45 エピローグ
「大騒ぎですわね」
「仕方がありません。慶事に伴うものとはいえ、旧体制の一新ですもの」
戴冠式の終わった後、私と殿下……改め、陛下は、新しい宮に引っ越しをした。
かつての後宮の一部を改装した新しい宮は私と殿下だけの生活領域となる。これから、使っていない部分を順に取り壊し……あるいは改装し、後宮を一新するのだという。
その中で、人事も刷新された。
特に注目されたのは後宮人事だ。
「今は何が話題なの?」
いつの時代でも後宮と言うのは噂話の絶えないところだ。
「人事のことでしょうか?」
リリアがおかしくて仕方がないような表情で口元を押さえる。
「アーニャのこと?」
「アンナマリア様の女官長就任は抜擢とはいえ内示通りですもの。噂になるほどではありませんわ。問題は、もう一人の女官長です」
「公爵妃のこと?」
「はい。……どんな手をつかいましたの? 妃殿下」
後学の為にお教えくださいませとリリアがきらきらとした目で私を見る。
「後学も何も、妃殿下が……エレーヌ様があんまりにも罪の意識を感じておられるので提案したのです」
「提案、ですか?」
「ええ。そんなにも罪の意識を感じるのでしたら、どうぞ私にいろいろ教えてくださいませ、と」
「……失礼ながら、公爵妃は箱入りで有名な方ですけれど」
「でも、私の知らないことをご存知です。それから、エルゼヴェルトの……大貴族の姫としての常識や規範をしっかりと身に着けておいでです」
「それはまあ……」
「なので、そういった女性の嗜みを教えてくれる家庭教師みたいなことをしていただけないかな、と思ったのです。……ナディルさまに申し上げたら、ナディル様がそれならば王妃宮の女官長として出仕するがよい、と。もちろん、公爵妃でいらっしゃいますから、王宮で暮らすというわけにはまいりませんし、毎日出仕していただくわけではありませんけれど……」
「まあ、私にとってはありがたい上司ではあります」
「殿下……じゃない、陛下は、リリアが女官長になる時まで、名前だけでもエレーヌ様に女官長でいてもらう、と」
それが一番都合が良いんですって。
「仮にも公爵妃でらっしゃいますからね。……逆らえないと思いますよ」
「ですよね」
「それに、エレーヌ様は私の意向に沿わないことは絶対になさらないし」
「そうですね」
これまで、大貴族の正夫人が出仕した例がないわけではない。でも、女官長とはいえ、エレーヌ様ほど高位の方が出仕した例はない。
「……それに、私、エレーヌ様が嫌いではないの。だから、少し良い方に変わればいいな、と思って」
「……何をお考えですの?」
「秘密。……どうなるかわからないもの」
リリアは苦笑した。
どこからか、甘い香りが漂ってくる。
「そろそろ焼ける頃かしら?」
「いい香りがしますね」
「うん」
新しい厨房のオーブンは、残念ながら今まで通りの炭と薪を利用するものだった。
でも、照明は、これまでの常夜燈だけではなくガスを併用したものになっている。まだ機器がそれほど開発されていない為、ガスの明かりだけでは光量が足りないのだけれど、確かにガス灯が使われている。
(きっと近いうちにガスオーブンもできると思うの)
それこそ、チャンスがあれば殿下におねだりしようと思う。
「……アルハンのご令嬢が後宮に入られるという噂は、今のところ下火になりました」
「そう。……どうして?」
「ご令嬢は殿下の側妃になる意志はないようで……」
「そうなの?」
「はい。ご令嬢の侍女と親しくしている者に聞きました」
「そうですか」
(今回はそれでいいかもしれないけれど)
またいつ再燃するかわからない。
(その時はその時だけど……)
