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23.お茶会

 ダーディニアの王宮は、別名を白月宮と言う。そして、規模は拡張されていっているものの、建国時よりこの宮を王宮としてきた。

 天にある二つの月が一つが白月、一つが蒼月と言うことからその名がとられていて、王都の王宮が白月宮、そして、東部の王室直轄領アル・エーデルドにある離宮が蒼月宮という。

 どちらも、アルセイ=ネイと言う放浪の天才建築家の設計によるものだ。

 アルセイの設計した建築物は建築主にすら知らされぬ謎が隠されていると言われているが、そのほとんどが遺跡として封印されている。

 彼の設計した建物を王宮としているのは大陸広しといえどダーディニアだけで、王宮のどこかに建物を研究している大学の学者達が住んでいるそうだ。

「すごいねぇ、これが六百年も前の建物だなんて信じられない」

「そうですか?地下部分はもっと古いらしいですよ。……統一帝国以前の遺跡の上に建っていますから」

「…………統一帝国以前というと……えーと、約600+800で最低でも1400年以上前か……そんな古いのに崩れないの?」

 私はざっと頭の中で計算する。歴史は結構得意。書斎にもいっぱい本があったし、かなり勉強していたらしいのでいろいろ思い出すことも多い。

「崩れないみたいです。まあ、地下は立ち入り禁止ですけど」

「え、そうなの?」

「第一層は普通に使っていますが、それ以上は禁じられています。迷宮になっているそうですよ」

「迷宮……」

 なんかワクワクする響きだ。

 迷子常習犯の私にはどこだって迷路みたいなものなので一人で踏み込もうとは思わないけど。

 だって、王宮の広さのことを考えたら……生命に関わりそうな気がするよ。

「昔、シオン様が迷い込んで大騒ぎになりましたから……妃殿下は気をつけて下さいね」

「大丈夫。そんなとこ行く用事ないし……行くなら殿下に連れて行ってもらうから」

「それがよろしゅうございます」

 リリアがにっこり笑う。

 その笑みに何か生温かいものを感じるのは気のせいにしておく。

「正宮と後宮が、アルセイ=ネイの建築なんだよね?」

「はい。本宮には今ではどうなっているのかがわからない技術がたくさん利用されているんですよ。王妃様のお庭の噴水もその一つです。ぜひ、よく見てきて下さい」

「へえ……」

 このアルセイ=ネイの建築した部分だけを私達は本宮と呼んでいる。

 正宮は国の政庁としての公的なスペース。俗に文武百官と言われる役人や軍人のえらい人たちが仕事をしている。王家が主催するさまざまな催しや式典等の行われる大広間や国賓の為の宿舎なども附随している。

 逆に後宮は王家の私的な居住スペースにあたる。こちらには、陛下のプライベートな書斎や寝室、王妃様やその他の女性方や幼い子供達の部屋などがある。……現在ダーディニア王室における最も幼い子供は私なので、子供部屋は使われていない。

 私達が暮らしている西宮と正宮を挟んでその対面にある東宮は、かなり後世の建築になる。特に王太子妃宮は私の為に建設された建物だから、他と比べると建築様式の違いが一目でわかる。

 東宮には、王子宮・王女宮があり、現在の主人は、第二王妃の双子の子供達。第二王子であるアルフレート殿下もこちらに宮を持っているけれど、殿下は中央師団の宿舎か公邸にいらっしゃることが多い。

 ダーディニアでは王位継承権が高い王子王女は、自分の兄……もしくは姉が即位するまでは臣籍に降下しないので、通過儀礼が済むと、王太子以外の子供達は後宮から東宮に移ることになっている。今日のお茶会には、現在、東宮に住んでいるナディア王女が来る事になっているはずだ。

「リリア、なんで廊下なのに暖かいの?」

「それもアルセイのからくりの一つです。あまり知られていないことなんですが、地下に温泉があってそれを汲み上げて王宮中にめぐらせてあると言われています」

(地下に温泉って、どこかに火山があるんだ。へー。まあ、600年大丈夫ってことは、休火山なんだろうな)

 地下温泉を汲み上げたセントラルヒーティングって、すごいな。

 同時に何か不思議な気がする。

 勿論、私の知っているセントラルヒーティングとは違うだろうけど、原理や仕組みというのはあんまり変わりがないと思うのね。

 現代日本でそういうものがいつ頃できたのかわからないけれど、ダーディニアの他の技術レベルと比べるとセントラルヒーティングのシステムというのは特別進んでる技術に思える。……しかも600年前だよ?

