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【第一部完】皇帝の隠し子は精霊の愛し子~発覚した時にはすでに隣国で第二王子の妻となっていました~  作者: 黒木メイ
第一部『ベッティオル皇国編』

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皇帝の即位と、動き出す陰謀の証拠

 日光の下。リタは日よけ帽子をかぶり、鼻歌まじりに薬草に水をまいていた。今日のお供はアズーロ。水色のカエルは元気に畑をぴょんぴょん跳ね回り、口から水をまき散らしている。

 昨日、リタは傷薬を作るため、畑に生えているすべてのツユから葉っぱをむしりとった。にもかかわらず、今目の前にある畑の様子は昨日と変わらない。普通ではありえない光景。けれど、リタにとってはこれが普通。そして、リタ付きの侍女アンナも今ではすっかりこのとんでもない現象に慣れていた。


 アンナは懐中時計で時間を確認し、リタへと声をかける。

「リタ様、そろそろお時間ですよ」

「もう?! わかった。あとここの水やりだけしたら終わるね」


 そう言い、一生懸命薬草畑のお世話をするリタを、アンナは優しい瞳で見守る。ふと、水色のカエルが一瞬だけこちらを見た気がした。気のせいかもしれないが、アンナは水色のカエルに向かってお辞儀をする。するとカエルは「ゲコッ」と一声鳴き、どこかへ去っていった。


 リタと一緒にいると不思議なことが時折起きる。畑の件が一番顕著だが、実際はそれだけではない。たとえば、リタが調剤の際に火の扱いを誤りそうになった時、火は燃え広がることなく不自然に鎮火した。ある時は、うっかり毒性の強い植物の種を調合釜に落としてしまったが、沸騰した液体は一瞬で澄んだ透明な水へと変わり、種だけが異物として浮上した。 またある時は、高所にある重い棚が突然傾き、彼女の頭上めがけて崩れ落ちてきたが、床全体がわずかに軋み、棚がゆっくりと真横に滑り落ちた(まるで誰かが重さを支えたかのように)。


 そして、リタの周りにだけ現れる動物たち。どこから現れたのかもわからず、目を離した時には消えている。しかも、その動物たちとリタは心を通わせている気がするのだ。

 アンナなりに考えた憶測はある。が、それを口にするつもりはない。

 リタが、動物たちの正体がなんであろうとリタがアルフレードの命の恩人であり、妻であり、この屋敷の女主人であることは変わらない。なにより、アンナ自身がリタを気に入っていた。

 それはきっと、この屋敷で働いている者たちも、アルフレードの下で働いているブルーノたちも同じだろう。――リタ様は、リタ様の秘密は絶対に守ってみせる。

 そうすれば、リタはずっとアルフレードの側にいてくれる。

 口にはせずとも、皆気持ちは同じ。それが、アルフレードのためになると信じている。


 アンナは背後に気配を感じ、半身振り返った。そこにいたのはこの屋敷の執事であるロルフ。

「もしかしてまたなの?」

「はい」

 ロルフは眉尻を下げ、頷く。アンナもロルフと同じような表情を浮かべ、「あとどれくらいかしら?」と尋ねた。

 それに対し、ロルフは「あと五分くらいかと」と返す。


「五分ね。わかったわ」


 ロルフは頭を下げ、屋敷へと戻っていく。その背を見送ることなく、アンナはリタへと視線を戻した。と、同時にリタと目があう。どうやら水やりを終えたらしい。


「ねえ、アンナ。今、そこにロルフいなかった?」

「はい。リタ様に御用があったようで」

「え。急いで追いかけたら間に合うかな?」

「いえ、私が言付かっているので、その必要はありませんよ」

「そっか。ロルフはなんて?」

「ハンドクリームを二名分購入したい、と」

「二名分ね! わかった」


 リタが作ったハンドクリームの効果はこの屋敷にいる皆が知っている。最初、皆お金を払うから定期購入したいといいリタに詰め寄ったため、ロルフが仲介役を担うこととなったのだ。リタはアンナの言葉を疑うことなく、調剤小屋へと入っていく。アンナも後に続こうとして、途中で護衛騎士にだけ見えるように、三本指を立てた。意味は、『護衛を三人に増やせ』だ。

