リタはアルと共に急遽ステファニアを見舞う
前日の衝撃的な事件から一夜明け、リタとアルフレードは医局を訪れていた。宮廷医師がリタとの対話を強く望んだためだ。リタはその申し出を二つ返事で快諾した。ただし、医局の見学と、アルフレードの同行を条件にして。
――アルがいないと、話しちゃいけないことまで話してしまいそうだもん。
今のリタは、自分の常識がここでは通用しないことを知っている。ただ、それがどの程度非常識なのか、どこまでが常識なのか、についてはまだ把握しきれていなかった。だからこそのアルフレード。彼もまた、リタを一人で行かせれば何かが起こると考えているのか、当然のように自分もついていく方向で話を進めた。
城内にある医局。そこには宮廷(主任)医師を筆頭に、助手が三人、見習い医師が数名、薬剤師が数名いるらしい。薬草畑もそこで管理していると聞いて、リタは少しばかり楽しみにしていた。
「すごい」
目の前に広がる大きな畑を前に、リタは圧倒された。リタが育てている家庭菜園のような小さな畑とは全く違う。きれいに種類別に区分けされ、管理されている。一つの区画でいったい何十人分の薬草が摘めるのか。
医局を束ねる宮廷医師から許可をもらい、リタはしゃがみこんで土を触る。
――うん。土もふかふか。薬草も元気いっぱいでいい感じ。
でも、リタが育てている薬草とは少し違う気がした。
リタが育てているものが『エネルギーが有り余っているわんぱくっ子』だとしたら、ここにある薬草たちは『きちんとしつけられたまじめっ子』だ。ただ、どちらもいい子たちなのは間違いない。
しばらく見た後、リタは満足げな顔で立ち上がった。
「もうよろしいのですか?」
「はい、十分です。ありがとうございました。すごく素敵な薬草畑ですね!」
にこにこ笑顔で告げたリタ。近くで聞き耳を立てていた見習い医師や薬剤師たちが、ホッとしたような表情を浮かべる。宮廷医師も満足そうに、「それでは、薬管理室を案内します」と次の場所へと促した。
薬管理室もこれまた見事だった。清潔に保たれた部屋に、薬や薬の材料となるものが適切に管理されている。その数もすごく、なのにどこになにが置いてあるのかが一目瞭然でわかるのも良い。次に見たのは調剤室。この場所に関してはリタの調剤室とたいして変わりないが、それでも道具の量には驚いた。
一通り見終わったリタたちは、最後に宮廷医師専用の執務室へと通された。王族の専属医である彼の部屋には貴重な資料も置いてあり、そこには患者のカルテもあった。皆がひとまず応接用ソファーへと座ると、宮廷医師はおもむろに鍵付きの棚から一枚のカルテを引っ張り出した。そのカルテに記載されている名前は『ステファニア』。どうやら昨日の事件について聞きたいことがあるらしい。
話せることはすべて話したつもりなのだが、とリタは首をかしげる。
宮廷医師はカルテの一点を示した。
「お聞きしたいのは、この麻痺毒に使われた、センガオについてなのですが、どうしてこれが使われたとすぐにわかったのでしょうか?」
その言葉にアルフレードの眉間に皺が寄る。
「それはつまり、貴様もリタが怪しいと言いたいのか?」
「い、いえ違います! そうではなくっ、あ、あの」
慌てて首を横に振る宮廷医師だが、アルフレードの冷え冷えとした視線を受け、顔色をなくし、口を閉ざしてしまった。美人の怒った顔は怖い。というのを目の前で見るのはこれで何度目か。リタは嘆息して、隣のアルフレードの膝をぱしっとたたいた。
「アル。ちょっと黙ってて」
「……」
リタにじろっと睨まれ、アルフレードは不機嫌なままながらもそれ以上は口を挟まないと態度で示した。この場にいる全員が目を丸くしながらも、リタが口を開くまで無言を貫く。
「宮廷医師様は、『香り高いワインの中にほぼ無臭とされているセンガオが含まれていることに、なぜすぐ気づけたのか』その理由を知りたいんですよね?」
