リタは精霊とともに怒りの拳を振り上げる
ボナパルト王国の王太子アレッサンドロとその妃ステファニアの結婚式、披露宴も無事に終わり、その翌日。
各国の王族たちは午前のうちから正餐室に集い、食事を取っていた。
というのも、国内がまだ落ち着いていないベッティオル皇国の皇帝アドルフォが、いちはやく帰国する前に交流をはかるためだ。
もちろん、その中にはリタもいた。
あれだけ昨日は彼らの視線から逃げていたリタだが、さすがに今回ばかりは逃げられないと思っていたが、存外リタへ向けられる視線は少ない。今は皆、他国との交流を優先しているらしい。
会話は、アレッサンドロが回している。全員に話を振りながらも、さりげなくリタにだけは注目されにくい内容を振ってくれている。リタは「そうですね。私もそう思います」と同調すればいいだけ。リタは心の中でアレッサンドロに感謝の言葉を送っていた。
アドルフォの視線がリタに向けられそうになったタイミングで、アレッサンドロはアドルフォに話題を振った。アドルフォが待っていましたというように口を開く。彼の口から出たのは、今後のベッティオル皇国の方針について。
「そうですね。おそらく、今が我が国の転換期なのだと思います。我が国はこれまで精霊の力に頼りすぎていた。これからは自力で国を治めなければならない。正直、荷が重いですが、精霊が私に力を貸さないと決めたということは、私ならできると期待してくれたということ。最善を尽くしたいと思います」
殊勝な言葉を並べるアドルフォに、精霊たちが『なに勝手なこと言ってんのよ! 誰もあんたなんかに期待してないわよ! (※放送禁止用語)!』と騒ぎ立てる。リタは素知らぬ顔をするので必死だった。
ジョヴァンニが「ほう」と感心したように頷く。
「それで、今後は各国との繋がりを深めて、知恵を借りたいと?」
「はい」とアドルフォが好青年面で頷く。
「お恥ずかしながら、私は本来譲位するにはまだ若く、未熟。ですが、だからと言って甘えてはいられない。この肩には多くの命が乗っているのですから。そのためなら、恥を忍んで教えを請います」
「そこまで言われて、教えない、とはいえんな」
「ですね。とはいえ、そもそもアドルフォ皇帝は十分うまくやっていると思いますが」
ジョヴァンニとアレッサンドロが言えば、他国の王族たちも頷く。過去の疫病への速やかな対処等を例に挙げ、褒めたたえる。
アドルフォは照れたように笑っていたが、満更でもなさそうな顔だ。
リタは呆れたような引くつく口角をなんとか、笑顔のまま保ちながら別の話題に移るのを待とうとした。その時、焦ったようなノック音が鳴った。
火急の知らせを持ってきたという文官が、ジョヴァンニの許可を得て、入室する。
「ベッティオル皇国より使者がいらっしゃっております」
「……その様子、ただごとじゃないようだ。その者はどこに?」
「部屋の外に」
ジョヴァンニがアドルフォに視線で問う。別室で話を聞くのか、この場で聞くのか。アドルフォは緊張した面持ちで「入室させても?」と返す。
ジョヴァンニは頷き返した。
ベッティオル皇国からの使者が中へ入ってくる。リタは「あ」と声が漏れそうになるのを手で慌てて押さえた。
狐のような胡散臭さを醸し出している男。アドルフォ直属の若手廷臣カレルだ。
そんな彼が今回は余裕を失っているように見える。いったいなにがあったのかと、皆身構える中カレルはアドルフォの指示に従い、この場で報告をするべく口を開いた。
「報告いたします。上皇ダニエーレ陛下が……ご崩御なされました」
カレルの報告に皆目をむき、息を呑む。カレルは震える声で続けた。
「つきましては、陛下には至急ご帰国を賜りたく、お願い申し上げます」
頭を下げるカレルに、アドルフォは一度ぎゅっと瞼を閉じた後、目を開き静かに立ち上がった。
「もう少し皆さんとの会話を楽しみたかったのですが……今すぐ帰国し、確認しなければならないことができたようです」
「ああ。では、すぐに帰国できるよう手配しよう」
「念のため護衛を増やしては?」とアレッサンドロが提案した。ジョヴァンニも頷き返す。
「そうだな。うちからも数名出そう」