 セントラルヒーティングがあるなら、もっと他のものがあってもおかしくない気がする。石油ストーブとか、車とか鉄道とか……。個人的にはアイスボックスじゃない冷蔵庫とか。

(こっちって石油がないのかな?……いや、だとすると照明用ランプや最新ストーブのあの液体は何なんだろう?)

 確かに石油系にありがちな匂いはしなかった。あれ……アルコールランプのアルコールって石油原料じゃないんだっけ?

 あー、物理とか化学とか……まったくわからない。文系だったから。こんなことになるならもうちょっとちゃんと勉強しておくべきだった。

 ダーディニアの技術……ひいては、こちらの世界の技術レベルというものを未だにはかりかねているのは、元々、そういう分野の知識が乏しいということが一番の原因。

 例えば、ライターとかあったらすごい便利じゃないかと思うけど、仕組みがわからないからうまく伝わらないし、良いか悪いかは別にしてそういう道具を作ることもできない。

 焜炉の時にこういうものないかなって説明する時も結構それで苦労した。

「知らなかった。……なんで私の宮にはそういう便利なものがないの?私のお風呂は温泉じゃないよね?」

 だって、私の宮は暖炉やストーブないと寒いし、寝室の隣にある浴室に備え付けられているのは猫足の可愛いバスタブで、毎日、みんなが一生懸命お湯をわかして運んでくれている。あれはすごい手間だと思う。

「その仕組みがわからないわけではないんです。学者達はそれをほぼ解明していると言われています。ですが、今、それを再現するとなると十年以上の歳月と莫大なお金がかかるそうですよ。……それでも、妃殿下の宮はまだいいです。水が中まで来ていますもの」

「中まで来てるって?」

「台所や洗濯室には水を汲むポンプがありますし、水洗室もあるじゃないですか……だから、トイレも最新式なんですよ」

 水洗室というのは、水を汲む部屋。水道はないけど、手押しポンプでギコギコすると水が汲める。

 トイレは壁に沿った貯水槽に水を溜めておく事で、あちらの水洗トイレと同じ機能が使える。便器は陶製で、これがトイレか……って見るたびに溜息ものの装飾がされてるけど。

 エルゼヴェルトのお城は、見た目は普通に腰掛式便器だったけど貯水槽がなくて、そのまま地下を流している水に流すようになっていた。うまく流れない時は備え付けの水甕から水を汲んで流すようになっているの。その排水の行き着く先は農場だって聞いた。

 ミレディに聞いたら、王宮も一緒で、王宮のそういう汚水は御用農場の奥にある処理場に辿り付くんだって。

 王都全体でもやはり幾つかそういう処理場があって、その周辺は必ず大規模農場になっているんだって。うまくリサイクルしてるみたい。

「ふーん。……ねえ、600年前はできたのに、どうして今は難しいの?それとも、600年前はそれ以上の時間とお金をかけたの?」

「いいえ。ネイの失われた技術があれば簡単らしいんですが……」

「失われた技術か……」

 失われた技術って何かロマンの響きがある。えーと……なんか、アトランティスとか古代文明とかって聞いてわくわくしていた子供の頃を思い出す。そういう感じしない?世界七不思議とか……オーパーツとか。

 私の通っていた学校の図書館にはそういうのばかり特集してる怪しい雑誌が入っててドキドキしながら読んでいたよ。あれ、アトランティス特集の次の号が恐山とイタコの特集だったりして、今思えばものすごくとりとめない雑誌だったって思うけど。