「は、はい。そうです! センガオは香りがほぼないことで知られています。それなのにリタ様はすぐに、しかもワインを口にはせずに気づいたとお聞きしました。いったいどうやって?! と気になって仕方なかったのです」
アルフレードに弁解するように必死に理由を告げる宮廷医師。彼の気持ちが手に取るようにわかるので、リタも「うんうん」と頷き返した。
「たしかに香りはほぼありませんが、あくまでほぼです。よく嗅げばあります」
「え、ええ。それは知っていますが。ただ、嗅ぎ分けるのはかなり難しいはずです。それに、ずっと嗅いでいると体に悪影響も……」
「はい。ですが、私の鼻はそれを瞬時に嗅ぎ分けることができるんです」
そう言ってリタは己の鼻を指さした。
「私、鼻には少しばかり自信があるんです。それはたぶん……私の暮らしていた生活環境が影響しているんだと思いますが……」
「生活環境」
「はい。私が以前住んでいた村はかなり辺鄙なところにあって、森に囲まれていました。その森には薬や毒になる草花が多種多様に生えていて、中には触れるだけで皮膚がただれるものや、嗅ぐだけで幻覚を見る、という危ないものもありました。おそらく、私はその危ない森に幼いころから入っていたため、自然と目や鼻で危険なものを見分ける力が身についたんだと思います」
アルフレードが隣でぎょっとした顔をしているが、安心してほしい。そういう危険な草花は、人が通る道にはなかったから。
アルフレードが呟く。
「そういえば……湖の近くには薬草の群生地があったな。ほかにも、私が知らない植物もあった気がする」
宮廷医師は興味深そうに「ほお」と声を漏らす。
「それは一度行ってみたいですね」
「いえ、それはやめておいた方がいいかと。あの場所は本当に危険ですし、あそこはベッティオル皇国になりますから」
「ああ。そうでしたね」
リタがベッティオル皇国の者だと思い出したのか、宮廷医師が肩を落とす。ステファニアのことがあったばかりで、辺鄙な村とはいえ毒草を調べるために入国させてくれとは言い難いだろう。
「とにかく、今の話を聞いてリタ様が腕利きの薬師と言われている片鱗が見えた気がします」
「え?」
「やはり、知識を詰め込むだけではダメですね。経験を積まなければ……」
「はは、まあ、そうですね。麻痺薬程度なら私も作って使ったこともありますし」
宮廷医師は一瞬警戒の色を浮かべるが、リタの「はい。動物相手にですけど」という一言で安堵したように肩の力を抜いた。
「間違って獲物以外が口にした時には、解毒薬を飲ませました。無駄な殺生はしたくありませんから」
「なるほど、動物相手の臨床経験はあったと」と感心している医師だが、隣のアルフレードは「解毒薬を野生動物に飲ませるという話を、すんなり飲み込むな!」と内心でツッコミを入れていた。
その異様さは、本物の野生動物と対峙したことのない者たちには理解できないだろう。
◇
医局を出たリタたちを待っていたのは、近衛騎士。どうしたのかと思えば、意識を取り戻したステファニア皇女がリタに会って感謝を述べたいと言っているらしい。断れるわけもなく、リタとアルフレードは近衛騎士の案内に従い、彼女の寝室へと向かった。
――応接室でもなく、寝室ってことはまだ具合が悪いのかな。
近衛騎士が入室許可を取り、扉を開く。リタは少し身構えながら、アルフレードに続いて部屋へと入った。
「よくきてくれたな! ふたりとも」
出迎えてくれたのはアレッサンドロ。まさかの人物に驚き、ホッとした。
「あ、あの、これ」
リタが差し出したのは、先ほど慌てて医局で譲ってもらった花をまとめたもの。
「ん? おお! 花か! 彼女も喜ぶはずだ。リタが直接渡してやるといい」
内心「え゛」と思いながらも、促されるままベッドで上半身だけを起こしている女性の元へと歩みを進めた。
「こ、皇女様。ご加減はいかがですか?」
「リタ、きてくれたのね。私ならもう大丈夫よ。それよりこんな格好でごめんなさいね」
「いいえ。まだ本調子ではないのなら無理はなさらないでください」
ステファニアがベッドから降りようとするのを、リタはすかさず止める。
