58.あの子へメッセージを③
私は紫条院時宗。
大企業である千秋楽書店の社長にして娘を愛する一人の父親だ。
本日の業務を終えて自宅のリビングでくつろいでいると、ソファに身を沈めた春華が携帯をいじっているのが目に入った。
以前は『高校生になったのに全然友達ができなくてアドレスが増えません……』と気落ちしていたが、最近は女友達も増えたようでよくメールを打っている姿を見かける。
実にいいことだ。
春華は誰かと楽しく喋るのが大好きなのに、同性から敵視されたり敬遠されたりしやすいジレンマを抱えていたが、それもここにきてようやく良い方向へ向いてきたようだ。
うむ、やはり女の子は女の子同士でキャッキャしているのが一番良い。
男なんぞ近寄ってはいけないのだ。
そんなことを考えながら私が機嫌良くコーヒーカップを傾けていると――
「もう……新浜くんったら……」
「ぼふぉっ!?」
そんな呟きが耳に届いて、口からコーヒーを吹き出しかける。
な、なんであの小僧の名前が出てくる!?
それもそんなにこやかな笑顔で……っ!
「? どうかしたんですかお父様?」
「い、いやなんでもない……ちょっとむせただけだ」
社長スキルのポーカーフェイスで冷静を装うが、心はまるで穏やかではない。
「な、なあ春華……もしかして今メールしている相手は新浜君なのか?」
私の早とちりで、単に女子の友達とのメールの中で新浜少年の話題が出ただけという可能性を探ってみるが――
「はい! アドレスを交換したばかりなんですけど、夕方から何回もメールを送りあっているんです!」
笑顔で肯定されたよチクショウ!
あんの小僧……! いつの間に春華とアドレス交換なんぞしおった!?
なんという破廉恥な真似を……!
(ということは春華は学校のみならず家に帰ってからも私の目の前で彼とお喋りしていたということか! くそ、文明の利器が憎い……!)
しかし……一体どんなメッセージをやりとりしているんだ!?
彼が春華に特別な感情を持っていることはこの前自分で赤裸々に語っていた。
とすれば……そのメールの内容はやはり……。
『なあ、紫条院さん。もう俺は友達っていう関係には満足できないんだ。というわけで今度デートに行かないか?二人っきりで海とかさ。俺と一夏の思い出を作ろうぜ☆』
『今度の休みさ、俺の家だれもいないんだけど遊びに来てくれよ。なあいいだろ?大丈夫、何もしないからさ!あ、でも遅くなるかもしれないから家族には女子の友達の家でお泊まり会って言っといてね♪』
あん畜生があああああああああああああああああ!
コロス……! 市中引き回しにした後ではりつけ獄門の刑に処してやる!
妄想上の新浜少年のメール内容に憤慨してしまうが――
(……い、いや……落ち着け……いくらなんでも想像力がたくましすぎだ)
頭の辛うじて冷静な部分は、あの少年がそんなチャラさ全開の大学生みたいな奴ではないと理解している。
だが男とは理屈ではないのだ。
真面目で大人しい男が狼に変貌するなんてよくある話で、ましてや天使すぎる春華を前にしては理性なんていつ吹っ飛んでもおかしくない。
例えそこまでは行かなくてもアクセルはかかるものだ。
(何せ私がそうだったからな……。秋子を紫条院本家の屋敷の外に連れ出してデートするためにこっそり電話したり時代劇よろしく投げ文なんかしたりと……若かった)
私が脳内を忙しくしていると、春華の携帯の着信メロディが鳴った。
どうやら新浜君から返信がきたようだ。
「ふふ……可愛いです……(顔文字が)」
『可愛いです』って何だ!?
そしてそのニマーっとした笑みはなんだ!?
あの小僧は一体どんなメールを送ってきたんだ!?
「あー……その……春華……」
「はい? どうしたんですかお父様?」
キョトンとした表情で春華がこちらを見る。
「いや、その……」
つい声をかけてしまったが、私は口をもごもごとさせるばかりだった。
本音を言えば彼からどんなメールが送られてきているのか検閲したい。
もしちょっとでも不埒なことが書いてあれば、今すぐ春華の携帯から電話をかけて「春華かと思ったか!? 私だよ小僧ぉ!」と浮かれきった新浜少年の肝に冷たいツララをぶっ刺してやりたい。
とはいえ……そんな行為はNG中のNGだということはいくらなんでも理解している。
ただでさえ最近の春華は天然さはそのままに自分の意見をしっかり言うようになり、怒るべきところは怒るようになったのだ。
メールを確認したいなんて言ったらしばらく口を聞いてくれなくなるくらいでは済まないだろう。
結果として私は何も干渉できず……口惜しさに歯ぎしりするしかない。
「まあ、なんだ……メールする友達が増えてよかったな……」
「はい! 最近の私はとっても幸せです!」
我が娘ながら天使そのものの笑顔が眩しすぎる。
どうしてこの子はこんなにも可愛いのだ?
「そうか。それは良かったな……。だがあんまり夜更かししないようにほどほどにしておきなさい」
「あ、確かにもうこんな時間ですね。じゃあ続きはベッドに入る支度をしながら自分の部屋でやります!」
そう言うと、春華はリビングを出て自室へ行ってしまった。
そして残るのは、娘に男の影がくっきり出てきたことに肩を落としまくる私のみだ。
……いや、もう一人いたか。
「『そして……メールを見せてくれなんて言おうものなら確実に「お父様最低です!」を食らうと悟っているパパは結局何も言えず、娘が部屋に戻ってさらなるイチャイチャメールを続行するのを知りつつ、ただほぞを噛んで見送るしかなかったのである……』」
「妙なナレーションを入れるな秋子ぉ!」
「うふふ、ごめんなさい。時宗さんの寂しそうな背中が可愛くてつい♪」
いつの間にリビングに入ってきていたのか、声真似までして実況する妻はやたらとニヤニヤしていた。
ええい、こいつめ!
この間の新浜少年の訪問の時と同じく私の狼狽ぶりを楽しみおって!
「あはは、でも我慢して何も言わなかったのはナイスよ時宗さん。まあ、春華は特にぽややんとしているから過保護になるのもわかるけど、あの子も成長しているんだからしっかり見守りましょうよ」
「む……まあ確かに最近の春華は全てがいい方向に向かっているとは思うが……」
「でしょう? これは私の勘なんだけど……きっと新浜君はあの子の未来を良い方向に変えてくれると思うわ。うちの家系って何故か金運と良縁に恵まれていて、運命の人としか言いようがないほど相性のいい人と巡り会って結婚するらしいし」
笑顔の妻が暗に『貴方が私の運命の人だった』と言ってくれるのは年甲斐もなく嬉しくなるが……娘の結婚を今から想像させるのはやめろぉ!
「嫌だあああああ! 春華が『この人と結婚します!』とか言って男を連れてきたら私は死ぬ! 血管が切れて憤死して、涙で脱水症状になってまた死ぬ……!」
「まあ死んでばっかりで大変ねえ。でも春華ってああ見えて燃え上がると一直線だから高校卒業したらすぐゴールインしたりして……ああ、最近の若い子なら出来ちゃった婚もあり得るのかしら?」
「やめろおおおおおおお! これ以上私の心を滅多刺しにするなああああ!」
笑顔で嬉々として語る秋子に、私は半泣きで叫んだ。