「夏はどうするの?温泉めぐらせてると暑くない?」

「夏は水に切り替えるんですよ。だから、逆に涼しいです」

「それは羨ましい。……ねえ、リリア、すごく詳しくない?」

 リリアは何でも詳しいけど、ちょっと詳しすぎるよね。

 そうしたら、リリアはちょっと困惑した表情で言った。

「本宮がネイの建築物であるせいと、研究チームがあることもあって、王宮の図書館には資料が豊富にあるんです」

「……それだけ?」

 別に突っ込んだわけじゃない。ただ、それだけでこんなに詳しくなるなんてって思っただけで。

 リリアは困惑に苦笑を重ねて言った。

「……シオン様の代わりに、ネイの建築についてレポート書いた事もあるので」

「え、大司教は、神学校に行かれたんじゃないの?」

「……実家にまで泣き付く手紙が資料と一緒に届きまして……」

 思わずふきだした。

 リリアもギッティス大司教には弱いんだね。

 送りつけられた資料にしたがってせっせと書いてあげたりしちゃったんだ。

「ねえ、こんど、ギッティス大司教にお会いしたいわ。いろいろお話を聞きたい」

 リリアの小さな頃の話とか聞いてみたい。

「機会がございましたら……。シオン様も妃殿下にお目にかかりたがっておりますよ。目当てはお菓子ですけど」

「じゃあ、今度、お茶にお招きするわ。……王太子殿下に申し上げて」

「そうですね。その時は、アルフレート様もご一緒の方がよろしいでしょう」

「第二王子殿下も?なぜ?」

「……シオン様だけだと暴走しますから」

「暴走?」

「お子様なんです」

 リリアがにっこり笑った。

 ……今、ちょっと恐かったよ。だから、それには詳しくは突っ込まないことにする。

 君子危うきに寄らずって言うもの。



 むせかえるような花の香りに満ちた部屋だった。

 明るい日差しの差し込む室内は、まるで温室であるかのようにそこかしこに花が溢れている。 

「ティーエ、よく来ましたね」

 部屋を覆い尽くすようなその花よりも美しい微笑みの女性……第一王妃ユーリア殿下。

 この方が27歳になる王太子殿下の母であるとはとても思えない。

 下手したら王太子殿下と並んで夫婦だと言っても通じる。この間そう言ったら、殿下は絶句して凍りついた。

 本気でイヤだったらしく、例のにこやかでありながら大変裏のありそうな微笑み全開でせまられて二度と言わないことを誓わされた。

 殿下はたぶんご両親があまりお好きではないのだ。微妙な事柄だから、はっきりと言うことは避けるけど。

(48歳だっけ?49歳だっけ?)

 近くで見ても破綻のない美貌の人だった。

 王家とか大貴族が美形揃いなのは珍しいことではない。だって、美貌と評判の女性を妻にすることが多いのだから美形の遺伝子をどんどん重ねていくことになるでしょ。

 でも、王妃殿下はただ顔形が美しいだけでなく……常にスポットライト浴びてるみたいに視線が引き寄せられる。オーラが出てるっていうのかな、こういうの。

 私の顔も美貌で知られたお母様にそっくりですっごく可愛いと思うけど、毎日見ていると何とも思わなくなるもんだよね。……自分の顔だし。

 殿下の顔もそう。殿下もすごい美形だと思うけど、見慣れてきたからそんなに意識しなくなってる。王子様オーラきらきらだと思わず見ちゃうけど、ドキドキはあんまりしない。慣れってすごいよね。

「お招き、ありがとうございます」

 そっとスカートをつまんで一礼する。

 今日は、正装のガウン姿。濃紺のベルベットを基調に、白のレースを贅沢に使ってる。ツインテールにした髪のリボンにさりげなく王太子殿下の禁色を使っているのがポイントなのだとジュリアとアリスに力説された。

「これを」

 王妃殿下の女官に手土産の真っ白な蘭の花束を手渡す。女官はマジマジと私の顔を見返した。

(?????)

