61話
――「……」
加藤は水流で造り上げた城の中から、猿に追われ、殺され、逃げ惑う人間達を見ていた。
「――ッ!っ!――ッ」
城壁一枚隔てた目の前で、助けを求める最後の人間達が自分を見て叫んでいる。
「……すみません。今は維持するので、精一杯なんです」
本校舎丸ごと守護した上に、全方位からの魔法攻撃に耐えているのが現状。
いくら加藤と言えども、無理なリスクを犯し穴を開ける事はできなかった。
加藤は目の前で叫ぶ人達に向かって、頭を下げる。
聞こえていないのを承知で、謝る。
「――っ‼︎――ッ、っ⁉︎――‼︎‼︎」
その謝罪の意味も、理由も理解できない彼等は、次の瞬間には猿達に群がられ撲殺されていく。
今まで何度も見た景色。今まで何度もした経験。今更心が軋む事はない。
ただ、加藤はその光景からそっと目を逸らした。
「加藤さん、平気ですか?」
そんな彼に、AMSCUの隊員が声を掛ける。
置いていかれた彦根隊の隊員達は、現在負傷者の手当や外側の警戒に専念していた。
「はい。何とか」
「……失礼を承知で伺いますが、あと何分持ちますか?」
「そうですね、……十五分、といったところでしょうか」
加藤は額の汗を拭い、笑って答える。
「短いですか?」
「……はい。正直短いです」
苦笑する加藤に、隊員も苦笑して返す。
希望的観測を言える境界線は、疾うに超えてしまっているのだ。的確な状況の把握が出来ているからこそ、二人は笑えてしまう。
「各隊長が散ってしまっている以上、現状の打開は厳しいかと」
「ええ。十五分以内に彼等が戻れるとも思えませんしね」
八方塞がりの現状に二人が嘆いていると、
「私でよろしければ、いくらでも力になりますよ」
腕に包帯を巻く新が、笑いながら歩いてきた。
「新さん、お怪我は?」
「この程度かすり傷ですよ。……あの時に比べれば」
新の表情が強張る。
「あの時?」
「いえ、何でもありません。私より加藤さんですよ。こんな鉄壁維持し続けて、大丈夫なんですか?」
「今のところは、ですね」
新が尊敬の眼差しで頭を下げる。
「すみません。加藤さん一人に負担を押し付けてしまって」
「なんのなんの。これしきでへこたれる様な柔な筋肉はしてませんよ」
加藤が上腕二頭筋を盛り上がらせ、笑いを誘う。
それから二分ほど。三人で打開策を練っていた、
その時、
「「――っ」」
新と加藤の二人が同時に遠方に目をやった。
「……何だ?」
「猿の魔力では、ないですね」
大学の敷地の外、トレントの茂みの、その奥。爆発的に上昇す魔力が、途轍もない速度で迫ってくる。
二人が警戒に目を細めた、瞬間。
「……ゴ?」
林から飛んできた何かが、大学内を蹂躙していたゴリラの足元に落ちた。
それは、白目を剥き、舌をダラリと垂らしたワーウルフの生首。
「――ガルルルッ」
「――ゥグルルルッ‼︎」
続いて二匹のワーウルフが大学内に転がり込み、同方向を唸りながら睨む。
視線の先は、林の影、暗がりに覗く、黄色の双眸。
ゆっくりと姿を現すその者の体躯は二mを超え、地を踏みしめる二足には万物を切り裂く爪が剥き出しになっている。
「フゥゥゥルルルッ」
ワーウルフに似た姿形をしながらも、決定的なまでに違う生物としての格。
銀色の体毛は荘厳さを讃え、しなやかな筋肉は美を象徴する。
威厳たる牙が愚狼を引っさげ、今、地獄の中心へと帰還した。
「新手、でしょうか?」
彼の狼犬が放つ只ならぬオーラに、加藤が警戒をマックスにする中、隊員は安心したように一息つく。
「いえ、あれは我々の総隊長、亜門 誠一郎です」
「なんと……あれが、」
(……凄い圧だ)
加藤と新の両名、優しく真面目そうな亜門の顔を思い浮かべ、銀狼と重ねる。
((……面影もない))
ワーウルフの死体をぶらぶらと口から下げる彼には、変身前の面影など微塵も感じられない。
理知的で堅実な人間モードとは打って変わり、そこに見えるのは隠す気のない暴力性と狩の本能。
咥えていたワーウルフを放り投げた亜門は、地面に四足をつけ、一匹の獣の様に眼前の敵を睨みつける。
しかし次に彼の口から出た声は、音ではなく言葉であった。
「やれ」
瞬間、発砲音。
同時に亜門が地面を蹴り抜き風となる。
長距離からのライフル弾に気を取られたワーウルフは、接近し腕を広げる亜門に反応できない。
彼の両手が二匹の首を――
「――ふんッ」
「オギョエっ」「ウバぎゅッ」
捕らえ、握り潰し、地面に叩きつけ、小さなクレーターを作った。
土煙の下から現れるのは、首の太さが十分の一程になった駄犬の残骸。