 最近、というかリタが万能解毒剤と新しい粉状の傷薬の調剤に成功してから、招いてもいない客がたびたび訪れるようになった。正規ルートでの訪問依頼はすべてアルフレードが断っているが、それに納得をしない者たちはギーゼラのように強引に屋敷に押し入ろうとしたり、調剤小屋へ忍び込もうとしたりするのだ。

 こうなることを見越してアルフレードが手を打っていたおかげで、今のところリタにはバレていない。が、これが長く続くようなら時間の問題ではある。アルフレードも次の手を講じなければならないと言っていた。


 アンナは護衛騎士が頷き返したのを見てから、調剤小屋へと入った。彼らを信用しているが、最後の砦は自分、気は抜けない。

 小屋の周りでは、表面上は平穏でも水面下では激しい情報戦が展開されていた。

 騎士たちは屋敷の周囲、特にリタの調剤小屋が見える高台や、敷地の裏手にある森の境に、人の気配がないか絶えず目を光らせている。アルフレードの指示は徹底しており、いかなる接触も許すな、というものだ。騎士たちは、自分たちがこの王国の未来の希望を守っているという自負のもと、冷たい汗を流しながら任務にあたっていた。


「ん? ヴェルデ?」


 ハンドクリームを陶器製の薬壺に詰め替えていたリタが、驚いたように一点を見つめている。その視線の先にはどこかで見たことのあるような気がする緑色の鳥。ちらりと窓と扉を確認するが、どちらも閉まっている。ということは、彼もまたリタの特別なお友達の一人(匹?)なのだろう。

 リタは真剣な顔でヴェルデを見つめ、頷いている。アンナは黙ってその様子を見守った。


 しばらくして、リタが青ざめた顔で「そんな……」と呟く。かと思えば、勢いよくアンナを見た。

「アンナ! 今から王城へ向かうわよ。用意して!」

「承知しました」


 すぐさまアンナも動き始める。外にいた護衛騎士の一人を走らせ、ロルフに先触れを頼む。

 宛名はアルフレードで。詳細がわからなくとも、主ならうまく対処してくれるだろう。

 急いでリタの外出準備を行う。次いで、自分も。なにが起きているかはわからないが、リタの様子からしてただ事ではないのは間違いない。万が一に備え、己もリタと共に馬車へと乗り込んだ。


 ◇


 リタがシルフからベッティオル皇国の皇城で起きたとある事件について聞かされてから数日後。ステファニアの元にも似たような内容が記された手紙が届いていた。差出人の名はアドルフォ。

 無駄なあいさつを省き、要件をまとめるとこうだ。


『母上が精神を病み、父上を刺したため、離宮で幽閉することとなった。父上の命は無事だが、意識はないまま。そのため、臣下会議により、私の即位が早まった。即位式は省き、すでに私が皇帝となっている。できるだけ早く各国に公表する予定だが、ステファニアには一足先に伝えておく』


 手紙を握るステファニアの手は震えていた。

 気づいていたのだ。数日前からダニエーレの手紙が届かなくなっていたことを。けれど、ステファニアは気にしていなかった。むしろ、安堵すらしていた。リタのことしか記されていない、代わり映えのしない手紙を受け取らないでいいことを。

 両親に危機が迫っていたというのに。


「お父様……お母様……。いったいなにが……」


 といいつつ、この事件の裏にはアドルフォがかかわっていることなど容易に想像できた。あの母がいくら嫉妬に燃えたとしても、己の地位を脅かすようなことをしでかすわけがない。嵌められたのか、それだけ冷静じゃない状態に追い込まれたのかどちらかだろう。

 父に関して言えば、自業自得。最近のあの様子なら父はすでに冷静ではなかったといえる。いわば、ねらい目だったのだ。


「動くなら今、その可能性に気づけたはずなのに……」


 アドルフォが真犯人だと確信している。けれど、その証拠がない。今ステファニアが声をあげたところで誰も信じてはくれないだろう。もともとステファニアは己の力を偽り、目立たないようにふるまっていたのだ。ベッティオル皇国でステファニアの意見をまともに聞いてくれる人なんて……思いついたのはマルコくらいだ。ペンを手に取る。明確な言葉は書かずとも、マルコなら読み取ってくれるだろう。そう信じて、文字を綴る。ほんの少しでもいい。なにか、情報が手に入れば……と思い、手紙をしたためた。それとは別に、アドルフォへ形式上の祝いの言葉を記した手紙も用意する。カモフラージュのため、クラウディオにも当たり障りのない手紙を書いて、送った。


