エピローグ
この世界には六つの国がある。その中心に位置し、最も広大な土地を持ち、最も栄えていた国――ベッティオル皇国。かつてかの国は『精霊に愛された国』と呼ばれていた。
『精霊』とは、人間には到底まねできない不可思議な力を持つ存在である。その『精霊』と契約を交わした『精霊の愛し子』が皇帝となり、彼らは『精霊』の力によって国を繫栄させていた。しかし、そんな時代も終わりを迎える。愛し子であり上皇でもあったダニエーレには四人の子供がいたが、その中から『精霊』に選ばれた者は一人もいなかったのだ。とうとうベッティオル皇国は『精霊』から見放された。
――と、民は悲観することはなかった。
これが分かれ道だと、新たに即位したクラウディオは言ったのだ。彼の弟であり、先代の皇帝であったアドルフォは私欲にかられ身を滅ぼした。そのことを踏まえ、皇帝は民にこう説いたのだ。
「精霊の力も、それに伴う己への過信も、身を亡ぼす。というのは、先帝の件で皆もよく理解しただろう。……古、『精霊』と人間は友であり、家族であったという。契約などせずとも、互いを尊重し、共に生きることができていたのだ。わが国はもう十分、『精霊』の恩恵を受けた。これからは我々人間の力で国を栄えさせてゆこう。いつ友が、家族が戻ってきても良いように! 我らには、それができるはずだ!」
この言葉に民は鼓舞され、皆悲観することなく、日々邁進している。『精霊に愛された国』ではなくなった今も、他国に一目置かれたまま。
◇
一方、ベッティオル皇国の北に隣接するボナパルト王国との国境近くの辺鄙な村にリタとアルフレードはいた。
「……すっかり元通りだな」
「だね! 本当によかった」
新鮮な野菜を美味しそうに食べているくまじろうや野良動物たちを眺めながら、リタは「うんうん」と頷く。
数週間前、この森に火が放たれた。火は森を、森に住む動物たちを追い詰めたが、リタと精霊たちのおかげで全焼は避けられ、命を落とす動物はいなかった。とはいえ、一部は焼けてしまったし、心に傷を負った動物たちもいた。
森や動物たちのことが心配になったリタは、一度ボナパルト王国へ帰国したものの、アルフレードと共にこうして改めて様子を見に来たのである。
すっかり元通りになっている森や、元気そうな動物たちを見てようやくリタは一安心した。
けれど、アルフレードは困惑した顔を浮かべている。
「アル、どうしたの?」
「いや……」
「なあに? 気になることがあったなら言ってよ」
じっと見つめられ、アルフレードは観念したように口を開く。
「あー……前から気にはなっていたんだが、この森おかしいよな?」
「え?」
「普通こんなに早く木は成長しないし、時季関係なく実が成ったりもしない。以前はリタがいるからだと思っていたが……この森はリタがいない間にも不可思議なことが起きている。もしかして、この森にはリタとは関係なく、精霊が住んでいるのか?」
アルフレードに指摘され、気づく。この森は普通ではないのだと。そういえば、商人たちも、この森のことを迷いの森だとか、不気味だなんだと言っていた。
そして、改めて考えてみれば、リタはその答えに心当たりがあった。
「たぶん、ドライアドさんだと思う」
「ドライアドさん?」
「そう、森に火をつけたやつらを捕まえる時にも助けてくれた精霊。ただ、私も知っているのは名前だけで、見たことも話したこともないからどんな精霊かはしらないんだけど……御礼くらいは言いたいな。ねえ、ぷっぴぃ。ドライアドさんと会えたりするかな?」
話の途中に突然現れたマイクロブタ。すっかり慣れた二人は驚かずに尋ねる。
ぷっぴぃは気まずげに首を横に振った。
「ドライアドはその……かなりのおばあちゃんでね。半分寝ている状態なの。だから、アタシたちみたいに姿を作ることができなくて。会わせるのは難しくて……その、ごめんね」
「あ、ううん。気にしないで、っていうか……そんな状態なのにドライアドさん私たちを助けてくれたの? 大丈夫なの?」
「あ、うん。あれくらいならね。それと、直接会わせることはできないけど。この森自体がドライアドみたいなものだから、リタが声をかければ彼女に届くはずだよ」
「そっか!」
リタは小走りで村を出ると、息を吸い込み、森に向かって叫んだ。
「ドライアドさーん! この前はありがとうございました! とっても助かりましたあああああ」
リタの声は反響し、森の中へ溶けていく。しばらくして、応えるように木々が揺れ、ぽん! ぽん! ぽん!と新たに果実が成った。
目を丸くするリタとアルフレードを横目に、ぷっぴぃは果実を見上げながらフッとほほ笑む。
「ドライアドがリタたちにプレゼントって。それと気にしないでいいわよって言ってるわ」
「! ありがとうございます! いただきます!」
リタが手を伸ばすと果実がぽとぽとと彼女の手に落ちる。食べごろのソレにリタはかぶりつく。
「ん~おいしい! アルも食べてみなよ」