「ありがとうございます。それと、今聞いたことは」
「わかっている。正式な発表があるまでは、ここだけの話にしておこう。皆も」
ジョヴァンニの言葉に皆緊張した面持ちで頷く。
立ち上がったステファニアが、アドルフォに近づいた。
「お、お兄様、私もベッティオル皇国へ」
「いや、おまえはダメだ。ボナパルト王国の王太子妃としてすべきことをしてから、おいで」
「っ、はい」
ステファニアは我慢するように下唇を嚙み、瞼を伏せた。そんなステファニアを慰めるようにリタが寄り添う。
震えるステファニアを見て、リタの胸に込み上げてきたのは、母を亡くした時のあの喪失感だ。とはいえ、別にダニエーレが死んだことへの悲しみではない。ステファニアが傷ついていることを想像しての痛みだ。
リタにとってもダニエーレは実の父親のはずなのだが、そのような気持ちにはいっさいならなかった。ダニエーレが知ったらひどくショックを受けるだろうが、それが事実であり彼の自業自得でもある。
不意にアドルフォがステファニアから視線をリタに移した。
「リタ、君もステファニアと一緒に墓参りにくるといい。父上は君をいたく気に入っていたようだから、喜ぶだろう」
「……は、はい。その時は……お姉様と一緒に行かせていただきます」
ステファニアがはっとしたような顔でリタを見たが、もうリタは発言した後だ。言質を取ったことで満足したのかアドルフォは足取り軽く正餐室を出て行った。その背中をアルフレードは黙ってじっと見送った。
◇
アドルフォが帰国した後、リタはアルフレードとともに屋敷へと戻った。本来なら貴賓である各国からの賓客の相手をすべきなのだろうが、この状況では皆も観光どころではない。ここだけの話にしたとはいえ、皆律儀に自国に黙っているつもりはないだろう。公にはできないとしても、内々に報告した方がいい内容だ。皆、予定を前倒しにして自国への帰国を決めた。
そのため、リタとアルフレードは城を抜け出すことができたのだ。
「みんな」
いつものようにリタの私室にアルフレードと二人籠もり、人払いをした後精霊たちを呼び出した。こうなることが分かっていたかのように、皆が次々に姿を現す。
リタの前に誰よりも先に立ったぷっぴぃ。
「ねえ、ぷっぴぃ。ヴェルデを、呼び出してくれる? 聞きたいことがあるの」
「もちろん。アタシたちも聞きたかったから、もう呼び出してあるよ!」
「え?」
リタが呟いた瞬間、締め切った室内に爽やかな風が吹いた。緑色の鳥が現れる。
「ヴェルデ! きてくれてありがとう」
リタが手を伸ばせば、その手の上にシルフが着地する。
「ごめんね。大変な時に」
シルフは主人を失ったばかりだ。その感覚がどういうものかはわからないが、リタがもしぷっぴぃたちを失ったと想像したら――辛くてたまらない。
けれど、シルフは首を横に振って答えた。それを見てネロがフンッと鼻で笑う。
『そりゃあ、そうよね。むしろホッとしてるんじゃない? あの男からかなりいいように使われていたみたいだし?』
「え?」
ネロの独り言はしっかりリタに届いた。リタは茫然とした顔で、手のひらに乗ったシルフに視線を落とす。
「ヴェルデ……いや、シルフ。いま、ネロが言ったことって本当なの? あの人からひどい扱いを受けていたって」
シルフは俯いたまま、答えない。ネロが嘆息する。今度はリタだけでなくアルフレードにも伝わるように人間の言葉で説明を付け加えた。
「別に隠す必要ないでしょ。会うたび疲弊した姿晒しておいて、今更じゃない。そのたびに、リタのところに逃げてきてたくせに」
「そう、だったの?」
リタは新事実を知り、胸が締め付けられた。掌に乗ったシルフがいつもよりさらに小さく見える。アルフレードも痛々しいものを見る目でシルフを見ている。
リタが口を開きかけた時、ぷっぴぃがネロにたしなめるような言葉をかけた。
「ネロ。やめなさい。若い芽を摘むようなこと、しないの。彼はまだまだこれからなんだから。それと、シルフも、主の死を悲しめない自分に罪悪感を持つ必要ないわよ。どうせなら、相手のことをよく知らないまま、安易に契約を結んだ自分自身の選択を恥じなさい」
