リタは大切なものを守るため、友と本契約を結ぶ(2)
閉じた瞼を開けば、そこはリタがよく知る場所だった。
狭い部屋。だが、酷く落ち着く。リタが生まれ育った家。
慌てて周囲を見回すが、先ほどまでリタたちを襲っていた脅威は、どこにもない。
「すごい……」
本契約を結ぶと精霊は最大限の力を発揮できるとは聞いていたが、ここまでとは思わなかった。
皇都からリタの家までは本来馬車に乗って数日かかる距離だ。それをあの一瞬でネロは移動させたのだ。しかも、二人同時に。リタは腰のあたりに抱き着いたままになっているアルフレードに視線を下ろし、固まった。
「アル!」
てっきり、今の転移で迫りくる矢から逃げることができたのだと思っていた。でも、それはリタの勘違いだったのだとアルフレードの背中を見ればわかる。一本ではなく、数本刺さっている。
「ぐっ」
呻きながら倒れこむアルフレードの体を支え、ゆっくりと床におろす。
「アル、ごめん。服を切るね」
そう声をかけ、ハサミで背中側の服を切り開く。矢の先にかえしがついていないかを確かめ、慎重に引き抜いた。
「うあっ!」
「っごめん、ごめんねアル」
全ての矢を引き抜く。アルフレードの白い肌にいくつもの穴が空き、そこから血が流れでる。リタは泣きそうになるのを堪えながら、傷の上から布を押し当てた。
「リ、タ……」
「なに、アル?!」
「……無事、か」
「うん。アルのおかげで。でも、アルがっ」
「リタが無事なら、それでいい」
「っよくない!」
「ふっ。元気そ、うだ……っ」
「アル!?」
ハクハクと口を開閉させるアルフレードの顔色は悪い。視線も定まっていない。ただならぬアルフレードの様子に、リタはまさかと抜き取った矢の先に顔を近づけた。血に混じって独特な香りを感じ取る。
「毒っ?!」
血の気が引く。いったいなんの?! と焦りそうになる自分を押さえ、頭を働かせる。
――香りからして麻痺毒。もし、すべての矢についていたとなると、時間を置けば置くほどアルの身が危ない!
リタはドレスの下、巾着袋から万能解毒剤を取り出す。蓋を取り、直接アルフレードの口に流し込もうとしてやめた。しびれた体ではきちんと嚥下できるかわからない。
そう判断したリタは解毒剤を己の口に含み、アルフレードの顔を両手で掴んだ。角度を調節し、口を合わせ、唇の隙間から解毒剤を流し込んでいく。なんとか全部を飲ませることに成功し、リタは安堵の息を吐いた。
「次は、傷の手当を……」
「リタ、その先はアタシがやるわ」
「ぷっぴぃ」
「傷跡にも毒がついているだろうし、アタシがやった方が安全でしょ。それに、アタシならアルの体に傷跡一つ残さず治すことができるわ。その代わり、本契約してくれる?」
「……いいの?」
「アタシから言ってるんだからいいに決まってるでしょ! っていうか、ネロに先越されたの悔しいんですけどっ」
『ふふんっ』とリタの隣に座ったネロがご機嫌に尻尾を揺らす。
「きぃいいいいい! リタ早くしてちょうだい!」
「う、うん! ぷっぴぃ。私と本契約して。そして、アルの傷を治して!」
「いいわよ! アタシに任せなさい!」
「えっわっまぶしっ」
ぷっぴぃの体が光ったかと思えば、今度はアルフレードの体が光った。
眩しすぎてリタは目を閉じる。光はリタをも包み込んでいたが、そのことに本人は気づかない。
次に目を開けた時には、アルフレードの傷はすっかり塞がっていた。
「すごい! ぷっぴぃありがとう!」
「でしょー!」
えっへんと胸を張るぷっぴぃ。ネロは面白くなさそうに顔を背けている。
リタはネロとぷっぴぃに手を伸ばし、二人をぎゅっと抱きしめた。
「本当にありがとう」
感謝を告げ、二人を下ろす。
リタはアルフレードに目を向けた。
顔を近づける。呼吸音は正常だ。心臓もきちんと動いている。体温もあたたかい。
