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22.夫と父

「殿下、ならびに妃殿下におかせられましては、ご機嫌麗しく恐悦至極に存じます」

「あまり麗しくなどない。……が、わざわざこの時期に公爵が足を運んだのだ、顔くらい見せねばなるまい」

(なんか、不穏な空気が流れてるのは気のせいじゃないと思う)

 拝謁を受けたのは、殿下が私的にお客様が会うという居間。『私的』って言葉の使い方間違ってるよ、こっちの人たち。……この間、私が陛下に帰還の挨拶をさせていただいた部屋よりは狭いとは思うけれど、ホールであることにかわりはないから。

 その天井が高く広いホールいっぱいに、なんか神経がちりちりするような逃げ出したくなるような空気が満ちている。

(公爵と殿下が仲悪いなんて知らなかったよ、リリア)

 つい、心の中でリリアにグチってしまう。

 いや、もしかしてリリアにとってはあまりにも当たり前の事実だから言わなかっただけかも。

 私はレースの扇で口元を隠すとみせかけ、小さく溜息をつく。

 彫刻と宝石とで飾られた椅子は私にはまだ大きくて、クッションが三つもいれられている。そのせいで座り心地はいいけれど、居心地はまったくよくない。

「先ほどまではルティアと二人、朝のティータイムを楽しんでいたのだがね」

 いかにも邪魔されたと言わんばかりの態度で殿下が足を組む。

 これがイヤってくらい様になっている。あの、爽やかでありながらさりげなく尊大な王子様バージョンに変貌してるんじゃなければ、ちょっと見惚れてしまったかも。

 私はもう一度扇の陰で溜息をつく。

 だが、公爵もさるもので、殿下の嫌味成分過多な言葉をあっさりとスルーして、にこやかな笑顔で私に向き直る。

 エルゼヴェルトで別れた時に比べるとだいぶ顔色も良いようだ。

「妃殿下が、当家に滞在中に菓子を気に入ったと伺いました」

「……はい」

 え、もしかして、お兄さんが伝えてくれたのだろうか?

 もしかして、わざわざもって来てくれたの?

 うわー、すごい仕事早いよ、お兄さん。

 まだ十日くらいしかたってないよね。下手したら早馬とか使ったんじゃなかろうか、この話を伝えるのに。

 何か申し訳ないことをしてしまったかもしれない。

「その思し召しを有り難く思いまして……妃殿下が好きな時に召し上がれるように、職人を連れてまいりました」

(へ……?)

 言われた意味がよくわからなかった。なんで、職人さん連れてくるの?この場で作るとかそういう意味?

「それは感心なことだな……良かったね、ルティア」

「……え、はい」

 殿下がにこやかにおっしゃるから、思わず頷いてしまった。

 良かったね、って言うって事は良い事なんだろうけど、意味がわからない。

「つきましては、妃殿下の宮に台所を復活させたく思います」

「………それは、困難な話だな」

「殿下にも異存のない話であると思っておりますが……」

「確かに吝かではない」

 そのもってまわったような言い方やめようよ。

 なんで台所?いったい何の話してるの?

「だが、問題は、工事の人間を一人一人を選別できるかだ」

「それは私の方で行います。決して、妃殿下を危険に晒すような真似は致しません」

「エルゼヴェルトにとって、ルティアがかけがえのないことはわかっている。……だが、そなたの言葉を疑うわけではないが、ルティアが狙われたのはそなたの居城での出来事だ」

「お言葉ですが殿下、護衛の不甲斐なさのせいでもあります。これまで、我らは妃殿下の側近くに寄るを許されていなかった。我が城中といえど、側近くに護衛を配せなければ手抜かりもございます」

「今も許したつもりはない」

 すいません。話にまったくついていけていません。

 この人たち、いったい何を話しているのだ。

 私には全然わからない。

「失礼ながら殿下、殿下に許される必要はございません。許す、許さぬはすべて妃殿下の御心一つであると心得ておりますので」

 慇懃無礼なまでの丁寧な口調で静かな笑みを浮かべる公爵に、殿下は口元を皮肉げに歪める。

「だ、そうだ。ルティア、いかがする」

「……いかがも何も、全然わかりません」

 なんかちょっと軽くムカついてます。

 二人して私を置き去りにして何の話してるんですか!

