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115.同じ職場で働く事しか考えていなかったんですよ

「一週間前からアルバイトをしている紫条院春華と申します! どうかよろしくお願いしますね!」


 俺を含む、シフトの都合により本日初めて顔を合わせるバイト仲間達に向けて、春華は咲き誇る花のような笑顔を浮かべた。


 客入りが一段落した合間を縫って、職員休憩室にて新人の自己紹介タイムとなったのだが……初対面の数名の若い男性アルバイト達は、呆けたような表情で職場に現れた天使に立ち尽くしている。


 ウチの学校の奴らはいい加減にある程度耐性ができているが、春華の美貌と無垢な笑顔は、本当に初対面の人間を硬直させる程の力があるのだ。


「……という訳で、紫条院さんはこれから多めにシフト入ってもらう予定よ。まだ始めたばかりだからフォローしてあげてね……」

 

 そう補足したのは店長代理の三島さんだったが、その声には全く覇気がない。

 ゾンビかと思う程に動きが緩慢で、瞳の光はあまりにもか細い。


「あ、あの、店長……一体どうしたんですか?」

「なんだか顔色が真っ青なんですけど……」 


 憔悴しきった様子の三島さんに、事情を知らないアルバイト達が心配げに声をかける。


 三島さん本人は若手アルバイトの辞めっぷりにトラウマがあるようだが、普通の真面目なバイト達には美人かつ話のわかる上司としてなかなか人気なのだ。


「ふふ……単に本社からの呼び出しが怖くて泣きそうなだけだから、君達は気にしないでいいのよ。あはは、死にたい……」


 テンションが地の底に落ちた三島さんの言葉に、バイト達は「は、はあ……?」と困惑していた。

 

 まあ、それはひとまずいいとして――


 どうやら早速手の早い奴が出てきたようだ。


「……な、なあ春華ちゃん。俺大学一年の難波って言うんだけど、よければアドレスの交換を――」


「えっ? え、えっと……」


 ほほう、俺の目の前で早速のナンパとはいい度胸だ難波先輩よ。

 あんたは人生初の彼女が欲しくてたまらないだけの典型的な大学一年生であり、別に悪質な奴じゃないのは知っている。


 だが、ガチ勢の俺としてはそれを見過ごす事は――


「やべなざあああああああいッッ!!」


「いでっ!?」


 困った様子の春華を助けるべく俺が飛び出そうとする前に、三島さんが奇声を上げて割り込み、難波先輩の頭にチョップを見舞っていた。

 

「言っとくけどぉ! この職場内でナンパは禁止だから! 特にこの娘は絶対にダメ! このルールを破ったら口からバケツ一杯のコーヒー豆を流し込んで人間コーヒーメーカーにするから……! 今の私はマジでやるわよ!?」


「あ……はい……ごめんなさい……」


 鬼気迫る勢いで激怒する三島さんの気迫に、難波先輩はおののいた様子でワビを入れた。なお、店長に守られた格好になった春華は、三島さんの必死ぶりの理由を知っているようで、とても申し訳なさそうな顔になっていた。


「という訳で! 今後の紫条院さんの補助としては全面的に新浜君にお願いします! まだまだ経験不足だからしっかりお願いね!」


「え!? は、はい……わかりました」


 店長の有無を言わさぬ決定に俺と春華は驚き、周囲の奴らは超絶的美少女の世話役を任じられた俺へ羨ましげな視線を向ける。


 そして、そんな中で三島さんは俺へさかんにウインクしている。

 

 どうやら俺が春華の正式な彼氏だと思っているようで、『誰かが春華さんに失礼を働かないように、君がしっかりガードしてあげて! 彼氏だし適任でしょ!?』みたいな意図がその視線からは感じられた。


