74.一緒にごはんを作りましょう!
「あの、両親の許可も得られましたので、図々しくもご厚意に甘えさせて頂こうと思うのですけど……本当によかったのでしょうか……?」
「ええ、もちろんよ! 自分のお家と思ってくつろいでね!」
おずおずと言う紫条院さんに、母さんは喜色満面で答える。
性格も外見も可愛さMAXな紫条院さんのことがかなり気に入ったようで、まるで孫が泊まりにきたおばあちゃんみたいなテンションになってる。
(それにしても、なんか電話の最後に時宗さんの絶叫が漏れ聞こえていたような……いやまあ、きっと気のせいだな。そうに決まってる)
紫条院さんのお泊まりは偶然であり不可抗力の事態なのだ。
俺に一切の罪がないのは時宗さんだってわかってくれるはずだよ、うん。
(しかし……紫条院さんがウチに泊まるとか、冷静に考えるととんでもないことすぎるだろこれ……! うわ、なんだか今更ながらドキドキしてきた……!)
紫条院さんをウチに泊めるように母さんに促したのは俺だ。
だがそうさせたのは天災の時は助け合うべきだという社会人としての常識と理性であり、それが意味することを理解はしていても実感はしていなかったのだ。
「うふふふ……良かったねえ兄貴? お泊まりだよ、お・と・ま・り! こりゃもう熱い一夜を過ごせと言わんばかりのイベントだし! このシチュエーションに持って行った妹に今度トリプルアイスくらいおごるべきだよね!」
「ええい、そのニヤニヤ顔やめろっての。あとお前には感謝してなくもないけど、財布落っことしそうになったのは反省しろよ?」
まったく……こっちは降って湧いたイベントに対して平静じゃないのに、『最高に面白いイベント来たこれ!』と言わんばかりの下世話な顔しやがって。
「それじゃあ、さっそく母さんが腕によりをかけて料理を……ひっ!?」
突如母さんの携帯から着信メロディが響き、それを聞いたキャリアウーマンは小さく悲鳴を上げる。その様を見て、俺は何の電話が来たのを全て察する。
うわぁ……きちゃったかー……。
「はい、新浜です……あ、はい、こっちはかなりの雨で今日は全員帰宅していまして……え、えええ!? あ、いえ、はい……はい……ではこれからすぐにやってなんとか明日までにメールで送ります……はい、承知しました……では失礼します……」
まるでかつての俺のようなやりとりをして、母さんがげっそりした顔で電話を切る。俺の予想通り、社会人のプライベートを殺すお知らせだったらしい。
「その、ごめんなさい……! ちょっと別の営業所から明日までに仕上げないといけない書類の話があって、今からそれをやらなくちゃいけなくなったの! というわけで心一郎、本当に悪いんだけど……!」
「ああ、料理は俺がやっておくから、母さんは仕事を片付けてくれ」
「もう、最近のあんたって本当に出来すぎで怖いくらいだけど、正直すごくありがたいわ! それじゃ紫条院さん、いきなりで悪いけど一旦失礼するわね!」
「あ、はい、お気になさらず。お仕事頑張ってください!」
「ええ、本当に悪いけどそれじゃ! ああもう、携帯電話一本で家庭が職場に浸食されるの大っ嫌いー!」
ノートパソコンを抱えて自室へ向かっていく母さんの後ろ姿を見送りながら、俺はついうんうんと頷いてしまった。家にいる時に職場から電話がくるとサッと血の気が引くよな。
「さて、それじゃちょっと夕飯を作ってくるから紫条院さんは香奈子と居間でテレビでも見ていてくれ」
「え!? 新浜君が料理するのは知っていましたけど、家族分の料理を全部作ったりもしているんですか!?」
「ああ、と言っても毎回ってわけじゃないさ。俺自身料理は嫌いじゃないし、働いている母さんの負担も減らしたくてちょいちょいな。まあ、男にしては変わったことしている自覚はあるけど」
「いいえ、とっても凄いですし全然変わったことじゃないです! お父様も『これからの共働きの家庭は増える一方になり、男だから家事や料理はできないが通る時代はほぼ終わる』って言ってましたし!」
へえ、時宗さんは50代のはずだが……さすがにその辺の感覚は若いな。
「あ、ちなみに私は食べる専門だから! 目玉焼きすら満足に焼けないし!」
「お前はせめて淹れたお茶に茶葉が混じらないようになれ馬鹿妹」
まったく、普段はあれだけモテ自慢をしているくせに女子力だけは一切磨こうとしないんだよなこいつは。
「まあ、大人になっても料理下手だったし、もう生理的に苦手なんだろうな……」
「は? 大人になっても?」
「あ、いや、こっちのことだ。それじゃちょっと台所にこもってるから、二人ともゆっくりしててくれ」
つい口から漏れてしまった未来の話を誤魔化しつつ、俺は二人を居間に残して台所へ向かった。さて……何を作ろうか?
