25 三人娘、お菓子作りに奮闘する。
「では姫さま、髪を結いますね」
アニタはリルリアンナの黒とも紫とも言えぬ豊かな髪をさっと梳かすと、頭のてっぺんまで結い上げて留め、馬の尻尾のように垂れた髪をくるくると留めた紐に添うように巻いてお団子のような髪型にした。
お料理をする時、御髪はまとめるのが基本なのです、とアニタは弾むように言う。
「ソフィアさまもご一緒にお作りになられますか?」
「あ、いや、私は」
「あの……よかったらお世話になった方に贈られるといいかな、と思うのです。実は一回で七つか八つは作れますので」
「そうですか、お世話になった方」
ソフィアが少し悩む仕草をしたので、リルリアンナとアニタは目を合わせてソフィアに分からないようにふふふと微笑む。
視察から帰ってきたソフィアの前髪が一房だけ垂れていて、その少しだけ変わった髪型に、一緒に働いている者はどっきどきなのですよ、とアニタがソフィアの居ない所で内緒で教えてくれたのだ。
侍女達が内心黄色い声を上げ、近衛騎士達は少しだけ顔を赤らめる者も出てきていて、視察でソフィアさまに何か心境の変化があったのでは、と、まことしやかに囁かれていますっ、とアニタは今までになく嬉しそうだった。
「どちらにあげるのか見当もつかぬが」
「はい?」
「いや、なんでもない。ソフィアも手伝ってくれ、心もとないのでな」
「姫さまがそうおっしゃるのであれば、喜んで」
栗色の髪をきちんと撫で付けつつも胸に手を当てさっと礼をとると共にはらりと落ちる一房の前髪が瞼に影を落とし、女性から見てもドキッとする色香を醸し出していた。
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三人ともアニタが用意した白い前掛けをして王宮の厨房へと向かうと、そこは怒号飛び交う戦場だった。
ひたすら芋の皮を向いている人、ドドドドとまな板の音を立てながら青瓜を切っている人、大釜で葉物をゆがいてざるにざばぁと空けている人の隣で大汗をかきながら大釜でスープを煮込んでいる人がいる。
その中で一人、厨房の動きを鋭い目で見ながら魚に刃を入れている人がリルリアンナ達をじろっと見た。
「お頼み申しますっ」
アニタが精一杯の声をかけているが、誰も振り向く者はいない。
だが、さっと魚を三枚に下ろした鋭い目の若い男がナイフを水で洗いまな板の上に置くと、ゆっくりとした動きでこちらにやってきた。
「なんすか、今、忙しいんすけど」
「ニールさま、お忙しい所申し訳ありません。こちらのテーブルでよいので道具をお貸し頂けないでしょうか」
「厨房に入らなければいいけど。何すんの」
「姫……妃殿下とご一緒にお菓子を作ろうかと思いまして!」
アニタの言葉に、ガタタッ と 音がしたかと思うと、シン と一瞬厨房内が静まった。
シュンシュンとお湯が沸く音、水が滴り落ちる音、火が、パチパチとはぜている。
「手えぇ止めんじゃねえぇぇっ!!」
「ア、アイサー!!」
また凄まじい包丁の叩く音が聞こえ出して、若者はチッと舌打ちしてこちらを見た。
「姫さんには火ぃ使わせるな、と前親方から申し送りされてんだけどな」
「はい、私も伺っております。あの、例のババロア作ろうと思っています。今回はベリーで」
「ババロアぁ?! 火ぃ使うじゃねぇか」
「あ、あれ? そうでしたっけ……」
もの凄く口の悪い若者と、あの気弱なアニタが渡り合っている。リルリアンナとソフィアは固唾を飲んでその様子を見守っていた。
若者が固めるのに海藻を煮詰めるだろうがっ、忘れたのか? とイライラしながら言ったので、アニタは、ぽんと小ぶりの手を叩いて、そうでした、と頷いた。
「ではニールさま、それだけお願い出来ますか?」
