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9.エルゼヴェルト公爵

「妃殿下」


 呼びかけられて、意識が現実へと立ち戻る。

 目の前にいたのはシュターゼン伯だ。屈強な身体つきのいかにも武人らしいこの初老の騎士は無駄なことは口にしない。

 でも、不思議と頼れそうな安心感がある。この人が『ヴェラ』を持つ学者でもあるのがとても不思議だった。

 北の出だと思われる薄い金の髪……北の民は銀髪か淡い色合いの金の髪を持つ者が多い。瞳の色で多いのは蒼か水色で、伯爵は水色だ。


(もっと不思議なのは、そんな人材が私の護衛隊長なことだけど)


「妃殿下、王都への帰還の日程表になります」


 膝をつき、両手で差し出す。

 私はそれを受け取った。


「ありがとう。世話をかけます」


 彼はやや驚いたように目を見開いたが、すぐに軽く目礼をして出て行く。急だったので帰還準備に皆忙しいのだ。

 目覚めてから、侍女達としか接していなかったが、事件の後、護衛騎士達の姿をよく見るようになった。これまではあまり目立たぬように護衛任務についていたようだが、「墜落事故」「毒殺未遂」と続き、もうそんなことも言っていられなくなったらしい。


(逃げるわけじゃない)


 ここより安全と思われる王宮に逃げ帰るわけではない。

 私に向けられた殺意……それを、はっきりと自覚した。

 これまで、私は明確に殺意を認識できていなかった。狙われていると言われていたのに、それをあまりにも遠いものに感じていた。

 けれど、今は違う。


(私の、敵)


 私の命を狙っている、敵。

 命を狙われるということを、本当の意味ではまだわかっていないかもしれない。

 でも、今、自分が日常的に危険の中に在るということをはっきり自覚している。

 職場と家とバイト先を行き来して、時々、友人と遊びに行ったり、愚痴ったりして、命の危険なんてまったく欠片も気にしなかった生活はもう遠い。


(報復する)


 私は聖人君子ではない。

 やられてだまって泣き寝入りするようなかわいい性格していない。

 右の頬を殴られたら、両頬殴り返す。馬鹿だとわかっているけど、売られたケンカは買うタイプだ。

 私が生きている事、それが、一番の仕返しになるだろう。

 でも、それだけでは絶対的に足りない。

 だって、エルルーシアはもうどこにもいないから。


(これが正当な怒りじゃなかったとしてもかまわない。八つ当たりでもいい)


 やられたら、やりかえす。

 アメリカでおこったテロのことを思い出した。大国が陥った泥沼。報復が報復を呼ぶ悪循環スパイラル……負の連鎖。

 でも、何もなかったことにはもうできない。


(そのくせ、私は弱虫で……この手は、小さすぎて……)


 だから、自分の手で裁くことができない。やりかえすことも……この手で人を殺すことも、できない。 

 例えどんなに憎んだとしても、どんなに殺意を覚える瞬間があったとしても、21世紀の日本で平凡に生きてきた人間にはそれを実行することは不可能だと思う。

 私ができること……それは……。


(犯人を明らかにする事)


 これは、実行犯と目されたスープ番の彼のことではない。

 彼に代わる別の実行犯がいたとして……その人間のことでもない。

 実行犯にももちろん罪はあるだろう。

 でも、私を殺せと命じた人物。

 その人間こそが、本当の犯人だ。


(命じた人間を法廷に送り込む)


 それが私の考えた報復だった。

 間接的にしか手を下す事ができない私ができる精一杯。

 それを目標に動くのだ。

 

(しばらくは情報収集だ)


 自分で直接情報を集められない事が歯がゆく、墜落事件の記憶がないのが痛い。

 アルティリエは犯人を見ているかもしれないのだ。

 覚えていれば、この事件と合わせて一気に解決するかもしれなかったのに。

 推理小説のようにいろんな人に聞いて回れればいいけれど、私がそんなことをすると目立ってしょうがないし、周囲に説明が出来ない。


 実のところ、墜落事件については、最初のうちはもしかしたらアルティリエの自殺の可能性もあるんじゃないかと疑っていた。


(だって……)


 人形姫と呼ばれていた彼女の心の空虚さを何となく感じていたからだ。

 はっきりと自分から飛び込んだりしなかったとしても、危ないのをわかっていてそういう場所に行くような……そうして自分自身を試すようなことをしたのかもしれない。

 湖の上のバルコニーは風が強い。夜ともなれば尚更だ。アルティリエはすごく体重軽いから、そこでバランスを崩したりしてもおかしくない……未必の故意の事故。


(でも、今はそれは絶対ないって言える)


 少しづつ私の中にアルティリエが蘇るにつれ、そんなことはないと思えるようになっていた。

 アルティリエの心のすべてがわかるわけじゃない。ぼんやりと感じることがあるだけ。

 でも、ちょっと考えてみればわかる。

 浮かび上がってくるアルティリエの知識は、彼女が一生懸命勉強して身につけたものだ。


(何の為に……?)


