リタは秘密を晒し、ステファニアと濃い絆を結ぶ
――どうしてこんなことに?
無事ボナパルト王国へ戻ってきたステファニアから、私室に招かれたリタ。
リタとしては彼女の無事を確かめるとともに、以前できなかった誕生日祝いについて改めて話をしようと思っていたのだ。
それなのに、最初一緒にいたはずのアルフレードとアレッサンドロ抜きで話をしたいと言われ、こうして二人きりとなっている。
しかも、ステファニアの表情は真剣。釣られてリタも口を閉じてしまった。その結果、妙な緊張感が漂っている。
ステファニアが意を決したように口を開いた。
「リタ」
「は、はい」
「心配をかけてしまって、ごめんなさい」
そう言って軽く頭を下げる。
「え?」
突然の謝罪にリタは戸惑った。その反応を予期していたのか、ステファニアは構わず話を続ける。
「なにも言わずベッティオル皇国に行ってしまったでしょう」
「そ、それは……確かに心配はしましたが、仕方なかったことだというのはわかっていますから、その……気にしないでください。無事に帰ってきてくれただけで私は」
「そう言ってくれるあなただからこそ、私は……」
「え?」
声が小さすぎてなにを言ったのかはわからなかった。けれど、まるで眩しいものを見る時のような、泣きそうな表情に、リタの胸はざわつく。どうして、今彼女がそんな表情をするのか……わからない。
ステファニアはなんでもないように取り繕い、話を続ける。
「いえ、なんでもないわ。とにかく、リタには感謝しているの。あなたがシルフをよこして、励ましてくれたからこそ、私は冷静になることができたのだから」
いつになく力強いステファニアのまなざし。その目には今まであった微かなあきらめのような色が消えていた。
ほっとして、リタの口角が上がる。
「お役に立てたのならよかったです!」
満足げなリタに、なぜかステファニアが複雑そうな表情を浮かべた。思っていたのとは違う反応にリタは困惑する。
「本当にリタがシルフをよこしたのね」
「え」
最初、ステファニアの言葉の意味がわからなかった。数秒かけて、理解する。血の気が引くとはまさにこのこと。
「あ、いえ、その」
なんとかごまかさないといけないとわかっているのに、体が震えて声が出ない。
――どうしよう! バレた。
そうだ。どうしてそのことに思い至らなかったのだろう。あの時は、ステファニアのことが心配で、その後のことなど全く考えていなかった。衝動的に、ぷっぴぃたちに相談し、シルフを呼び出してもらい、ステファニアの様子を見てくるように頼んだのだ。
リタの不安を見越しているかのようにステファニアが、震えるリタの手を両手で包み込み、ほほ笑む。
「リタ、安心して。私は絶対にリタの秘密を誰かに話したりしないわ。それがたとえ、アドルフォ兄様相手でも。ベッティオル皇国に背くことになったとしても。だから教えてほしいの。リタが今代の精霊の愛し子なのかどうかを。それによって今後、私がどう動くべきなのかがわかるから……」
リタはステファニアの言葉に心底困惑した。
ステファニアから向けられる好意については前から感じ取っていたし、リタもステファニアが好きだとは思っている。けれど、これとそれとは別。たとえステファニア相手でも、精霊の愛し子であることは自分からは言わないと決めていた。
それなのに、こんな形でバレた。その上、なぜかステファニアは自分の家族も祖国も捨て、リタ側につくと言っている。
「どうして? なぜそこまで私を? アドルフォ皇帝はステファニア様の実の兄ですよね?」
そう言いつつ、薄々わかってはいた。ステファニアは家族の話題を避けようとする節があったから。それに、今回のこともある。皇位継承権を手放したステファニアの意思を無視して、『精霊の儀』を執り行い、精霊に選ばれないとわかったらすぐボナパルトへと戻した。まるで、それだけが目的だったかのように。とても実の兄がすることではない。もし、ステファニアが精霊の愛し子だったらいったいどうなっていたのか。アルフレードのいうとおり、力だけを搾取されていたのかもしれない。そして、それらの判断を下したのはアドルフォだという事実。たしかに、そんな兄とは縁を切りたいと思うかもしれない。
リタの考えがあっているかのように、ステファニアの瞳に、冷たい色が宿る。