ホッと息を吐き、立ち上がる。
「ぷっぴぃ。ネロ。アルのこと見ててくれる? 私はアルの服を取ってくるから」
返事を待たず、リタは家を出て、離れへと向かった。
「えっと、まだアルが着れる服、あったよね」
以前、アルフレードに何着かあげたがそれでもまだ残っているはずと、探す。
「あった」
と服を手に取り、リタはその指先が震えているのに気づいた。
ぎゅうっと服を握る。
「……よかった。本当によかった」
冷静に冷静にと自分に言い聞かせてはいたが、生きた心地はしなかった。
――お母さんが亡くなった時のことを思い出してしまった。
大事な人に死が近づくあの感覚。でも、ぷっぴぃのおかげでそれもなくなった。もう大丈夫。
彼が自分にとってどれほどかけがえのない存在であるかを、思い知らされた。
ぽろり、と耐えていた涙がこぼれる。その後はダムが決壊したかのように涙があふれてきた。
涙はなかなか止まらず、ようやく止まった時にはリタの目はパンパンになっていた。
「……た、ただいまー」
ぷっぴぃたちはリタの顔を見てもなにも言わなかった。アルフレードはまだ寝ている。
ぷっぴぃによると、もうしばらく目覚めないだろうとのこと。
城のことも気になるが、アルフレードを置いて行くという選択肢はない。
リタはひたすらアルフレードの目が覚めるのを待ち、いつのまにか寝てしまっていた。目元ケアをするのをすっかり忘れて。
人の動く気配がして、飛び起きる。
「……アル! 起きたの?!」
「あ、ああ。というか、どうしたんだリタ。その目」
アルフレードが驚いた顔でリタを見つめる。
リタの頬がカッと赤くなった。
「ア、アルが無茶するせいでしょうがー!!!!!!!!!!!」
「わ、私のせいか」
「そうよ!」
「わ、悪かった」
「悪いって思うなら二度とあんなことしないで!」
「あんなことって?」
「私を庇ったことよ!」
「ああ。それは約束できない」
「なんでよ!」
「あれは無意識に体が動いてやったことだからな」
「っそれでも、ダメなものはダメ! 次からは気を付けて。ぷっぴぃがいてくれなかったらどうなっていたことか。下手をしたらっ」
その先が言えなくて口を閉じる。再びリタの目に涙がたまり始める。アルフレードが動揺したように身じろぎする。
「……リタ」
「な、なによ」
「悪いが、それでも約束はできない。同じようなことがあったらまた私は同じことをするだろう」
「っ」
「ただ、私はリタを置いて死ぬつもりはない」
「勝手に死んだら絶対許さないんだから」
「ああ。だから、私も生き残る努力をする」
「そうして。約束だからね。私もアルになにがあっても助けられるよう万全の準備をするから」
「ああ、そうしてくれ」
「まあ、そのまえに! アタシが二人を死なせないけどね!」
二人の間にドン!と登場するぷっぴぃ。
「今回みたいにアタシが華麗にパパッと助けちゃうわよ」
片眼を閉じようとして、両目をぎゅっと閉じたぷっぴぃ。それを見て、リタとアルフレードは思わず顔を見合わせ笑みを浮かべる。
「ぷっぴぃ。助けてくれてありがとうな」
アルフレードがぷっぴぃを撫でると、ぷっぴぃの鼻息が荒くなる。
「それとネロも、感謝する」
「別に……あれくらい」
ネロは照れているのか顔を逸らす。反対の反応を示す二人を見ながら、リタは口を開いた。
「二人ともごめんね。こんな形で本契約することになっちゃって。しかも、命令まで……」
――本契約をする時は、例の約束を反故にする直前って決めてたのに。歴代の愛し子のように、皆を利用しないって決めていたのに。
自己嫌悪に陥るリタにネロは呆れたように声をかける。
「なに言っているの。もともと本契約は結ぶ予定だったんだから、リタが気にする必要ないでしょう」
