105話 sideビートルバム おばあちゃん
「おばあちゃんが、いる?」
最近日が沈むと部屋にこもってばかりのヤマナミを心配して訪ねてきたウララが聞いたのは、そんな突拍子もない話だった。
ブラックジョークか何かかと思ってチャイを飲もうとしたが。
「とっっっっっっっっっても怖かったです」
ヤマナミのトーンはマジだった。
この前のお茶会から帰る時、薄暗い廊下の向こうに確かにいた。
老人ホームにいそうな車いすに乗ったおばあちゃん。
ブラウスの上に薄手のカーディガン着て、膝には毛布がかけられている。
四肢はだらんとして首には力がなく顔は上を向いている。
「え!?っと思ってもう一回見たらもういなかったですけど。大音量で音楽流して部屋戻って」
「見間違いじゃない?」
ビートル人は全員が高校生から大学生。雇っている異世界人の召使の中には年配の人もいるが、さすがに車椅子に乗った老婆は。
「そんな要介護者なんていないよ?途中で餓死しちゃう」
「んふっ。まあ、車いすを押している人はいなかったです」
そう言ってヤマナミもチャイを飲む。
甘い温かさが身体の芯に染みる。
「ところで、私以外とこんな感じでお茶会することあるんですか?」
「全然。ルナっぴはずっと事務仕事して、ユイコは兵隊管理、カリンちゃんはトラック乗ってる。あ、でもアンちゃんとはたまにする」
あったことない人がたくさん出てきた。それぞれチートを活かした役割があるのだろう。
出来るだけ早く全員と会っておかないと、私のチートは軍師的なんだから。そうヤマナミは思った。
「ていうか、ルナさんって事務作業してるんですか」
「そ。私もよく知らないけど、人事とか経理?みたいな」
「そんなの元ロンドの大臣とかに任せておけばいいのに」
「『異世界の女性は抑圧されている!女性の管理職が少なすぎる!』って」
ウララのモノマネが意外と似ていたので、ヤマナミはつい笑ってしまった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ビートルバムの宮殿はとてつもなく広い。
まさにヨーロッパ風の建築で、天井が高くて廊下が長くて広くて用途不明の部屋がたくさんある。
郊外の一軒家で暮らしていたヤマナミは、トイレに行くのに廊下を2回も3回も曲がる生活がたまに嫌になる。
「参った。トイレに行きたくなった」
すっかり夜も更けてみんなが寝静まったころ。
ヤマナミはベッドの上でそう呟いた。
夕食を終えた宮殿全体がまだ騒がしい時間帯に、食堂近くのトイレで済ませるのがヤマナミのルーティンだった。
だが今日は予定外の水分を取った。
そう。チャイである。
「異世界の茶葉にもカフェインってあるのかな。って、ダメだ。どんどん行きたくなってきた」
数日前のヤマナミであれば、スマホのライト片手にトイレに向かっていただろう。だが今は思い出してしまう。
薄明りの下から眠っているような顔をこちらに向ける老婆を。
「…………イヤホンないし、でも……まいっか」
ヤマナミのチート【Tokyo通信】はスマホである。現代日本の最新テクノロジーがそのまま異世界に出現しているばかりか、スマホの機能を魔力で応用し様々なことができる。
そんなまさにチートアイテムを駆使してヤマナミは。
好きな音楽を大音量で流しながらトイレに行くという策に出た。
アップアップなJラップ。早口な上に英語多めなので歌詞はよくわからないがとにかく前向きっぽいのが心強い。
「あっぷあっぷっぴんだうんざ、ふっふん~♪」
何回も聞いているが未だに聞き取れない後半部分をごまかしながら大きめのボリュームで口ずさみ、ヤマナミは用を済ませた。
歌も終盤だ。出来れば終わるまでに部屋に戻りたいヤマナミは早足で暗い廊下を駆け抜ける。
廊下をもう一回曲がれば後は部屋まで直進するだけ。
スマホのライトも激しく上下しているが気にしない。
そう思って角を曲がったヤマナミが目にしたのは。
車椅子。