いつもはしっかりと髪をまとめ、きれいに整えているステファニア。だが、今日は髪をおろしている。服装も病人らしくシンプルなもの。普段とは全く違う装いだ。そのおかげか今日は皇族らしいオーラが幾分か和らぎ、親しみやすささえも感じる。
リタはじっとステファニアを診た。
――パッと見、顔色は大丈夫そうだけど……まだ宮廷医師の許可が下りていないのなら安静にしておくべきだ。
先ほど会ったまじめそうな宮廷医師の顔を思い浮かべる。
彼の見立てなら間違いないだろう。
「あ! それよりも、これを」
花束を差し出す。
急なお誘いとはいえ、見舞いになにも持っていかないのは……と思い、慌てて医局で分けてもらったのだ。選んだのはリタ。
控えていたメイドがさっと花束を受け取ろうとしたのをステファニアが制し、直接受け取る。
「ありがとう。きれいね。それにいい香り」
「あ、はい。皇女様にはまだまだ休息が必要かと思い、安眠効果がある花を中心にまとめました」
「……あなたが選んでくれたの?」
「はい! ……皇女様?」
「あ、いえ、そこまで考えてきてくれたと思わなくて……」
「そういえばリタは薬師だったな! 花にも詳しいのか」
アレッサンドロの言葉に頷き返す。
「多少」
「あ、そうだわ。リタのおかげで私はすぐに助かったと聞いたわ。改めて感謝を。ありがとう」
「いえ!」
頭を下げようとするステファニアを慌てて止める。
「私は当然のことをしたまでです! あの場で一番早く動けたのが私だっただけで……」
「いいえ。あの場ですぐに対処してくれたからこそ、私は後遺症も残らずにすんだと聞いたわ。たしかにあの毒は命を取るものではなかったけれど、体は弱り、最悪麻痺が残ることもあったと……」
ステファニアの言葉にアレッサンドロとアルフレードが続く。
「ダゴファ―伯爵としてはそれが狙いだったんだろうな。いくら皇女とはいえ、体が弱れば王太子妃として迎えいれるのは難しくなる。もし、迎え入れたとしても側室としてギーゼラを娶らせるつもりだったんだろう」
「だと思います。そして、その罪をリタにかぶせることで、第二王子派の勢力をも弱めることができる……はずだった」
「でも、そのすべてをリタが解決してくれたわ」
そんな功績を上げたつもりはないリタは気まずげに空笑いをこぼす。
――いや、あれはみんなのおかげだから。
「そうなんだよな。だから、褒美をやると言ったのに、リタはなにもいらないと言うし」
「まあ! リタどうして?」
「どうしてと言われましても、特にほしいものがないので……」
「お金は? 爵位は?」
「どれも特には……」
莫大な金額をもらっても扱いに困るし、小遣い程度なら最近契約した仕事で事足りる。なんならその金額ですら多いくらいだ、と思う。爵位など、もっての外。
そう考えているリタの思いを見抜いたかのように、ステファニアは首を横に振った。
「リタ。それはダメよ」
「え?」
「たしかに、分不相応のものをもらう時には辞退するべきだと思うわ。けれど、相応の褒美はきちんと受け取るべき、それが礼儀なの」
「え? そ、そうなんですか?」
「ええ。そういうものなの。特に身分が上のものからもらう時にはね」
「……」
困ったようにアルフレードを見る。が、アルフレードはたしかにそれも一理ある。と、頷いた。
「わ、わかりました。でも、本当に欲しいものがなくて」
「なら、私が代わりに考えてあげるわ。私の恩人でもあるんだし、いいわよね?」
「ああ」とアレッサンドロが頷き返す。
「そうと決まれば、リタ。一緒にドレスや宝石を選びましょう?」
「ドレスや宝石?! それならもうたくさん持っているから必要ありませ……」
「だめよ! 全然足りないわ。リタは正式にアルフレード王子の婚約者になったのよ。これから第二王子の婚約者として他国との交流の場にも顔を出すことが出てくるかもしれないでしょう。その時に備えて用意しておかないと。私なら、いろいろとアドバイスもできるわ」
アルフレードが慌てて待ったをかけた。