「たしかにアドルフォ兄様は実の兄だわ。でも、だからこそ、誰よりも知っているの。あの穏やかな仮面の下に、どれだけ冷酷で、無慈悲な顔があるのかを。アドルフォ兄様にとって、自分以外の人間は使えるか、使えないか。もしくは、邪魔か邪魔じゃないかのどちらかでしかない。だから、私はずっと、息をひそめ生きてきた。兄様の邪魔にならないよう。消されないよう。そのおかげか、兄様とはそれなりにいい関係を築けていた、と思っていたわ。あの時……兄様が私に毒を盛るまでは。結局、彼にとって、私はその程度の存在でしかなかったのだと痛感した。そして、あのままベッティオル皇国にいれば、今度こそ命を狙われるかもしれないと危惧した」
「そんな……」
「……お父様が私をボナパルト王国に送ると決めた時、本当はあの時点で私はお父様の企みに気づいていたの」
「たくらみ?」
「ええ。お父様は私が精霊に選ばれるものだと思っていた。それで、私を一時的にボナパルト王国へやり、その間にアドルフォ兄様を失脚させ、私を連れ戻して次の皇帝にさせる気だった。私はその企みに気づいていながら、ただ一時的にだけでもあの国から逃げ出したくて、なにも知らないフリをして国をでたの。本当は、いずれアレッサンドロとの婚約は破棄されるだろうと知っていながら。結局、お父様はあんなことになり、私は精霊に選ばれることなく、今後は兄様の手駒となるフリをすることでこうして逃げ出すことができたのだけれど」
「手駒?」
「ええ。兄様から、ボナパルト王国の王太子妃として、ベッティオル皇国……いえ、兄様の意向通りに動く駒になれ、と言われたの。安心してちょうだい。私にそんな気はさらさらないから。むしろ、この立場を利用して、ボナパルト王国、ひいてはリタの利になるように動くつもりよ。アレッサンドロにもそう伝えてある。ただ、そのうえで最優先で確認しておきたかったのがリタ……あなたのことなの。あなたの秘密をこんな形で暴くのは申し訳ないけれど、どうかお願い。教えて頂戴」
「ステファニア様っ。でも、そうしたらステファニア様を巻き込むかも」
「いいの。むしろ、巻き込んでほしいくらいだわ。それくらい私にとってリタは大切な人なんだから」
「ステファニア、様」
「私にとって、家族は血が近しいだけの他人。いえ、むしろ最も近い敵だといえた。家族といて安心できたことなんて一度もなかったの。家族以外も、私の周りにいた者たちは皆そうだった。ずっと冷たい城で暮らしてきたの。そんな私に、初めての温もりを教えてくれたのが、あなた」
「私は別に、特別なことなんて……」
「ええ。リタにとってはどれも当たり前のことだったのでしょうけど。私はあなたの温かさに何度も救われたわ。……以前、私が言ったこと、覚えているかしら? リタと本当の姉妹になりたいって。あの時は、いずれお父様に無理やりベッティオル皇国へ戻され、婚約の話もなかったことになるだろうと思っていたから、ただ願望を口にしただけのつもりだったけど。それでも、本気だったわ。そうなりたいと、願った。その願いは、今も変わってない。いえ、勝手だけれど、すでにリタを大切な妹だと思っているわ」
「ステファニ、姉様」
リタの目頭が熱くなった。気持ちとともに涙が込み上げ、溢れ、流れる。
ステファニアの気持ちが嬉しかった。だからこそ、本当にステファニアを巻き込んでいいのかという葛藤が込み上げてくる。いや、でもここで拒んだって彼女は引きはしないだろう。それが、ステファニアの目から伝わってくる。リタだって同じだ。逆の立場なら、止められたとしても、ステファニアのために動く。
――ねえ、みんな。
心の中でリタは精霊たちに問いかけた。
『なに、リタ?』
――聞いてた?
『うん』
――ステファニア様……お姉様に、話してもいいかな。みんなのこと。
『いいよ。リタが決めたなら。……シルフに頼んだ時点でこうなるだろうなとは思っていたし』
――ありがとうぷっぴぃ。皆も、いい、かな?
『いいわよ。というか、どうせ私たちが止めても無駄でしょ』
『こら、ネロ。大丈夫よリタ。ネロのことは気にしないで』
『アズーロの言う通り! ネロは嫉妬してるだけだからな』
『ロッソ、火に油を注ぐような真似をすると』
『いった! ネロがひっかいた!』
『うーん。ちょっと遅かったか』
『マロンはどっちの味方なんだよ!』
『そんなの決まっているだろう。リタのだよ。皆もそうだろう?』
マロンの一言に、『とうぜん!』と返すぷっぴぃの声が響いた。否定する声は一つもない。
――みんなっ! 本当にありがとう!