その大きな車輪を細い腕でこいでいる老婆の後ろ姿だった。
白髪はキレイに整えらえて、服も清潔だ。
「(あ”っ!!!)」
悲鳴を上げそうになるのを何とかこらえるヤマナミ
だがYouTubeは止まってくれない。
ヤマナミの部屋に向かっていたであろう老婆がピタッと止まる。
「(ま、まずい……)」
ヤマナミが予期した通り、老婆が振り返った。
その表情は眠っているような苦悶しているような老人特有のもの。
敵意があるのかないのかはわからないが、何かあった時にすぐ対抗できるようにスマホを取り出したヤマナミ。
「嘘……!?」
起動した【マップ】に表示されていた情報は驚くべきものだった。
その瞬間、車椅子の車輪が動き始めた。
老婆は両の腕を伸ばして口をパクパクさせながら、ヤマナミに向かって動き出した。
「いやあああああああああ!!!!!!!!!」
ヤマナミが近づいてくる老婆をしばらくぼうっと見ていたのは、あまりの恐怖に動けなかったからであり、絶叫したことでやっと足が動いた。
どこをどう走ったかはわからない。
そもそもまだ宮殿の地図が頭に出来ていない。スマホのライトも滅茶苦茶な方向を照らしている。
「どうして……?どうして、追ってくるの?」
相手は車椅子に乗った老婆である。しばらく走ればすぐに見えなくなるが、だからと言って立ち止まるとすぐに追いつかれる。
半ばパニックになりながら逃げ続けたヤマナミは、ふと気づいた。
「あれ?この角って……」
気づけば最近何度も通った道を走っていた。
この先の角を曲がって3番目の部屋。常にシナモンのいい香りが漂うエキゾチックな部屋。
「ウ、ウララさんの部屋!」
そうわかった瞬間ヤマナミの身体が安堵に包まれる。
ウララさんのそばにいれば安心する。
それに何より彼女なら何か知っているかもしれない。
【マップ】が表示した老婆の印は赤色。
赤はビートル人の色。
他のビートル人が持つレプリカはそこまでしかわからないが、ヤマナミのオリジナルはそれ以上に、タップすればナンバーと名前までわかる。
「ナンバーはゼロ。それがおかしい……!ゼロはアシハラさんだもの。いったい誰なの、あの老婆……名前は、マコ……!」
角を曲がった瞬間、誰かにぶつかった。
全く人の気配なんてしなかったので、突然現れたかのようだった。
「あ、アシハラさん!す、すみません」
「マコは……」
差し込んだ月の光を真っ白な服が反射しており、そのせいでヤマナミはアシハラの表情がよく見えなかった。
そのせいでアシハラが自分ではなくその後ろの廊下を見ていること、何より、普段のような微笑ではなく、ひどく冷酷な顔をしていたことに気づかなかった。
「え?マコ!?マコってあの……」
「焦りすぎだよ、マコ。いったいこの子に何があるっていうんだ」
その瞬間、ヤマナミの頭をアシハラの手が覆って。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「アレ?どしたの?」
「……え!?」
扉を開けたウララを見て、自分がノックをしたことにヤマナミは気づいた。
いったい自分が何のためにこんな真夜中にウララの部屋を訪れているのか。
どれだけ頭をひねってもわからなかった。
ただ、何か大切なことを伝えなくてはならなかったような気がする。
「ん?もしかして、おばあちゃん?」
「おばあ、ちゃん?……あ、そうなんです……あ、あの、笑わないでくださいよ。その、最近、おばあちゃんに追いかけられる悪夢を見て、さっき頭を掴まれたところで目が覚めて、結構寝汗もかいてて……だから、その……」
「その?」
「い、一緒に寝てほしい、です……」
耳を真っ赤にしたヤマナミに庇護欲をかきたてられたウララは緩む頬を抑えながら彼女をベッドに迎え入れた。
ヤマナミもまたウララの甘い香りに包まれ、安心して眠った。
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