亜門はそれ等を無視し、無線に手を当てる。
「各員、一発ごとに場所を変えろ。敵に場所を悟られるな」
『『『了解』』』
命令の後、彼は跳躍して加藤の目の前に降り立つ。
「到着遅れて申し訳ない。報告を頼む」
「ハっ。民間人は三割を保護、七割が消失。自衛隊の残存戦力は、隊長を除いた彦根隊の我々二十名のみ。この防壁はあと十五分が限度です」
「了解。彦根は何処に行った?」
「転移を利用して敵の懐に潜り込んだのかと。隊長が敵の策略に嵌るとは思いません」
「同意だな。……あいつ、また勝手なことをっ。ゥルルルル」
亜門は返事のない無線から手を離し唸る。そして集まってきた大量の敵を一睨みし、今度は加藤を見た。
「加藤殿、感謝を。それと後少し、我々を助けて欲しい」
「勿論です。私に出来る事なら何でも」
迷いもせずに助力を願い出る加藤に、亜門は牙を剥き出し微笑む。
城壁に背を向け、警戒するゴリラに毛を逆立てた。
「今から私がこの場を掻き乱します。機を見て水のトンネルを造り、彼等を逃して下さいッ」
「ゴァッ!ブフっ」
「ホォオッ」「ゴルァ」
亜門は突撃してきたゴリラの拳を躱しざま、カウンターで腕を滑り込ませ心臓を貫く。
その手で二匹目の蹴りを掴み、コケたゴリラの顔面を踏み潰す。
と同時に三匹目が放った火球に、腕に突き刺さったままのゴリラを盾にして急接近、仰反るゴリラの首を掻っ捌いた。
一瞬で三匹の同胞が殺やれるのを見たゴリラは再度足を止め、猿は後ずさる。
亜門は爪の血を飛ばし、加藤に振り向いた。
「出来ますか?」
無理とは言わせぬ黄色の瞳。加藤は笑って両手を挙げた。
「ははっ、やってみせますよ」
「頼もしい!」
そう言い残し、銀狼は敵軍の中心へと跳躍した。
――「……凄い」
誰かが呟いた。
運よく校舎の中に避難できた者は皆例外なく、窓を開け身を乗り出し、手に汗を握り、携帯を向け、外で戦う一匹の人狼を眺めていた。
彼は目で追うのもやっとのスピードで地を駆けながら、ゴリラの首を狩り取り、ついでで猿を蹂躙していく。
今まで自分達を笑いながら殺していた畜生共が、怖気付き、逃げ出し、血を吹いている。
数秒で場を制した亜門という男が、そんな彼等には救世主に見えた事だろう。
「っがんばれーーーっ‼︎」「ッいけーーー‼︎」「殺っちまえーーー‼︎」「そこだ!」
「負けるなーー‼︎」「左だ!」「右だ!」「すげぇっ‼︎」「頑張れっ‼︎」
「これが日本の力じゃァアアアっ‼︎」
一人の子供の応援を皮切りに、全員が一斉に溜まっていたモノを吐き出した。
一丸となった声援の爆弾は床を軋ませ、校舎を揺らす。
逃げる事しかできなかった彼等は、怒りを、苦しみを、悔しさを、悲しみを、激励に乗せ、彼に託した。
――「ん?」
猿を踏み潰し、右手には顔面を握り潰したゴリラ、左手には白目を剥くゴリラの生首を持ち、口で暴れる猿を噛み千切った亜門が、三角耳をピンと立て校舎の方を見る。
水の城壁で遮られ、か細くなってしまった音の糸。
しかし亜門は、自分に向けられた人々の意思を、獣の叫び声の中からしっかりと拾いとった。
「フゥゥゥルルルッ」
牙を剥き出し獰猛に笑う亜門は、所々赤く染まった体毛を逆立たせ、手に持っていたゴミを投げ捨てる。
真っ赤な地面に二足で起立し、己の存在を、強さを、天に向けて主張した。
「アォオオオオオンッッ‼︎」
「「「「「「うぉおおおおおおおおおッ‼︎‼︎‼︎」」」」」」
三時の方向から襲いくる拳をするりと躱し首を裂き、九時から迫る拳をサイドステップで躱し振り向きざまに首を裂く。
六時からの飛び蹴りを掴み、十二時から総射された魔法にぶち当てた。
濛々と立ち登る砂血煙を低姿勢で突き破り、両の鋭爪を開く。
「アビゃっ」「ウギっ」「ガァっ」「ンガっ」「ギヒっ」「ウギャっ」「ヒギィっ」「アベっ」「ゴァっ」「ンゴブっ」「ゴベっ」「バギュっ」「ボベっ」「ノバっ」「バキュっ」「んガァっ」「ホギャァっ」――
障害物を全て蹴散らし、惨殺する一匹の銀狼を、誰も止めることができない。
拳は躱され、魔法は当たらず、次の瞬間には例外なく自身の首が血を吹いている。
ゴリラは恐怖し、猿は逃げ出した。
同じ獣の形をしているが故に、忘れていた摂理をまざまざと突き付けられる。
弱肉強食。
それは無法地帯に於いて、何事にも優先される世の摂理。
群として常に特区の強者であったゴリラ達は、この日初めて、対処のしようが無い獣に出会った。
ノリでYouTube上げたから見てw