でも……殿下はそうはなさらないように思う。根拠があるわけじゃないけど。
ふと、ざわざわした空気に触れた気がして扉の方を見た。
「妃殿下? どうなさいました」
し、と唇に人差し指をあてる。
コンコンと軽やかなノックの音がする。女官特有の叩き方だ。
「どうぞ」
先に立つミレディが一礼して告げる。
「陛下の御成りでございます」
リリアがすっと背筋を伸ばす。
私も椅子から立ち上がった。
「……楽にしていてよい」
入ってきたのはナディル様だ。
「いらっしゃいませ、陛下」
まだ時々、殿下と言いそうになる。
「ああ。……突然にすまない」
「いいえ。お会いできてうれしいです、ナディルさま」
頬が自然に笑みを形作る。ナディル様を目にするとごく自然に笑みが浮かぶ。これはもう条件反射みたいなものだ。
「お時間はありまして? ちょうどパイがやきあがるところです」
私は簡素なガウンの上に、希望通りに作ってもらったエプロンをつける。
あと何日もせずに王宮を退出するアリスは、五歳下の自分の妹……エリスを新しい侍女として推薦した。アリスよりもずっと針子の腕がいいというエリスは、三日前に出仕したばかりだけど、そのお針の腕前で私の侍女としてなくてはならない存在になっている。
「ああ。……何か食べさせてくれないか」
「少し減ってます? それともいっぱい減ってます?」
「……いっぱい、だな」
「わかりました。少々お待ちくださいませ」
私は一礼するとナディル様の前から退出した。
「お待たせしました」
席に戻ると既にテーブルの上にはお茶のセットが整えられていて、殿下の前には湯気の漂うティカップが置かれていた。
「先に茶をもらっていた」
「はい。新しいブレンドですけど、いかがです? 胃がすっきりするお茶なんですよ」
「ああ……確かに。ミントか?」
「はい。ミントとカミルレをブレンドしています」
ダーディニアではカモミールをカミルレという。
「悪くない」
これ、殿下にしてはかなり良い評価だ。
席につくと、ほんの少しの間をおいてやってきたミレディが私の分のお茶をいれてくれる。ほんの少し蜂蜜を垂らすのが、私の好きな飲み方だ。こうすると、鮮烈すぎるミントの味がまろやかになるような気がする。
(最近、みんな呼吸を読むことがうまくなった気がする)
何もすぐにお茶をもってくればいいわけではない。適切な間、というものがある。それを読むのが上手になった。心地よい空気をかき乱さないで、皆がそれぞれの仕事をしている。
一息ついてお茶を口にする。
「……私の独り言を聞いてくれるか」
殿下が、窓の外に視線をやりながら言った。
「はい」
私はうなづく。
「……先月、私は異母弟を亡くした」
「はい」
ズキリと胸が痛んだ。
エオル殿下は、病気で亡くなったと公示された。
葬儀は王族の私的なものとされ、王宮大聖堂でシオン猊下の手で執り行われた。
でもそれは死を賜ったものなのだと、私たちは知っている。
病死と公示された以上、それ以外の記録はどこにも存在しない。
けれど、側近であり乳兄弟だったファーサルド子爵が大逆で処刑されたのだから、真実がどこにあるかは誰もが知っていることだった。
(異母弟とはいえ、ご自身のご兄弟に死を命じたのだ……)
ナディル殿下の御心を思うと、胸の奥がぎゅっと掴まれたような痛みを覚える。
「王都の……とある孤児院に新しい修道士が入った」
「はい」
何の話だろう? と思った。
「君がよく知っている孤児院だ」
ナディル様の言葉に、私の頬が緩んだ。
ラグたちの話が聞けることはとても嬉しい。
「……その新しい修道士というのはどういう人ですか?」
彼らの助けになってくれる人たちなんだろうか?
