56話
「ヲルルル!」
白衣は屋上に広がる惨状を視界に入れ、目を輝かせた。
十以上いた部下も、今や残り四だけ。先に突っ込んだ三匹は、見えない敵を恐れ前に出れないでいた。
(……あいつか)
朧は白衣の隣にいるゴリラに目を移す。
そいつからは自分と同系統の魔力を感知できる。恐らく、妨害電波を出しているのはあの個体だ。
あれを狩れば、まさへの連絡手段が確立する。
朧は体勢を低くし、躊躇わずに跳躍。
左から右へとマチェットを振り抜いた。
寸分違わず、雷ゴリラの首に刃が吸い込まれていく。
ゴリラは気づいていない。見えている者はいない。誰も反応できない。
――筈だった。
ギィィンッ
「――ッ⁉︎」
甲高い音を立て、必殺の凶刃が医療用のメスによって防がれた。
朧は驚愕するも、追撃を避けるため後方に飛び退く。
(……嘘だろ。偶然か?)
メスをひき此方を凝視する白衣は、雷ゴリラ含め全ての部下を下がらせ前に出てきた。
試しに歩いて場所を変えてみるも、しっかりと白衣の視線は自分を追ってくる。
間違いない。
(……見えてやがる)
だが何故、どうやって?Cellか?思考を巡らせる朧だが、そんな時間を敵が与えてくれる筈もない。
「――ヲルッ」
白衣がメスを投擲、同時に朧との距離を一瞬で詰め、懐から取り出したメスを振るった。
「――っ」
首を曲げて投擲を躱し、横から迫るメスにマチェットを構え、左手で刃の背を押さえ受け切る。
雷解を発動した状態の刃は、魔力を纏った鉄柱だろうと容易に切り裂く。本気で踏ん張れば、壊れるのは向こうの武器だ。
そう考えるがしかし、
「ヲルァッ」
「グっ」
強引に振り抜かれ、身体ごと弾き飛ばされた。
すぐに空中で体勢を立て直すも、投擲されたメスが眼前に迫る。
マチェットを振り下ろし弾こうとした、瞬間、
「なっ⁉︎クっ」
メスが空中で軌道を変え、左肩に突き刺さった。
着地後、嫌に痛む肩から刺さったメスを引き抜いた朧は、白衣が行使した魔法の絡繰を悟る。
「……チッ」
投擲されたメスの刃には、小さな旋風が渦巻いていた。
気持ちの悪い程静かな微風が、朧の頬を舐める。
白衣将軍の能力は、単純な風魔法だ。
単純に、脅威的な精度で支配された風魔法。
白衣は常に自分の周囲に風を呼び、魔法効果範囲内に入った生物の動きを、変化する風の流れで把握していた。
しかし最初、実験の途中は、その精度もそれこそ大まかに過ぎなかったのだ。
朧が白衣の実験を見ていた時、白衣はまだ侵入者がいるという事実にしか気付いていなかった。
それでいて、取るに足らないと捨て置いただけ。
そう。
朧はこの時この瞬間、白衣を刈るべきだったのだ。
そうしなければ、彼のアドバンテージが消え失せる。
朧は殺し過ぎた。自らの脅威を披露し過ぎた。自らの能力を晒し過ぎた。
故に、白衣は思った。
解剖したい、と。
知性ある生物の純粋な好奇心こそ、最も恐ろしい。
白衣は魔法範囲を縮小する代わりに、朧の周囲に限定して途轍もない程繊細な風の流れを作った。
姿も魔力も見えないのなら、その周りを明瞭にしてしまえばいい。
ぽっかりと空いたその場所にこそ、自分の求める宝があるのだから。
「ヲルァア!」
白衣は血走った目をギラつかせ、メスを両手に次の被験者に向けて地を蹴った。
「クソっ」
人体の急所、関節を狙って執拗に繰り出される連撃を、辛うじて弾き続ける。
はためく白衣の下には、メスのストックがズラリと並んでいる。在庫を切らせるのは無理そうだ。
そもメスを破壊することすら難しい。
風の鎧が、雷の刃の到達を防いでいるのだ。
朧はペルフェクシオンからメランジェに移行。魔力の温存を図った。
「――っ」