 関係ない話ならいいですよ。でも、何か私にすごく関係してるような話じゃないですか。

 公爵がどこか驚いた表情でこちらを見ているけれど、私はそれを気にせずにスルーした。公爵の内心心理を慮るよりももっと大事なことがあったからだ。

「お菓子を下さる話じゃなかったんですか?それがなぜ職人さんの話になって、台所の話になって、この間の話になるんですか」

「公爵は君の望んだ菓子を作った職人を君にくれるというのだよ。職人だけもらっても肝心の菓子が作りようがないので新たに台所も一緒に建てて献上するそうだ」

 あっさりと殿下は言う。

 何で平然とした顔してるんですか、殿下。

「私はもう一度お菓子を食べたいとは申し上げましたけれど、職人さんが欲しいとか、台所が欲しいとか言ってません」

 そんなおねだり、これっぽっちもした覚えがありません。まったく。

「何か問題が?」

「気になることでもお有りですか?」

 殿下と公爵が不思議そうに私に問う。

(だめだ、この人たち……)

 いや、諦めたらダメだよ。

 私はおかしくない。……たぶん。

 お菓子がもう一度食べたいって言うのはそういう意味ではないはずだ。

「……もしかして、お菓子が食べたいというのは、そのお菓子職人さんを下さいって意味になるんですか?」

 そういう意味だったら、申し訳ないことをしてしまったと思う。

「いいや」

「とんでもありません」

 二人はあっさりきっぱり否定した。

「じゃあ、なぜ、そういうお話になるんですか?」

 二人がサラウンドで答えた。

「エルゼヴェルトの人間が君のものになることに何の問題がある」

「当家の人間が妃殿下にお仕えするのは当然のことです」

 うわ、同じ表情してるよ、この人たち。同類か。

 仲が悪いのは、同類嫌悪なのか?もしかして。

「だから、私はお菓子が食べたかったんであって、その職人さんが欲しいとは言ってません!」

 もう一回食べたいと思っただけで、どうしてこうなるの。

「……もしや、妃殿下にはまだ当家の誠意をお信じていただけていないのでしょうか」

(うわぁ……そう切り返すんだ。やだな、この話の流れ)

 公爵は目を伏せて諦観の表情を形作る。ポーズだと言うのはわかっている。わかっていても、私はそれをただのポーズだとあっさり切り捨てることができない。

「誠意ね。そなたの口からそんな言葉が出るとは……」

 くつくつと殿下が嘲けるように笑う。

 殿下、そうしているとものすごい悪人っぽいです。いや、悪人では安っぽすぎるから……雰囲気として、魔王かな、うん。

 皆に退かれますよ、きっと。 

「少なくとも、私は妃殿下に対して誰よりも誠実でありたいと思っております。……妃殿下が近頃、菓子を作るのに興味をお持ちであること、いろいろと不自由していることをお伺いし、できる限りのことをさせていただきたいと思ったのです」

 それで職人と台所を献上ですか。

 大貴族の当主が考えていることってわからないよ。

 わからないけど、でも、ここで丸め込まれたらダメな気がする。

「ですが、妃殿下が当家の出す菓子職人を信じられぬとおおせであればそれは致し方ございませぬ。それも臣の不徳の致すところ……」

「そういうことではないです」

 信じる信じないじゃないから。問題ズレてるから。

「妃殿下……」

「記憶の無いルティアにそのように言うものではない、東公」

 公爵が何か言いかけたところに、殿下が静かに口を開く。

 口元には冷ややかな笑みを浮かべている。

(うわ、機嫌悪そう……)

 哀しいかな……殿下がただ私を助けるためだけにそう言ってくれたとはまったく思えない。

(程よいところで公爵を庇わなければ……)

 さっきまでは公爵にちょっと嫌味を言うだけの気分だったようなのに、理由はわからないものの今は正真正銘の不機嫌だ。

「ルティアは判断の基準とすべき記憶が無い。それをいいことに付け入るような真似をしてほしくはない」

「そのようなつもりは毛頭ありませぬ」

「……ではなぜ『現在』を選ぶ。これまでもいくらでも機会はあったであろうよ。記憶がなければ己の所業が許されると思ったか?自分がルティアに何をしたか、胸に手をあてて考えるが良い」