ぴしっとしたぷっぴぃの物言いにリタは驚いたが、言っていることは正しいと思い直す。リタもその考えに賛成だと首を縦に振った。そして、今度こそシルフに声をかける。
「気にしないでいいよ。それを言うなら、私も実の父親の死を全く悲しんでないから。……お母さんの時には一生分くらいの涙流したのに」
シルフはリタの顔をじっと見上げた後、ようやく頷いた。ホッとしたようにリタは笑う。
ぷっぴぃがシルフに「で?」と問いかける。
「それでどうしてあの男は死んだの? 妻に刺されて、意識不明になって、そのまま衰弱したって感じなの?」
ぷっぴぃの質問にシルフは首を傾げる。
「それ、どういう反応よ」
シルフが慌てたように羽をばたつかせ口をパクパク開閉する。それに対し、ぷっぴぃたちは聞き入っている。ときおり、誰かが口を開いている。どうやら精霊独自の言語で会話をしているらしい。
リタとアルフレードは彼らの会話が終わるのをじっと待った。
それから数分後、ぷっぴぃが代表してリタたちに説明した。
シルフから聞いた話をまとめると……『よくわからない』ということらしい。なんだそれ、とアルフレードの眉間に皺が寄る。シルフが体を縮こまらせるのを見て、アルフレードは慌てた。
「すまない。ヴェルデに文句があるわけではなく……ええと、ぷっぴぃ続きを頼む」
「ええ! 任せてちょうだい!」
アルフレードから頼まれたぷっぴぃが胸を張って説明する。その言葉遣いは流暢で。こんな時でなければ、彼女の言語能力に感心していただろう。アルフレードは顎に指をあて、ふむ、と頷く。
「意識不明の前皇帝に近づいたのは宮廷医師と、身の回りの世話をする使用人、そしてマルコ皇子だけ。全員前皇帝に触れていることを考えれば怪しい。が、証拠はないと」
「でも、もともと意識不明の重体ならいつ死んでもおかしくはなかったと思うけど……」
とリタが言った時、ノック音が鳴った。皆びっくりして体をこわばらせる。
「リタ、私ステファニアなのだけれど……」
「お姉様?!」
慌ててリタが出ようとするのをアルフレードが止める。
「義姉上。おひとりでここまで?」
「いえ……」
「俺もいるぞ!」
アレッサンドロの声が聞こえてきた。アルフレードが額に手を当て、ため息を吐く。
「どおりで……。誰も止められないはずだ。リタ、彼らをこのままいれても?」
「あ……うん、皆もいい?」
リタが尋ねれば精霊たちは頷き返す。アルフレードが扉を開き、アレッサンドロとステファニアを招き入れた。
「お姉様どうしたの?」
「ごめんね。前触れもなしに」
「それはいいんだけど……」
「確かめたいことがあって」
「どうやら、先に調べ始めていたいようだがな」
そう言って、二人はシルフへと視線を向ける。シルフがビクッと体を揺らした。リタはその視線を遮るようにさりげなく体をずらす。
「粗方のことはもう聞いたので、私から説明しますね」
そう言ってリタは今聞いたばかりのことを彼らにも伝えた。二人ともそれを聞いて思案を始める。
リタはさきほどの自分の見解も続けて述べた。ダニエーレの死はアドルフォがボナパルトにいる間に起きたこと。であれば、自然の成り行きなのではないかと。もちろん、そのきっかけである事件の真犯人はアドルフォなので、彼のせいとも言えるが。
しかし、ステファニアは首を横に振った。
「アドルフォ兄様は、ひどく貪欲なの。お父様が意識を取り戻し、再び権力を取り戻す可能性があって、そのことを望む者たちがいる状況に満足していたはずがないわ。……少し考えればわかることだったのに」
その考えに至らなかった自分を悔やむようにステファニアは告げる。
「で、でも、意識が戻ったって、すでに即位は済んでるんだから……」
「そうだとしても、自分の権威が揺らぐような展開には絶対したくない。というか、させないのがアドルフォ兄様なの。そして、そのための方法がアドルフォ兄様にはあった」
「……それが、実の父親の命を奪うこと?」