 お茶会には何か手土産を持参するのが暗黙の了解になっている。

 『王妃の微笑』の別名を持つこの白い蘭は香りがそれほどきつくなくとても綺麗。小さくて真っ白なカトレアと思ってもらえると近いかな。

 ある種の毒物の検出にも使える不思議な花なんだって。トキシン……つまり、生物毒に反応すると花びらの色が紫になるんだそう。

 これは王太子殿下が持っていくようにと届けて寄越したものをそのまま持ってきた。


 予定ではお菓子を焼くつもりだった。でも、殿下とリリアに反対されたの。

 とかく食べ物というのは問題をひきおこしやすい。毒でも仕込まれたら事だし、そうでなくても悪くなることもあるのだ、と。

 二人の忠告に反対する理由は無い。それに、三日前に正宮の食堂では集団腹痛事件が起きたばかりなのだ。寒いから食材が腐ったっていうわけじゃないと思うんだけど……。

(……本当は)

 本当は殿下とリリアの二人が私にそんなことを言うのは、何かされる可能性が高いと思っているからじゃないかって思った。

 リリアはお菓子を誰かに差し上げるという事にとても神経を使う。

 西宮内で食べる分には問題ないし、ちゃんと信頼できる人に直接差し上げる分には問題ないけれど、途中で他者の手を通ったらどうなるかわからないって言うの。

 ちょっと神経質かなって思うくらいだけど、思うなりの理由というか根拠がリリアにはあるのだろうと思って、それを全面的に受け入れている。私にはその手の知識がまったくないから。


「さあ、堅苦しい挨拶はもう良くてよ。こちらへいらっしゃいな」


 王妃殿下にそっと背を押される。私はこくりとうなづいた。

 室内には、第二王妃のアルジェナ殿下とナディア王女がもう来ていた。

(あれ、側妃のお二人とか来るんじゃなかったのかな?)

「お待たせしました」

 そっと二人に目礼する。

 それだけで、アルジェナ殿下とナディア王女は目を見張った。

 その驚愕っぷりに既視感。

 ……なんだっけ、ちょっと前まではよく見てたね。

(……人形姫しか知らないものね。しゃべりすぎないように気をつけないと)

 西宮の人たちはすっかり慣れているけれど、他の人たちはそうじゃない。

 それに、油断させるためにもあまり変わっているところは見せないってリリアと打ち合わせたのだ。……今の今まで忘れてたけど。

「皆様お揃いですわね、ちょうど良かった」

「焼きたてですのよ」

 アリアーナ妃とネイシア妃がワゴンを運んでくる。

 どうやら、お二人が給仕もしてくれるらしい。

「たまには女官なしで内輪だけでお話したいですものね」

 ユーリア王妃殿下がチャーミングなウインクをする。

 皆の間にふわりと笑みが漏れた。

 もし、この方が常に笑っているのでなければ……もし、他の表情を見たことがあったのならば……私はこの方に魅了されたかもしれない。

 普通に接した場合、ユーリア妃殿下はすごく魅力的な方だ。

 柔らかな笑み、穏やかな物腰、それから、人の気を逸らさない語り口……大臣達の誰もが一目置くという思慮深さ……この方の美貌というのは、生来のものよりも自身で得たものの方が多いのではないか。

 顔立ち自体で言うのならば、アルジェナ妃殿下の方が美しい。でも、目を離せないのはユーリア妃殿下の方だ。ちょっと怖いと思っている私でも、つい王妃殿下に見惚れてしまう。

「ティーエ、エルゼヴェルトでは大層怖い思いをしたそうですね」

「いえ……」

「アルティリエ姫は記憶がおありでないと聞きましたが……」

 ネイシア妃が心配そうな眼差しを向けてくる。

 漆黒の瞳に漆黒の髪……肌もやや浅黒い。ネイシア妃には南方の血が混じっている。南方の人たちは、身体能力に優れている人が多く、女性は極めて肉感的で……つまり、すごくスタイルがいい。

