8話
§
「…………ははっ。……ぅえ、ぅぼぇっ……ふぅ、ふぅ……」
一連の戦闘を木の上から直視していた男は、衝突する埒外の魔力と殺気に晒され、落下した後胃の中の物をぶちまけていた。
彼女の質量を持った圧力に耐えられる生物は、キュクロプスと東条を除いてこの庭園の中にはいない。
異様な程の静けさが辺りを包んでいる。
生きとし生けるものが、息を殺し、命を潜めている。
「ぅっ、おぶぇっ……」
男は一凛の薔薇を思い出し、又も嘔吐く。
色々な死に目や死体を見てきたが、あれ程悪意に満ち、害意極まりない殺し方は初めて見た。
そしてそれを行ったのが、幼気な少女だという事も悍ましさに拍車をかけている。
何より、その横で笑顔で談笑している彼等が、怖くて、恐くて、仕方がない。
男は震える手で携帯を取り出し、今日何度目かの番号にかける。
『デカい音したけど、何かあったか?……おい……泣いてんのかお前?』
「もぅ怖いです。帰っていいですか?」
涙ながらに訴えるも、
『何情けないこと言ってんだ。報告』
「うぅ、はい」
聞き入れられることはない。
「あの二人、キュクロプスを殺しました」
携帯の奥から、少しだけ驚いた雰囲気が漏れた。
『……あの単眼の化物か。それはまた凄いな』
「凄いとか言うレベルじゃないですってっ。この数時間で、俺がここにいる理由無くなりましたからね」
『喜ばしいことだな』
「……まぁ、そうですけど」
良い方に捉えれば確かに、自分は今日を以てこの危険な仕事を引退できるだろう。
『で?どっちが殺ったんだ?二人でか?』
「……少女です。それも、五分とかかっていません」
『ハハっ』
「……笑い事じゃないですって。何なんですかあの二人、魔王か死神の類ですよ絶対」
男は、(見ていないから笑えるんだ)、と心の中で一人ごちる。
『そうだ。仕事の無くなったお前に新しい任務をやる』
「な、なんですか」
『その二人をここに連れてこい』
「俺の話聞いてました⁉」
予想外の任務内容に、身体中から冷汗が噴き出る。
『うるせぇな。さっきボスが帰ってきた。会いたいって言ってんだよ』
「嫌ですよ!殺されちゃいますよ!」
『……私がそこまで行って殺してやろうか?』
ドスの効いた声に、男の身体がビクりと固まる。慣れ親しんだ恐怖。
しかし先のものと比べれば、心地良ささえ感じる。自分が自分である限り、彼等の指示に背くことなど有り得ないのだ。
「……お母さんに有難うって言っといてください」
覚悟を決めた男は、綺麗な瞳で空を見上げた。
『やだよめんどくせぇ』
「最後の頼みくらい聞いて下さいよ!」
『うるせぇ奴だなぁ。ったく、あの二人はお前が思ってるような殺戮狂じゃないよ』
「やっぱり知ってたんですか!誰なんですか?」
『動画配信者だよ。巷じゃちょっとした有名人なんだと』
「は、配信者?……あ、だからカメラ」
『さっきから私も見てるけど、中々面白いぞ。ボスが会いたがるのも分かる』
この魔境を?娯楽の為に?
男の脳裏に、楽しそうな二人の姿が蘇る。
(あぁなるほど、狂ってるのか!)
現実逃避と理解の狭間で、男は納得した。
『とりあえずさっさと連れてこい。私が車で送ってくから場所はここでいい』
「はははっ、分かりました」
『死んだら言えよ。他の奴送るから』
「はははっ、死んだら言えませんよ。だって死んでるんだもの!はははっ」
『……キモイな」
一方的に切られた電話をしまい、清々しい笑みで歩き始める。狂ってる人間を相手にするなら、自分も狂ってしまえばいいのだ。
涙が零れそうになるのを必死に堪え、男は過去一番危険な任務に向かうのであった。
(泣きたいっ)
§