「ええ。そうすれば、もう誰もなにも言えなくなるもの。お母様はお父様を刺した罪で幽閉済。クラウディオ兄様は行方不明。マルコ兄様は決してアドルフォ兄様を裏切らない。きっと、今回もアドルフォ兄様の命令でマルコ兄様が動いているはず。直接毒を盛ったかどうかはわからないけど……マルコ兄様がお父様の命を奪う毒を用意したのは間違いない。そのことに誰かが気づいたとしても、罪に問われるのはマルコ兄様だけ。国外に出ていたアドルフォ兄様は無傷。そして、私はすでにボナパルト王太子妃になっている。……結局、すべてアドルフォ兄様が思い描いた通りの結果になったということね」
ステファニアが憎々し気に告げる。
リタはぞっとした。皇帝の地位を、権力を得るためならそこまでするのかと。
怒りに震えると同時に悲しそうな表情を浮かべるステファニアを見て、リタは拳を握った。
「決めた!」
リタの力強い言葉に皆の視線がリタに向く。
「お姉様、私ベッティオル皇国へ行くわ。お姉様が止めようとしても無駄だからね」
「ダメよ! アドルフォ兄様はリタのことを狙っているのよ! 下手をしたら、マルコ兄様の二の舞になるかもしれない」
「だとしても! 私、決めたから」
リタの力強い瞳に、ステファニアは思わず口を閉じる。
「まず! ダニエーレの墓前に向かって、今まで言えなかった恨みつらみを吐いてやるわ!」
「え?」
「次に! アドルフォ皇帝を捕まえて、今までの悪事を皆にばらして、そんで……殴ってやる!」
「ええ?!」
「私が狙われる? そんなもの知ったこっちゃないわ。むしろ望むところよ。自分の手を汚しもせず、人を駒のように扱うなんて……そういうところクソ野郎とそっくり! あのクソ野郎をもう殴れない分も、殴ってやるわ。一発や二発で済まさないんだから!」
リタはステファニアを見た後、シルフにも視線を向ける。
目を丸くするシルフをよそに、他の精霊たちが次々に声を上げる。
「よく言ったわリタ! アタシたちも手伝うわよ!」
「リタがそう言うなら仕方ないわね。私も手伝ってあげるわ。ふっふっふっ腕が鳴るわね」
「証拠隠滅は任せておけよ。俺が全部消し炭にしてやるぜ!」
「あらあら、皆やりすぎには注意よ」
「そうだよ。バレたらリタが大変なことになるんだからね。バレないようにしないと」
「んなの、目撃者は全員燃やせば問題ねえって!」
「そうね。最悪ぷっぴぃが全部なんとかしてくれるだろうし」
「えー?! もーアレ、使うの疲れるのに。でも、ま。そうね。その時はアタシに任せなさい!」
わーわーと意気込むリタとシルフを除く精霊たち。残された面々は茫然としていた。ただし、その中でもこうなることを予期していたアルフレードだけは、すぐに正気に戻り薄く笑みを漏らす。その吐息でアレッサンドロが我に返る。
「アルフ、なにかいい案はあるのか? 俺としてもアドルフォ皇帝の悪事を暴くのは賛成なんだが」
ステファニアがぎょっとした顔になるが、それを無視して話を続ける。
「このままだと、一生ステファニアが縛られたままになるからな」
そう言って、アレッサンドロはステファニアを見やる。ステファニアは泣きそうな、でも嬉しそうな。けれど、その提案を受け入れることはできない、というような複雑そうな表情を浮かべている。
アルフレードは二人に生ぬるい視線を向けながら「まあ」と口を開いた。
「あるといえばありますよ。リタが言う通り、この機会にベッティオル皇国へ行くんです」
「でも、それではリタがっ」
「むしろ、今しかないんですよ。今後、私たち全員がそろってあちらに行く口実ができるかはわかりませんし」
「それはっ……」
「それで?」
「まずは、ルミナス辺境伯に会いに行きましょう」
「ルミナス辺境伯というと……クラウディオ皇子を匿っている人か」
「はい。私たちが皇国へと向かう途中に、ルミナス辺境伯を訪ねるのはなにもおかしなことではないでしょう?」
「それもそうだな!」
アルフレードの提案に、ステファニアもハッとした表情で考え込み始める。
「まずは、ルミナス辺境伯をこちらの味方につけるということ?」
「ええ、そうすれば勝率は確実に上がりますよね?」
「そうね」とステファニアも頷く。
「では、その後は?」
「その後は……」
と三人頭を寄せ合い話し合いを進める。その横で、リタも精霊たちと顔を寄せ合い話し合いを進めていた。いたって真剣に。そして、凶悪な笑みを浮かべながら。