「はい」

 申し訳ありません、と頭を下げる。

「あら、そんなことはないのよ。忘れてしまっても、私があなたの母であることには変わりないのですから」

 優しい慈母の笑み。国民に、母女神のような……と形容される笑みだ。

「ありがとうございます」

 ひっかかりを覚えるのは、私が女性の多い職場でたくさんの女性を見て過ごしてきている経験があるからなんだと思う。

 違和感を覚えるのだ。


(たぶん……)


 ユーリア妃殿下は、端的に言うならば『女優』なのだ。本当は演じているというのともちょっとニュアンスが違うのだけれど、わかりやすく言えばそういうこと。女なら誰だって多少はその気があると思う。

 自分が可愛いとか綺麗であることを自覚している女は、自分の見せ方と言うのを心得ている。どうすれば自分が一番可愛いのか、あるいは、綺麗なのか……相手が自分に心を傾けるのかがわかっているのだ。

 ユーリア妃殿下の場合はそれのスペシャル版。最上クラスと言っていい。

 自分をどう見せればいいのか、どうすれば相手の心を獲れるのかをよく知っている。

 国王陛下が何人の愛妾を持とうとも、この方が第一の人であることは変わらない。それくらい、国王陛下はこの方を愛していらっしゃるのだと言われている。

 この方の立場を脅かしたのは、私の乳母が死んだティレーザ事件で生涯幽閉の身となった寵妃リリアナだけだったそうだ。

「エルルーシアには可哀想な事をしました」

 ドキンと鼓動が跳ねた。

 私は妃殿下を見た。

「エルルーシアは確か、ユーリア妃殿下のところのマリアの縁者でございましたね?」

 ネイシア妃が軽く首を傾げる。

「ええ。代々武官を輩出している家の娘で……父親は王太子付の護衛ですし、剣を扱えるということでぜひティーエの護衛にと思いましたの」

(あれ?……何かおかしい?)

 ユーリア殿下が自分の息子を「王太子」と呼ぶことに驚いたんだけど、それだけじゃない。

 私はエルルーシアが王太子殿下付の武官の娘だと聞いていた。だから、単純にエルルーシアは殿下の紹介だと思っていたけれど、今の口ぶりではユーリア妃殿下の意図が働いていたという意味にとれる。

「ユーリア妃殿下はアルティリエ姫を実の娘のように思われておりますのね」

「勿論ですわ。アリエノールはあまり懐いてくれなかったので、ある意味、実の娘以上。……陛下も、自身の姫よりもずっとこの子を案じておりますから……」

(……それ、ナディア姫のいる前で言うことじゃないから)

 案の定、姫にはじろりと睨まれる。

 でも、記憶の無い私が言う事じゃないけど……ユーリア妃殿下に懐いていたような感じがないんだけどな。

「ティーエ、あまり食べていないのね。……近頃、あなたがお菓子を好きだと聞いたから、アリアーナが作って下さったのよ」

 たくさん召し上がれ、と、ユーリア妃殿下がスコーンらしきものを皿に取り分けてくださる。

 ティーエ、そう呼ばれる甘さに、背筋がぞくりとする。

 理性では、ユーリア妃殿下を素晴らしい方だと思うのに、その理性を全面的に信じる事ができないのは、妃殿下に「ティーエ」と呼びかけられると鳥肌たつせいかもしれない。

 生理的な怯え……私の中の忘れてしまった記憶がふるえるのだ。

「ありがとうございます」

「アルティリエ姫も最近お菓子作りをなさっているそうですね」

 ふっくらしたバラ色の頬……アリアーナ妃は先日四十になったばかりというが、もっと若く見える。美容に気を使っているんだろうな、この人たち皆。

「はい」

「ぜひ、今度教えて下さいな。姫のお菓子は一味違うとお聞きしましたわ」

「はい。殿下がよいとおっしゃいましたら」

(ダメなら殿下が断ってくれるよね……うん)