 まあ、俺としても願ったり叶ったりだが――


「あ、あの……しんい……あ、いえ、新浜先輩!」


「え……」


 春華はまだ職場という環境に完全に慣れてはいないようで、おずおずと俺に話しかける。普段耳にすることない、新鮮な呼び方で。


「新人の紫条院春華です! その、これからご指導をよろしくお願いします!」


 緊張を滲ませながら明るく挨拶するその様は何だかピカピカの新入社員のようで、思わず俺の頬が緩んだ。

 その初々しさと真面目そのものの表情が、とても愛おしい。


「ああ、よろしく。俺もまだまだ新人なんだけど、これから頑張っていこうな」 


「はいっ! 先輩から色々と教わりたいです!」


 言って、春華はまたも輝くような笑顔を見せる。

 俺が世話役に指名されたのは三島さんの勘違いからだが、これはとてもありがたい役得だ。


 この笑顔をたびたび見ることができるのなら――それだけでこの職場の福利厚生は、間違いなく世界一だと断言できるだろう




「しっかし驚いたな……まさか春華が同じバイト先になるなんて」


 大量の本が所狭しと収められた倉庫で、俺は傍らにいる春華へ言った。

 

 現在俺達が行っているのは書店スペースに並べる本の整理であり、周囲に他の店員はいない。そのおかげで、俺と春華は職場の同僚としてではなく、普段の友達としてのノリで話す事ができていた。


「ふふ、秘密にしていてごめんなさい。でも……心一郞君もバイトの事を教えてくれていなかったんですから、お返しですよ?」


「う……っ」


 言って、春華は茶目っ気たっぷりに舌を出して悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 いつも清楚な春華がそんな小悪魔的な仕草をするのは完全に不意打ちであり、心臓が大きく跳ねてしまう。


「それにしても、店長の三島さんにはなんだか余計な心配をかけてしまいましたね……。まさかあんなに謝られるなんて……」


「いや、あれ俺のせいでもあるんだよ。俺がうっかり時宗さんの娘思いぶりを語っちゃったから……」


 自分の雇った美少女が社長の娘だと気付いた三島さんは、あれから思い詰めた顔で春華に会いに行き、土下座する勢いで謝ったらしい。


 そして、『可愛い春華さんに接客してもらったら売上げが上がるかも♪ とか考えてレジ担当を多めにシフト組んでましたあああああ! ごめんなさい! ごめんなさい!』と何度も頭を下げる店長の言っている事がわからず、春華は大いに混乱したらしい。


「つまり、私が『バイト先で不当な扱いを受けた』とお父様に報告するかもと思われたんですね……。そんなつもりはこれっぽっちもなかったですし、むしろとてもやりがいを感じていたんですけど……」


 春華は自分が心痛の原因となってしまった事に対し、心から申し訳なさそうに言った。


 まあ、そもそも三島さんは春華に対して接客系のシフトを若干増やしただけで、他のバイトと違う特別な仕事を課した訳ではない。また、お客を増やす効果にしても、多少プラスになればラッキーくらいの気持ちでいたらしい。


 だが、結果として大量のお客を呼び込む結果となったので、その情報が父親である社長に伝わって『娘をよくも客寄せパンダにしたなオラアアアアア!』とキレられる可能性に震え上がっているのだ。


(一応、春華がその懸念を慌てて否定して一段落したらしいけど、それでもさっきの様子からするに『社長令嬢に何かあったら私の人生が死ぬ……!』って感じの気の毒な状態になってるな……)


 というか、あの心配性の時宗さんがよくバイトを許したもんだ。

 いや、そもそも――

 

「なあ、春華はどうしていきなり働こうと思ったんだ? なんか欲しいものが出来たとか?」


 普通であれば、高校生がバイトするの理由なんてほぼお小遣い不足に起因する。だが春華の場合は実家があまりにも裕福で、とてもお金に困る事とは思えない。


 まあ、時宗さんは過保護ながらも賢明な人なので、高校生にそこまでの大金を渡してはいないかもしれないが……。


「ええと、それはですね……」


 俺の問いに、春華は少し恥ずかしそうに言葉を詰まらせた。

 なんだ? 春華は結構趣味にハマりやすりいし、まさかグッズやアニメのコンプリートBOXの沼に落ちて金欠とか?