 それは、彼女が王太子妃に相応しい自分であろうとした為の努力だの証だと思う。

 だとすれば、そんな子が自分から危険な場所に行くはずなどなかった。

 彼女は自分が王国にとって意味を持つ者であることをちゃんとわきまえていたのだから。

 墜落事故は、事故ではなかったのだと今ならはっきり言える。


(だから……私は逃げない)


 逃げ出して安全なところに隠れるつもりはない。


(ただ、ここはアウェーだから、ホームに戻るのだ)


 敵は私を知っているのに、私は敵の影も形もわからないでいる。

 だから、せめて、ホームのアドバンテージが欲しい。

 それでも圧倒的に不利には違いないのだけど。


(でも、逃げないって決めたから)


 大丈夫。自分から危険に飛び込んだりしない。

 アルティリエが重ねて来た努力を無駄にしたりはしない。

 私は王太子妃だ。

 

(ただ、降りかかる火の粉を払うだけ)


 自己防衛は必須だ。

 それがちょっと過剰防衛になっても、それは許される範囲だろう。たぶん。






 翌日、すべての支度を整えてから、いつもの朝の公爵の挨拶を受けた。

 側で控えているリリア以外の侍女達は、馬車に忙しく荷物を運んでいる。護衛の騎士も背後に立つ二名を除いては全員準備に追われていた。


「毒殺の危険があったのです。通常の護衛では不十分です。こんな急にお帰りになるなど……王都に連絡し、王太子殿下のご指示を受けねばなりません」


 王宮に帰ると告げた私に、エルゼヴェルト公爵は猛反対した。

 更にいろいろと理由を述べ立てる。

 まあ、気持ちはわかる。このまま釈明できずに返してしまったら大騒ぎだ。


「帰ります」


 でも、私ははっきりともう一度告げた。

 驚いたように公爵は私を見た。

 アルティリエに、こんな風に意思表示をされたのが初めてだったせいだろう。

 もしかしたら、声が出ることをまだ聞いていなかったのかもしれない。


「私は、王宮に帰ります」


 公爵の碧い瞳をまっすぐと見て、繰り返した。

 光の加減で青にも碧にも見える瞳。


(ああ……)


 私は、自分の瞳の色が、この人から継いだ色であることを知った。


「……エルゼヴェルトをお疑いか」


 公爵が、声を絞るようにして問うた。

 目を逸らすことなく、見返された瞳……初めて、彼と向き合っているのだと思った。

 彼の一言が、並々ならぬ重みをもって発せられたのだと感じた。


 彼は疲れきっていた。

 身なりには相当気遣っているのだろう。

 短い顎鬚はきちんと手入れされているし、鋼の色合いを帯びた黒髪は艶やかだ。流行をとりいれた細身の長衣はシワ一つない。

 見た目は四十四という年齢よりも若く見えたが、その瞳には虚ろが見える。まるで絶望と諦めに浸る老人のようだ。

 私は、彼に伝わるようにと願いながら答えた。


「いいえ」


 はっと息を飲んだのが、公爵だったのか、それとも侍女や護衛騎士達だったのかはわからない。あるいは、双方だったのかもしれない。

 でも、どちらにも、私の答えはちゃんと伝わったとわかった。

 あえて、理由は述べなかった。

 どこに真犯人の目があるかわからない以上、余計なことはしたくない。

 今のところ、まだアウェーにいる私の唯一のアドバンテージは、アルティリエは十二歳の少女だが、私という三十三年の人生の経験値を持っているということだ。

 せいぜい、まだ十二歳の世間知らずのお姫様だと思って舐めきっていてもらわなきゃいけない。


「わかりました。……せめて、息子に護衛をさせることをお許しいただけませんでしょうか」


 公爵も特に問いかけはしなかった。ただ、どこか懇願するような声音で言った。 

 私は首を傾げる。公爵の息子に護衛が務まるのだろうか?


「公爵のご子息、ディオル様とラエル様は共に東方師団に所属しておられます」


 リリアが説明してくれた。

 ダーディニアの国軍は大まかにわけて六師団。東西南北の各師団に中央師団、それから近衛師団だ。これに、各貴族の私兵団がある。エルゼヴェルドは東の要だったから、公爵の息子が東方師団に勤務しているというのはおかしいことではない。

 ダーディニア貴族は、嫡子以外はただの人だ。次男以下の男児は聖職に就くか、軍人になるかくらいしか道がない。

 

「許可します」


 私はうなづいて、立ち上がる。

 公爵は、どこか安堵した表情で一礼した。

 正直、何度会ってもこの人が父という認識は生まれてこない。でも、自分がこの人とが血がつながっていることは何となく感じていた。


「世話になりました」

「いいえ。妃殿下におかれましては、道中恙無きようお祈り申し上げております」


 公爵がそう言って私の前で道中の無事を祈る聖印をきる。

 私はそれに応えてうなづいた。

 和解したと言える状況ではまったくなかった。

 私は母を想う胸の痛みを忘れる事ができない。

 けれど、歩み寄ったという気はしていた。

 たぶんそれは公爵も一緒だったのだろう。

 出立の際、公爵は外まで私を見送りに来た。


 私の馬車が見えなくなるまでずっと、公爵の姿は城の跳ね橋の上に在り続けた。


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