「そういえば、ナディア姫はそろそろ婚約を考える時期になりましたね」

 話題が私からナディア姫に移ってほっとする。 

 逆にナディア姫があからさまに身体を震わせた。きっとこの話題が嫌なのだろう。気持ちはわかる。

 自分のこと、それも結婚とかそういうデリケートな話題をこういうお茶会の席のネタにされるのはまったく嬉しくない。

「はい。……陛下からは、一応、候補を打診はされておりますの」

「アルハンのお世継ぎはもうご結婚なさっておりましたわね?」

 アルハンはアルジェナ妃殿下のご実家だ。

 その血をひくナディア姫の嫁ぎ先としてまっさきに考えられるだろう。

「はい。先年、幸いなことに男の子に恵まれまして……」

「まあ、南家は安泰ですわね……では、ナディア様の結婚相手の候補は?」

 話題の中心であるはずのナディア姫は居心地悪そうにひきつった笑いを浮かべている。

 そりゃあ、そうだ。本心を言えば、余計なお世話だと思うもの。

「国内ですと西公のご嫡子ガリア様……ですが、ガリア様はまだ12歳でらっしゃるでしょう。この子が、年下はいやだと申しまして……」

「でも、王女殿下が四公爵家の外でご結婚なさるのはあまり良いこととは言えませんわ……おかわいそうなことになりますでしょう?」

「ええ。ディアナ王女の例がございますものね」

 何代前の王様の娘かわからないけど、ディアナ姫っていうお姫様がいた。

 彼女は弟の家庭教師をしていた貧乏伯爵と恋に落ち、紆余曲折の結果、初恋の人と結婚できたのはいいが、あまりにも貧乏な家に嫁いだ為に、自分の為の馬車すら持つことができずに外出もままならない生活をしたのだという。

 自分で料理したり、自分でドレスを縫ったり……とにかく、そのお姫さまはすごい苦労をしたそうだ。それで、よく身分違いの結婚はよくないっていう例にだされる。

 でも、お姫様が本当に不幸だったのかは伝わっていない。

 誰も、その終わりを知らないのに、かわいそうなことにされているのはどうかと思う。

 幸せだったか不幸せだったかは本人にしか判別がつかないことなのに。

「やっぱり、家格があまりにも違っては、いろいろと問題がありますもの」

「ですが、東家は……」

 視線が私に集中する。

 はい、わかってます。私が暫定相続人なのは。だから、すごーく貴重品扱いされてるってことも重々承知ですよ。

「東公のご子息は残念ながら相続する家がございませんものね。分家も許されておりませんし……まあ、分家するといっても、いただける爵位はせいぜい子爵がいいところですから……王家の姫の嫁ぎ先としては相応しくございませんわ」

「では、シュナック殿下はいかが?ちょっとお年は離れてらっしゃいますけれど、王太子殿下とアルティリエ姫の例もありますし……」

 ぷちり、と隣に座るナディア姫の中で忍耐の糸が切れた音を聞いたと思った。

「あたしは、いつも美少年侍らせてるホモなんかまっぴらごめんだから!!ついでに、飲み物選ぶのさえママに聞いてくるなんて言ってる40男もごめんだから!!」

 ナディア姫はがっと立ち上がって、面々に宣言する。

 シュナック殿下って陛下の弟君だよね?……美少年趣味の人なんだ……へえ。

 マザコン40男は誰なんだろう?それも、シュナック殿下のことなのかしら。


「ナディア姫、おかわりはいかが?」

「あ……はい」

 一瞬凍りついた空気は、ユーリア妃殿下のその一言でふわりと溶ける。ユーリア妃殿下はそっとその肩に手を置いてナディア姫を席につかせた。

 香り高い紅茶が姫のカップに注がれる。ついでに私のカップにも。

 ちょっと口をつけると、殿下からいただいたサギヤの紅茶と違ってかなり濃くて渋い。ミルクなしだと今の私の味覚にはきつい。お菓子が甘いから砂糖はいれないけどミルクはなみなみと注いだ。

「ナディア、言葉が過ぎますよ、はしたない」

「………………………」

 母君の言葉にナディア姫はぷいっと横を向く。ふてくされた表情……鮮やかな緑の瞳は、とても口惜しげだ。

(……腹芸とか絶対できないタイプだね)