「あ、ああ。……本当だ。美味しい」
「でしょう!」となぜか誇らしげなリタと、目を輝かせながら果実を口にしているアルフレード。そんな二人を見守っているかのように木々は優しく揺れる。
実際、ドライアドはリタがこの森で生まれてからずっと彼女の成長を見守ってきた。そのことを知っているのはリタの周りにいた精霊たちだけ。けれど、誰もリタへは伝えない。それがドライアドの意向だからだ。過去、リタの祖先からひどく傷つけられたドライアド。もう二度と人間と契約は結ばない。そう決心したものの、母を失い一人で暮らし始めたリタを気にせずにはいられなかった。
次第にドライアドに母性のようなものが芽生え始める。リタにはバレないようにしながら、力をふるった。美味しい果実を彼女に。彼女が大切にしている森を守ろう。そうやってこっそりとドライアドはリタを守ってきたのだ。彼女の周りにいる精霊たちとともに。
両手いっぱいの果実を家へと持ち帰ったリタとアルフレードは、切り分けるとネロたちも呼び出し、おすそ分けをする。懐かしいこのひと時に皆笑顔を浮かべた。
しかし、リタの次の言葉で固まる。
「よし、じゃあそろそろ契約を破棄しようか!」
笑顔で言い切ったリタとは反対に精霊たちは青ざめる。その様子にリタは首をかしげた。
「みんな、どうしたの?」
「どうしたのって……アタシたちなにか悪いことした?」
「え?」
「だ、だって今契約を破棄するって」
「え、もともとそういう話だったよね?」
ぷっぴぃの焦った様子に、リタも戸惑いを見せる。
「初代皇帝のお願いを撤回するんでしょう?」
「あ、ああ。そういう。う、うん。そうね」
なんだその話かと皆胸をなでおろす。リタは改めて「では!」と口を開く。
「初代皇帝のお願い『自分の子供たちにも、精霊の力を貸してやってくれ』っていう願いを取り下げます! ……これでいい?」
無事に撤回できたのかわからず尋ねるとぷっぴぃたちは「うんうん」と頷く。「よかった」とホッとする。そして、リタは「じゃあ、次は……」と続けた。
「私と皆の契約も破棄しておこっか」
「「「「「「え」」」」」」
ぷっぴぃが慌ててリタの前に滑り込んで見上げる。
「ちょ、ちょっとまってよ! なんでアタシたちとの契約を破棄するの?!」
「え、な、なんでって。その方が皆も安心でしょう? 世間的には『精霊の愛し子』はいないってことになっているけど、もし私の存在がバレたらまた利用しようとする人が出てきそうじゃん。もちろん、私はそんな輩突っぱねるつもりではいるけどさ、万が一なにかあってみんなの力を悪用するはめになったりしたら……。なら、そんなことがないように、そもそも契約を破棄しておくのが最善でしょ?」
「そ、それは……」
ぷっぴぃは俯く。他の皆も似たような反応だ。リタは戸惑いながらも、彼女らに尋ねる。
「……皆は契約を破棄したくないの?」
皆黙ったまま。どうしたものかとリタはアルフレードに視線を向けた。アルフレードはため息を吐いた後、口を開いた。
「黙っていても話は進まない。正直な気持ちを話したらどうだろう。リタは君たちのことを思って破棄をした方がいいと言っているだけで、破棄したいと思っているわけではない。……君たちにも君たちの考えがあるんだろう? まずはその気持ちを伝えてからじゃないか?」
アルフレードの言葉に後押しされたのか、ぷっぴぃは恐る恐る顔を上げ、リタを見やった。
「契約を破棄するのが合理的だってことはわかってる。でも、契約を破棄してしまったらリタに何かあった時にアタシたちはすぐに気づけない。助けることができず、手遅れになるかもしれない」
「でも別にそれはみんなのせいじゃないんだから気にしないでも……」
「ちがう! そうじゃなくてっ」
言葉に詰まるぷっぴぃにリタは困惑する。代わりにネロとアズーロが口を開いた。
「気にするしないとかの問題じゃないのよ。私たちが嫌なの」
「私たちはどうあがいてもリタより長く生きる。精霊の一生と比較すればリタの一生は一瞬だもの。だからこそ、その一瞬をできる限り長く一緒にいたいと思うの」
マロンが苦笑いをしながら、続きを口にする。
「契約していればその一瞬を僕たちができる限り伸ばすことができる。絶対に可能とは言えないけれど、安心できるんだ。……僕たちがね」
ヴェルデもコクンと頷く。
『気づいた時にはもう……なんてなったら絶対に自分は後悔すると思います。まだ何もリタさんに恩返しできていないのにって』
ぷっぴぃが苦々しく笑う。
「結局、アタシたちだって自分勝手なのよ。人間に縛られたくないと言っていながら、リタを契約で縛ろうとしてるんだから。……契約を解除したところで今とたいして変わらない。リタはそう思ってるんでしょうけど、でもアタシたちからしたら全く違うのよ。リタの身に何かあったら……っていうのもそうだけど、今までみたいにリタと秘密の会話をしたりっていう特別感もなくなっちゃうんだから」