「うーん、まあ本当に普通の材料しかないな……」
本来なら紫条院さんというお客さんをもてなすためにちょっと見栄えのする料理を作りたいところだが、さすがに何の準備もないためごく普通のメニューになりそうだ。
「オクラのおかか和え……キュウリとワカメとツナの酢の物……それと人参と大根の味噌汁とか……あ、カワハギあったか。これは煮付けしかないな」
「いいですね! 甘辛いお魚の煮付けってごはんが進んで大好きです!」
「ああ、ごはんの友には最適だよな……って、紫条院さん!?」
振り返ると、そこには母さんのエプロンを身につけた紫条院さんが微笑みを浮かべて立っていた。な、なんで台所に!?
「ど、どうしたんだその格好……?」
「このエプロンは香奈子ちゃんにお願いして美佳さんのものを貸して貰ったんです。じっと待っているのもお客としての礼儀だとはわかっているんですけど、その、どうしても……」
どうしても……?
「どうしても新浜君と一緒に料理をしてみたかったんです」
「え……」
長く美しい黒髪の少女は、眩しいまでの快活な笑顔でそう告げてきた。
「新浜君が料理をするって聞いた時から、ずっと思ってたんです。一緒に台所に立ってお話しながらご飯を作って、それを一緒に食べたらとても素敵な時間になるだろうって!」
俺のシャツの上からエプロンを羽織る紫条院さんがあっけらかんとそう言う様に、俺は乙女のように赤面してしまった。
(な、何て可愛いことを……! い、いや落ち着け……こうやって紫条院さんの天然のピュア好意は何度も味わっただろ! いい加減童貞マインドがオタつかないようになれ俺!)
勿論そんなことは無理だ。
童貞であろうがなかろうが、大好きな女の子から『どうしても貴方と一緒に料理してみたかった』なんて言われてドキリとしないわけがない。
「私はお母様や家政婦の冬泉さんと一緒に料理するととっても楽しいから、それを新浜君ともやってみたくて……その、やっぱりご迷惑でしたか……?」
「いやいやいや! 全然迷惑なんかじゃない! ご覧の通り紫条院さんの家みたいに広い台所じゃないけど、手伝ってくれたら超嬉しい……!」
「ああ、良かったです! じゃあよろしくお願いしますね。料理長は新浜君なんだからバンバン指示を出してください!」
何がそんなに嬉しいのか、ただ二人で台所に立つと決まっただけで紫条院さんは花咲くような笑顔を見せてくれる。
(それにしても……紫条院さんってば、『急にお泊まりすることになって心苦しい』という気持ちはあっても、男子の家で一泊するっていう緊張感はまるでないぞこれ……! むしろこの状況にテンション上がってないか!?)
ギャルゲーじゃあるまいし、お泊まりと言ってもご飯を食べてちょっと話して寝るだけ――そんな常識的な予感は、妙に上機嫌な天然少女の前では早くも瓦解しそうだった。