右、左の振り下ろしを外に弾き、そのまま下に半円を描き右の横薙ぎを弾く。
左の刺突を半身になって躱しながら、懐へ潜り込む。
構えたマチェットを振り抜こうとした、
瞬間、
「ヲッファ!」
「グっ」
バックステップと同時に半回転した白衣の後ろ蹴りが、クロスした朧の腕を撃ち抜いた。
地面から足が離れ、問答無用で押し飛ばされる。
眼前に迫るのは、投擲された二本のメス。
朧は不規則に動くメスから目を離さず、左太腿に取付けられたレザーケースに手を伸ばす。
そして軌道が変わった瞬間、逆手で引き抜いたサバイバルナイフを右上に、マチェット左下に振り下ろし二本同時にメスを弾き飛ばした。
衝撃を利用してバク宙、前傾姿勢で着地。
「――ッ」
「――ッ」
刹那、両者同時に床を踏み抜いた。
「――フゥッッッ」
右で振り下ろし、左で薙ぎ、右でカチ上げ、左でいなし、そのままメスの下をスライドさせ左で切り上げ、右で弾き、左で首を刈りにいき、顎下からの蹴りを躱し、飛来する二本のメスを弾き飛ばし、右で薙ぎ、左で逸らし、右の返す刃を振り抜き、左で打ち落とし、首を逸らし、身体を逸らし、左で切り上げ、右で弾く――
「――ヲォッッッ」
左で弾き、右で打ち払い、左で斬りつけ、右で突き刺し、左で弾き、右で薙ぎ、上体を逸らし刃を見送り、そのままバク転しつつ蹴り上げ、着地の寸前でメスを投擲、左で逸らし、右で斬りつけ、腹を切られる前に左で弾き、右で突き刺し、左で突き刺し、左で突き刺し、身体を逸らし、左で薙ぐ――
甲高い金属の衝突音が途切れる事なく響き渡り、青い火花がそこら中に撒き散らされる。
それは、二体の人外が織り成す攻防の残滓。
擦れば重症、当たれば致命の命のやり取り。
間に割って入ろうものなら、一瞬にして切り刻まれる即死空間。
四匹のゴリラと六人の人間は、圧倒的な二者を前に動けないでいた。
しかし先に我に返ったのはやはりゴリラ。
将軍の助けができないなら、あの人間供を始末しておこう。そう獣は考えた。
「ホッ」「ゴァッ」「ウルァッ」
雷ゴリラを除いた三匹が、一斉に地を跳ねる。
「「「「「「――っ⁉︎」」」」」」
「――っチッ」
「ヲホホァアッ」
朧はその状況を横目で確認。
左から迫る剛速の横薙ぎを右手を地面に着いて躱し、逆手に持ったサバイバルナイフの透過を解除した。
白衣は突如見えるようになった武器に困惑するも、追撃を入れようとする。
しかし、
「――ッ⁉︎ヲッ――」
その瞬間、白衣の全身に怖気が走った。
「『エステス』」
朧は肉食獣が獲物を狩る時の様な姿勢のまま、サバイバルナイフを振るう。
その一振りはあろう事か、魔力すら纏っていなかった。
叩けば折れそうな只の鉄屑、だがその一撃を前に、白衣は全力の回避行動を取った。
軌道予測線上には四匹のゴリラ。
まず一匹目とナイフの軌道が重なる。
「ゴ?」
胴体が焼き切れた。
二匹目。
「ヒュ」
首が焼き切れた。
三匹目。
「バ」
顔面が上下に焼き切れた。
四匹目。
「ゴ⁉︎ァアアアアアッ‼︎」
一匹離れていた雷ゴリラは、同胞が一瞬で両断される光景を遅々として知覚する。
見えない何かが迫っている。
第六感が爆音で警鐘を上げる中、雷ゴリラは妨害電波を残し全ての魔力を使い電磁バリアを張った。
そしてその行動は間違っていなかった。
バヂヂヂヂッッ‼︎
という激音と共に、ナイフから伸びる不可視の雷刀と電磁バリアが衝突する。
しかし拮抗したのも一瞬。
「――ッンゴ⁉︎」
朧がナイフを振り抜くと同時に、軌道上の物を全て切り飛ばし、バリアごと雷ゴリラを屋上の外に弾き飛ばした。
遅れて屋上の角が焼き切れて落下していく。
たったの一撃で、この場に残るゴリラが白衣ただ一匹となった。