 公爵の何が殿下の怒りに触れたのかわからなかったけれど、殿下は静かに……でも、間違いなく怒っていた。

 激昂することなく冷静であることが、よりその怒りの深さを思わせる。

「思い出せぬか?ルティアが生まれた夜、おまえが「何だ娘か」と口にした事を忘れたか?三歳の娘が病の床で父親に会いたがった時、あの女の出産が控えているからと拒否したことは?マレーネ夫人が亡くなりルティアが一人になった時のことは?……おまえが忘れても、ルティアが忘れても、私は忘れぬよ」

「殿下……」

 私は殿下のことが心配になった。公爵を責めているその言葉が、殿下を傷つけているように思えたから。

「誠意……そなたは、エフィニアと結婚する時にもそう言ったのだ」

 冷たく言い放つ。

 エフィニア……それは、17歳で亡くなった私の母の名だ。

「……殿下、もういいです」

「ルティア」

 意外そうな顔で、殿下と……そして、公爵が私を見る。

 私はそっと隣の椅子の肘にかけられた殿下の腕に触れて、殿下に笑いかける。

「私は、もし、あの時のお菓子が今此処にあったら喜んでいただきます。とてもおいしかったから……殿下と一緒にいただきたいから」

 おいしいものは好きな人と一緒に食べるともっとおいしいと思う。

「君は、彼を許すのか」

「許すとか、許さないとかではありません。……殿下、私は覚えていない。公爵が父であることは聞いたので知っています。……ですが、実感はないのです」

 私は、彼を知らない。

 彼を知っていた私は、それを忘れてしまったから。

「忘れるということは、死よりももっと酷いことなのだそうです……」

 本当の死は肉体の死によって訪れるものではなく、すべての人の記憶から忘れ去れた時に訪れるのだと誰かが言っていた。

「記憶がある限り、その人は心の中で生きている。……記憶とは、そういうものなんだそうです。私はそれを失いました。それは、その時に私は一度死んだということではないかと思うのです」

 殿下は私の顔をまじまじと見つめる。


(ああ、そうか……)


 自分で言っていて、何となくわかった気がした。

「母の話を聞いて、私は泣きそうになりました。私が公爵を許しては母が浮かばれないと思いました。でも、そんな風に思う必要はなかったのです。だって、覚えていないのですから……」

 誰かの詩に、死ぬ事よりも忘れられる事の方が哀れだと言う一節があった。

 確かにその通りだ。

「殿下、私と公爵は血がつながっています。親子なのだと言われていますし、それを疑ったりはしません。……でも、私がこの先、公爵を「お父様」と呼ぶことがあったとしても、それはただの呼び方であり、そこに家族を呼ぶ愛おしさはありません。……私達はもう二度と家族にはなれないのです」

 彼の子供である記憶を、私は持たない。

 それが、公爵にとってどんなに酷いことであるのかわかってもらえるだろうか。

「なぜ?」

「私はあの時、殿下のことも忘れましたけれど……殿下とは、まだ短い期間ではありますけれど、新しくいろいろな思い出を重ねてきました」

 違いますか?という風に軽く首を傾げる。

「……いや、違わない」

「そういう記憶があるから……大切な時間を一緒に重ねているから、私と殿下は家族であると思うのです。……血がつながっているだけでは家族ではないのだと思います」

 麻耶は早くに家族をなくしたけれど、決して一人ぼっちではなかった。

 知人は多かったし、友人だっていた。薄っぺらいつきあいばかりではなく、ちゃんと人間関係を築いていたと思う。

 淋しいと思うことはあったけれど、それは誰も居ない淋しさではなく、亡くしてしまった淋しさであり、思い出すがゆえの淋しさだった。

(父さんと母さんが麻耶を愛していたことを私は知っているから……)

 だから、ある意味、天涯孤独のような身の上であっても本当に孤独ではなかったのだと、今ならわかる。

「私と公爵は、残念ながら『家族』という形で時間を重ねる事はもうないでしょう。私は私の父であった公爵を覚えておらず、今はもう私の家族は殿下なのですから……。公爵には、それをとても申し訳なく思います」

 ごめんなさい。そう言いたい気持ちを留める。私が私である限り、彼には二度と娘を取り戻す術がない。

 エルゼヴェルト公爵は私をまっすぐと見つめる。

 私はそれをまっすぐと受け止める。

 不思議なくらいに心の中は静かだった。

「……父であったことなどなければ、忘れるような思い出すらなかった」

 殿下が不機嫌な声音で告げる。

 この後に及んでまだ機嫌悪いですか。

 しょうがない人だなぁと思い、何だかおかしな気分にもなる。

 可愛いとすら思えるこの心境はどういうものなんだろうか。

「それはわかりません。あの冬の湖で失われてしまったのですから……。今、ここにいる私は、公爵に対して特に他意はありません。だから、すべてこれからです。……今の私は、公爵の好意を嬉しく思います」