リタは覚悟を決め、口を開いた。
「お、お姉様のいうとおり、私は精霊と契約しているの。でも、本契約はまだで……その、私にとっては彼女たちは幼いころから一緒に過ごしてきた、大切な友達だから。本契約を結んだら明確な上下関係ができてしまうでしょう? それがどうしてもいやで。だから、いずれは本契約を結ぶつもりではいるけど、今はまだ仮契約に留めてるの」
その本契約を結ぶ際初代皇帝の願いを取り下げるつもりだということは、今は言うべきではないと判断し、伏せた。
ステファニアはリタが口にした「お姉様」という単語に頬を緩める。
「リタ、話してくれてありがとう。あの……ちなみに、あなたのお友達と、幼い頃から一緒だという話、聞いてもよろしいかしら?」
ステファニアの認識では精霊と契約するには『精霊の儀』を行わなければならないはず。それなのに、リタは幼いころから精霊と一緒だという。それに「彼女たち」と言ったのも気になった。
リタは自分が知る知識の中からかいつまんで説明する。実は、精霊と契約するためには『精霊の儀』なんて必要ないこと。母が亡くなる前から、精霊たちはリタの前に動物の姿で現れ、リタはただ頭がいい動物だと思っていた。けれど、実は彼女たちは精霊で、いつのまにか仮契約を結び、母が亡くなってからも彼女たちが側にいてくれたことでさみしくなかったのだと。ステファニアからの「どんなところで暮らしていたの?」といったような質問に時折答えながらも、精霊にまつわることで知られたくないことは濁しつつ答えた。
リタから話を聞き終えたステファニアは額に手を当て、深いため息を吐く。
「まさか、そんな暮らしを……。リタ、本当にごめんなさい。無責任な父が、リタとリタのお母様にそんな暮らしをしいていたなんて」
「え?! お姉様が謝る必要なんてないよ! たしかに、生物学的上の父に対しては思うところはあるけど、さっきも言ったとおり、私には支えてくれる存在がいたから。村での生活は全然苦ではなかったというか……むしろ、お姉様の方がひどい目に合ってると思う。私には無理だよ。そんな冷たい家族関係」
幼い頃のステファニアの話をちらっとだけ聞いたが、母に愛されて育ったリタには想像もつかない仲だった。唯一マルコはステファニアと仲が良かったみたいだが、それでもその家族の中では、程度。
アレッサンドロとアルフレードのように互いに本音を話せるほどではなかったという。
憤慨するリタを見て、ステファニアは苦笑する。ステファニアにとってはそれが普通だったが、やはりリタにとっては違うらしい。
「お姉様、これからは私と本物の家族になりましょうね!」
むん!と意気込むリタに、ステファニアは「ええ」と返し、途中で「あら?」と声を上げた。
ステファニアの視線の先を辿ると、そこにはリタの友達が横一列に並んでいた。
「みんな?!」
「アタシ、ぷっぴぃ。名前はリタがつけてくれたの! いい名前でしょ。ちなみに、元の名はルミナ。よろしく!」
「ええ?! 流暢に話してる?!」
「まあ、本当にいい名前。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
「俺はロッソ! 別名サラマンダーとも言うぜ。火加減は俺に任せてくれ!」
「ロッソ、頼もしいわ」
「私の名はアズーロ。以前はウンディーネと言われていたわ」
「アズーロ。きれいな響きですね」
「僕はマロン。君たちにはノームと言った方が伝わるかな。でも、リタにつけてもらった名前の方が気に入っているよ」
「では、これからはマロン、と呼ばせていただきますね」
「うん。ほら、最後にネロ」
「……ふん。リタを裏切ったら私が許さないからね」
「ネロ!」
「いいのよ、リタ。承知しております。私がリタに仇なす存在だと判断されましたら、そうしていただいて結構です」
「……ふん」
「ごめんね、お姉様」
「大丈夫よ。それでは皆様、改めまして自己紹介を。私、リタの姉、ステファニアと申します。どうぞ、これから、よろしくお願いいたします」
「お姉様……」
「ええ、どうしたのリタ? もしかして、泣きそう?」
「だって……嬉しいんだもん。私の大切な人たちをお姉様に紹介できて」
「あらあら……どうしましょう。私も、リタにつられて泣いてしまいそうだわ。こんなに幸せでいいのかしらって……」
「いいんですよ! お姉様は今までの分も幸せにならないと」
「それはリタもよ」
「はい! 一緒に幸せになりましょう!」
そう言い切ったリタに、ステファニアは目じりに溜まった涙をぬぐいながら頷き返した。
一方、彼女たちの夫と婚約者であるアルフレードとアレッサンドロは、ステファニアの部屋の外で待機していた。ないとは思うが二人の話し合いがこじれた時に備えていたのだ。
どれくらい時間が経ったのか、扉が開いた。中からリタがひょっこり顔を出す。その目は赤く染まっている。けれど、表情は晴れやかなものだった。一瞬ぎょっとしたアルフレードは胸をなでおろす。アレッサンドロは「もういいか?」とそわそわした様子で尋ねる。リタは彼らを笑顔で招き入れた。
部屋の中に入り、リタと同じように赤い目をしていたステファニアを見て、アレッサンドロはぎょっとした顔になる。その変化が兄弟そっくりでリタは思わず笑ってしまったが、アルフレードににらまれ、視線を逸らした。
「その様子を見るに、満足いく話し合いができたようだな」
「ええ。あなたが、私のわがままを聞いて、リタと二人で話をさせてくれたおかげよ。アレッサンドロ」
「いや、俺はなにもしていない。おまえが、おまえたちが頑張った結果だ」
アレッサンドロの大きな手がステファニアの頭をなでる。不意をつかれたステファニアの顔が真っ赤に染まり、アレッサンドロは我に返って慌てて手を離した。
その様子を見ていたリタは興奮したように口を両手で抑える。そうでもしないと叫びそうだった。
――ラブラブだわ!
