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43 儀式(下)

 この地下のはずなのに空があるかのような不思議な場所にも朝はくるらしい。


「……ティア…ルティア」


 耳元で呼ばれる己の名前にを聞き留めて、のろのろと目を開けると、青い薄闇に閉ざされていた空間はまるで昼間のように明るくなっていた。

 驚くほど近かったナディル殿下のどアップに何とか耐え、まるで何でもないような顔で笑ってみせる。


「おはようございます。ナディルさま」


 びっくりした。心臓がバクバク言っていないのが不思議なくらいだ。

 最近、殿下の距離が近くなった気がする。精神的にも、物理的にも。


「おはよう」


 殿下はとっても上機嫌だ。


「何か面白いものがありました?」

「うん。いろいろと興味深いものを見つけた。……おいで、ルティア。今の世界にはないものを見せてあげよう」


(今の世界にはないもの?)

 殿下の言葉にひっかかりを覚える。

 当たり前のように私を抱き上げるから、私もついそれを当たり前のように受け入れてしまって気が付いた。

(自分で歩くっていう私の決意はどこに!!)

 これは私の意志が弱いのか、それとも、殿下が巧妙なのか……。


「ルティア?」

「殿下、降ろしてくださいませ。私も反省いたしますが、殿下も当たり前のように私を抱き上げないでください」

「ルティア、君の決意は尊ぶべきものだが、今日はこの後も体力を消費することがたくさんある。おとなしく私の腕の中にいなさい」


 がっちりというわけではないけれど、しっかりと抱きしめられて降りる隙が見いだせない。

(……何かすごく負けた気分なのですけど!)

 悔しいという気もするけど守られている安心感もあって、なかなか微妙な気持ちになった。

(もう、このままでもいいかなって気もする)

 私が成長すれば、抱き上げてもらう機会もそうはないだろう。だから、殿下が私を当たり前のように抱き上げて下さる間は、それでいいのかもしれない。

(あと何年でもないだろうし……)

 意志薄弱と言われてもかまわない。人は易きに流れる生き物なのだ。

(別に腕の中にいることに慣らされたわけじゃないんだから)

 



 私が寝ている間に、殿下はこの空間をいろいろ見て回ったらしい。迷いない足取りで一か所を目指す。


「私たちが始まりの庭と呼んでいる場所は、おそらくこの遺跡をモデルにして作り上げたものだろう」

「遺跡、なのですか?」


 意外な気がして、思わず問い返した。


「ああ。遺跡だ。王都迷宮の最下層……おそらく、こここそが『始まり』なのだと思う」

「何の始まりですか?」

「ダーディニアの……そして帝國の始まりだ」


 殿下の言葉のニュアンスからして、それは統一帝國のことなのだろう。


「……帝國の父祖の地は空白の大地と呼ばれているアルテッラですよね?」


 アルテッラあるいは、アル・テッラ。帝國語で大きな都市という意味の冠詞が『アル』で、テッラというのは『無』を意味する。

 統一帝國はこの空白の大地で生まれ、やがて不毛の土地となった父祖の地を捨て中央に覇をとなえた。


「そうだ」

「そして、ダーディニアの父祖の地……ダーディエ王家の発祥の地はラーティヴですよね?」


 実は、今はエルゼヴェルトの公都となったラーティヴこそが、ダーディエ発祥の地である。


「ああ。……父祖の地と言うのならば、それで間違いないだろう。だが、はじまりというのはそういう意味ではない。ダーディニアのはじまりが建国王と帝國最後の皇女の出会いであるように、帝國の帝國たる証……あるいはその源流ともいうべき場所が、ここなのだと私は思っている……ルティアは、聖書を読んだことがあるか?」

「はい」


 私の名前は聖書の冒頭からとられている。だから、熟読というわけではないけれど、さわりくらいはわかる程度には読んだ。

 光の中から現れた母女神が地上に降り立ち、痩せた大地に水と緑を呼び、豊穣の大地を人に与えて世界がはじまる神話部分が前半。後半は人の基本的な倫理を養うような教育物語的なものになっている。


「聖書の大半は、実際の歴史を神話に仮託して書かれていると言われている。大学ではそういう研究をしている人間もいて、幾つか裏付けられたこともある。……おそらく、聖書の神話とは、統一帝國の成立の歴史をなぞらえたものなのだ」