 異母とはいえ、あの殿下の妹とは思えない感情の素直さだ。

(殿下、そういうの大得意だもんね……)

「ごめんなさいね、おばさんだから、ついつい下世話な話になってしまって」

 アリアーナ妃がふわりとナディア姫に笑いかける

 なのに、そう言っているかたわらから、ネイシア妃が問うている。 

「国外からもお話が来てますの?」

「ええ……でも、お話だけですわ。陛下もおっしゃって下さいましたの。わざわざ異国に嫁いで苦労することはないと」

「そうよねぇ」

「でも、住めばそこが都ですよ。愛する方が居てくださるのなら尚の事……」

「ユーリア妃殿下」

 ユーリア妃殿下の故国はダーハルという小さな公国だ。今はもうダーハルという国はない。その地は現在、帝国の支配下にある。

「とは言いましても、ダーディニアの王室は婚姻政策をとらないですものね」

「仕方がございませんわ。それが、ダーディニアなのですから」

 アルハン公爵家の令嬢として生まれ第二王妃となったアルジェナ妃殿下は誇らしげに言った。

 王家に継ぐ四公爵家に生まれた彼女には、ユーリア妃殿下のその言葉に潜むニュアンスを正確に捉えることはできなかっただろう。いや、この場にいた他の方にもわからない。

 彼女たちはダーディニアで生まれ、ダーディニアで育ち、ダーディニアしか知らないダーディニアの名家の娘たちだから。

 でも、私には、少しだけわかった。

 私もまた、ユーリア殿下と同じく異邦人だった。

 私の心の何分の一かは、21世紀の日本で育まれたものだから。

(なぜ、ダーディニアは婚姻政策をとらないのか……)

 それは、何か明文化されていない決まりがあるのではないかと思う。

 ダーディニアは別に鎖国しているわけでもなく、純血主義というわけでもないのに、王室の血を外に出す事を嫌う。王家に准ずるとされる四公爵家も同じだ。

 ダーディニア王室において、他国から嫁ないし婿にとることはあっても、その逆はほとんどない。

 貴族間でも『血』がかなり神聖視されていることは確かだ。庶子に相続権がないことや、その厳しい相続規定を見ればわかる。……それが私の問題を厄介にしてるわけだけど。

「ナディア様は、もうお心を決めておりますの?」

 ユーリア妃殿下が問い掛ける。

「私は……別に……」

「陛下には、18歳の誕生日迄に自分で候補の中から選べないのならば、陛下が決めると言われておりますの」

(一応、選択肢があるんだ……へえ……)

 問答無用で命令されるのかと思ったよ。

「ユーリア妃殿下、参考までにお聞きしますけれど、アリエノール様の時はいかが致しましたの?アリエノール様がご自身で決断を?」

「あの子は自分で決めましたわ。……そういう子ですの」

「ユーリア妃殿下に似て聡明でらっしゃいますものね」

 この子ったら、自分ではまったく決断できませんのよ、とアルジェナ妃殿下は溜息をつく。

 ナディア姫は唇を噛み締めてぎゅっと紅茶のカップをにぎりしめている。……あんまり力をこめたら割れるんじゃないだろうかと心配してしまう。

(18歳やそこらで自分の結婚相手決めろって言われてもね……)

 33歳まで独身人生送っていた身としては何も言えないよ。

 ……そのツケを支払わされてるのか知らないけど、今は生後七ヶ月から人妻だけどさ。

 温くなったミルクティに口をつけようとして、顔を顰めた。

 むせ返るような花の香りにまぎれていて判りにくいけれど、かすかな異臭……これ、ミルク、腐ってる?