 その足で、今度はアレッサンドロの元へと向かう。アドルフォの即位を伝えるため。そして、父が意識不明で、母が離宮に幽閉されたということも。


「そうか、お父上とお母上が……。それで、アドルフォ皇太子殿下が皇帝に。ステファニア、大丈夫か」

「アレッサンドロ……」

「手が、震えている。……冷たいな」


 アレッサンドロがステファニアの手を握る。指摘され、初めて気づいた。自分が思いのほか動揺していることに。アレッサンドロから抱きしめられる。


「アレッ、サンドロ?」


 こうして誰かに抱きしめられるのは初めてだった。驚いて、息が詰まる。


「大丈夫だ。大丈夫。俺がついている」

「……っ」


 根拠もない言葉なのに、なぜかステファニアの心は励まされた気がした。アレッサンドロの背中へと手を回す。――温かい。不思議と……安心する。


 いつまでもこのままでいたい。そう思った時、「……ステファニア」とアレッサンドロの低い声が頭上で響いた。その声には、彼女と同じほどの動揺と、それを抑えつけようとする強い責任感が滲んでいた。ステファニアの体が強張ると同時に、アレッサンドロの腕の力も強まった。


「この件は、今後のボナパルト王国の外交にも影響を及ぼす可能性が高い。我々は、ベッティオル皇国の内情には深入りできないが……できる限り調べ、その内容によっては備えなければならない」

「それ、は……でも、危険な」

「わかっている。わかっているが……ステファニア。俺は君を妻にすると決めた」

「え」

「だから、止めてくれるな。そして、ステファニア。これ以上一人で無理はしないでほしい。俺を頼れ」

「アレッサンドロ……」


 彼の言葉には、まるですべてを知っていたかのような響きがあった。冷静な部分が、その違和感について考えようとする。が、それを押しのけ、ステファニアは彼の甘い言葉にのる道を選んだ。

 ――もう、いいでしょう? 認めましょう。彼に惹かれていることを。たとえ、この選択でアドルフォお兄様と敵対することになったとしても。当初の計画ではすべてを捨てて、逃げるつもりだったけど……今の私には守りたい人がいるんだもの。

 リタの顔が頭の中に浮かぶ。今までは逃げるのが精一杯だと思っていた。それは、私が独りだったから。でも、今はアレッサンドロがいる。それに、リタにかかわることならアルフレードも協力してくれるだろう。もしかしたら、国王夫妻も。であれば、勝算はある。希望が見えた気がした。


 しかし、それから数日経っても返ってこないマルコやクラウディオからの手紙の返事に、ステファニアの焦りは募ることとなる。


 ◇


 ベッティオル皇国の第一皇子クラウディオは、鎧を身に着け、馬上にいた。空は曇り。雨の気配も漂っている。早く出発した方がいいか、と空を見上げていると、「兄上!」とマルコが駆け寄ってきた。クラウディオの側には数人の騎士がいる。いつも人がいるところには顔を出さないやつが……と驚く。


「あ、あ兄上! こ、これを! き、気をつけて」

 両手で差し出してきた小袋を受け取る。

「お、おう。お前もな。で、これは?」

「あ、後で開けてください! ひ、ひとりの時に」

「わかったわかった。後でな。っていうか、おまえ大きな声も出せんじゃねえか」

「い、いえ、わっ」


 小袋を鎧の下へとしまい、マルコの頭をくしゃくしゃと撫でる。髪を乱されたマルコは慌てている。こうして触れ合うのはいつぶりだろうか。と柄にもなくクラウディオは感傷的になりながらも、マルコに見送られ、出立した。


「……結局、アドルフォは顔も見せなかったな」


 想定内だが、面白くはない。なにせ、クラウディオに辺境行きを命令したのはアドルフォだ。

 ボナパルト王国との国境付近で盗賊が好き放題している。その問題を解決するために、という名目でクラウディオと騎士団から騎士が数名派遣されることとなった。それが体のいい追放だということを、普段頭を使うのが苦手なクラウディオも理解している。そして、マルコを側に置いているのはアドルフォにとってなにかしらの使い道があるからだろう。そうでなければ、ダニエーレやアデライデのように処理されていたはずだ。

