

 だって、夫婦なんだから!

 妻が夫が好きでも問題は無い。うん。ないはず!


(好き……)


 『好き』という、その単語がストンと胸におさまった。

 そうしたら、じたばたしたくなるような落ち着かない気持ちは影をひそめた。

 もうね、からかわれても仕方ないなって思う。

 殿下と朝に会えなくなってたった三日目だけど、自分の気持ちがよくわかった。


 いや、だからどうするっていうわけでもないんだよ。

 だって、私達、既に夫婦だから。世間一般で言う、ゴールはすでに済ませてる状態だもの。

 後はこう、徐々にね。……ふふふふ、今に見てろよ!なんだから。

 幸い、現在のところの私と殿下の関係は極めて良好だから、このまま餌付けの努力を怠らず、いろいろと頑張ろうと思う。

 

(さて……)


 いただいたカードを前にいただいたカードと一緒に重ねて、青いリボンで結んだ。

 元のように、本の間に挟んで仕舞おうとして、気付いた。


(ここに移って来てからも、ずっと隠していたんだ……)


 後宮にいた時、アルティリエが心をかけたものはすべて失われてきたとナディは言った。

 でも、ここに移って来てからも、アルティリエはこのカードを隠しつづけていた。


(なぜか……)


 それは、犯人がここにも手を伸ばすことができることを知っていたからだ。

 私は、深い溜息を一つついた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