「そうそう。それに、命令っていうのも形だけっていうか、アタシたちから提案したものだし。な・に・よ・り、それ以上にいいもの見せてもらっちゃったからアタシは大満足」
テンション高く語尾を上げるぷっぴぃ。アルフレードは「なんのことだ?」と首をかしげる。
「後百年くらいは忘れられそうにないわ……二人の初ちゅー……キャッ!」
「「え?」」とアルフレードとリタが固まる。
「リタったら恋愛初心者のくせに、迷うことなくぶちゅーっとアルの唇を奪っちゃうんだから。しかも、がっつり」
ぷっぴぃはその時のことを思い出しているかのように尻尾(というかもはやお尻)をフリフリしながら悶える。
「ち、ちがっ! ア、アル! 私は解毒剤を飲ませるためにしたのであって、決して下心があってしたわけじゃないからっ!」
「あ、ああ。わかっているっ」
顔を真っ赤にして狼狽える二人を見て、ニヤニヤするぷっぴぃ。そんなぷっぴぃに呆れた目を向けるネロ。
「解毒剤なんて飲ませなくても、あんたなら解毒も治癒もできたくせに。非常事態にまで、自分の私欲優先させるなんて悪趣味ね」
「ち、ちがいますー。アタシがそれに気づく前にはリタがぶちゅっとやってたんですー!」
そう言い捨て、逃げるように消えたぷっぴぃ。ネロはそんなぷっぴぃを鼻で笑うと同じように姿を消した。
残された二人は顔を真っ赤にして俯いたままだ。
「ア、アル。ごめんなさい! 解毒剤を飲ませるためとはいえ、許可なくアルの唇を奪ってしまいました。お、お詫びは……後日にでも!」
「い、いや、謝る必要はない」
「で、でも」
「私のためにしてくれたことだろう?」
「それはそう、なんだけど……」
「そもそも私はリタに好意を寄せているんだから、嫌とは思わない」
「う゛」
「むしろ、嬉しい。いや……悔しいだな。その時の記憶がないのが」
「え、ええ?」
「お詫びというなら、今改めてしてくれてもいいぞ?」
「な、なにを」
「決まっているだろう」
「わっ」
グイッと引っ張られ、アルフレードの胸の中に飛び込む。意外としっかりとした胸筋を感じ、心臓が跳ねる。
男性にしては小さい、けれどリタよりは大きな手が頬に触れる。優しく、上を向くように誘導される。
近づいてくるアルフレードの美しい顔。自然と閉じていく瞼。重なり合う吐息。互いの唇が触れ合うまで数センチ。――のところで、「タイヘンデス!」とヴェルデが飛び込んできた。
「ど、どどどどどどどうしたの?」
アルフレードから離れ、リタはヴェルデに話しかける。アルフレードは背中を向けたまま。不自然な二人だが、余裕のないヴェルデは気づかない。
「エ、エット、エット」
「ゆっくりで大丈夫。脳内に直接でもいいよ。アルには私が後で説明するから」
「ワ、ワカリマシタ」
『えっと。あの後、自分はずっとアドルフォ皇帝に張り付いていたんですが……まず、リタさんのお姉さんたちは皆捕まりました』
「うん」
やっぱり、と苦々しく思いながらも頷く。
『今のところ彼らは閉じ込められているだけです。リタさんをおびき寄せる餌になるからと』
リタの眉間に皺がよる。
『問題なのは……皇帝がリタさんの居場所に気づいていることなんです』
「ええ?!」
「どうした?」
「あ、後で話す。それで、なんでバレてるの?」
『それが……カレルという人物が、以前からリタさんについて色々と調べていたらしく。この森についても情報を掴んでいたみたいなんです。過去に上皇の命令で時折この森を訪れていたという商人を連れてきて。その商人が、リタさんがいた森はおかしいと。村にたどり着く前に、外に出てしまう。不気味だと証言したんです。その話を聞き、皇帝はリタさんが森に逃げた可能性が高いと予測を立てたのです』
――商人……それって昔、この村にきていた商人のこと?