「……死んだ私の異母弟によく似ている。アルハンの遠縁だそうだ」
はっとした。
「……ナディルさま?」
「……私は会う機会がないだろうが、君は会うかもしれないから」
「……はい」
そうなんだ、と思った。
「……ナディに話してあげて良いですか?」
双子の片割れを亡くしたナディは、未だ沈みこんだままだ。喪に服しているといえば聞こえはいいけれど、まったく立ち直れていないのだ。
(ナディの哀しみは、単純にエオル殿下を失ったことだけではない)
自分が、誰よりも理解している……知っていると思っていた双子の片割れのことをまったくわかっていなかったことがその衝撃を更に大きいものにしたのだろう。
ナディは、エオル殿下がナディル様に成り代わることを考えていたことにまったく気づいていなかったのだという。
泣きながら何度も謝罪されたし、可哀そうなくらい憔悴していて、東宮は火が消えたようだという。
「……かまわない。だが、彼は既に世を捨てた身だ。会いに行くことは許可できない」
「はい」
私はうなづく。
(会いに行くことは許可できないといいつつ、私はまた会うかもしれないからと教えてくれる……)
つまり、その時間。私たちが王宮にいればいいのだ。
(ナディが地下を歩ける手段を考えなきゃ……ああ、フィルに聞いてみよう)
「新しい修道士は、君が母女神に捧げたレシピをよく知る子供たちにいろいろとしごかれながら、やっとこれを作れるようになったそうだ」
ナディルさまがポケットから出したのは、柔らかな紙に包まれたほろほろクッキーだった。テーブルの上に広げられたそれは、少し不格好だ。
「これが一番上手に焼けたものだという」
手に取ろうとして、はっとして手を止めた。
「大丈夫だ。私が毒見した」
「……それ、全然大丈夫じゃないと思いますけど」
「細かいことは気にしなくていい」
国王陛下が毒見って普通に考えてダメだと思う。
手に取ったクッキーをそっと口にする。
ほろほろと口の中で崩れ、バターと柔らかな甘さが口に広がる。
一切のアレンジがない私の作ったのと同じ味。
「……これ、ナディに届けても?」
「かまわない」
ナディル様は小さくうなづいた。
ふと視線をあげると、リリアとミレディがちょうどパイを運んできたところだった。
私のパイはミニサイズで、ナディルさまの分は大きめサイズだ。
ナイフとフォークが添えられている。
「……もし、そのクッキーが気に入ったのなら、孤児院に喜捨をすればいい」
ナディルさまは何てことのないといった様子で私に告げる。
「……ナディルさま」
パイを切りかけたナイフとフォークを置いて、私はナディル様の名前を呼んだ。
「なんだ」
「私が孤児院に喜捨に行ったら、問題になりますか?」
「……一つに拘らないのなら、特に問題にはならない」
「では、王都の大きい四つの聖堂とそこに付属の救貧院、孤児院を回ろうと思います」
私は笑みを浮かべて告げる。
目の前の人の不器用な優しさが嬉しかった。それが私以外の人に対するものであっても、この嬉しいという気持ちは変わらない。
「わかった。ラーダに言っておく」
「はい。……ナディを誘って一緒に慈善活動をしてもかまいませんか?」
「構わない」
ナディル様は静かにうなづいた。
「……ナディルさま」
私は、大切にその名を呼ぶ。
シチューパイを口にしたナディル様は、何か? というように小さく首を傾げた。
「……愛しています」
こみ上げる愛おしさが唇から零れて落ちた。
唐突でも何でもいい。
今、この瞬間にあふれ出してしまった気持ちがあって、それを言葉になっただけだった。
一瞬動きを止めたナディル様は目を白黒させて、それから激しく咳き込む。
そんなに驚かせたつもりはなかったけれど、かなりの衝撃を与えてしまったらしい。
グラスの水を一気に飲んだナディルさまは、小さく咳き込みながら息を整える。
「……君は……」
それから、ナディル様らしからぬ乱暴さで立ち上がった。
「……ナディルさま?」
私を見下ろすその瞳を見上げる。
ナディル様は、滑らかな動作で膝をついた。
合わせた瞳の、その色に見惚れた。
凍れる水の色……あるいは、冬の風の色 ──── 銀を帯びた氷蒼色の瞳の奥に柔らかな熱がある。
私をまっすぐと見たナディル様は困ったように視線を揺らし、それから、私に手を伸ばした。
「……ナディルさま?」
耳元で囁かれたその言葉に私は破顔する。
きっと今までで一番きれいに笑えているだろう。
そして、私は抱きしめ返す腕に力をこめた。
なんちゃってシンデレラ 終
なんちゃってシンデレラの長い物語にお付き合いいただきありがとうございました。
コメントや感想やメッセージをくださった皆様、それから読んでくださった皆様のおかげで王都迷宮編も最後まで書くことができました。
まだ描き切れていないものや回収していない伏線などもありますが、本編はひとまずここで完結です。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
できればまた別の物語でもお付き合いいただければ幸いです。