「どうかして?ティーエ」

「いえ」

 飲むのやめよう。おなか壊したら困るし。

「あら、もういいの?」

「はい」

「そんなこと言わずに、もう少しいただいたら」

 私は静かに首を横に振る。

 こういう時、人形姫ぶりっこしていると便利だ。いちいち説明する必要もなければ、相手が気を悪くしたかなんて気遣う必要もない。

「そう?残念ね」

 ユーリア妃殿下が優雅に微笑む。

 穿った見方をすれば、妃殿下が私に嫌がらせをしているということになるけれど、お茶を用意したのはネイシア妃とアリアーナ妃なわけで、誰がやったかはちょっとわからない。

(他の人が飲んでも困るよね……)

 どうしようか、と考えていたら、がしゃんっと耳触りな音がした。

「……もう、いい加減にして!私が誰と結婚したっていいでしょ。お父様は、私に選んでいいって言ったんだから!」

 ナディア姫が乱暴に立ち上がり、だんっとテーブルを叩く。

 どうやら、私がちょっと考え事していた間にも彼女の結婚話はまだ続いていたらしい。

「余計なお世話なのよ。ママも!あなた達も!」

 癇癪を起こしたナディア姫は、思いっきり目の前のテーブルクロスを引っ張る。

「きゃあ」

「ナディアっ」

 途端にテーブルの上は目も当てられない惨状になった。

(あ、やば……)

 こぼれた紅茶がガウンの裾を汚す。

 慌ててハンカチで裾をふく。

 まずいぞ、新しいガウンだから、汚したらきっと衣装に情熱を燃やしているジュリアとアリスが嘆くに違いない。

 私のその様子を目の端で見た、ナディア姫の瞳に後悔の色が浮かぶ。

「……来なさいよ」

 強引に手をとられた。

「ナディアっ」

「うるさいっ。ママは、金輪際、私にかまわないで」

「え?あ……」

 強く手を握られて強引に連れ出された。振りほどく隙が見出せぬまま、私は半ば引きずられるようにして王妃殿下の居間を出た。



(あー……どこに行くんだろう……)

 唇噛み締めて、ずんずん歩いているその思いつめている様子を見たら、ちょっと付き合ってもいいかな、と思った。

 ……半ばひきずられているようなもので、逃げられないというのもあったけど。

 やりきれなさというか、ああいうのを嫌う気持ちはわかる。

 雰囲気は優雅だけど、まあ、余計な世話焼きおばさんの井戸端会議の変種みたいなものだからね。

 ナディア姫は怒り心頭といった様子でずんずん歩く。

 えーと……どこ歩いてるのかわかってるのかな。私はもうまったくわかってないよ。

「……妃殿下」

 声がした。聞きなれた声。

「……リリア」

 私は立ち止まる。ナディア姫もつんのめるようにして立ち止まった。

 リリアはナディア姫に優雅に一礼すし、姫はどうしていいかわからないように俯く。

「お茶会はもう終わったのですか?」

「……………………はい」

 戻る気にはなれないよ。

 私がうなづくまでのその沈黙と、何だか泣きだしそうなナディア姫を見て、リリアは何かを察したらしい。それ以上は問わなかった。

「リリアは?」

「私は正宮の兄の下へちょっと……。終わったのでしたら宮に戻りましょう。護衛も無く歩いていたら危険です」

 こくりと私はうなづく。

「ナディア様もいかがですか?」

「……え?」

 どこか途方にくれたような表情をしている姫が顔をあげる。

「よろしいですわよね?妃殿下」

「はい」

 何か一人にしたら可哀想だと思った。

 私が何か味方になってあげるとかはできないけれど、気晴らしに泊まるくらいはさせてあげられる。

「……いいの?」

「東宮と王妃殿下には使いを出しておきますし、王太子殿下のご許可もいただきますから」

 王太子殿下……の単語にびくりとナディア姫が震える。

「やっぱり、私……」

 こんなかわいい姫君に怯えられるような何をしたんだろう?あの殿下は。

「大丈夫」

 殿下はちゃんと話せば話のわからない人ではない。

 ……話す前に怖いと思うことがあるかもしれないけど。

「では、戻りましょうか」

「はい」

 リリアに先導され、今度は私がナディア姫の手をひいた。

「……ごめんね」

 小さな小さな声でナディア姫が謝罪の言葉を口にする。

「……平気です」


 応える代わりにぎゅっと握り返された手はとっても頼りなげだった。





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