『自分なんて本契約もまだですし、仮契約を解除されちゃったらまともにコミュニケーションすらとれなくなっちゃいます』
ヴェルデの乾いた笑いが漏れる。その時、ロッソが我慢の限界だというように声を上げた。
「俺は嫌だぞ! 俺はリタの特別でいたい。このままがいい!」
精霊たちも同じ気持ちだが、リタの意思を尊重したいとでもいうようにじっとリタを見上げた。こんな展開になるとは思っていなかったリタは動揺する。焦って言葉が出てこない。そんな時、リタではなくアルフレードが「いいんじゃないか?」と言った。
皆の視線が彼へと向けられる。
「話を聞いている限り、一度契約を解除すると仮契約の状態にも戻れないんだろう?」
ぷっぴぃがコクッと頷く。
「ぷっぴぃたちは契約を解除したくはないが、自分たちの都合でリタを縛るようなことをしていいのか迷っている。リタとしては契約したままだと自分のせいで彼らに迷惑をかけてしまうんじゃないかという不安がある。であってるよな?」
両方が頷き合う。アルフレードは肩を竦めてフッと笑った。
「なら簡単だ。そもそも契約を解除したとしても君たちの関係は変わらないんだろう? それとも契約を解除したらぷっぴぃたちはリタの前から姿を消すのか?」
リタが青ざめるがぷっぴぃたちは全力で首を横に振る。ロッソなど、アルフレードの言葉に怒ってすらいる。
「であれば、契約を解除しようが、リタが精霊の愛し子であると勘違いする者は現れるだろう。本来の力を隠したままでも気づいた者がいるように」
「え」とリタは声を漏らすが、アルフレードは無視して進める。
「であれば、契約は結んでおいたままの方がいいだろう。なにかあった時に互いのためになる。それに……もしもの時は、今回のように全員で相手を潰してやればいいだけだ」
アルフレードが「そうだろう?」と問えば、精霊たちは「それもそうだ」と嬉しそうな顔で頷いた。
ぷっぴぃがリタの膝に前足をかけ見上げる。
「リタも、いい?」
不安げなぷっぴぃを見て、リタは眉根を寄せる。
「皆がいいなら、いいに決まってるじゃない! 皆これからも一緒よ!」
そう言って、リタが手を広げると皆がその腕の中に飛び込む。
「リタ、大好きよ」
「あら、私の方がリタへの気持ちは上よ」
「おれおれ! 俺が一番!」
「ふふふ、皆が一番でいいんじゃないかしら」
「皆平等だよね」
『じ、自分もいいんですかね』
「もちろん! 皆大好きっ!」
目じりに涙を堪えながら、リタは大切な友との絆を確かめ合う。その光景を見ながらアルフレードはフッとほほ笑んだ。
自分もその中に入りたいという気持ちはあれど、それ以上に邪魔をしてはいけないという気持ちがあった。
「私の好きは、彼らとは違うからな」
残念ながら純粋な気持ちだけではない。彼女の好きはたくさんあるが、それとは別の好きを望んでいる。好きよりももっと上の感情を。自分だけに向けてほしいと。だからこそ、あのまばゆいまでの白い光の中には入っていけないと自分を律した。
己の唇に指先でふれ、自嘲を浮かべるアルフレードは窓越しに差し込む光に照らされ、一枚の絵画のようだった。
そのことに気づいたリタとぷっぴぃが見惚れる。
「と、尊い」
リタに抱えられたまま、前足をそろえるぷっぴぃ。「うんうん」と頷くリタ。
見られてることに気づいたアルフレードは首を傾げた。その破壊力に二人の口からは「ぐはっ」と不可解な声が漏れたのだった。
なお、他の精霊たちは感動シーンの中起きたいつもの光景を前に、呆れたような表情を浮かべていた。
「あ、っていうか、アル。さっきの本来の力を隠したままでも気づいた者がいるようにって、あれどういう意味?」
「ああ……。さすがに屋敷に住んでる連中は直接口には出していないが、おおよそリタの正体には気づいているぞ」
「え゛。い、いつから?! ってか、知ってて黙ってたってこと?! なんで?!」
「その上で、関係なく皆リタのことを女主人と認めてるってことだろう」
リタのおでこをアルフレードがピンッと指ではじく。リタはおでこを押さえながら、ぷっぴぃたちと視線を合わせた。
アズーロが思い出したかのように呟く。
「そういえば、時折私に向かってお辞儀する人がいたのだけれど、あれってやっぱりそういうことだったのね」
マロンも続く。
「最近になって人間用にしては小さなカップと皿が用意されるようになったのもそのせいかもしれないね」
そんなことには気づかなかったリタや他の精霊たちは目を見開く。言われてみれば、と皆茫然とつぶやき、視線があうとはじけたように笑い声をあげた。
「じゃあ、皆で帰ろうか! 私たちの家に!」
こうしてリタ一同は短い帰省を終えたのだった。
◇
ベッティオル皇国が『精霊に愛された国』ではなくなったという報せは各国へ速やかに広まったが、それでも国家間のバランスが崩れることはないだろう。というのが共通認識だった。
けれど、その認識に綻びが生じ始める。とあるうわさによって。
「ゼフィール王国に『精霊の愛し子』が?」