 根拠はない。が、クラウディオの勘はそういっていた。


 とりあえず目指すは辺境伯の領地。それまでの道中。休憩の際に、クラウディオはマルコに言われたとおり、ひとりになれる時間を作った。マルコから渡された小袋を開ける。その中には小瓶が数個と折りたたまれた紙が一つ、そして封筒が一つあった。折りたたまれた紙を開く、そこにはマルコが筆を執ったにしては異様に乱れた文字が並んでいた。その文を読むだけで、末の弟がどれほどの恐怖と葛藤の中でこれを書いたのかがわかった。想像するだけで胸が締め付けられる。同時に、マルコをいいように利用しているアドルフォへの怒り、それに気づきもしなかった自分への怒りも募っていく。今すぐに城へと引き返したい。が、それはできない。その理由もここには書かれている。託されたマルコからの願い。


「マルコ……待ってろよ」


 クラウディオは小袋を懐の中にしまい直し、高ぶった気持ちを落ち着かせるために深呼吸をした。

 そして、他の騎士たちが休憩しているところへ、何食わぬ顔で戻る。


「おーい。おまえら、そろそろ行くぞー」


 全員が馬に乗ったのを確認し、出発する。辺境伯領までまだ距離はあるが、馬で移動している分、馬車で移動するよりも早く着く。日が沈みかけているのは気になるところだが、ここで止まるわけにはいかない。せめて、この森を抜けたい……と考えているところで、クラウディオは殺気を感じた。


「ちっ」


 後ろから「うわっ!」という叫び声が聞こえ、次いで落馬した音も聞こえてきた。ちらっと後ろを振り向けば、最後尾の馬が暴れていた。馬の体には数本の矢が刺さっている。そして、そのもっと後ろには馬に乗り、弓をかまえている黒づくめの者たちがいた。

 こちらの武器は剣のみ。分が悪い。クラウディオは、号令をかけ、このまま森を走り抜けることにした。けれど、ひとり、またひとりと脱落していく。森を抜ける前に、クラウディオは一人になった。


 ――このままではまずい。一度、どこかで馬から降り、待ち伏せして倒すべきか。


 相手は複数人いるが、接近戦に持ち込むことさえできれば勝てる自信がクラウディオにはあった。とにかく馬を走らせ、距離をとる。そして、相手の姿が視認できなくなったあたりで、馬から降り、近くの木陰に身を潜ませた。静かな森の中に、馬の呼吸音だけが響いている。

 しばらくして、複数の馬の足音が聞こえてきた。相手の人数を冷静に数える。相手は、三人。勝てる。と判断し、クラウディオは手にした小型ナイフを彼らの乗っている馬に向かって投げつけた。

 敵は急いで飛び降りたが、馬はひとしきり暴れた後、沈黙した。先ほど投げたナイフの刃先にはマルコからもらった小袋に入っていた取り扱い注意の毒薬を塗ってある。その効果に内心驚きながらも、クラウディオは音を立てず敵に近づけるところまで近づき、そして一気に距離を詰めた。剣で的確に相手の急所を突く。まずは一人目。二人目が弓を引こうとしたのを見て、すかさず一人目を盾替わりにする。狼狽えた二人目に突撃し、容赦なく切り捨てる。残ったもう一人は弓を捨て、小型ナイフで襲ってきたが、それを剣で防ぎ、相手の肩に突き刺した。


「ぐああっ」

「さあ、残っているのはおまえだけだぞ。吐け、誰の命令だ?」


 返ってくる答えをわかっていながら尋ねる。「どうせ、アドルフォだろう?」と思いつつも、その根拠がないため、相手が吐くのを待つしかない。なかなか口を開こうとしない相手の肩に、さらに深く剣を刺す。


「ぐぁっ」

「言え、言えば命だけは助けてやるぞ」

「っ」


 クラウディオの本気を悟ったのか、黒づくめが口を開こうとする。その時、後ろから複数の馬の足音が聞こえてきた。――増援か?!

 警戒しながらもクラウディオはばっと後ろを振り向く。

「おまえは……」

 突然現れた集団の先頭にいた人物を見て、驚きで目を見開いた。

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