『すみません。自分にはわからないのですが……』
「ううん。ありがとう。ここも安全ではないとわかっただけで十分。あっちにはネロみたいな力を持つものはいないんだから、今すぐここを出れば……」
「リタ!」
「マロン?」
焦った様子で現れたのはマロン。嫌な予感がする。
「どうしたの?」
「森に、火が放たれた」
「なんですって?!」
アルフレードの表情も強張る。
「今、アズーロが消火にあたってる。けど、人がたくさんいて消火が間に合っていない。そいつらは……『出てこないと、森を焼き野原にするぞ』と叫んでいて」
「私を探してるってことね。……こんなに早く。どうやって。ううん、今はそんなこと考えている暇ない。早く私をそこに連れてって」
「リタ!」とアルフレードが声を上げる。
「アル、止めないで」
「わかっている。止めるつもりはない。ただ、リタが行くなら私も一緒に行く。それだけだ」
「っありがとう」
家を飛び出す。ヴェルデが先陣を切ってくれているおかげで迷うことはない。
途中、動物たちが逃げるように森の奥にかけていくのとすれ違った。中にはケガを負っているものもいた。思わず、リタの足が止まる。
「リタ。僕が力を貸すよ。ただ、今のままだと限界がある。本契約を」
「っありがとう。マロン。私と本契約をして、そして彼らを守ってあげて」
「ああ! 承知した!」
マロンの小さな手が地面に触れると同時に、地面が揺れ始めた。ぼこぼこと土がせりあがり、大きな壁となる。丈夫な土壁は火を通さないようで、火も人の侵入も防いでくれている。どこからか、「なんだこれは! これ以上奥にいけないぞっ」と叫んでいる人の声が聞こえる。
ホッとするが、これで終わりではない。リタは再び足を進めた。そして、一か所不自然に小雨が降っている場所を見つけた。そこへ向かっていけば、水色のカエルが跳ねているのが見える。
「アズーロ!」
「リタ!」
目があった瞬間、二人の思いは同じだと理解する。
「本契約を!」
「ええ!」
「この火を消して!」
アズーロが空高く跳ぶ。次いで、空から雨が降り始めた。小雨ではない本降りの雨が、火を消していく。火は本格的に燃え広がる前に鎮火した。それでも雨はやまない。その雨に紛れて、リタとアルフレードは騒がしい人たちに近づく。
「くそっ! 完全に火が消えた。この雨じゃあ、無理だ」
「おいどうすんだ。せめて、リタとかいう小娘だけでも捕まえねえと俺たちが」
「わかってる!」
「喋ってないで探せ!」
商人と全身黒装束の者たちが入り交じり、森の中を歩き回っているのがわかる。
ヴェルデがその配置まで正確に教えてくれる。おかげで今のところあちらからはリタたちの居場所はバレていないようだ。
『ドライアドさんがリタさんの元にはたどり着けないようにしてくださっていますが、どうしましょう』
「そうね……」
と言いつつ、リタの気持ちは決まっていた。そのリタの案をアルフレードは否定せずに、頷く。
雨は次第に小雨になり、完全にやんだ。リタを探している者たちは今のうちだと森の中へと入ろうとして、その奥に一組の男女がいることに気づいた。
「……小娘、おまえがリタか?」
ようやく目的の人物を見つけ、ニヤニヤしながら近づいてくる人々。
リタはその言葉を無視して、小声で告げる。
「ロッソ。全員燃やしちゃって。……死なない程度にね」
『おう!』
リタと本契約を結んだロッソが意気揚々と彼らに火をつける。いきなり人体自然発火が起こり、慌てふためく人々。必死に火を消そうとするがなぜか消えない。
「た、助けっ!」
「アズーロ」
『ええ』
今度は頭から大量の水が降ってくる。水圧で膝を折る。その間にリタは距離を詰めた。よろよろと顔を上げた彼らをリタは無表情で見下ろした。その目には静かな怒りが宿っている。
「ネロ」
『任せておいて』
黒装束たちが一斉にリタにとびかかろうとした。が、それよりも早くネロが影を縫い付け、動けないようにした。
「っば、ばけもの!」と声を上げたのは商人の一人。それをリタは鼻で笑った。
「なにが化け物よ。私はただの小娘で、この子たちは可愛い私の友達よ。化け物は……どちらかというとあんたたちに命令を下したあの男でしょ」
身動き取れない彼らは悔しそうに顔をしかめる。
ふとリタは気づいた。そういえば、縛り上げる物がなかったと。家に取りに帰るしかないか、と思ったその時、どこからともなく蔦が伸びてきた。
「……これは?」
『ドライアドさんが使ってちょうだいって言ってます』
「! ありがとうございます。ありがたく使わせていただきますね」
リタが握ると、簡単に蔦はちぎれた。その蔦で一人一人縛り上げていく。アルフレードも手伝ってくれた。全員を縛り上げ、「ふうっ」と息を漏らす。
「よし! じゃあ戻りましょうか! 城へ」
「それはいいが、こいつらはどうするんだ? ここに放置するのか?」
「うーん……ネロ。この人数いける?」
『楽勝よ』
「なら、連れっていってあっちで処理してもらおうか」
処理という言葉に皆ビクリと体を揺らす。その反応を見てぷっぴぃが『はいはい!』と前足をあげた。
『アタシにいい案があるんだけど』
リタはぷっぴぃの案に耳を傾ける。そして、聞き終わるとにんまりと笑みを浮かべた。それはそれはいい笑みだった。