「気持ちはありがたいですが、もともと私は外交しない主義でして」
そんなアルフレードに鋭い視線を向けるステファニア。
「それは今まででしょう。この先はわからないわ。それに、持っていて損はないはずよ。なにより、リタはもともとシュヴァルツァー皇国の民。ならば、わが国としても彼女には相応の格好をしてもらいたいわ」
「わかってくれるわね?」とステファニアに言われ、リタは思わずうなずき返してしまった。
「リタもいいと言ってくれたし、決定ね。楽しみだわ」
嬉しそうにほほ笑むステファニアに、苦笑するリタ。
「でも、その前に皇女様はしっかりやすんでくださいね」
「あら、言ったでしょう。私はもう大丈夫って」
「だめですよ。宮廷医師がいいと言うまでは、安静にしておいてください。毒や症状はなくなっても、倦怠感が続いたり、後遺症が後から出てくることもあるんですから」
「それは……でもこれくらいなら」
「だめです! 完治するまではドレスや宝石の件もなしです。私、絶対に受け取りませんから!」
「そんなっ」
「そんな、ではありません! そこのメイドの人!」
「は、はい!」
「皇女様が無理しそうになったら、すぐに……そうですねアレッサンドロ様に報告してください。その時は、アレッサンドロ様はきちんとステファニア様に注意してくださいね。これは薬師としての言葉です。あ、でも宮廷医師がもういいと言ったら、いいです」
皇女相手に言いたいことを言い終え、すっきり顔のリタ。いつの間にか緊張は解けていた。皆呆けた顔でリタを見ている。最初にぷっと噴出したのはアルフレード。
「さすがリタだ。私の時にも遠慮なかったもんな。ステファニア皇女。リタの言葉は聞いていた方がいいですよ。リタはしつこいからですね」
「当たり前です。病人は安静が一番!」
「病人……」
ステファニアがぽつりとつぶやく。それに対してリタは力強く頷き返す。
「そうですよ。今の皇女様は病人です。……そりゃあ、皇族としてはたとえ体がつらくとも動かないといけない時っていうのがあるのかもしれませんけど……今は違うでしょう?」
違いますよね? とじっと見つめるリタに、それはそのとおりだとステファニアが頷き返す。
「でしたら、ゆっくり寝てください」
「それは、元気になったら……いいのよね?」
「もちろんです。元気になったらドレスと宝石を選ぶ手伝いをしてください」
「約束よ」
「ええ。……では、私たちはもう行きますね」
花束をメイドに預け、ステファニアに横になるよう促す。
「見送りだけでも」
「いいですから。あたたかくして寝てください」
しっかりかけ布団をかけ直すリタ。ステファニアは驚いた表情を浮かべながらも、おとなしく言う通りに従っている。
「それでは」と出ていく二人。ステファニアの代わりに見送るアレッサンドロ。
二人が出て行った後、アレッサンドロはベッド横の椅子に腰かけた。そして、ステファニアを見て、ぎょっとする。
「ど、どうした?!」
「え?」
「な、なんで泣いてるんだ?!」
「泣いてる? 私が?」
頬に手を当ててみれば確かに泣いてる。ステファニアは驚いた。人前で涙を流す、いや、そもそも涙を流すこと自体いつぶりだろうか。
「どうした。調子が悪いのか? それともなにか嫌なことを俺が言ったか?」
「違うわ」
「じゃあ……」
「わからない。わからないけど、大丈夫よ。嫌な気分じゃないから」
「そうか」
微笑んだステファニアに、アレッサンドロは安堵する。
「リタはいい子ね」
「ああ。なんてたって、アルフが見つけてきた子だからな」
「ふふ。あなたって、本当にアルフレード王子が好きなのね」
「それはそうだろう! 俺の大切な兄弟なんだからな」
「大切な兄弟……そう。そうよね」
ステファニアは天井をじっと見つめる。脳裏に浮かぶ兄弟。
――私にはアレッサンドロのように胸を張ってそう呼ぶことはできない。
でも、もし、もしも彼女が……いや、これ以上は考えるのはやめておこう。と、ステファニアは目を閉じた。