「統一帝國は、氷に閉ざされるようになったアル・テッラの地を追われた氏族が中央に進出し、やがて世界を統一したものとされていますよね?」

「そうだ。ロードリアスの『帝國紀』にそう書かれていることが根拠とされている。だが、私はそれは誤訳だと思っている。“帝國は、氷に閉ざされるようになったアル・テッラから中央へと至り、世界を統一した。”とある。これまでの歴史学者は、それは小氷河期がはじまったことによってアルテッラが現在の氷河に覆われた不毛の大地となったための民族移動だと解釈されているが、最近の研究では、アルテッラはそれ以前から氷の大地だったのだ。氷河が溶けたこともない」

「……彼らはどこからかやって来たのですね?」

「そうだ。それがどこなのか、知る者はいない。だが、ヒントはある」

「ヒント?」

「帝國の伝説の一つに、帝國の始祖は『空から来た人』だったとある」

「そらからきたひと……そらというのは、宇宙のことですか?」

「……そうだ。君は知っていると思っていた」

「え?」

「『宇宙』という概念は、普通の人々の中にはないのだ」


 殿下はごく真面目な顔で言った。

(え?)

 あれ? これってすごくまずいのかしら? と思ったけれど、殿下の様子は変わらない。私を糾弾する様子もなければ、偽物だと思っているという風もない。

(いや、私はアルティリエで間違いないのだけれど……)


「君が当たり前だと思っていることの中には、当たり前ではない。この世界では厳しく封印されている知識がある」

「……私……」

「怯える必要はない。『鍵の姫』は血の記憶を持つ。ゆえに、普通にありえることだと聞く」


 待って。待って。違うの。私に『宇宙』の概念があったのは、私の中に異世界の和泉麻耶という女性の記憶があるからだ。

 さーっと血の気がひいた。

 私の常識はこの世界の常識とはズレていることを知っていたから、余計なことは口にしないようにしようと思っていたのに、王太子妃である今の環境に慣れてきたせいでいろいろ発言しているような気がする。

(私の馬鹿)


「……血の記憶というのは何ですか?」

「失われたはずの世界の記憶だと、七代前のグラディス一世陛下の第二王女であるリディアーヌ姫の日記に書かれていた」


(……待って。失われた世界の記憶って……? 私の……日本での記憶もそれに当てはまると思う)

 でも、迂闊なことは言えない。


「私は……昔のことを覚えていないので、よくわからないのです」

「別に咎めだてをしようと思ったのではない。……ただ、君が記憶がないことを気にしているようだったので、いつか言っておこうと思っていたのだ」

「ナディルさま……」

「いい機会だから教えておこう。……統一帝國の帝室は、母女神の末裔だと言われている」

「存じております」


 私はうなづいた。

(そらからきた人が、『宇宙から来た人』だったなら……だから、神だと思われたのなら……)


「帝國の血は、その奥底に神を潜ませる。ゆえに、時折、異能を持つ者が現れる」


 私は異能を持っているわけじゃない。ただ、遠い過去の記憶を思い出しただけだ。


「巫……シャーマン的な能力を能力を持つ者が現れたり、私のように学問に特化した頭を持つ者が生まれたりもする」

「……ナディルさまも?」

「ああ。……私の母は一滴もこの国の血をひいてはいないが、父は先王陛下だ。この身の半分は紛れもなく帝國の血をひいているし、れっきとした母女神の末裔である。君よりずっと薄いけれども」

「そうですよね。……殿下と私は従弟同士ですものね」


(本当は叔父と姪ですけど……)


「ああ。……まあ、そうは言うが、『鍵の姫』は本当に特別なのだ」

「別に鍵の姫は万能ではないと思いますよ?」


 人間一人ができることなんて限られている。

 私が特別な血筋であったとしても、私自身は天才でもなければ、秀才というわけでもなく、異能と呼べるような力も持っていない。


「それは理解している。……だが、これまで実証できずに仮説ばかりで論争してきたことが、あっさりと証明できる。それを考えれば万能のように思えることがある」

「殿下のお役に立てるのでしたら良かったです」


 正直、私は『鍵』であることの重要性をそれほど感じていない。だから、殿下が喜んでくれればそれでいい。


「……君は、謙虚だな」

「謙虚というほどのことではありません。ただ、己の血が特別であっても、己自身が特別だと思えないだけです」


 自分を粗末にするというわけではない。ただ、自分のことだから殿下のように神聖視しようがないだけだ。


「この世界で唯一の正式な帝國の遺産の継承者だというのに」

「私にとってはどうでもいいことです。……むしろ、この血のために他国と争うようなことにならなければよいと思っています」


 例えば、統一帝國の後継を標榜している帝国などは、絶対に言いがかりをつけてくる。


「そうだな。……誰もが君を望むだろう」


 殿下が私を連れてきてくれたのはまるで青い湖のように見える一角だった。

 青いのは水ではない。花だ。一面の青い花々が、季節を無視して咲き乱れている。アジサイやネモフィラ、アヤメやロゼフィニア、それから、薔薇。


「……薔薇?」


 ひっかかりを覚えたのは薔薇だ。だって青い薔薇は自然には存在しない。

(遺伝子組み換えで作られた青い薔薇……)