アニタが顔の前で手を合わせてニールと呼ばれた若者にお願いをすると、チッ仕方ねぇなぁ、と若者がささっとババロアを製作するのに必要な道具を揃え出したのでまた、厨房がシンと静まった。
「り、料理長が自ら……」
「何者だ、あの侍女……」
さわさわと囁かれる声に、若者は自身の手は止めずに、手ぇぇ止めんじゃねぇぇつっただろうがぁぁ!! 二回目だぁぁ三回目はねぇぇぞぉぉ!! とドスの効いた声で叫んだ。
「アイサー!!」
またしても先ほどよりも凄まじい勢いで全ての作業が始まったのを見て、眉間に山が出来るほど眉を寄せて部下達を睨んだニールは、生クリーム、砂糖、卵、ベリーを別皿に用意すると、計量のコップと大きなボール、混ぜるためのハケ、出来上がりを入れる白いデザート用の陶器を用意してくれた。
「葡萄汁と海藻はこちらで煮詰めてやっから待ってろ、あとはそっちでやれよ? 今度は手伝わないからな?」
「大丈夫です、ありがとうございます」
アニタはにっこりとニールに笑うと、リルリアンナとソフィアにこれを持ってあちらのテーブルで待っていましょう! と弾んだ声で言った。
「アニタ、料理長と知り合いなのか?」
「はい、お二人が視察に行っている間にお友達になりました、その時はオレンジのババロアを教えてもらったのです」
「アニタ殿にも春が……」
「ソフィアさま、もうすぐ初夏ですよ?」
きょとん、とアニタがソフィアを見たので、リルリアンナはあ、ああ、そうだの、とにやけそうな顔を必死で堪えて頷いた。ソフィアも、そう、ですね、と首振り人形のようにこくこくと首を縦に振ると、生暖かい視線を料理長に送っている。
「出来たぞ、さっさと測って全部ボールにぶち込みな、それぐらいなら姫さんだって出来るだろ」
ニールが鍋敷きと銅の片手鍋を厨房との仕切りを兼ねた長い飯台に置いてくれたので、アニタはありがとうございますっと声をかけてそれを預かりテーブルまで持って来た。
「えーっと、葡萄汁はきっと前回と同じ量を入れてくれたから……姫さま、砂糖を姫さまの拳ぐらいの量をお皿に盛って下さい。ソフィアさまはこちらのお皿で玉子をといて頂いて」
「了解しました」
テキパキと支持するアニタに普段の様子を見るような気弱さはない。もしかしたら、本来の力はこちらなのかもしれぬ、とリルリアンナは思いながら砂糖を皿にどさっと入れた。
「ひ、姫さま、握りこぶし一つ分ぐらいですっ それは山盛りっ」
「あ、す、すまぬ」
その隣でソフィアがぐしゃりと玉子を殻ごと潰していた。
「ああ! ソフィアさまっ、玉子を割るのは優しくこんこんですっ」
「も、申し訳ない……」
ソフィアはぐしゃりとなった玉子の殻と白身でベタベタになった両手を広げてどうしたらいいのかオロオロしている。
「ソフィアさま、まずお手を洗って、もう一度ですっ、姫さま、スプーンで余分な砂糖を袋に戻してくださいっ」
「りょ、了解しました」
「うむ」
少しだけ手の空いた厨房の者達が心配そうにそわそわと、三人娘の方をちらちら見ている。
「あ! ソフィアさま、だめですっ 混ぜる時にベリーを潰さないで!」
「ああっ! 姫さま、入れすぎっ! 容器いっぱいまで入れたらだめですっ! ええっと、ええっと、指を横にして、一本分より下ぐらいの所で止めてくだ……あああっ 指は容器に突っ込まないでぇっ!」
アニタの悲鳴に厨房の者達は、料理長、見てられないっす、と目線で懇願するが、若き料理長は、手ぇ出すんじゃねぇ と鋭い目で首を横に振り続ける。
おそろしく時間をかけて作られたベリーババロアを、冷やすのをお願いしますっ、とアニタが料理長に持ってきた時にはリルリアンナとソフィアはぐったりとテーブルに突っ伏していて、戻ったアニタに、お二人とも、片付けまでがお菓子作りですっ! と叱られ、慌ててテーブルの上の物を片付け出すのだった。