「リタ、これで冷やすといい」
「え」
こうなることを想定していたのか、アルフレードは冷やしたハンカチを用意しており、それをリタの目元を覆った。
「あ、きもちいい」
「だろう」
アルフレードの声色が普段よりも優しい。労わるような声色。リタは目の上に乗ったアルフレードの手の上に己の手も添えた。
「ありがとう、アルフレード」
「……ああ」
あいにく目隠しをされていたリタはアルフレードがどんな表情をしていたかは知らない。ただ、その光景を目撃したアレッサンドロは興味深そうに見つめ、ステファニアは微かに頬を染め、ぷっぴぃは……今にもよだれをこぼしそうな顔で二人を見つめていた。
リタとステファニアが落ち着いた後、アレッサンドロは本題を切り出した。
それはステファニアから聞いた情報の共有と、今後の方針。リタをどうやってベッティオル皇国から、アドルフォから守るかについて。ひとまず、リタにまつわる情報は操作し、できる限りベッティオル皇国へ流れる情報はどうでもいい内容ばかりにすることに決まった。隠せば隠すほど彼の興味を惹く可能性があるからと。可能であればあちらがリタの存在を忘れてくれるまで待ちたいところだが、避けられない予定――アレッサンドロとステファニアの結婚式――がある。であれば、そこがひとまずの山場だ。今後はその日に向けて綿密な計画を立てることで話が決まった。
そして、マルコが言っていたという手紙と、クラウディオの行方について。アレッサンドロやアルフレードの伝手を使い、それらについて調べることになった。ステファニアが緊張した面持ちで、感謝を述べる。と、同時に、アドルフォの手が回っている可能性が高いから無理はしないでほしいと告げる。
その時、ぷっぴぃがいきなり『なら、アタシたちが協力してあげるわ!』と声をあげた。
「え、いいの?」とリタは思わず反応する。
『それくらいなら朝飯前よ! ね、マロン』
『うん。僕の力と、ドライアドにもちょっと協力してもらえればすぐにわかると思うよ』
「ドライアド?」
『木の精霊よ。彼女ともアタシたち仲がいいから』
「へえ。えっと……じゃ、じゃあお願いしてもいいかな?」
『もちろん』とマロンが返す。
「ありがとう~。じゃあ、感謝をこめて、マロンが好きな料理を用意するね。あ、でもドライアドさん? には」
『それは嬉しいねぇ。あ、彼女のことなら気にしないでいいよ。彼女。食事しないから』
「そうなんだ。なら、他のお礼の方が?」
『うーん。それも必要ないかな』
「でも……」
『リタが気になるなら、いつか会った時に直接お礼をするといいよ』
「わかった。そうする」
マロンとの話が終わり、顔を上げたリタは皆の視線が自分に向いていることに気づいて驚いた。が、すぐに精霊たちが言葉を介さずに直接話しかけてきたからだと理解する。慌てて、彼らの言葉を伝えた。
ステファニアが深々と頭を下げる。
「依頼を受けていただき、ありがとうございます。どうか、よろしくお願いいたします」
「大丈夫。これは、リタのためでもあるんだろう?」
マロンの問いに、ステファニアはぎこちなく首を縦に振る。
「これは私の勘のようなものなのですが、どちらも裏でアドルフォ兄様がかかわっているような気がするのです。ですから、その手紙の内容とクラウディオ兄様の行方を把握できたら、アドルフォ兄様の一手先をいくことができるかと」
「なら、僕らに任せて。すぐに見つけてみせるから」
「マロン。気を付けてね」
リタの言葉にマロンはクスッと笑う。そんな気持ちが嬉しいとでもいうように。
「大精霊の僕らの心配なんかするのは、リタ、君くらいだよ」
そして、マロンは姿を消した。