 よく見れば、アジサイやネモフィラ、アヤメの青も、私が知る色とは微妙に違っている。

 差し込んだ光の加減で、花々の青は、碧とも蒼ともつかぬ色を帯びた。


「……これは、ダーディニアの青、ですか?」

「そうだ。……すべて人工的に作られた。大陸中でこの王宮にしかない」

「……下町で見たロゼフィニアは、白とか黄色とか……いろいろな色がありました。でも、青だけは見なかったんです」

「青のロゼフィニアは、ダーディニアの王宮にしか存在しない。この王宮の外では育てることができないのだ。帝國最後の皇女のもたらしたものの一つで、帝國の帝室を象徴する花でもある」

「……王家の紋章にも、エルゼヴェルトの紋章にもありますよね?」


 エルゼヴェルトの紋章の竜は、ロゼフィニアの花冠をかぶっているのだ。


「そうだ」


 殿下は私を青の中におろす。

 そして、私の前に膝まづいた。


「……アルティリエ・ルティアーヌ」


 名を呼ばれた。

 敬称も何もない名。

 私の名を呼ぶ人はもう殿下の他にはいない。


「はい」


 殿下は、佩いていた剣を抜き、私の手に握らせる。

(ああ……)

 何をどうすればいいのか、教えられずともわかった。

 殿下の頭上で剣の切っ先で女神の守護印を描き、その刃を肩に置く。

 殿下の唇が、古い古い言葉を紡ぎはじめた。

 耳に心地の良い声が、私の知らない言葉で誓いを述べる。

(知らない言葉なのに……知っているような気がする)

 まるで歌うように……どこか熱を帯びたその声音は、耳元から入り込み、私の身体の中に何かを満たしてゆく。


「……許します」


 私がその誓いを受け取った瞬間、どこからか吹き込んだ風が花を舞い上げた。

 青い花片が舞い散る中、私は剣を殿下に捧げる。

 殿下は剣を無言で受け取り、鞘に戻した。


「……ルティア」

「はい」

「……私はすべての知を守る者なのだ」


 それが何を意味するかわからなくて首を傾げる。


「そして今、ダーディニアの王となった」


 その瞳を見上げてうなづいた。

 宣誓は、王が国と約するものだった。

(ダーディニアは私のもので、私がダーディニアなのだ)


「ダーディニアの王というのは、君を守る者であるということだ。この先、何があってもそれを忘れないで欲しい」

「……はい」


 殿下は騎士の礼をとり、私に手を伸ばす。

 私がその手に己の手を重ねると、殿下はそのままひょいっと私を抱き上げた。


「……殿下……いえ、陛下。国王陛下はそんなに気軽に王妃を抱き上げないものだと思います」

「問題ない」

「大ありです」

「何が問題なのだ?」

「いつまでも子供だと思われるのが癪です」

「勝手に思わせておきなさい。……君が子供でないことは私が一番よく知っている」


 なぜかドヤ顔のナディル様に私は笑った。ナディル様も笑った。




 地上に戻ってから、それぞれの正装に着替え、もう一度、私たちは聖職者たちの見守る中で宣誓の儀式を繰り返した。

 二度目だったおかげで、緊張することもなく恙無く儀式は終わった。

 ナディル様の宣誓が終わると同時に国中の鐘が打ち鳴らされ、色とりどりの花片が空を舞った。

 サグリザを奏でる鐘の音色が王都中に響き渡る中、王宮までの道のりを無蓋馬車でパレードをする。

 ナディル殿下の頭上には燦然と王冠が輝く。

 国王陛下万歳。王妃殿下万歳の声にこたえて笑顔で手を振った。


「……ルティア、それは?」


 私の手首にあるシュシュに、ナディル殿下が首を傾げる。


「……秘密です」


 私は王妃という立場にありながら、宣誓をすることがない。

今までも、そしてこれからも、誓いを求められることは決してない.──── それは、私がダーディニアそのものを体現する存在だからだ。

 でも、アルティリエ・ルティアーヌという個人として、あるいは、この国の王族の一人として誓いたいことが心にある。

(これはその証だ)

 私がそれを忘れないための大切な証なのだ。



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