「……妃殿下」

 今、自分がちょっとずるいこと言ってるってわかってます。

 この論法でいくと公爵は今後も私に好意を示し続けなければならない。

「この一件は殿下のよろしいようになさって下さい」

 詳しい事はよくわからないのでお任せします。と告げた。

 私的には受け取る気はない。けれど、そうはならないのだろうという気もする。たぶん、何かの思惑がその二つにはあって、それは私の関知しない理由があるようだから。

 いや、台所が手に入るとしたら嬉しいと思うし、腕の良い職人さんも大歓迎だ。

 でも……何度も言うようだけど、私が欲しかったのはお菓子だから!

(……今度から、発言には気をつけよう)

 お菓子が欲しいの一言が、こんな風に発展するなんて夢にも思わなかったよ。

 私はいったいどこで何を間違ったんだろう。

 誰か教えて欲しい。



「……ルティア」


 公爵と殿下は、また再び嫌味の応酬をして、結局、台所は新たに建築ではなく改装ということになった。

 前に台所だった部屋を改装するだけならばそれほど大掛かりではなく、職人の数も少なくて済む。職人は公爵が厳選に厳選を重ね、作業期間中は彼らは殿下の宮の使用人の部屋に泊り込み、できる限り短期間で終了させることで決着した。

 その間は護衛を増やすらしい。これ以上護衛を増やしてどうするんだと思ったけどややこしくなるから言わなかった。

 職人さんについてはもう一度本人の意思を改めて確認した上で、本人が希望すれば勤務するという事になった。

 私の宮に勤めるというのは、日常生活が厳しい監視の目に晒されるということだ。覚悟していないとやっていけない。

 彼女の身については、何か事があったら公爵が責任をとるということでやっと殿下は納得された。

「ルティア」

(まったく……)

 ちょっと精神的に疲れた。

 改めて思ったのは、私の母の一件というのは、知らぬところでも深く影を落としているのだと言うこと。

 そのうち、誰かにちゃんと聞きたいと思う。……できれば王宮の人でもエルゼヴェルトの人でもない人に。

「はい?」

 名を呼ばれてることに気付いてはっとする。

「……怒っているのか?」

「私が、ですか?」

 怒っていたのは殿下ですよね?と小さく首を傾げる。

「私は……別に怒ってはいない」

 嘘をつけ。

「でも、機嫌が悪かったです」

「それは……私はあの男を嫌いだからだ」

「……それだけですか?」

「ああ」

 まあ、それならそれでもいいですけど。

「………少し、腹立ちましたけど」

 殿下が私をまじまじと見る。

「だって、お二人がとっても仲が良いから」

 にっこりと私は笑った。そりゃあもうここぞとばかりの満面の笑みで。

「……仲など良くない」

「ケンカするほど仲がよいって言うんですよ、殿下」

「良くない!」

「隠さなくてもいいです」

「隠してなどいないっ!」

 あ、珍しい。殿下がムキになっている。

「私のわからないところで会話をなさったり、腹芸なさったりしてらっしゃるから妬きました」

「君が妬くようなことは何もない。今までも、そして、これからも、絶対に!だ!!!」

 殿下が力いっぱい宣言する。

「そういうことにしておいてさしあげます」

 殿下が絶句する。

 あんまり追い詰めると殿下は逆切れしそうだ。その場合、絶対に、恐ろしい事になるとおもったので、私は更に笑みを重ねて言った。

「新しい台所が出来たら、朝食はできるだけご一緒しましょうね」

 まずは朝食からでしょう。ちなみに、その際の朝食は、私が用意すること決定で!殿下側が用意したらまたあの缶が出てきかねない。

 私は殿下と「今日の朝食は北部師団の携帯糧食ですね」とか「南部のものはジャーキーの味付けが甘いですね」とかそんな会話を交わすようにはなりたくない。

 殿下はいろいろ言いたそうだったが、口に出したのは一言だけ。


「……問題ない」


 私は今日得た成果にとても満足した。


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