「実は……お金というより、心一郞君と同じ事をしてみたくて……」


「え……同じって……? 働く事そのものって事か?」


 俺の問いかけに、春華は頷く。


「はい、実は最近進路指導で悩んでいまして……大学とかその先の就職先を考えても、実際に働いた事がないので何がいいのか定める基準がないんです」


 まあ、それはそうだろう。

 高校生活も中盤を超えてくると急に将来の事を考えろなんて言われるが、学生からすれば経験が足らなさすぎてどんな道筋が良いかも判断できない。

 

 学校を出て大人になる事も、就職して働く事も、まるで未知であるがためにひどくぼんやりとしたイメージしか持てないのだ。


「そんな時に心一郞君がバイトをしている姿を見て、私も働いてみたら少しは将来を真面目に考える上での助けになるかなと……あ、もちろんお給料も楽しみですよ! 私って自分でお金を稼ぐのはこれが人生初ですから!」


「な、なるほど……真面目だなぁ……」


 かつて俺がブラック企業の闇について延々語ったのも影響しているかもだが、春華はバイトに真剣であり、労働という経験を糧にして自分の将来を明るいものにしようという強い意志が感じられる。


 ……ただ適当に就職した挙げ句、過労死というあんまりな死を迎えた俺としてはその将来への真面目さが眩しい。


「いえ……実は全然真面目じゃないんです」


「へ?」


 就職の動機を語った春華は、何故か少々恥ずかしそうにそう言葉をこぼした。


「……さっき言ったように労働の体験が目的なら、どこのアルバイトだってよかったはずなんです。それなのに、私ったらバイトしようと決めた時からこの店で働く事しか考えていなかったんです。それに気付いたのは採用の後でしたけど……」


「それは……どうしてなんだ?」


 このブックカフェに来店して雰囲気を気に入ったか、もしくはお父さんが経営している会社の一部だから――そこらへんがこの店をバイト先に選んだ理由かと思っていたんだが……。


「その理由は凄く単純で……心一郞君がいるからです」


「――……」


 その大きくて宝石のように綺麗な瞳を俺へ向け、特に何でもないことのような口調で春華はさらりとそう言った。

 

「自分を磨くためにアルバイトをすると決めたのに、私ときたら心一郞君と同じ職場で働く事しか考えていなかったんですよ? 本当にもう、我ながら友達に甘えすぎというか……無意識に心一郞君と一緒に働けたらいいなという気持ちが出ちゃっていたんです」


 少女の口から出るのはあくまで、自分の心構えの未熟を恥じる言葉であり、テストで悪い点を取った程度の様子である。

 

 だが、こちらとしてはただ絶句して赤面するばかりだ。

 自分が言っている事が俺の男心にどれだけの衝撃を与えているのか、春華は全然わかっていない。

 

「まるで一緒の部活をやるような気持ちで、心一郞君とおしゃべりしたり苦しい事を分かち合ったり……そういうのを期待していたんです。その事実に気付いて、自分の不真面目さを本当に恥じました……」


 春華としては心から自分の不純を恥じての台詞なのだろうが、『あなたがいる職場しか考えられなかった』みたいな事を言われたこっちはドギマギしっぱなしだ。


 ああもう、どうして天然ってこう……!


「あ、でももちろん採用されたからには全力で頑張るつもりです! なのでこの新人にビシバシ指導してくださいね新浜先輩っ!」


 自分の胸の前で二つの握り拳を作り、春華は意気揚々と宣言する。

 そのあまりにもピュアでフレッシュな笑顔があまりにも眩しく、そしてあまりにも愛らしい。


(こんなんで俺、仕事が手につくのか……?)


 仕事となればそれなりに真面目にやってきた俺だが、ひたすら可愛い少女に『先輩♪』などと連呼されては心が乱されてそれどころではない。


 仕事と青春という本来相容れないはずの要素が混ざり合い、職場という苦難の場に舞い降りた想い人の笑顔に脳が混乱してしまう。


 ああ、どうしよう。

 俺の後輩が世界一可愛い。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 書籍版の第1&2巻を読んでからこちらのWEB版に読みにきました。内容が物凄くよくて読みやすかったです。番外編でたまには香奈子の過去と未来(心一郎視点ではなく)の話、舞、美月等のキャラ視点よ…
[良い点] あっまぁぁぁぁい!!! [一言] これで付き合ってないってま??
[良い点] これで惚れない奴を見てみたい
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